Chapter1-2 聖女さま、たすける 2
「は……?」
アレクは、目の前の光景が信じられなかった。
彼の目の前にいるのは、長い黒髪の、純白の修道服を纏った少女だ。
その両手には、赤黒い血に染まった短剣が握られている。
ほかに周りに生きている人間の気配などない。
下手人は明らかだった。
……なぜ。
どうして。
どうやって。
様々な疑問が脳裏に浮かんでは消えていく。
そのはずなのに、アレクの口から出たのはこんな言葉だった。
「……そんな服、どこで手に入れたんだ?」
「村長さんにもらったんですよ! かわいいでしょう?」
お気に入りの服を見せびらかすように、少女はくるくるとその場で回ってみせる。
黒い髪は珍しいが、その姿はただの村娘とそう変わりない。
その手に握る血塗られた短剣だけが、彼女の印象を異様なものにしていた。
「君は……」
アレクの記憶が正しければ、直前に立ち寄った村で食糧庫に忍び込み、中のものを食べ散らかして寝ていたところを捕縛されていた少女のはずだ。
修道服と短剣のせいで随分と印象は変わって見えるが、間違いない。
「大丈夫ですか? 大きな怪我はないみたいですけど」
「ああ、大丈夫だ」
蹴られた腹や背中が痛むが、それをわざわざこの少女に伝える気にはなれなかった。
ただ者ではない気配を感じさせる少女は、今のところアレクに危害を加える様子はない。
それどころか、
「……君は、僕を助けてくれたのか?」
「そうですね。あなたを助けに参りました」
「……どうして?」
ただの村娘というわけでもなさそうだが、だからこそアレクを助ける理由などないはずだ。
大男の言葉を使うのは癪だが、アレクを救うよりもアレクを殺してその首を献上する方がはるかに安全で、リターンも大きいのだから。
「あなたを救うことで、たくさんの人たちが救われるからです」
「……なんだよ、それ」
その答えは、アレクが予想だにしていないものだった。
私欲ではなく、民のために、自らの力を使う。
その結果、どれほど強大なものを敵に回すかも厭わず。
そんな風に考えて、それを実行できる種類の人間など、アレクは一つしか知らない。
「わたし、聖女なので」
「……なるほど。聖女か」
堂々と「わたし聖女です」などと名乗る馬鹿が、いったいどこの世界にいるというのか。
自称聖女などという怪しい存在は、今まで聞いたことも見たこともない。
そんな者の力を借りるなど、もってのほかだろう。
だが。
「……頼む。力を貸してくれ」
アレクは地べたに這いつくばりながら、彼女に頭を下げた。
そんな彼の姿を、ベルは静かに見つめている。
「ランデアが『解放軍』の手に落ちれば、民にとっては地獄のような生活が待っているだろう。いや、もうすでに始まっているんだ……」
アレクがこれまで見てきた村の人々は、皆暗い顔をしていた。
希望などないと、すべてを諦めた人間の顔だった。
「これまで死んでいった者たちのためにも、これからこの国を生きていかなければならない者たちのためにも、僕はここで死ぬわけにはいかない……!」
それがアレクの本心だった。
それが今、アレクが生きている意味だった。
「頼む。君の力が必要なんだ……」
……そうしてアレクが頭を下げ始めて、どれほどの時間が経っただろうか。
ふと、アレクは誰かに抱きしめられている感触があることに気づいた。
顔をあげると、聖女を名乗る少女がアレクの身体を抱きしめていた。
その手はどこまでも優しく、まるで赤ん坊を抱く母親のようで。
「わかりました。わたしが必ず皆さんを幸せにします。だから安心してください」
「……そう、か」
それはアレクの求めていた答えとは微妙に違ったが、なんとなく大丈夫だと思った。
そのまま、アレクは意識を手放した。
意識が途切れる直前、澄んだ鈴の音が聞こえたような気がした。