Chapter2-3 囚われのモニカ
デムロム家は、ランデア東部で最も強い権力を持った一族だ。
東部最大の都市を領地にしていることからも、それがうかがえる。
その歴史は血塗られたものであり、これからもずっとそうあり続ける。
そんな一族のもとで後継者たちに行われる教育は、自然と苛烈なものとなった。
朝は勉学に励み、午後は剣術の稽古に打ち込む。
特に稽古はすさまじく、全身を痣だらけにして部屋に戻ることも少なくなかった。
モニカは毎日泣いていた。
逃げ出したいと思っていた。
後継者など興味はない。
どうせ、兄二人のどちらかが継ぐことになるのだから。
だが、父親の思惑は違っていた。
――モニカには、天武の才がある。
デムロム家の強い血が流れている。
それを確信したのは、稽古のときだ。
稽古役のべリガルがモニカを叩こうとしたとき、モニカはその剣をはじき返したのだ。
齢九歳にして、大人の剣をはじき返す。
一流と呼ばれる者たちにとっては鼻で笑われるレベルかもしれないが、モニカの父親はそうは考えなかった。
彼女の繰り出した剣筋に、たしかな殺気が宿っているのを感じたからだ。
その日から、モニカへの指導は苛烈さを増した。
それでもモニカは立ち上がり、指導についていった。
兄二人は、モニカを避けるようになっていった。
その日も、モニカは稽古でくたくたになりながら、自分の部屋に戻ってきた。
スルスルと服を脱ぎ去り、姿鏡で自分の姿を眺める。
身体中いたるところに痣があり、見ていて痛々しい。
「……なにしてるんだろう、アタシ」
――どこかに行ってしまいたい。
それはモニカが物心ついたときから、ずっと思っていることだった。
自分の本来いるべき場所は、ここではない気がしていた。
最近、その思いが日に日に強くなっている気がする。
ここではない、どこかに――。
その時だった。
「――誰ッ!?」
モニカは、窓の外に人の気配を感じた。
「うわ、もうバレちまったよ。気づくのはやくねぇ?」
声の主は、開けっ放しにしていた大窓を飛び越えて、部屋の中に侵入してきた。
黒い短髪の、ボロ切れを纏った少年だ。
歳はモニカとそう変わらないように見える。
その手には、古ぼけたナイフが握られていた。
「寝てくれてたら適当に漁って終わりだったのに、運がないね。さあ、痛い目に遭いたくなかったら、金目のものを出すんだ」
その言葉を聞いて、モニカは気づく。
自分は今、強盗に遭遇しているのだと。
「…………」
モニカは腰のナイフに手をかけた。
父から、護身用に与えられているものだ。
「え? そんな物騒なもの常備してるの? 貴族ってみんなそうなの?」
少年の姿を観察する。
モニカの行動に驚いているように見えるが、たいして緊張している様子もない。
こういったことはやり慣れているようだ。
だが、ナイフを持つ構えは素人同然。
それなら、なんとかなるだろう。
部屋を血で汚してしまうのは面倒だが、仕方ない。
「えっ」
モニカは駆け出し、ナイフを持って少年に襲い掛かる。
「フッ!」
少年は慌ててナイフで応戦するが、モニカは力技で、少年の持つナイフを叩き落とした。
「え? うそ、なに今の――」
何事か呟く少年の胸を、思いきり蹴った。
「ぐっ! ちょっと待って、こんなの聞いてな――いッ!?」
少年を押し倒し、モニカは首筋にナイフを突きつけた。
モニカが軽く手を引くだけで、少年の首からは血が噴き出すことになるだろう。
「なにか言い残すことはある?」
「待て待て待て待て! 降参! 降参だ! 死ぬ! 死んじゃうから!」
ためらうことなく、少年は降参の意を示す。
その情けない姿を見て、モニカは自分の戦意が急速に喪失していくのを感じていた。
それと同時に、遠くのほうから誰かが近づいてくる気配も。
どうやら騒ぎすぎたらしい。
これもすべてこの少年のせいだ。
「はぁ……」
モニカは嘆息しながら、少年の首筋からナイフを下ろした。
「すぐに見回りの人間が来る。はやく逃げて」
「え? あ、ああ。ありがとう! このお礼はいずれ!」
きょとんとしていた少年だったが、すぐに動かなければならない事態だというのは通じたのだろう。
古びたナイフを拾い、部屋の大窓から外へと飛び出していった。
「……どうやって入ってきたんだろう」
ナイフをしまい、服を着直しながらモニカは思案する。
いくらモニカの部屋が一階にあるとはいえ、敷地内の警備はそれなり以上に厳しいはずだ。
あまり仕事をしていないのだろうか。
警備の人間たちへの不信感を募らせながら、モニカは新たな訪問者の到来を察知していた。
「モニカ様! 少しよろしいでしょうか!」
「どうしたの?」
モニカはドアを開ける。
ドアの前には、見回りの男が憮然とした表情で立っていた。
「モニカ様の部屋のあたりから、男の声のようなものが聞こえたもので。モニカ様は何かお心あたりなどありませんか?」
「そうなの? いま呼ばれるまで、ずっとベッドで横になっていたから気づかなかったわ」
「そうでしたか。それは失礼いたしました。もしかしたら侵入者かもしれません。少し中庭の様子を見てきます。何かありましたら大声で呼んでください」
「ええ。ありがとう」
「それでは、失礼いたしました」
見回りの男が出ていくのを見届けたモニカは、再び嘆息する。
さすがにないと思うが、もう一度入ってこられても面倒だ。
モニカは窓を閉め、さっさと寝ることにした。
「……あれ」
そこで、モニカは気づいた。
「アタシ、なんであいつを助けてあげたんだろう」
その日、モニカの中でその答えが出ることはなかった。




