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Chapter2-4 囚われのモニカ 11



 中央広場は、多くの人々で賑わっていた。

 その注目はいつも処刑が行われる、時計塔の真下に向けられている。

 彼らは物珍しそうに、断頭台にかけられた少年の姿を眺めていた。

 それはベリガルが部下たちに命じた処刑の通達が、無事に行われた証だ。

「いや。もしかすると、あなたのお友達のカイくんがすごく頑張ってくれた成果なのかもしれませんね。よかったですねケイトくん。いいお友達を持って」

「…………」

 ベリガルがケイトに上機嫌で話かけるが、ケイトは瞳を閉じたまま微動だにしない。

「無視ですか。いいんですか? もうあと十分もしないうちに、永遠におしゃべりできなくなってしまうというのに」

「…………

 時計塔の時刻は、そろそろ十二時を指そうとしている。

 もうそれほど猶予はない。

 だというのに、ケイトは何も語らない。

 まるですべての感情が抜け落ちてしまったかのように、人形のように動かない。

 ベリガルとしては、それでは面白くない。

「……おや? あそこに見えるのは、もしやモニカ様……?」

「……っ!」

 ベリガルの言葉に、ケイトは思わず目を開いてしまう。

「ああ、よかった。ちゃんと起きていたんですね。さっきのはモニカ様ではなかったようです。残念でしたねぇ」

「――ッ!!」

 ケイトの苦痛に満ちた顔に、ベリガルは多幸感に包まれていた。

 いつだって、処刑前の罪人と話すときは心が躍るものだったが、今日は格別だ。

 ベリガルはこの日を、半年も待っていたのだから。

 モニカを攫った下手人を、断頭台にかける、この日をずっと。

「……おや?」

 そんな時だった。

 民衆たちの奏でる喧騒が、急に静かになった。

 今まで遭遇したことのない現象に、ベリガルは鼻白む。

「どうしたんでしょう。こんなことは今まで……」

 そこで、ベリガルも気付いた。

 何者かが、こちらに近づいてくる気配があることに。

「ようやくですか。待ちわびましたよ」

 ベリガルの顔が喜色に歪む。

 再会の気配に、秘めた感情を抑えることができない。

 人の波が割れる。

 その先に、ベリガルの記憶にあるのとは随分違った、だが決して見間違えはしない少女の姿があった。

 その後ろには、ケイトも見慣れた舎弟たちを引き連れている。

「……なんで」

 ぽつり、と。

 ケイトが呟く。

「なんで来たのか、だと? 馬鹿か、お前は」

 モニカの言葉に、ケイトは目を見開いた。

 ベリガルは違う意味で目を見開いていたが。

「アタシのせいで殺されそうになってる、一番の友達を助けに来たんだよ」

「バカはお前だ! 捕まったら、またあそこに戻ることになるんだぞ!? オイラなんて見捨てて、自由に生きればよかったのに!」

「それで一生、ケイトを助けに行かなかった自分を責めながら生きろって言うのか? 随分とひどいことを言うんだな、ケイトは」

 苦笑しながら、モニカは断頭台にかけられたケイトを見つめる。

「安心しろ。必ず助けてやる」

「モニカ……」

「――感動のご対面はもう結構ですか? わたくしはモニカ様を、そんな口の悪い淑女に育てた覚えはありませんがねぇ? それもケイトくんの仕業ですか?」

 ベリガルは怒りに震えながら、憎々しげにケイトをにらみつける。

 ケイトはそんなベリガルの視線に気づくことはなかった。

 彼が、完全にモニカに見惚れてしまっていたからだ。


「ベリガル。アタシと戦え」


 凛とした声で、モニカが言い放つ。

 拒むことを許さない、言外の圧力をベリガルは感じていた。

「ほう、わたくしに勝負を挑むと? それで、どうするというのです? まさかわたくしと戯れたいだけ、ということはないでしょう?」

「アタシが勝ったら、そいつを開放しろ」

「ふむ。それではわたくしが勝った場合は、ケイトくんを処刑し、モニカ様もデムロム家にお戻りいただきますが、よろしいですね?」

「ああ、構わない」

「――なるほど」

 モニカがそう言った瞬間、ベリガルの表情が狂喜で歪む。

 元師匠の急激な変化を感じ取ったモニカは、彼の次の動きを待っていた。

「どうやらモニカ様は、下賤な輩と戯れすぎたせいで、話し方だけでなく頭も悪くなってしまったようですね」

「頭が悪くなったのはお前の方だろう。主人に対する礼儀も忘れたのか?」

「いえ。いえいえ。とんでもありません。モニカ様はわたくしたちが用意した栄光への道から、少し外れてしまっただけです。すぐにお戻ししてさしあげますよ」

「……栄光への道、ね」

 モニカは嘆息する。

 民を虐げ、自分達の私腹を肥やすことだけを考える存在になることが、果たして栄光への道と言えるのかどうか。

 今のモニカに言わせれば、そんなものは否に決まっている。

「――――」

 故に、許すわけにはいかない。

 ベリガルは、ここで倒す。

「モニカ様も最初は少し痛いかもしれませんが、我慢です。その先にきっと、デムロムの明るい未来がある」

「――ッ!!」

 先に動いたのはベリガルだった。

 呼吸の隙を突いた剣撃が、モニカの胴を狙う。

 だが、見える。

 モニカにとって、ベリガルはもはや一方的に嬲られるほどの存在ではない。

「ッ!」

 ベリガルの一撃を、長剣でいなす。

 にもかかわらず、ベリガルの顔には笑みが浮かんでいた。

「そうこなくては」

 べリガルの繰り出す剣撃の気配が変わる。

 倒すのではなく、殺す気で繰り出される致命の一撃へと。

「くっ!」

 幾度となく剣戟が繰り返される。

 金属のぶつかり合う音が断続的に響く。

 その場にいる全員が、彼らの戦いを固唾を飲んで見守っていた。

「――ッ!」

 ――呼吸と呼吸の間、針の穴を縫うように相手の意識の外を突く。

 その機会を伺いながら、モニカはベリガルの攻撃をいなし続ける。

 いかにベリガルが痩身とはいえ、少女であるモニカとの筋力差は大きい。

 相手と純粋な力で戦ってはいけないのは、モニカが一番よくわかっている。

「逃げ続けていても、わたくしには勝てませんよぉ?」

「わかって、いるさ! そんな、こと……はッ!」

 故に、相手の挑発に乗るわけにはいかない。

 ただひたすらに、その時が来るのを待つ。

「……どうやら、しばらく見ない間に腕を上げられたようだ」

 べリガルは一旦距離を取り、モニカと対峙する。

 彼の顔には朗らかな笑顔が張り付いている。

 それだけ見れば、弟子の成長を喜ぶ師匠と呼べなくもない。

 裏を返せば、相手を称賛する余裕がまだあるということに他ならないのだが。

「…………」

「無視ですか。しかし、そうですね。かつてのモニカ様は寡黙な方でした。ぜひまた、あの頃のようなモニカ様に戻っていただきたいですね」

「……まっぴらごめんだね、そんなの」

「戻っていただきますよ。必ず、ね!」

 べリガルが仕掛けてくる。

 それを見て、モニカは好機が来たことを悟った。

 ほんの僅かな、しかし確かな感情の高ぶりを、モニカは見逃さない。

 互いの剣が交わり、一瞬だけ均衡する。

「ぐうっ!?」

 次の瞬間、蛇のように滑るモニカの剣先が、べリガルの手をなぞった。

 血が噴き出し、べリガルの手から剣が弾き飛ばされる。

 モニカの長剣が、彼の目の前に突き付けられた。

「アタシの勝ちだ。べリガル」

 モニカは剣を構え、べリガルはそれに何ら対抗するでもなく、右手をだらりと下げている。

 誰がどう見ても、完全なるモニカの勝利だ。

 しかし。

 べリガルは笑っていた。

「いや。モニカ様。あなたは本当に強くなられた。このベリガル、心の底から嬉しく思います」

「そうか。最期に言い残す言葉はそれでいいのか?」

「いえいえ。最期だなんてとんでもない。モニカ様の完成を見ずして逝くなど、とんでもないことです」

「なにを――ッ!!」

 突然、手に鋭い痛みが走る。

 見ると、右手に矢じりが刺さっていた。

 痛みと自分の身体に生じた確かな異変に、モニカの意識が一瞬逸れる。

 べリガルはそんな一瞬を見逃さない。

「ふっ――!」

「ぐうっ!?」

 べリガルはモニカの腹部に強烈な蹴りを放った。

 彼女の身体は簡単に吹き飛び、広場の地面を転がる。

「クソがっ! お嬢に何しやがる!!」

「おっと。邪魔はやめていただきたいですね。泥に這う蛆虫の分際で、このわたくしの視界に入らないでください」

 べリガルがそう言うと、大量の衛兵が舎弟たちを取り囲む。

 決死の覚悟を決めた舎弟たちが衛兵たちに襲いかかるが、徐々に押されているのがモニカにもわかってしまう。

「いや。本当に素晴らしかったですよ、モニカ様」

 べリガルは左手で自らの剣を拾い、地面に這いつくばるモニカに突きつけた。

「ですが、少しだけ足りませんでした。なぜかわかりますか?」

「…………」

「それは、あなたが高潔だったからです」

 囁くように、ベリガルは言った。

「あなたはさっき、わたくしの遺言など聞かず、何の躊躇もためらいもなく、どんな手段を使ってでも、わたくしの命を奪っておくべきだった」

「…………」

「ですが、最後の最後で、あなたはわたくしの命を奪うことを躊躇った。それゆえ、わたくしが部下に攻撃を命じる時間を作ってしまった」

 モニカは念頭に置いておくべきだったのだ。

 一対一の決闘など、この男が守るはずがないということに。

「モニカ様は心の奥底で、人の命を奪うのは悪だと、そう思っているのでしょうね。それは枷以外の何物でもありません」

「……枷?」

「ええ。それは王には必要のないものなのですよ、モニカ様。ですから、わたくしが教えてさしあげましょう」

 ――まだ、終わっていない。

「人には、やらねばならぬときがあるのだということを」

 こんなところで終わるわけにはいかない。

「それを果たせなかった時は、大変なツケを払わなければならなくなるのだということを」

「くっ……」

 そんなことはわかっているはずなのに、身体に力が入らない。

「ああ、言い忘れていましたが、先ほどの矢には神経毒が含まれています。もう身体から力が抜け始めているでしょう? 無理はしないほうがいいですよ」

「……っ!!」

 モニカの身体は、明確に不調を訴えている。

 普段なら少し休めば抜ける程度の毒なのだろう。

 だが、今、この状況では致命的に過ぎる。

「……めろ」

「さあ、処刑の時間です。やってください」


「――モニカ!」


 断頭台の少年が叫ぶ。

 べリガルは一瞬だけ不快そうな顔をしたが、すぐに黙った。

 彼の遺言を聞き届けることにしたのだ。

「――幸せに、なってくれ」

「――――」

 それは、どうしようもないほどに、願いだった。

 なんの根拠もない、ただの一人の少年の願い。

「オイラさ、心配なんだ。モニカがそんなに強い女の子じゃないって、知ってるからさ」

 瞳に涙をためながらも、少年は少女のことを見続けている。

 その命の期限が、すぐそこまで来ていることを知っていたから。

「なにをしたいとか、そんなことはモニカが自分で決めることなんだ。ほかの誰も、口出ししていいわけねぇんだよ!」

「……そう、なの?」

 モニカは、ケイトが自分を連れ出してくれたときのことを思い出していた。

 そんなことを、思い出している場合ではないのに。

「そうなんだよ! モニカがデムロム家を継ぐ必要なんてない! あいつらが勝手に言ってるだけなんだから!」

「……ほんとに?」

「ああ! モニカは自分がなりたいものに、なっていいんだよ!」

 ケイトが最初に連れ出してくれたとき。

 モニカが言ったのは『外の世界が見たい』だった。

「……今、モニカは何になりたいんだ?」

「あ、アタシ、は……」

 ――答えがでない。

 モニカはまだ、その答えを持ち合わせていない。

「大丈夫。なれるよ」

「……え?」


「モニカは何にでもなれる。オイラが保証してやるよ」


 べリガルの右手が振り下ろされる。

 それはケイトにとって、自らの命の時間切れの合図だった。

「――ああ、でも。そうだな。できることなら、ずっと――」

 少年の言葉が途切れる。

 頭部が転がり、樽の中に落ちる。

 それで終わりだった。

「はぁ。やれやれ。最期までうるさくてどうしようもないガキでしたね」

 嘆息しながら、べリガルは樽の中を眺める。

 その中身を見て、満足そうに呟く。

「おやすみなさいケイトくん。どうか安らかに」

「……ケイ、ト?」

 モニカは茫然と呟く。

 そんなはずはない。

 そんなはずはない。

 そんなことがあってはならない。

 だって。

 ついさっきまで。

 彼は生きていたのだ。

 生きて、モニカと言葉を交わしていたのだ。

 なのに、そんなことがあるはずが――。

「現実を受け入れなさい。モニカ様」

 べリガルが、モニカの肩を優しく叩く。

「あなたが弱かったせいで、ケイトくんは死にました。もう二度と、元には戻りません」

「……あ、ああ…………」

 ケイトが死んだ。

 自分のせいで、ケイトが死んだ。

 いや、違う。

「アタシが、殺したんだ……」

 変われたと思っていた。

 ケイトと出会って、一緒に生きて、変われたのだと、そう思っていた。

 だが、このざまはなんだ。

 こんなことになるのなら、ずっと一人ぼっちで、あの場所で、何が正しいのか正しくないのかもわからないまま、飼い殺されていたほうがよかったのではないか。

 誰とも出会わず、知り合わず、ただみんなを、自分よりも価値の低い劣等生物と見なして、搾取の対象として、何の感慨もないまま。

 それが違うと教えてくれたのも、ケイトだった。

 かけがえのない存在を、モニカは殺した。

 モニカと出会わなければ、ケイトが死ぬことなどなかった。

 モニカが殺したようなものだ。

 結局モニカがしたことは、罪のない少年の死体を、一つ増やしただけだ。

 ――ぜんぶ、自分のせいだ。

 モニカがよわくて、よわくて、どうしようもない人間だったから。

「私が憎いですか?」

 モニカの目の前に立ったべリガルが語りかける。

 その相貌は、今や何の光も映してはいなかった。

「そんなに大事だったんですか? それなら本当によかった。悪い虫として成長しきる前に、なんとか駆除することができて」

「…………」

 べリガルを憎いと思う感情も湧いてこない。

 今のモニカには、そんな感情すら残されていない。

 抜け殻と呼ぶにふさわしい姿だった。

「やれやれ。モニカ様を回収して、屋敷に帰ります。モニカ様にまとわりつく羽虫は全員処刑しておくように」

「はっ」

 部下の返事を聞いたべリガルは、モニカを抱きかかえる。

「それでは帰りましょう、モニカ様。――我がホームへ」

「…………」

 べリガルが何を語りかけても、モニカが返事をすることはなく。

 その虚ろな瞳は、今は何も映してはいなかった。





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