Chapter2-6 聖女さま、断罪する 3
眼下で膝をつくレオンを見て、ベルは息を吐いた。
――間に合った。
久しぶりに使う弓を引き、なんとかレオンに命中させた。
あまり扱いが得意ではなかったが、最低限の役割は果たしてくれたと言える。
だが、手負いとなった獣の方が危険度が増すのも、また事実。
だから。
「『第五使徒』レオン。あなたは罪なき人々を殺しすぎました。あなたの魂は、死後も救済されることはありません。今、ここで、わたしがあなたを断罪します」
ベルは大斧を少年へと向け、宣告する。
今、ベルの頭の中で、けたたましいほどの鐘の音が鳴り響いている。
それは救済を越えて、ベルが神に代わって断罪しなければならない罪人がいるということに他ならない。
「……へぇ。あの瓦礫の中から出てきたんだ。よく無事だったね」
「わたしはこんなところで、死ぬわけにはいきませんから」
「なるほど。でも君の命日は今日だよ。これは絶対に変わらない。運命ってやつさ」
レオンの気配が膨れ上がる。
右手に握る『聖典』が輝き、その切っ先がベルのほうへと向けられた。
ベルは即座に屋根から屋根へと飛び移る。
「無駄だ! ボクの『神罰』からは何者も逃れられない!!」
狂笑を浮かべるレオンが、『聖典』を横に薙ぐ。
それだけの動きで、一瞬前までベルが立っていた足場がバラける。
「ッ!!」
足場を失ったベルは、そのまま地面に落ちるしかない。
彼女の明確な隙を、レオンが見逃すはずもない。
「終わりだ! 『聖女』ッ!!」
レオンは手に持った『聖典』で、ベルに『神罰』を放とうとして、気づく。
「なー―ぁ!!」
レオンの右手がなくなっていた。
その断面から血が噴き出し、レオンの真っ白い聖衣を赤黒く染め上げていく。
「ベルに気を取られ過ぎだぜ、クソガキ」
長剣を抜いたモニカが、レオンのすぐ後ろにいた。
不敵な笑みを浮かべ、レオンが持っていた『聖典』を拾い上げる。
「クソッ! 虫けらにも劣る劣等の分際で、ボクの『聖典』に触れるなぁぁぁぁあああああ!!」
「っ!?」
モニカのすぐそばで『神罰』が発生し、モニカの身体を吹き飛ばした。
直接切り刻まれずとも、その衝撃の大きさは計り知れない。
「がぁっ!!」
勢いよく壁に叩きつけられたモニカは、そのままぐったりと横たわる。
目を覚ます気配はなかった。
「死ね」
レオンが今度こそモニカの身体を解体するため、左手を突き出して『神罰』を使った。
風が吹き、次の瞬間、彼女の身体は肉塊に変わるだろう。
それは避けられない運命。
そのはずだった。
「させません!」
地面に降りてきたベルが、モニカの身体を突き飛ばした。
しかし、彼女自身の回避は間に合わない。
ベルが息を呑む音が、レオンの耳にも届いた。
少年の顔が暗い喜びに歪む。
「死ね。『聖女』」
暴風がベルを襲った。
ベルの後ろの壁、その先にある家屋も、まるでそれまで形を保っていたことが不思議であるかのように、一瞬にして形が崩れる。
もちろん、その前にいた『聖女』など、ひとたまりもない。
それが約束された未来の形だ。
だが。
「――え?」
レオンの表情が凍り付く。
目の前にいるベルには、何の変化もない。
『神罰』を使ったのに、何の変化も。
「な、なんで……。そんなわけが……」
レオンはうろたえながら、再度『神罰』を行使する。
行使しようとして、気づいた。
自分の左腕が、途中から切り飛ばされていることに。
「ぐぅぅうううッ!!」
『神罰』を行使する直前、ベルが投げた大斧が、レオンの左腕を断ち切ったのだ。
「やはり、力を行使するためには、そこが必要だったのですね」
おそらく、レオン自身も気付いてはいなかっただろう。
力の指向性を決めるために、腕はちょうどいい目印になったはずだ。
その部分以外で能力を使うことなど、してこなかったに違いない。
「ぐ……ぅっ……」
痛みに耐えきれなくなったのか、レオンはその場に倒れ込んだ。
両手を失った少年は、大量の血を流しながら、激痛にうめき声をあげる。
左胸に矢を受け、右手を失い、左腕を失ったレオンはしかし、まだ生きている。
『使徒』は生命力が強いのだろうか。
一度殺しても蘇るくらいだから、弱くはないだろう。
それならば、猶更。
ここで禍根は断ち切らなければならない。
「……っ!」
ベルが立ち上がると、レオンは後ずさる。
彼女の手には、レオンの『聖典』が握られている。
大斧を手放しても、目の前の少年の命を奪う術は残されている。
対して、レオンの手には、何もない。
ベルの攻撃に耐えうるものは、何もなかった。
「……や、やめろ」
もはや立ち上がることすらできないレオンは、地面に転がったまま、ベルを見上げる。
「と、取引をしようじゃないか。ボクを助けてくれたら、知る限りの『解放軍』の情報を話す」
「最期の言葉はそれでいいですか? 『第五使徒』レオン」
ベルは『聖典』をレオンの首に突き付け、少年に尋ねる。
その瞳に宿る意志の強さを認めて、レオンの声が震えだした。
「ボクを殺すの? い、いいのかなぁ。ボクは君たちの知らない情報をたくさん知っていると思うんだけど?」
「あなたは決して許されない罪を犯しました。見逃すなどということはあり得ません」
ベルは『聖典』に力を籠める。
いつでもその首を落とすことができるように。
その様子を見て、レオンは焦り始める。
「ま、待ってよ。ボクを殺すの? 本当に? このボクを? そんなことが許されると、本気で思ってるのか!? ボクは神に愛された存在、神に選ばれた十二人の一人、『第五使徒』レオンなんだぞ!?」
――話にならない。
ベルは心の中で嘆息し、右手に力を籠める。
それで終わるはずだった。
「――――」
レオンが騒いでいるのを尻目に、ベルは困惑の中にいた。
少年の戯言にこれ以上付き合う必要はないと、その首を切り落としたつもりだった。
それなのに。
「……なんで」
ベルの、『聖典』を握る腕が、重い。
「……なんで。動かないの。わたしの腕……」
それ以上振り下ろすことが、物理的に不可能になったかのような錯覚すら覚える。
理解不能だった。
まるでベルが、レオンを殺すことを躊躇っているかのような、そんな不可思議な現象が起きている。
そんなはずはない。
ベルは、ここでレオンを殺すしかないと思っている。
彼は多くの罪なき人々を殺し過ぎた。
それは決して許されることのない罪であり、ベルが求める皆が平和に暮らせる世界で、レオンのような身勝手に他人を傷つける人間の居場所はない。
もし生かしておけば、レオンは必ず報復の機会を待つだろう。
そうなれば、ベルやアレクの命を脅かす強敵として、再び目の前に立ちはだかるに違いない。
ここで殺す。
皆が幸せに暮らせる世界に、手を振りかざしただけで人を殺せる人間など必要ないのだ。
「ボクは、神に愛された存在だからね。『聖女』だかなんだか知らないけど、ボクを殺すことは――」
「――なるほど。それなら僕がやるよ、ベル」
聞き覚えのある声が聞こえた。
ベルが振り向くと、そこには見知った顔の青年の姿があった。
「アレク様! ご無事でしたか!」
「お前のおかげでな。デムロムの『解放軍』も、粗方片付いたようだ。作戦勝ちだな」
「……馬鹿な。ボクたちが、お前たちみたいな虫けらに負けたとでもいうのか……?」
レオンは茫然とした表情で、虚空を見つめている。
任されていた街をひとつ陥落させてしまったとなれば、彼の帝国での地位もなくなったも同然だ。
「ベル。その剣を貸してくれ」
どこか凛とした雰囲気を纏った彼は、ベルに願い出る。
「アレク様。でも……」
「いいんだ。――僕も、覚悟を決める時だ」
強い意志を秘めた眼を、ベルは見た。
思えば、彼はその手を血に染めたことはない。
血に染まるのは自分だけでいいと、ベルは思っていた。
でも、アレクは選んでくれたのだ。
ベルと対等に、自分の手を汚すことを。
「……わかりました。アレク様がそう言うなら」
ベルは自分が持っていた『聖典』を、アレクに渡す。
アレクはその白銀の刃を、持ち主たる『使徒』の首筋に突き付けた。
「は。ランデアの第一王子か。お前ごときにこの『第五使徒』たるボクが殺せるとでも?」
レオンは子馬鹿にしたような様子で、アレクを眺めている。
「……っ」
アレクの手は震えていた。
それでも、しっかりと『聖典』を握って離さない。
「……お前は、ランデアの罪なき人々を大勢殺した。ランデア王家の血を最後に継ぐものとして、僕はお前を許すわけにはいかない」
アレクの手に力が宿る。
白銀の刃が、レオンの首筋に吸い込まれていく。
その傷口から赤黒い血が大量にあふれ出した。
「ぐ……ぎ……ぃ……」
血の泡を吹きながら、レオンの顔から急速に生気が失われていく。
だが、元々身体を鍛えていたわけでもないアレクに、レオンの首を断ち切るほどの力はない。
「――アレク様」
アレクの手に、白い手が重なる。
ベルの両手が、震えるアレクの手を包みこんでいた。
「大丈夫ですよ、アレク様」
「……ああ」
ベルの手が、アレクの手に重なる。
次の瞬間、レオンの首は自身の『聖典』によって断ち切られていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
アレクの息が荒い。
初めての人殺しは、彼にとって大きな衝撃だったのだろう。
「アレク様。ありがとうございます」
「……いつもベルがやってくれていたことを、今日はたまたま僕がやっただけのことだ。気にすることじゃない」
「それでも、ですよ」
ベルが微笑むと、アレクは笑うような、悲しむような、よくわからない表情をする。
「……終わった、んだよな」
「ええ。……今は、少しだけ休みましょう」
「……そう、だな」
ベルとアレクは、寄り添うように、意識を手放した。
アレクの手の中で、『聖典』が鈍い輝きを放ったことに気付くものは、誰もいなかった。




