Chapter2-1 聖女さま、訝しむ 4
『解放軍』の男に連れられ、アレクは領主の館に到着した。
かつてはデムロム家の館だったようだが、今は『解放軍』幹部の根城と化しているらしい。
アレクが以前来たのは、もう何年前のことになるだろうか。
『解放軍』の男は、館の入り口付近の衛兵に声をかけている。
しばらくすると、アレクの方に戻ってきた。
「ゲール大将はこの中だ。もっとも、すぐに御目通りが叶うとは思わない方がいい。お忙しいお方だからな」
「重々承知の上だ」
アレクが心配しているのは、別のことだ。
ランデア王国とモンブルム帝国の間に、国交はなかった。
アレク自身も、こうして戦場に出るのは初めてだ。
だから恐らく、ゲールもアレクの顔までは知らないはずだ。
そう思ってここまで来たが、ゲールがアレクの顔を知らないという保証はどこにもない。
「大丈夫……」
今はアレクしかいないのだ。
ベルたちをデムロムに引き入れるためには、アレクがゲールを騙し、街に入る許可を得るしかない。
目を閉じると、まぶたの裏にベルの姿が浮かんだ。
『アレク様なら大丈夫です』と、そう言ってくれているような気がする。
覚悟を決めるべきだ。
「ゲール様の許可が下りた。こちらへ来い」
男の声に従い、アレクは館の中へ足を踏み入れた。
昼だというのに、館の中は薄暗い。
空気が冷たくなったような錯覚を覚える。
煌びやかな装飾も、床一面に敷かれた高級な絨毯も、まるでそれがハリボテであるかのように色褪せて見える。
――なにか、いる。
得体の知れない感覚があった。
それはまるで、いつの間にか巨大な生き物の腹の中に迷い込んでしまったような――。
「何をぼけっとしてるんだ。さっさと行くぞ」
「あ、ああ」
腰を小突かれ、アレクは我に返った。
先ほどまで感じていた、不気味な気配は霧散している。
それを疲れのせいと判断し、アレクは男の後に続いた。
「……?」
不自然な音が聞こえた気がした。
この屋敷に相応しくない、ひどく怯えたような声が。
その音は屋敷の奥、アレクが向かう先の部屋から聞こえている。
「ゲール様。よろしいでしょうか」
「どーぞ」
「はっ。失礼いたします」
ドアを開き、中に入ると、アレクの想像もしなかった光景が目に飛び込んできた。
「あなたが、ゲール大将……?」
「やぁやぁ。よくきてくれたね。僕がゲールだよ」
部屋の中央に置かれたテーブルの奥側。
朗らかな顔で、白い少年が微笑んだ。
慌てて居住まいを正す。
「フレッドと申します。お会いできて光栄です」
清浄さすら感じる白銀の聖衣に、少し長めの銀髪。
その紅色の瞳は、どこまでも穏やかにアレクを見つめている。
その肌の白さとも相まって、これ以上白い人間など存在するのかと錯覚させるほどだ。
テーブルを挟んだ彼の前には、一人の男が椅子に腰掛けている。
その顔はひどく怯えており、テーブルの上の盤を見つめていた。
「ちょうど終わったところだったんだ」
少年はそう言って、盤上の駒を動かす。
男はひどくうめき、俯く。
その様子が、どちらが勝者なのかを物語っていた。
「約束だ。後でパンを届けさせよう。もし君にまだ闘志があるなら、明日もう一度来るといい。歓迎するよ」
少年がそう言うと、近くに控えていた衛兵が男を掴み、部屋の外へ連れて行く。
後には、少年とアレクたちだけが残された。
「……なにをしておられたのですか?」
「これ? ボードゲームってやつさ」
少年は目の前に広げられた盤を指しながら、アレクを見つめる。
アレクにも見覚えはある。
ランデアでも、貴族なら一家にひとつぐらいは持っているものだ。
「暇で仕方ないんだ。一戦付き合ってよ」
「……わかりました」
なにがなにやらわからないが、付き合わなければまともな話すら難しそうだ。
アレクは先ほどまで男が座っていた椅子に腰掛ける。
盤上には、見覚えのある駒が並んでいる。
多少意匠は異なるが、ゲームをするのに支障はない。
「これはね、大昔の人が考えたゲームを元に、復元したものなんだ。元々のルールとかはもう残ってないけどね」
「そうなんですか?」
初耳だった。
思えば、こんな遊戯の起源を調べたことなど一度もなかった。
「さて、それじゃあ始めようか。あ、その前に、君の願いを聞いておかないとね」
「私の、願い、ですか?」
「うん。実はもう知ってるんだけどね、その先の質問さ。君はどうして、ポルダ攻略に参加したいのかな?」
少年は微笑みながら、アレクにそう問いかける。
表面的な動機を知りたいわけではないだろう。
敵将の少年は、目の前の男の真意を探るために問うているのだ。
「……私は、没落した貴族の生まれです。家は消え、家名も失いました。取り潰しになったとき、両親は自責の念のあまり自害し、私だけが残されました」
少年は、語るアレクの様子を黙って見ている。
続きを話せと言うかのように、視線だけを動かした。
「自分のようにすべて奪われた人間が這い上がるには、持つ者から奪い取らなければならないと思いました。だから『解放軍』に自ら進んで参加しました」
語るのは、モンブルム帝国の没落貴族、フレッドの物語だ。
「しかし、ランデアを落とした我々に与えられたのは、痩せた土地だけ。それも他の兵士たちとの共同財産でした。家の再興など、できるはずがなかった」
ベルが彼から引き出してくれた情報をもとに、フレッドの物語に脚色を加えていく。
「だから、私は今度こそ、手柄を上げなければならない。ポルダで戦果を上げ、家を再興する。それが叶うのはランデアではない、ポルダ遠征しかありえないのです」
自分の口から、自分のものではない物語を紡いでいく。
それを語り終わったとき、アレクは妙な気配を感じた気がした。
そんなはずはない。
彼はもうすでに、ベルの手によって救済されているのだから。
「なるほどね。君の願いはわかったよ。僕としても、夢を語る青年を止める理由はない」
「それでは……!」
「デムロムへの滞在を許可する。ただし、僕と一戦交えてからね」
少年ははにかんで、駒をひとつ握りしめる。
「はい。謹んでお受けいたします」
アレクがそう言うと、白銀の少年は微笑んだ。




