Chapter2-4 囚われのモニカ 9
「……っ」
ケイトが目を覚ますと、そこは暗闇の中だった。
寝る直前のことを思い出そうとして、
「――っ!!」
肋骨が悲鳴を上げていた。
そこだけではなく、全身が鈍い痛みを主張している。
叫び声をあげなかった自分を褒めながら、ケイトは周りの様子を観察する。
両手には手錠がつけられており、身動きが取れない。
目を凝らすと、自分が牢屋の中に入れられていることに気づいた。
それでようやく、自分が意識を失う直前、どういう状況にいたのかを思い出す。
「あ! ケイト! よかった! 目が覚めたか!」
どこからか、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
暗闇の中で目を凝らすと、そこにはたしかに見覚えのある顔がある。
「カイ……? どうしてここに……?」
昔馴染みのカイが、両手に手錠をかけられて反対側の牢屋の中に閉じ込められていた。
見たところ、ケイトと違って、身体に大きな怪我はないようだ。
そのことに少し安堵しながらも、疑問は尽きない。
「どうなってるんだ……? なんでお前が……」
「それがよ、デムロム家の連中に突然捕まって、ここに連行されてきたんだ。俺もなにがなにやらさっぱりで……」
いつも能天気そうなカイの顔に、暗い影が落ちている。
そのことに申し訳なさを感じながら、事情を説明しようと、ケイトは口を開いた。
「実は――」
「おや。もう起きていたんですね。おはようございます。お二人とも、元気そうでなによりですよ」
「――ッ!!」
無意識のうちに、鳥肌が立っていた。
それほど、目の前の男に恐怖してしまっている自分がいることが情けない。
そう思いながらも、身体の震えが止まらない。
「おやおや。どうしたんですか。そんなに震えて」
べリガルの手が、ケイトの頭に触れる。
それだけの動きに、ケイトの身体はビクンと震えた。
「ふふ。君はかわいいですねぇ。大丈夫。まだ何もしませんよ」
おそらく廊下の奥から出てきたのだろう。
さっき見た二人の護衛は、相変わらずべリガルのすぐ後ろに控えている。
べリガルは微笑を浮かべながら、ケイトを見下ろす。
「さて。お聞きしたいことはひとつだけです。モニカ様はどこにいるのですか?」
「……知らねぇ」
ケイトがそう言うと、べリガルの拳がケイトの頬を打ち抜いた。
「ぐ……」
あまりの激痛に、顔が痺れる。
声をうまく出すことができない。
「ケイト……! くそっ! 何しやがる!」
カイが叫び声をあげるが、地下牢に子どもの声が響いたところで、なんの意味もない。
ケイトとカイは、あまりに無力な存在だった。
「それでは仕方ありませんね。彼に聞いてみることにしましょうか」
べリガルはカイの入れられている牢屋の鍵を開ける。
「……おい」
「ん? なんです?」
「……そいつは、関係ねぇ」
「それを決めるのは、あなたではありませんよ」
ケイトの声にべリガルは答え、カイへと問いを投げる。
「あなたは知りませんか? モニカ様という、大変かわいらしい女の子が、ケイトさんと一緒にいたはずなのですが」
「……い、一緒にいるのは何回か見たことあるけど、どこにいるのかまでは……ほ、ホントに知らないんだ!」
「…………」
カイの返答に、ケイトは唇を噛んだ。
おぞましい暴力の気配に、カイは屈してしまった。
心が折れてしまったのだ。
それも仕方ないことだろう。
カイにとって、モニカをかばう理由などないのだから。
ケイトたちは、今までも、これからも、そうやって生きていくのだから。
「そうですか! それだけでも十分です。ありがとうございます」
べリガルは笑顔でそう語りかけ、カイから離れる。
カイはおぞましい気配が離れていくのを見て、露骨に胸をなでおろしていた。
「明日の処刑に、彼も追加してください」
護衛たちに目で指し示したのは、ケイトではなく、カイだった。
「……え?」
カイはべリガルの言葉が理解できないのか、ただただ茫然と座り込んでいる。
それはケイトも同じだった。
「な、何でそんな……! カイが何したってんだよ!?」
「罪状ですか? 国家反逆罪ですよ。将来有望な貴族の跡取りを誑かし、連れ去った少年の共犯者……死罪にするには十分に過ぎる」
べリガルは口元を歪めながら、少年の罪状を語る。
「…………」
どうすればいいのか。
どうするのが正解なのか。
べリガルの言う通りだ。
力も知恵もないケイトには、この状況を打破することができない。
だから、もう。
こうするしか、思いつかなかったのだ。
「――モニカを連れ出したのはオイラだ。他の奴らは関係ねぇ……!」
「ほう」
ケイトの頭に、べリガルの蹴りが炸裂する。
頭が揺れ、平衡感覚がなくなってきた。
「下水道を這い回るドブネズミにも劣る下等生物の分際で、わたくしたちの大切なモニカ様の名を呼び捨てにするなど……恥を知りなさい」
こめかみのあたりから、ぬるりとした液体が垂れ落ちてくる。
べっとりとしたそれは、その部分を押さえたケイトの両手を真っ赤に濡らした。
「ですが、ようやく白状しましたね。やはり、君でしたか」
べリガルの瞳に激情が宿るのを、ケイトは確かに見た。
それは、あまりにも強い怒り。
憤怒とでも言うべき感情の発露だった。
「いいでしょう」
だが、その感情はすぐになりをひそめる。
べリガルは何事もなかったかのように、手で何かを払うようなしぐさをする。
「君の勇気に免じて、お友達は解放してあげましょう」
べリガルの後ろに控えていた男たちが、カイの手錠を外した。
カイが露骨にほっとした顔をしたのが、ひどく腹立たしい。
それが見当違いな感情だと頭ではわかっているのに、心がざわめくのが抑えられなかった。
「ただし」
べリガルが、ケイトを見た。
狂喜に歪んだ顔が近づき、耳元でささやく。
「君は、断頭台行きです」
ケイトの目が見開かれる。
身体が震える。
自分のいちばん深い部分が、せりあがってくるような感覚があった。
「モニカ様はいずれ、このデムロムを治められるお方。そのモニカ様を誑かしたのですから、当然の報いですよねぇ」
べリガルは楽しそうに、ケイトの頭を踏みつける。
ケイトは、苦し気なうめき声をあげることしかできない。
「ケイトくんを処刑すると、大々的に周知してください。モニカ様の耳に、確実に入るように」
「了解しました」
べリガルの命令に、護衛の兵士たちは頭を垂れる。
「君もですよ、カイくん。処刑は明日です。尋ねられれば、市民の全員が殺されるケイトくんの名前を言えるように、しっかりと伝えるのです。わかりましたか?」
「わ、わかり……ました」
「もし明日モニカ様が姿を現さなければ、残念ですが、君をもう一度捕らえなければなりません。そうなってしまうと……あとはわかりますね?」
べリガルの言葉に、カイは顔を青くしながら頷く。
護衛の男たちに連れられるように、カイも地下牢から姿を消した。
「クソ……っ……」
彼は、やるだろう。
そして、モニカは姿を現すだろう。
奴らの狙いが自分だとわかっていてもなお、ケイトを救おうとするに違いない。
モニカ自身が、それがどれだけ無謀なことか理解していても、なお。
「……くそっ……ちくしょう……」
無力な自分が恨めしい。
なにもできることはないのか。
「君にできることなんて、何もありませんよ」
ケイトの心中を察したかのように、べリガルが囁いた。
「君の人生は明日で終わりです。思い残すことのないように、しっかりとお別れの言葉を考えておいてくださいね」
それじゃあ、と言い残して、べリガルは地下牢から姿を消した。
後に残されたのは、暗闇の中におぼろげな輪郭をつくる、一人の少年のみ。
「……オイラ、死ぬのか」
――死ぬ。
自分が死ぬことについて、考えたことがないわけではない。
だが、それはもっとずっと先のことだと思っていた。
それか、突然死ぬにしても、それは一瞬で終わる、不意に眠りに落ちるようなものだと、思っていた。
けれど、今ケイトの目の前にある現実は、そのどれよりも残酷だった。
「……うっ……ううっ……」
涙があふれる。
自分がいったい何をしたというのか。
「オイラ、は……」
最初は、ただの気まぐれだったと思う。
殺されかけた相手の、しかもデムロムの屋敷に侵入するなど、普通ならよほどのバカしか考えない。
それでも、ケイトはモニカのところに通い続けた。
――表情に乏しい彼女を、なんとしても笑わせてやろう。
最初はたしか、そんなしょうもない理由だった気がする。
でも、そんな気持ちはいつの間にか消え失せ、モニカに会いに行くのが楽しみになっていった。
そして、あの日。
モニカが泣きそうな顔でケイトを待っていたあの日。
あれがケイトの人生で、最も特別な日だった。
自分は今日、この日のために生まれてきたのだと、心の底から思った。
汚らしい泥の中で生きてきたケイトの、一番輝いていた時間だった。
「…………」
モニカを助けてあげたかった。
あの館に一人ぼっちで、ずっと囚われていたモニカのことを。
ここから逃げたいと、勇気をもって言ったモニカのことを、助けてあげたかった。
モニカを助け出してやれたことが、誇らしかった。
その選択に悔いはない。
後悔なんて、あるはずがない。
だから、もし後悔することがあるとしたら、それは。
「オイラも、もっと鍛えとけばよかったなぁ……」
ケイトの独り言に、返ってくる言葉はない。
暗闇にぼんやりと浮かび上がる輪郭だけが、ケイトの存在のすべてだった。




