緑は主人公の色じゃない
髪の色は若草のように青々とした黄緑色で、瞳も殆ど同じで特筆する所もない色合い。肌はよく外に出るせいで白魚のような、なんて冗談にも言えない小麦色で、健康的なんて言葉で慰められることはあるけれど、まさに白皙の滑らかな肌を持つ女の子に言われたところで苦笑するしかできない。
自室にある鏡台の前に座って、手入れも満足に出来ていない広がった髪の毛を指先でくるりと弄ぶ。毛先が纏まらずに膨張して、まるで藁のようにギシギシと乾燥して絡まり易くなっていた。もっと乾涸びて色が抜けたなら、きっと本当に草藁と変わらなくなって、馬に餌と間違えられてしまうのかもしれない。
十回か十五回か前での死因をぼんやりと思い出し、胃から迫り上がる胃液を嚥下して無理やり下に押し戻した。鏡に映る自分の顔は、人形みたいとか、彫像のようだとか、そんな風に形容される表情が抜け落ちたものだった。真ん中で分かれた前髪から覗くおでこは広く、健康的な肌の色も相まって溌剌として見えるのに、当の本人の相貌は今にも死にそうに焦点が安定せず、髪束を掴む指先も痙攣かのように震えていた。
「あ、…っ」
勝手に開いてしまいそうになる口を慌てて両手で塞ぎ、頬の骨を鷲掴むほど強く指を食い込ませる。危ないところだった。下手をすれば外に待機する侍女や、隣室の生徒に聞こえて迷惑を掛けてしまう朝の時間で、まだ奇行に走って良い時間帯ではない。ゆっくり、ゆっくりと鼻から息を吸って、限界まで肺が膨らんだ辺りで長く時間をかけて息を吐く。落ち着け、落ち着かなければ、そろそろ…。そう思った時、自室の扉でコンコンと軽く叩く音がしたので、素早く表面上の頬の痕を消して身体をよじって椅子の背に手を置き、入室を許す。
「おはようございますお嬢様、失礼致します」
「おっはよー!シーシャ!」
「朝から元気なのは良いですが、少し声が大きいかと…」
「あはは、ごめん、慣れなくって」
困り顔で私を窘めてくれたお仕着せの少女は、私が学院に通う間身の回りの世話をしてくれる婚約先のお家が用立てて下さった私専用の侍女だ。亜麻色で肩口に揃えられた髪の毛に、同じ色でタレ目がちな瞳が彼女を童顔に見せている。実の所は、私より十も歳が上だったりするけれど、下手をすれば年下にさえ見えそうなのは、身長が小さいからでもあるかもしれない。
軽く後ろに反動をつけて立ち上がると、次女のシーシャがため息を尽きたそうに眉を下げた顔で私を見るので、今までその視線に全く気付いていなかった事が申し訳なくなるが、そうした所で変えるわけにもいかないので、夜には頭を打ち付けようかなと画策しつつ、身勝手に代償を用意して顔には悪びれない笑顔を貼り付ける。
シーシャはとても大人なので、感情に任せて仮とはいえ主人の尊厳を侮辱するような事はしない。既で耐えて、仕方なさそうに笑ってくれるから、私は実際にはいない姉の姿をシーシャに重ねていたりもする。お姉ちゃんがいたらこういう風なのだろうかと。
「ではお支度を致しましょう」
「うん、よろしく」
シーシャが服を持って来てくれたので腕を上げて手伝いやすい体制にする。自分だけでも着れる形の服だし、一部を除いた多くの生徒は生家に各々の侍従を置いて、学院の規律である自主自立の精神のもとに、炊事掃除洗濯以外の事は殆ど自らが行う。
という形になっているので、本当はシーシャがおり着替えを手伝って貰っている私の状況の方が特殊なのだ。もちろん私個人のものでもなければ私の生家の者でもないから、専用の侍女がいるのには私と家以外に原因がある。
「お嬢様。本日も寮の門前にてエドモンド様がお迎えにいらしています」
「…そっか!分かったよ、ありがとう」
「お嬢様?呉々もエドモンド様の前ではきちんとした敬語を」
「分かってるって!大丈夫だよそんなに心配しなくて。今までだって何とかなったでしょう?」
「それは、そうですが」
不安そうに表情を曇らせる心配性なシーシャに、今の会話を思い返せば仕方ないかと苦笑しそうになるが、何とかニイと口を横に引っ張り、態とらしく腰に両手をやってシーシャへ笑いかける。するとシーシャも完璧ではないまでも、それなりに及第点を行く私の普段の振る舞いを思い返したようで、寮の留守を任せると言えば、素直に返事を返してくれた。
話す内に着替えを終え、ボサボサだった髪の毛を梳かし申し訳程度に香油を塗って広がりを抑え、持ち物等の身支度が整った。
「いってらっしゃいませ」
「行ってきまーす!」
扉を開けてもらい、表情筋をいっぱいに使った笑顔でシーシャに手を振って歩き出す。お嬢様!という控え目にシーシャが窘める声が聞こえたが、私は聞こえないふりをして早足気味に寮の玄関口まで歩いた。
男子寮と女子寮は基本的にどちらも門で囲われているが、女子寮は特に警備面で強化されており、男子寮よりも更に堅固で高い囲いで防御されている。その門前では、入学以前から婚約相手のいる男子生徒が、婚約者を迎えてエスコートしながら登校する為に、直立して、或いは少し足を緩めて待ち続ける姿が幾人か見えた。
その数人の中の一人を目に留め、心臓が痛い錯覚に陥る。
朝の澄んだ空気の中を光が差し、太陽の色を反射する燃えるような紅い髪。同色の眉毛は凛々しい太めの眉をして、長い睫毛と細く鋭い瞳が見る相手を問わず痺れさせる。貫禄といってもいいが、何しろこれから入学する学院の中で、確実に上位に食い込む実力を持つ強者であり、家格としても国で指折りの家門の次期当主でもあるとくれば、自明の理と言えなくもないのかもしれない。
私は何度も死んだけれど、何度も生きた。そしてどの人生でも、必ず最初に貴方がいた。何度も出会って、身の程知らずにも貴方に惹かれて、それから貴方が私の傍から離れていく。そこまでが大まかな一連の流れ。
「ごきげんよう、エドモンド様」
人一人分空けた距離まで近寄り、制服の裾を摘み引き上げ、軽く膝を折って頭を30度程度前に傾ける。カーテシーの基本姿勢をして見せ、顔を上げると、見かけた時と変わらぬ表情でこちらを見た婚約者様が、一呼吸置いて手のひらを胸に添え、私がしたのより少し深い角度で頭を下げるお手本の様なボウ・アンド・スクレープをすると、右後ろ側にぴょんと跳ねた寝癖が見えた。
随分前の人生の私は、少し抜けた姿を見て可愛く思えて、更に悪戯心だなんて要らないものも芽生えてしまって、ギリギリまで黙っていた。きっとそんな意地悪な私に降りかかった、当たり前の罰だったのだろう。結局、寝癖を指摘して彼の恥ずかしそうなお礼を受けたのは私では無かった。
「行こう、リズ」
「はい、よろしくお願いしますわ、エドモンド様」
声変わりも終え、低く安定した声を出す彼に愛おしさや寂しさや悲しさ、怒りが一気に押し寄せて、吐き気を催す。何も食べないで来たから大丈夫なはず、と奥歯を噛んで耐える。差し出された腕に自分のものを絡め、歩き出す。隣を歩く彼は、昔出会った頃の彼とは違っていて、これからも変わっていく。私の想いは変わらないまま置いていかれるけれど、彼の変化を否定する理由にはならないって、痛いほどわかったから。だから私は________________________
「すみません!凄い失礼だと思うんですけど、あの…寝癖ついてます」
運命の黒髪の少女は、今回もやっぱり私とは比べものにならないくらい可愛らしかった。
全然見通し立ってませんが、片思いなのが好きなのでそれと、タイトルにもある狂ってる感を出せるように頑張りますので、どうぞよろしくお願いします(*^^*)