Chapter2-1 聖女さま、訝しむ
黒煙が星空を覆い隠している。
大きな炎が上がる。
遠くから、村人たちの楽しげな声が聞こえてくる。
「…………」
燃え盛る炎の前で座り込み、祈りを捧げる少女の姿があった。
瞳を閉じ微動だにしない彼女の姿は、どこか儚げで現実味を感じさせない。
同じような光景を、ベルは既に何度も見ている。
罪無き人々を蹂躙し、その生命すらも脅かす悪逆の軍勢を倒すのも、これで何度目になるだろうか。
既にランデア中の全ての村は、『解放軍』の手に落ちていると言ってもいい。
それは倒せども倒せども、尽きることがないのではと錯覚させるほどだった。
最初は少なかった仲間の数も、今では三百人を超えている。
その全員がベルとアレクの考えに賛同し、『解放軍』をこの手で倒すのだという強い意思を持って集まってくれた者たちだ。
行動を共にするうちに、ベルは彼らを兵士とは思わなくなった。
自分たちと同じ考えを持つ仲間と、そう思うようになった。
時には『解放軍』との戦闘で、仲間が命を落とすこともある。
そんなときも、ベルは彼らをに火にくべて、その幸せを祈る。
「ここにいたのか。探したぞ」
ベルが祈りを捧げていると、不意に耳に入ってきた声があった。
目を開き、声のした方を振り返ると、予想したとおりの人物が立っていた。
「アレク様」
「また、祈りを捧げていたのか?」
アレクのそんな言葉に、ベルは「はい」と頷く。
「一刻も早く、彼らを神さまのもとへ送ってあげないといけませんから」
「そうか」
アレクはベルの隣に腰掛けた。
その表情は硬い。
ベルはアレクが何をしに来たのか、なんとなく予想をつけていた。
「デムロムのことですか?」
「……ああ」
――ポルダ攻略のため、デムロムから出兵があった。
そんな情報を手に入れたからだ。
「そういう情報が出たところを落としてしまった以上、もう動くしかないと思います。潮時ですね」
『解放軍』同士の繋がりは薄い。
月に一度、村人から巻き上げた食料や特産品の献上のために、近くの大拠点に行かされる程度のようだ。
今ベルたちがいる地域は、それがデムロムにあたる。
その繋がりの薄さが有利に働き、ベルたちの姿を包み隠していた。
とはいえ、何十もの拠点から誰一人として献上に来なければ、相手も訝しむだろう。
そろそろ隠密活動は潮時と考えたほうがいい。
「……勝てると思うか? 今の僕たちだけで」
いつもと変わらないベルに対して、アレクの表情はいつもより硬いように見える。
彼がどんなことを考えているのか、ベルには想像がついていた。
「デムロムに残っている兵の数にもよりますけど。正攻法で挑むのは厳しいでしょうね」
それがベルの率直な感想だった。
デムロムは巨大な街だ。
どれほどの数の兵士が待ち構えているか、想像もつかない。
だが。
「でも、正攻法で挑まなければならない、なんていう決まりはありません。わたしたちは数や練度で敵に後れを取っています。それを補えばいいのです」
「補うと言ってもな……どうするつもりだ?」
「わたしたちには、『解放軍』の兵士たちから貰ったものがたくさんあります。それを存分に利用しましょう」
ベルはそう言いながら、燃え盛る炎の近くに山積みになっているものに目を向けた。
ボロ切れのようにも見えるそれは、『解放軍』の兵士たちが身に纏っていた軍服である。
白を基調としたデザインは炎の光に照らされ、赤の混じったオレンジ色に見える。
「……それが、どうかしたのか?」
「たとえば、わたしがこれを着たら、アレク様はわたしが何者に見えるでしょうか?」
「え? それはもちらん、『解放軍』の兵士に……なるほど。そういうことか」
「はい。これを着れば、わたしたちも立派な『解放軍』の兵士に見えます。辺境の村を占領している末端の人間の顔なんて覚えていないでしょうから、しばらくは誤魔化せると思います」
アレクが納得した表情を見せる。
だがそれはすぐに、怪訝な表情に変わった。
「でも、うまくいくのか? 僕たちは『解放軍』の大まかなことはわかるが、そこまで細かい部分はわからない。色々と聞かれたらボロが出るんじゃないか?」
「そのために色々と聞き出しておきましたから。それに、デムロムに潜入する時の最初の戦闘さえ避けられればいいのです。バレない限りは、わたしたちから動けますし」
アレクは考えを巡らせる。
正直に言えば、無謀なのではないかという思いの方が強い。
デムロムに入った段階でバレてしまえば、手痛い反撃を食らうのは避けられない。
下手をすれば全滅の可能性もある。
あまりにも大胆な潜入作戦だ。
だが同時に、それは敵も想定していないのではないかという思いもある。
自分が都市を防衛し、献上品を回収する立場なら、すべての部隊長の顔を覚えているということはないだろう。
そもそも、自分たちを部隊長と名乗る必要すらない。
部隊長の代わりに、献上品だけを渡しにきたとでも言えば、デムロムに入ること自体はそこまで難しくないようにも思える。
「よし。やろう」
「いいんですか? 失敗する可能性もありますけど」
「そうならないようにするだけだ。タイミングとしても、今しかないのは理解しているからな」
ベルの声に、アレクはきっぱりと答える。
ランデアを取り戻すために、デムロムの解放は必須だ。
遅いか早いか、その違いでしかない。
そして自分たちには、あまり時間がない。
食糧だって、無限にあるわけではない。
『解放軍』から取り戻した村から、多少の食糧は譲ってもらっているが、それが底を尽きれば悲惨な未来が待っている。
「じゃあ決まりですね。できるだけ早く出発したほうがいいです。できれば、明日にでも」
「……ベルも、少し休んだ方がいいんじゃないか? 今日の明日というのは、兵士たちの士気にも影響するだろう。デムロムは万全の体制で攻略に臨むべきだ」
「うーむ。そう言われると……。わかりました。それじゃあもう遅いので、わたしも水浴びしてきます」
兵士たちのこともそうだが、アレクはベルのことも心配だった。
アレクは彼女が眠っているのをほとんど見たことがない。
本当に休めているのか、疑問を感じることはあった。
そんな思いを抱きながらベルのことを眺めていると、突然、彼女は手に持った軍服で目元まで顔を隠した。
その目は今まで見たことがないほど、アレクへの不信で満ちている。
「……もしかして、一緒に浴びたいんですか?」
「ち、違う!! お前があまり寝ていないんじゃないかと心配していただけだ! 変な勘違いをするんじゃない!」
「なんだ、それならそう言ってくれればいいのに。ご心配には及びませんよ。ちゃんと休むときは休んでますから」
「それじゃあ、いってきます」と言い残し、ベルは去っていく。
アレクはその背中が見えなくなるまで、ずっと見つめていた。




