Chapter1-1 聖女さま、セクハラされる
初めまして。さとうさぎと申します。
こちらの作品は、同人サークル『星合』で頒布中の『天啓の聖女はみんなを幸せにしたい』の内容を一部加筆・修正したものです。
――『すべての人間を幸せにしなさい』。
少女はたしかに、そんな声を聞いた。
慈愛と親愛に満ち溢れ、心の奥底にまで染み渡るような、神の声を。
その日から、少女は聖女になった。
彼女の目的は、ただひとつ。
みんなを、幸せにすること。
それだけだ。
――――――――――――――――――――
「はぁ……」
金髪の青年――アレクはため息をついた。
その長髪はくすみ、青色の瞳には疲労の色が濃く浮かんでいる。
容姿の劣化は、とある事情による心労のせいだが、今はそれとはまったく異なる要因が彼を疲れさせていた。
「……で。こいつか? 村の食料庫で盗み食いしてた、怪しい女っていうのは」
「怪しい女じゃないです! ベルです!」
「名前だけ言われてもな……」
アレクの足元に転がっているのは、縄でぐるぐる巻きにされた少女だ。
艶やかな長い黒髪が印象的で、ここの村人にしては服もみすぼらしい。
ほかに特徴と言えば、小さな鐘が付いた首輪をつけているぐらいか。
「はい。名前はベル。性別は女性。それ以外にわかっていることはありません」
「それだけか。出身は?」
「それが……森の中、としか」
衛兵の誰にも見つからずに、どうやって食料庫に忍び込んだのかは謎だが、腹を満たすとその場でそのまま眠りこけていたらしい。
そうして眠り込んでいる少女を、見回り衛兵が発見したというわけだ。
「はい! 森に住んでました! あそこはこの辺と違って、もっと木とか大きくて、全体的に黒っぽかったですけど」
「黒い、森? ……まさか、『果ての森』じゃないだろうな」
『果ての森』とは、世界の最果て、『壁』の近くに広がっている森である。
独自の生態系が広がっており、とても人間が生活できる環境ではない。
空や海で人間が生きていけないのと同じだ。
「『果ての森』? そんな名前だったんですかあそこ。たしかにこの辺りと比べると木とかすごい大きいし、生き物も危ないのが多かったですけど」
「……『果ての森』に人などいるはずがないので、さすがに狂言の類とは思いますが」
少女――ベルのそんな言葉に、衛兵も困惑気味だ。
アレクも、どちらかといえば衛兵に近い感想を抱いていた。
「なるほど。今のところ、怪しい要素しか見当たらないな」
「そんなっ! わたしはただ、ものすご〜くお腹が空いていたので、「ちょっとぐらいならいいよね!」と思って食べ物を少し分けてもらっただけなんです!」
「明らかに人のものなんだから、ちょっとでもダメだろう……」
「お腹が空いてたんですぅー!!」
ベルはこちらの様子などお構いなしに、騒ぎ続けている。
自分の頭が鈍い痛みを主張し始めるのを、アレクは感じていた。
「あぁもう、騒ぐな騒ぐな……。いま何時だと思ってるんだ」
「まだ夜中ですよね! わたしも早く、ふかふかのお布団に包まれてぐっすり眠りたいです」
「……はぁ」
アレクはため息をついた。
早くこのバカの相手を終わらせて、少しでも仮眠をとりたい。
そんな気持ちが見え隠れしていた。
「今ため息つきましたよね!?」
「疲れてるんだ……お前のような、変な女の相手をしている体力は――」
「アレク様!」
一人の衛兵が、息を切らしてアレクのもとへと走ってきた。
嫌な予感を感じつつも、アレクは尋ねる。
「どうした? 何かあったのか?」
「伝令から報告がありました。――『解放軍』が、すぐ近くまで来ているそうです」
「マズイな。もう追いつかれたのか」
「急いでここを離れましょう。幸いなことに、夜明けまでまだ時間はあります。暗闇に紛れればなんとか逃げられるかと」
アレクは少しだけ考え、頷く。
「すぐに出発する。……口惜しいが、今の僕たちにできることは少ない。村人たちに避難指示を出せ。食糧と金品を持てるだけ持たせて、奴らがいなくなるまで、森の中に隠れさせるしかない」
「はっ!」
そんなアレクたちの会話に、置いていかれている少女が一人。
「……えーと、わたしはどうなるんですか? こんなぐるぐる巻きにされたままじゃ、ご飯も食べられないんですけど」
「何のお咎めも無しに解放するなど言語道断、と言いたいところだが、僕たちも急いでいるからな。不問にしてやる」
「やったー! ありがとうございます!」
降って湧いた幸運に、ベルは感謝した。
まだ夜中なので、もうちょっとだけここにあるものを食べてから、寝ごこちがよさそうな場所を見つけて寝よう。
そんなことしか考えていないのは、もちろんアレクが知るはずもない。
「あとは、ここに留まるなり逃げるなり、好きにしろ。……この村の住民ではないというのなら、逃げるのが得策とは思うが」
「ふぇ?」
「いや、なんでもない。それではな」
アレクとその従者たちは、そのままどこかへ行ってしまった。
残されたのは、縄を解かれて自由の身になったベルと、大量の食糧だけだ。
おそらく村人たちのために残していったのだろうが、ベルが再びこれに手を付けないと本気で思ったのだろうか。
「アレク様、ね。偉い人なのかな。もぐもぐ」
ずっと森に住んでいたベルには、彼が何者なのかわからなかった。
なんとなく、身分の高そうな人だなぁとは感じたが。
ちなみに身分が高そうだなぁとは思っても、それでベルの対応が変わることはない。
身分が高いということがどういうことなのか、ずっと森で暮らしてきたベルにはさっぱりわからないからだ。
「もう捕まる心配もなさそうだし、お日様が登ってくるまではここにいようかなぁ」
なにやら遠くのほうが騒がしいが、それを気にするよりも眠気が勝っている。
いつのまにか、ベルは意識を手放してしまっていた。
――――――――――――――――――
「――お、やっと起きやがったか」
ベルが目を覚ますと、知らない男があぐらをかいて座っていた。
「……えーっと、おはようございます?」
空はもう白み始めている。
起き上がろうとしたが、両腕が背中の方にくっついて動かない。
今度は手首だけ縛られているようだ。
「呑気に挨拶なんざ、状況がわかってねえみたいだな」
「はあ。状況が全然わかってないので、説明おねがいしてもいいですか」
「ぷっ! あはははは!」
ベルがそう言うと、男は吹き出した。
「はは、おもしれえ女だな! いいぜ、説明してやるよ」
そんなことを言ったのは、先ほどとはまた違う男だ。
ベルが寝ぼけ眼で周りを眺めると、三人の男たちに取り囲まれているのがわかった。
あまりガラのよさそうな連中ではない。
「俺たちは『解放軍』の兵士だ。ペリゴール皇帝陛下の名の下に、この大陸を統一するため派遣された、神の軍勢さ。今はこの村の異教徒たちに、神の裁きを下している最中、ってわけだ」
「神の、軍勢……?」
ベルが聞き返すと、もう一人の男がニヤニヤしながら頷いた。
「ああ、そうだ。俺たちの行いは、神さまから神託を受けたペリゴール皇帝陛下の名の下に、すべて許されているのさ」
「はぁ、なるほど。神さまがそう言ったのなら、あなたたちの行いはきっと、みんなの幸せにつながることなのでしょうね」
「……ぷっ、あはははは!」
ベルがそう言うと、男たちは堪えきれないといった顔で笑い始める。
彼女には、男たちがなぜ笑っているのかわからない。
何かおかしなことを言ったのだろうか。
「……ああ、そうだな! みんな幸せになったと思うぜ」
「おい、もういいだろ。早くやっちまおうぜ」
「よく見りゃ、なかなかの上玉じゃねえか。村の娘よりは楽しめそうだ」
男たちがなにやら相談を始めたので、ベルは不思議に思った。
「……? なんの話ですか?」
「俺たちは神の軍勢だから、こういうことをしても許されるっていう話だよ」
男はそう言うやいなや、ベルの胸をがっしりと掴んだ。
「ひゃっ!? な、なにするんですかっ!?」
「おぉ、なかなかデカいな。しかもこの感触、下着も付けてないんじゃないか?」
ベルは赤面し、なんとか男の手から逃れようとする。
そんないじらしい動作が、ますます男たちの劣情を誘った。
「や、やめてくださいっ!」
「おい、お前だけズルいぞ。俺にも触らせろ」
「こ、困りますっ! わたしこれでも一応聖女なので、えっちぃのはちょっと……!」
「はは、バカ言え。格好もみすぼらしいし、こんなところで寝てる聖女さまがいるわけないだ――」
その瞬間、男たちの動きが止まった。
「――? なんだ、この音……」
不思議と、心の、魂の奥底にまで響いてくるような、鐘が鳴るような音が、男たちの耳に届いている。
もしかしたらそれは、男たちが今まで生きてきた中で、最も清浄な音だったのかもしれない。
音はすぐに止んだ。
後に残ったのは、痛いほどの静寂だけだ。
「……あ? なんだったんだ、今の……」
「――なーんだ。ただの、神の名を騙る不届き(ふとどき)ものたちだったんですね。危ない危ない、神さまがいなかったら騙されてたところでしたよ」
ベルは男たちの手を軽く振り払い、立ち上がった。
彼女の両手を縛っていた縄の残骸が、地面に落ちる。
「なっ! お前、いつの間に縄をほどきやがった!?」
「さあ、いつでしょうね。あなたたちが見てなかった間じゃないですか?」
先ほどとはまるで違うベルの様子に、男たちは鼻白む。
そんな中で、一人の男はすぐに冷静さを取り戻した。
「落ち着けよ。どうやったのかは知らねえが、また縛り上げればいいだけだろ」
「残念だけど、もう無理だと思いますよ。聴こえたでしょう? 鐘の音が」
「……あれが、何だってんだ」
「あれは神さまからの『この人たちは救済の対象なので、殺してください』というサインです。だから、あなたたちは殺しますね」
あまりにも唐突なベルの言葉に、男たちは絶句する。
その中で怒りをあらわにしたのは、先ほど真っ先に声をあげた男だった。
「聖女だかなんだか知らねえが、舐めたこと言ってんじゃねえぞ女ぁ! 上等だ、ぶち犯してやる!」
「じゃあ、まずはあなたからですね」
「なっ!?」
ベルは襲い掛かってくる男をひらりと躱すと、右手で男の頭を掴み、身体ごと持ち上げた。
そしてそのまま、食料庫の床に叩きつけたのだ。
男の頭は木製の床を突き破り、ピクリとも動かない。
ベルが男の頭から手を離すと、赤黒い液体が付着した右手が男たちの目に入った。
どう考えても無事ではない。
「……おいおい、どうなってんだこれ」
「か弱い女の子だと思いましたか? 実はそうでもないんですよね」
「くそッ! 舐めるなっ!」
「おっ、おい!」
男は剣を取り、ベルに向かって斬りかかる。
ベルはあろうことか、男の剣を片手で受け止めた。
「なに!? 受け止めただと!?」
「女の子にひどいことする人は、幸せ対象外なので。仕方ないですね」
そのまま男の手から剣を取り上げると、それを半回転させて柄の部分をしっかりと握り直した。
「ま、待て――」
「えいっ」
ベルの気の抜けた掛け声と同時に、横薙ぎの一閃が男の首に振るわれた。
肉と骨を断つ鈍い音と共に、男の首から噴き出した血が、ベルの身体を汚していく。
男の頭が地面に転がり、その身体は力なく崩れ落ちた。
「あちゃー。汚れちゃったよ。新しい服を拾ってこないと」
「……はは。まったく、冗談キツイぜ。こんな化け物がいるなんて聞いてねえぞ」
最後に残った男は腰を抜かして、その場にへたり込んでいる。
目の前にいる恐ろしい化け物から逃げられる手段は、もう残されていなかった。
「化け物だなんてひどいですね。聖女だって言ってるじゃないですか」
「聖女? 死神の間違いだろ……クソっ、腰が抜けちまって動けねえや……情けねえ」
「それは大変ですね。ほかに何か言い残すことはありますか?」
男は震えながら、頭を地面に落として懇願する。
その瞳には涙が浮かんでいた。
「……頼む。見逃してくれ。俺にはまだ、やらなきゃいけないことがあるんだ……」
「やらなきゃいけないこと、ですか?」
「……故郷の村に、足の悪い母親を残してきた。お袋を置いてこんなところで死ぬなんて、俺にはできねえ」
『解放軍』などという大層な名前の組織に入ってはいるが、本来なら男は故郷の村で農作業を行なっていたような人間だ。
それがなんの因果か徴兵され、こんな辺境で略奪まがいのことをさせられているに過ぎない。
故郷に帰って、やり直したい。
今の男の頭にあるのはそれだけだった。
「……なるほど。わかりました」
「え?」
ベルは、左手で男の頭を抱き寄せた。
それだけで、男の心には安心感が広がっていく。
「あなたのお母さんも、きっとわたしが幸せにしてあげます。だから大丈夫。安心してください」
「……そう、か」
「それじゃあ、おやすみなさい」
男が最期に聞いたのは、そんな言葉だった。
ベルの右手に握られた剣が、男の頭蓋を貫いたからだ。
男は物言わぬ抜け殻となって、地面に倒れ伏した。
「さてさて。まだまだ鐘の音は鳴り止まないね。みんな殺さないといけないのかな」
ベルの耳には、いまだに鐘の音が響いている。
それは紛れもなく、ここで神の慈悲を受けなければならない人間が、まだ大量に残っていることの証左であった。
「いつになったら、みんな幸せになれるのかなぁ……」
道は、思っていたよりも遠く険しい。
それでも、何としてでもやり遂げなければならない。
「とりあえず、目の前のことからコツコツと、だね」
「うわっ!?」
「な、何だお前!?」
近くで、女の人に乱暴している男たちを見つけた。
幸せ対象外だ。
ベルは先ほど男たちにトドメを刺した短剣を持ちながら、笑顔で男たちに話しかける。
それはまさに、聖女のような微笑みで。
「わたしはベル。神さまに代わって、みんなを幸せにする聖女です」
さあ。救済の始まりだ。