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Chapter2-6 聖女さま、断罪する 6






 二週間後。

 デムロム中の多くの人々が、広場に集まっていた。

 その中心には、モニカとアレク、ベルといった『ランデア連合軍』の面々とその護衛、そして数人の男女がいた。

 集う人々の顔は明るい。

 それはその場にいる全員が、新しい時代の到来を感じているからに他ならなかった。

「――みんな、集まってくれてありがとう」

 中心にいた面々の中から、一人の少女が前に進み出る。

「アタシのことを知らない人も多いと思うから、改めて自己紹介させてくれ」

 深い色をした翠色の瞳に、綺麗な茶色の髪を頭の後ろで二つに分けている。

 その身に纏っているのはいつものぼろ切れのような布ではなく、ランデア貴族に恥じない黒を基調としたドレスだ。

「アタシの名前はモニカ・デムロム。かつてデムロム家を追放された人間だ。他の家族は『解放軍』に全員殺された。正真正銘、デムロム家最後の一人だ」

 モニカが語り始める。

 彼女の声は、静かに民衆たちに広がっていく。

「ここは、アタシたちデムロム家の街だった。その統治権はずっと長い間、王家に保証されてきた」

 それが、この国の当然のルール。

 ずっと昔から連綿と続いてきた、誰も疑うことのないルールだった。

「高い税のせいで、どれだけ働いても生活は楽にならない。デムロム家は民の困窮を良しとし、死なない程度に搾り取れるだけ搾り取る、デムロム家の人間はそんな考えを持った連中ばかりだったからだ。それがどうしても間違ってると思って、アタシは家を出ちまった」

 リッツバーグをはじめとするほかの家族たち、べリガルもそうだった。

 そのせいで多くの人々が苦しみ、死ななくてよかったはずの人がたくさん死んだのだ。

「でも、それじゃダメなんだ。みんな苦しんできたはずだ。こんなのは間違ってる。このままでいいはずがない。――だから、アタシは今日ここに立った」

 民衆たちが、モニカを見ている。

 ベルやアレクをはじめとした、『ランデア連合軍』の人間たち。

 今までずっとモニカについてきてくれた、舎弟たちも。

 でも、その中に、モニカが一番見てもらいたかった人はいない。

 もう二度と、会うことは叶わない。

 だから、モニカだけは、彼のことを忘れない。

 他の皆が彼のことを忘れても、モニカだけは、きっと彼のことを忘れない。

(アタシに勇気をくれ、ケイト)

 モニカは意を決して、宣言する。


「――アタシは、デムロム家の最後の一人として、デムロムの統治権を永久に放棄する」


 民衆から大きな歓声が上がった。

 それをほんの少しだけ複雑な思いを抱きながらも、モニカは言葉を続ける。

「みんなに、デムロムを任せるにふさわしいと思う人たちを選んでもらった。さあ、前に出てくれ」

 モニカに言うと、後ろに控えていた数人の男女が前に出てくる。

 彼らはこのデムロムでも名の通った有力者たちだ。

「ただ、この人たちがずっとデムロムを統治するわけじゃない。統治権はあくまで皆一人ひとりにある。一年に一度、彼らの信任を問い、そのまま任せるかどうか、皆で決める……」

 モニカはこれからのデムロムのかたちを、在り方を説明した。

 皆に、すぐにすべてを理解してもらうのは難しいだろう。

 それでも、デムロム家が消え、デムロムが皆にとって住みよい街になっていくのは理解してもらえた。

 モニカは肩の荷が下りたのを感じていた。

 ふっ、と息を吐き、空を見上げる。

 雲一つない青々とした空が、どこまでも続いている。

「……終わったよ、ケイト。アタシ、やり遂げたよ」

 小さく呟いたその言葉は、誰の耳に届くこともなく消えていった。







 モニカの演説の後。アレクとベルは、デムロム家の館を訪れていた。

「よう。よく来たな。まあ入れよ」

「ああ」

「お邪魔します」

 モニカの歓待の声に、二人はそれぞれの反応を返した。

 二週間前にはレオンが居座っていた空間も、今はすっかりモニカがなじむ空間に様変わりしている。

「どうだ?領主としての生活には慣れたか?」

 アレクが尋ねると、モニカは苦笑した。

「全然さ。でもまあ、それも今日で終わりだ。アタシの後任に引き継げるように、しっかりと整備しておいたしな」

「そうか」

 最初にモニカから話を聞いたときは、いったい何を考えているのかと問い詰めた。

 だが、彼女に「アタシに任せるって言ったんだから、好きにさせてもらうぜ」と言われてしまっては、アレクも返す言葉がなかった。

 それにアレク自身、これでいいのかもしれないと思っているのも事実だ。

 貴族ではなく、真に優秀で、民のことを考えられる血の通った人間を、為政者に選ぶしくみをつくること。

 それがモニカに課せられた使命なのだと、彼女自身が感じているのだから。

「細かいところは、実際にやってみねえとわからねえからな。その辺をうまいことできる法だけは整備させてもらったぜ」

「僕も出せる意見は出したつもりだが、さすがだな。モニカ」

「これくらい大したことねぇよ。ずっと考えてたことだしな」

 少し照れたように、モニカは顔を逸らした。

 その表情は、少しだけ柔らかくなっているように見える。

 彼女の中でも、心の整理がついたのだろう。

「それに、それだけに気を向けてもいられないしな。街の被害は大きい。特に、広場のあたりはな……あのクソ野郎のせいだ」

 モニカが忌々しそうに舌打ちする。

 デムロムの復興は今のところ順調に進んでいるが、残された傷跡は深く、大きい。

 『第五使徒』レオンの『神罰』によって、広場付近の住宅には大きな被害が出た。

 近くにいた住民も多数犠牲になっている。

「すべては終わったことですよ、モニカさん。彼らに対してわたしたちにできるのは、彼らが幸せになれるように、神に祈りを捧げることだけです」

「なんかなぁ……そういうところは聖女らしいような気もするんだけどなぁ……」

 苦笑するモニカに対し、ベルはどこか寂しそうに微笑みながら、窓の外を見つめている。

 彼女が被害にあった家族のもとを訪れ、一人ひとりに祈りを捧げていたのを、アレクは知っている。

 その中には、レオンの力で無残に殺された兵士や、『解放軍』側の兵士も含まれている。

 彼女の中では、死は一種の救済であり、死んでしまった者は敵味方関係なく丁重に弔わなければならない、という信念のようなものがあるのだろう。

 アレクもそんな彼女の聖女らしさを感じる一面を好ましく思ってはいる。

 ただ、自分が首を撥ねられたとしたら、自分を殺した人間に弔われるのは少し嫌なのではないかと思わないでもなかった。

「さて。それじゃあ、本題に入ろうか。モニカ。――今後の方針についてだ」

 アレクがそう言うと、モニカの表情がわずかに硬くなる。

「ああ。率直に聞くが……お前たちは、これからどうするんだ?」

 モニカはアレクに問いを投げかける。

 それは、デムロムにとっては死活問題となるのだろう。

 アレクたちが倒れれば、デムロムの為政者も死は避けられない。いわば一蓮托生の関係となった。

 『解放軍』に占領されていた時も無法地帯同然だったようだが、再度の占領となれば、さらに環境は悪化するに違いない。

 そのときどうなるのかは、あまり考えたくないというのが本音だろう。

「デムロムは帝国の連中と定期的に連絡を取っていなかったとはいえ、いつかはバレる。それがいつになるのかはわからねぇが……」

「もちろん、わかっている。だからこそ、帝国がこのことを知る前に動くべきだと僕は考えている」

「じゃあ、具体的にどうするつもりなんだ?」

 モニカの問いに、アレクは一呼吸置いてから答えた。

「ポルダ遠征に向かっている『解放軍』を、背後から叩く。そのうえで、ポルダに協力を取り付けるつもりだ」

「……そうか。そうするんじゃないかとは思ってたけどよ。勝算はあるのか?」

 モニカの鋭い目が、アレクを射抜く。

「奴らがポルダ攻略に向けた戦力は五千と聞いている。対して、お前たち『ランデア連合軍』は、仮にデムロムで徴兵を行ったとしても、二千を越えることはないだろう。しかも、まともに戦なんざしたことのない奴らばかりだ」

「大丈夫です。策はあります」

 モニカの言葉に対し、ベルはにっこりと笑ってそう言い切る。

 彼女の顔には自信が溢れていた。

「いったい何を考えてるんだ?」

「それは内緒です」

 ベルはいたずらっ子のような顔をして、口の前に人差し指を立てた。

 そんな彼女の様子に、モニカはあきれ顔でため息をつく。

「……ホントに大丈夫なのか?」

「決して楽観はできないが、考えなしに突っ込むわけじゃない。そこは信じてほしい」

「ったく、しゃーねーな……。どのみち、アンタたちが死んだらデムロムも終わりなんだ。頼んだぜ」

 モニカはそう言って、ベルと同じように窓から空を見上げる。

 それは、どこまでも続いていく空に思いを馳せる、ただの少女のような姿で。

「ま、せっかく来たんだしゆっくりしていけよ。アタシは少し行くところがあるから」

「――どこに行くつもりですか、モニカさん」

 そう言って部屋から出て行こうとするモニカを、ベルが呼び止めた。

「ベル?」

 アレクが訝しげに彼女の名前を呼ぶが、彼女は微動だにしない。

 ベルは、モニカの背中をまっすぐに見つめている。

 立ち止まったモニカの表情は、ベルやアレクには見えない。

「……アタシの役目は終わった。もう、ここにいる必要はねえ」

 アレクたちの方に向き直り、そう口にしたモニカの目は暗い。

 その言葉の意味を、アレクも本能的に察してしまった。

 モニカはもう、自分の人生の目的を、使命を、終えたと思っているのだ。

「何やりきった気になってるんですか」

「……なんだと?」

 ベルの言葉に反応したモニカの言葉には、怒気が含まれている。

「ああ、そうさ。ずっとやらなくちゃいけないって、そう思ってたことを、アタシはたしかにやりきった。デムロムを治めるのは、デムロム家以外の人間じゃなきゃ意味がねぇ。ここはもう、アタシのいるべき場所じゃねぇんだよ」

「その通りです。だからモニカさんの人生は、今日、ここからまた始まるのです」

「……始まる?」

 「そうですよ」とベルは頷き、

「ケイトさんに言われたことを忘れたのですか? ずっと長い間溜めていた宿題を、モニカさんはようやく終えることができた。でもそれは『やりたいこと』ではなく、『やるべきこと』でしかありません」

「……それは」

 モニカの表情が、困惑したものに変わる。

 まったく考えの外にあったものが、いきなり自分の目の前に出されたような、そんな感覚の中にモニカはいた。

「今こそ、ケイトさんに言われたことへの答えを出すときです。――『モニカさんは、何がやりたいですか?』」

「――――」

 それは、モニカがずっと前に、ケイトに言われた言葉によく似ていた。

 彼が最期にモニカに残した言葉。

 その意味を、もしかしたら。


 モニカは、ずっと勘違いをしていたのかも、しれない。


「あ、アタシ、は……」

 モニカの思考が乱れる。

 今日で終わらせようと思っていた人生に、急に続きが用意されたのだから、当然だった。

 ようやくケイトのところに行ける。

 そう思っていたのに、モニカの前にいる聖女は、それを絶対に許容しないだろう。

「――ぁ」

 ふとモニカは、ずっと昔に思い描いていたことを思い出す。

 それは、あこがれだった。

 自分の知らない世界に対するあこがれ。

「アタシ、は……」

 ずっと忘れていた。

 ずっと忘れて、心の一番奥底に閉じ込めていた、一つの願いを、モニカは口にした。


「――アタシ、見たい。外の世界が、見たい」


 モニカがその願いを口にすると、何かが心の奥底にストンと落ちる感覚があった。

 血の宿命によって、ずっとデムロムに縛られていた少女の、心の奥深くにあった願いが、ようやく形を成した瞬間だった。

「モニカさん」

 ベルが、モニカの名前を呼ぶ。

 彼女はモニカの目を見ながら、言った。


「わたしたちと一緒に、来てくれませんか」


「……え?」

 それはモニカにとって、思いがけない提案だった。

 今日ですべて終わると思っていたモニカにとって、想像さえつかない、続きの話だった。

「一緒に、みんなを幸せにするのを、手伝ってくれませんか?」

「――は」

 モニカは笑った。

 口元を歪める、淑女らしさのかけらもない。モニカらしい笑み。

 その瞬間、彼女の心は決まった。


「いいぜ、ベル。アタシもついて行ってやるよ」


「ほんとですか!? ありがとうございます、モニカさん!」

「うおっ!」

 屈託のない笑顔を浮かべる聖女が、モニカの胸に飛び込んできた。

 それを慌てて抱えながら、モニカは苦笑いをする。

「ってわけだ、クソ王子。しばらくよろしく頼むぜ」

「……よろしく頼むなら、その呼び方をもう少しなんとかしてもらいたいところだが……まあ今日は大目に見よう。心強い味方が増えて僕も嬉しい。これからよろしく頼む」

 アレクが差し出した手を、モニカも握った。

「さて! それじゃあモニカさんの『ランデア連合軍』への正式な加入を祝って、今夜はお祝いをしましょうか!」

 モニカから離れ、早くも今夜の計画を話し始めるベルを、アレクはあきれ顔で見ている。

 そんな様子を見て、モニカは心の中で小さく呟く。

(なあ、ケイト。やっと見つけたよ。アタシのやりたいこと)

 随分と遠回りしてしまったが、今日これから、モニカの新しい人生を始めよう。

 そう思うことができたから。

(アタシは、こいつらと行く。だから、もうちょっとだけ待っててくれ、ケイト)

「それはいいが、今日は人の分まで食べるなよ」

「なっ!? それじゃまるで、わたしが人の分にまで手をつけるような聖女みたいじゃないですか! 言いがかりはやめてください!」

「いや、言いがかりじゃなくてこれまでの実績だろう」

「……ホントに大丈夫かねぇ、これ」

 苦笑いしながら漏れたモニカの呟きは、誰に聞こえることもなく消えていった。


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