Chapter2-5 聖女さま、舞い降りる 4
昨日は疲れ果てて投稿を完全に失念していました!
サークルスペースまで来てくださった方、ありがとうございました!
少女――モニカの声を、アレクは不思議な心地で聞いていた。
アレクは、彼女が叫ぶ名の意味を知っている。
レオンは訝しげな表情を浮かべるが、その言葉の真意まではわからない。
彼女が、誰に、どういう目的でその言葉を発したのか、読み取ることができない。
「ええ。それじゃあいきますね」
その声は、妙に遠くから聞こえた気がした。
それなのに、不思議と耳に入ってくる。
アレクは、一日ぶりに聞く声に、不思議な安堵感を感じていた。
「なにを、言って――」
レオンの声が、不自然なところで途切れる。
これまでの人生で聴いたことのないおぞましい音が周囲に響いた。
まるで、肉の塊が、大きなものに押しつぶされたような、謎の音の正体は。
「見ろ! 聖女が舞い降りた! 我らの勝利だ!!」
モニカがなにやら叫んでいるが、広場は静まり返っている。
誰も言葉を発しない。
しかし、そんな雰囲気を物ともしない者もいた。
「やった! うまくいきましたね!」
大量の返り血を浴びたベルが、笑顔でアレクに話しかける。
彼女が両手で斧を下ろす下には、真っ二つになったレオンの死体が転がっていた。
正確には真っ二つというよりも、歪に二つにねじ切られたと言ったほうが正しいか。
どう見ても即死だった。
アレクはそれを見て、すべて終わったのだと、そう悟った。
「ふっ!」
突然の凶行に、硬直したまま動かない護衛の男たちの首を、ベルは大斧で刈り取る。
頭部が宙を舞い、やがて鈍い音を立てて地面に転がった。
そんな光景を、いまだに状況を呑み込めない群衆たちを尻目に、ベルはのんびりとした声を上げる。
「いやー。一時はどうなることかと思いましたが、まさかこんなにうまくいくとは」
「……まあそうだが。いくらなんでも無茶苦茶だ。まさか時計塔の上から飛び降りてくるとは思わなかったぞ」
えへへーと照れ笑いするベルに、アレクは冷静な突っ込みを入れる。
あろうことか、ベルは処刑が始まる前に時計塔によじ登り、その頂上からレオンの頭上に斧を叩きつけたのだ。
「森でもあれくらいの高さから叩き落されることはありましたし。全然なんてことないですよ」
「お前がなんてことなくても、ほかの人間はそうじゃないからな。間違っても真似させるなよ……」
アレクはそう言うが、ベルはあまりわかっていない様子だった。
普通の人間なら、どう考えても大怪我は避けられない、下手をすれば即死するような高さのはずだが、この聖女には何の問題もなかったらしい。
「……ベル。君は……」
「ん? どうかしましたか、アレク様?」
「……いや。なんでもない」
やはり、ベルもまた、普通の人間ではないのだろう。
でも、彼女が何者であろうと、アレクにとってはどうでもいいことだった。
彼女は同じ目的を持ち、協力し合うことができる同志なのだから。
「と、こんなことしてる場合じゃないですね。ちょっと待っててください、すぐに解放してあげますから」
ベルはそう言って、アレクの手足の拘束を解く。
折られた右手の指は痛むが、それ以外は問題ない。
むしろ、あの少年に拉致されたにもかかわらず、指を二本折られただけで済んだのだから、十分に幸運だと言えるだろう。
「感動の再会はもう済んだか? 余裕があるのはいいことだけどさ、レオンをやってもまだまだ『解放軍』の連中は残ってんだ。気を抜くのは早いぜ」
「それもそうですね。じゃあ、さっさと片付けちゃいましょう」
あきれ顔の少女――モニカがそう言うと、ベルも彼女の言葉に賛同する。
アレクが「どちら様ですか?」と声をかける暇すらない。
いったいベルどのように知り合ったのだろうか。
話を聞く限りではデムロム家の娘のようだが、この品のない喋り方はとても貴族の令嬢とは思えない。
家出したとかいう話だったので、デムロム家を離れてからずいぶん経つのかもしれない。
「お、おい!」
「ん?」
いまだに十字架に括りつけられたままのリッツバーグが、モニカに声をかける。
その顔は真っ赤で、まともな精神状態ではないことは明白だ。
「た、頼む。ワタシも逃がしてくれ! 謝礼はいくらでも払ってやる!」
「けっ。笑わせんな。誰が助けるかよ。お前はここで死ね」
恐ろしい笑顔を浮かべ、モニカが親指を下ろす。
死んでも助けないという強い意志を感じた。
「ベル。リッツバーグ殿を……」
「……んー。ごめんなさい、アレク様。こればかりは、わたしたちが口出しするべきことではありません」
アレクの言葉に、ベルは瞳を閉じ、ゆるゆると首を振る。
そんなベルの姿を初めて見たアレクは戸惑った。
だが、そんなものなのかもしれない。
モニカとりっつバーグの間にどんな確執があるのかはわからないが、他人の家の事情に口をはさむべきではないということだ。
「に、逃がすな! 賊はたったの二人だ! レオン様の仇を打つのだ!」
近くにいた『解放軍』の兵士たちが集まってくる。
騒ぎを聞きつけたようだ。
「アレク様。わたしから離れないでくださいね」
「あ、ああ」
大斧を構え、ベルは名乗りを上げる。
「――わたしは聖女ベル! ランデア第一王子、アレク様の意志に賛同し、ランデアの地で狼藉を働く『解放軍』を滅ぼさんとする者!」
その言葉に、『解放軍』の兵士たちは顔を青くする。
ただの小娘が言えば馬鹿にされるような言葉も、自分たちの総大将を一瞬でひき肉に変えた者が言えば、現実味を帯びてくる。
「いくぜお前ら! 今こそデムロムを『解放軍』から取り戻す時だッ!!」
「おおおおおおおおっ!!!!」
モニカの声に応えるように、群衆に紛れていた男たちが『解放軍』の兵士たちへと突撃を始める。
「なっ!? ぐぁっ!!」
完全に不意を突かれる形になった兵士たちは、混乱の真っただ中にいた。
どうやら、モニカの私兵を忍ばせていたらしい。
『解放軍』の兵士たちは完全に混乱していた。
「エコールにも、皆と一緒にこの時間に突入するように指示を出しています。街の内側と外側から挟撃すれば、指揮官を失った『解放軍』は総崩れになるはずです」
「なるほど。さすがだな、ベル」
アレクがそう言うと、ベルはにっこりと微笑んだ。
そこまで言って、アレクは自分の存在意義を見失いかける。
自分がやったことと言えば、のこのこと敵に捕まって、ベルたちをこの場所へと誘いだしただけだ。
そのあたりの反省会は後ですることを決めて、一旦思考を放棄した。
「よし。ベル、クソ王子、ここを突破するぞ」
「はい。参りましょう、アレク様」
「……ああ」
失礼極まりない女の声を無視し、ベルの声に答えながら、アレクは兵士の死体から剣を拝借する。
自分のようなひ弱な男が戦えるとは思えないが、何も持っていないよりはマシだろう。
「オラッ! 少しは楽しませてくれよ――っ!」
「舐めるなよ女ぁ! ……っぐ!!」
モニカの挑発に反応した兵士は、次の瞬間には首を切られていた。
男の首から血が噴き出し、その身体がぐらりと揺らめいたかと思うと、地面に倒れ伏した。
息をつく暇もなく、モニカは次々と敵兵を長剣で切りつける。
その剣裁きは、ベルに勝るとも劣らないものだ。
「驚いたな……」
純粋な力量で言えばさすがにベルと比べると劣るだろうが、このモニカという少女も相当な手練れと見て間違いない。
「はぁぁぁああっ!!」
一方、自称聖女は雄たけびを上げながら、大斧で次々と敵兵を屠っていく。
敵兵の剣が届くギリギリのところで避け、自分の放つ一撃は決して獲物を逃すことはない。
そしてその軌跡の先に、次の獲物を捕らえ続けている。
アレクは状況も忘れて見惚れていた。
返り血を一滴も浴びず、ひたすらに敵を屠り続ける。
圧倒的な武勇を以って、このランデアを救うことになるであろう、その少女の姿に。
「……ん?」
だから、その違和感に最初に気づくことができたのも、アレクだった。
「なあ、ベル」
「どうかしましたか、アレク様?」
平然とした顔で首を切り落としながら、ベルはアレクに応える。
「お前、いつの間に返り血を拭き取ったんだ?」
「何を言ってるんですかアレク様。そんなものを拭き取る暇なんて――」
そこまで言って、ベルも自身の違和感に気づいたのだろう。
「――え?」
レオンを殺したときに全身についていたはずの返り血が、今は一滴もついていないことに。
それは、アレクが見た、初めてベルが驚きの表情を浮かべた顔だったのかもしれない。
――嫌な予感がする。
それは、アレクが本能的に感じた恐怖だった。
あり得ないことが、あってはならないことが起こるような、そんな気がしてならない。
……どうしても、確認しなければならない。
アレクは、レオンの死体が転がっているほうを見た。
時計塔の真下。
物言わぬ亡骸となっているレオンの身体が、少しずつ元に戻っていっているように見えた。
「は?」
あり得ない光景を見せられ、アレクの思考が止まる。
見間違いではない。
こうしている間にも、血だまりはその大きさを小さくし、レオンの身体は胸のあたりまで再生している。
アレクは直感する。
アレを放っておけば、間違いなく――。
「ベル! あれを止めないと――」
「――ダメです。間に合いません」
いつになく神妙な顔をしたベルが、アレクの手を引く。
ベルのそんな表情を見たのは初めてだった。
そして、レオンの身体が口元まで再生し、
「――『運命歪曲』」
その言葉を発した瞬間、『第五使徒』レオンの身体は、まるで何事もなかったかのように元に戻っていた。
「……はぁ」
倒れた身体を億劫そうに起こし、ふらふらとおぼつかない足取りで立ち上がる。
背中は異様に丸くなり、その表情を伺い知ることはできない。
だが、奇跡の復活を遂げた少年は、ポツリと呟いた。
少年の意志を体現する、その一言を。
「――皆殺しだ」
「――――ッ!!」
ぞわりと。
全身の毛が逆立つ。
死の危険を感じる。
ここにいてはいけないと、本能が強く警鐘を鳴らしている。
「逃げますよ! アレク様!! モニカさんも!!」
「ベル……?」
「話は後だ! ありゃたしかにやばそうだ」
ベルはアレクの手を掴み、広場から離れるようにものすごい勢いで走り始める。
モニカも何とかついていくことができていた。
彼女の本気の全力疾走に、アレクも半分宙に浮かされながらなんとかついていく。
あのベルが、レオンから遠ざかろうとしていた。
「…………」
アレクも、ベルのあんな表情は見たことがなかった。
まるで彼女が、本気で命の危険を感じているかのような――。
そして、その瞬間は訪れる。
次の瞬間、広場がバラけた。
嵐のような突風が、広場を吹き抜けた。
あまりにも強烈な風に、アレクは思わず目を瞑る。
そして、目を開けると。
「――な」
そのあとに残っていたのは、地獄だった。
人体だったものがいたるところに散乱し、血と臓腑で広場のレンガは赤黒い色に染め上げられている。
まともな状態を保っている死体など一つもない。
『解放軍』も、モニカの仲間たちも、デムロムの市民も、関係ない。
その多くが、物言わぬ肉塊と化していた。
一切なんの差別もなく、平等に死が振り撒かれたのだ。
「――なんだ、これは」
思わず、そんな言葉が漏れていた。
さっきまで、皆普通に生きていたのに。
無意識のうちに、身体が震えていた。
アレクはこんなことができてしまう化け物と、何も知らずにのんきに話していたのだ。
「いやー、驚いたよ。まさか頭の上からくるなんて、予想だにしてなかった。そんなところには何も『張って』いなかったからね」
白い少年――『第五使徒』レオンは、まるで何事もなかったかのように話を続ける。
その表情はどこか作り物じみていた。
それは、そう。
荒れ狂う激情を、無理やり押さえつけているような。
「おめでとう。君は間違いなく、『使徒』を倒したんだ」
ぱちぱちと、惜しみない称賛を贈るように、レオンは拍手をする。
だが、その瞳の色は、称賛とはかけ離れた感情で塗りつぶされていた。
憎悪という名の感情で。
「アレク様、逃げてください」
「ベル……?」
ベルはアレクに、それだけ言った。
彼女は真剣な表情で、目の前の敵を見つめている。
こんな彼女の姿を、アレクは見たことがない。
「まだ生きている人たちがいます。アレク様も彼らと一緒に、安全なところへ」
「ベル、君は――」
どうするんだと聞こうとして、その瞳を見てしまった。
彼女は、ひどく強い決意を秘めた目をしていた。
「大丈夫です。ちょっとだけ、行ってきますね」
「ベル!!」
アレクにそれだけ言って、ベルは駆け出した。




