第20話 分断
-第20話-
「みんな、おそいな~~」
北西桜台公園駅前に1番で到着した藍は、他の3人が来るのを待っていた。
「アイアイ! おまたせ~~~!」
エリーが腕を振り回しながら走って来る。
ふと、エリーが抱き抱えている大きなぬいぐるみに目が向く。
それはマグロのぬいぐるみだった。
デフォルメされた可愛いタイプではなくリアルな見た目の。
「なに、それ……エリー……?」
冷ややかな視線がエリーに注がれる。
が、対するエリーは笑顔だ。
「まぐろちゃんだよぉ! ひんやりしてて気持ちいいんだよ~!」
「いやー、いらないでしょソレは」
「ええ~! これを抱いてないとうまく寝れないんだもん~!」
「うーーーん……」
藍が唸ると同時に、やや遠くの振動が二人の足元に伝わってきた。
「ん? なんだろう……?」
「また地震……?」
エリーの笑顔が急にこわばる。
しばらくして唯と瑞穗が駅前に駆けつけた。
「みんな、大変! 北西エリアに壁が……」
荒い呼吸をしながら瑞穗の震える声が告げる。
「えっ? この西ブロックが閉鎖されたの? そんなの聞いてないけど?」
「違うの。西ブロックじゃなくて、その手前の北西エリアに壁が新しくできたの!」
「ありえない! 唯、本当なの?」
「うん。この駅より北にはもう行けない」
「そんな馬鹿なっ!!!」
唯と瑞穗からもたらされた情報に藍は疑念を持つ。
「なにか知ってる?」
藍は眉をひそめて尋ねる唯に向き直った。
「ゲートの開閉はドームシティの管理センターで行われるんだけど、動かすには市長の指紋認証とパスワードが必要なんだよ。だから、パパが動かない限りはこんなこと……」
「ねね~、どういうことなの~!?」
「わからない。こっちが聞きたいくらいだよっ」
藍が困惑するエリーに答えた時だった。
駅前の大型ビジョンの映像が乱れ始めた。
砂嵐のノイズが走ったのち、西園寺の姿がデカデカと映し出される。
「ドームシティに住む全ての皆さんにご報告があります。本日をもって、我々北ブロック住民は北堵市からの独立を宣言します」
「な、なんだって!?」
驚いた藍の鞄が肩からすべり落ちる。
とっさに唯が紐をつかんで地面落下を防いだ。
「西園寺……」
唯が大型ビジョン越しに西園寺を睨みつける。
通行人が立ち止まりザワザワし始めた。
「ちょっと壁の様子を見に行くよ!」
正気に戻った藍が走り出す。
3人も藍について走った。
4人が新たに出現した巨大な壁へたどり着く。
その壁は西ブロックから北ブロックを守るかのように高々とそびえ立っていた。
「ふざけんな、あけろーーーーっ!!」
「私達を見捨てる気!?」
怒号が飛び交い避難してきた大勢の住民で人だかりができている。
「なに? なんなのこの壁……。私、こんなの知らない……」
ドームシティの構造にはある程度の知識を自負していた藍だったが、この北西エリアの壁については精通していなかった。
「エリアごとにある10メートルの隔壁とは違うね。高さも20メートルはある」
唯の言葉に瑞穗はセントラルタワーで見た北堵ドームシティのパンフレットの内容を思い出す。
「この壁……ドームシティの外壁に似ている気がする……」
ハッとして藍が瑞穗を振り返った。
「そう言われれば……確かに。普通の隔壁じゃないね。でも……なんで……? しかもこんな場所に……」
訊かれた瑞穗はそれ以上はわからないと答えた。
パンフレットには何も説明が書かれていなかったからだ。
「おーい! おまえら無事かっ!」
自然区へ住民の避難誘導していた犬養が唯達に気づき、ひしめく人混みをかき分けて来た。
「犬養さん!」
藍と唯の声が重なる。
「どうなってるの、犬養さん!?」
「あの壁のことなにか知っていますか?」
矢継ぎ早に質問された犬養が首を振る。
「わからん。北ブロックに避難させようとした矢先の出来事だったからな……かなりの混乱が起きている」
壁を鈍器で殴りつけたり、物を投げたり、群衆はヒートアップして緊張が高まっていた。
「犬養さん!」
群衆より頭1つ分高い犬養めがけて小西が走って来た。
「セントラルタワーの放送局が西園寺の部下に占拠されたようです。北堵市から独立するとかなんとか放送で言っていました」
「あのブタ野郎!! この非常時になにやってやがるっ!」
南ブロックが無人になったタイミングを見計らっての放送局の占拠。
西園寺の動きは手際が良すぎる。
「それと、セントラルタワー内部で銃撃戦があった模様で、行政も困却しまくっててなにがなにやら……」
「市長は!?」
「車で地下駐車場から脱出したそうです。今秘書の千々岩さんと一緒にこっちに向かっているとのことです」
「そうか……」
セントラルタワーの地下駐車場ならゲートの隔壁も下から潜れる。
ひとまず市長は無事と聞き安心できたが、状況は何も変わらない。
「……パパ……」
犬養と小西の会話を聞き藍が鞄の紐をきつく引っ張った。
唯がそんな藍の手を握る。
「藍、瑞穗、エリー。私達に出来ることをやろう」
唯の一言にみんながうなづく。
4人は人々でごった返す巨大な壁から静かに離れた。
小西はそびえ立つ壁を見上げた。
「犬養さん。爆薬でも持ってきて壁に穴でも開けますか?」
「あの隔壁、どう見ても戦車の装甲並みだぞ。かなり強力な爆薬が必要になる。それに、そんなことをすれば間違いなく撃ち合いだ。今、人間同士でそんなことをしている場合かっ!!」
犬養に焦りと西園寺派富裕層達への怒りが募る。
拳を握りしめる犬養に小西がちらっと視線を投げた。
「部隊の武器庫も基地も北ブロックにあることを考えると、もしかして奴らは最初からそのつもりだったのかも知れないですね」
「自身の保身のためだけに大勢の人間を見捨てた上に、武器の接収と運用も計算済みか……。この都市の設計に関わった中核メンバークラスの協力者もヤツの側近にいると見える……。くそっ!」
怒りを通り越し、面目なさと脱力感で犬養はよろよろと地面に座り込んだ。
「なあ、人間って……この程度だったってぇのか……?」
犬養は尻ポケットからスキットルを取り出す。
ぐびぐびと3口飲んで考え込む。
どこにも逃げ場のない閉鎖都市。
はしごを外された群衆の混乱。
かすかな結束のひずみが崩壊を生み出す。
犬養がスキットルを持て余しながらぽつりとつぶやく。
「小西よ。俺、今ならなんとなくわかる気がする。科学者の集団がラグナロクを引き起こした理由を」
「犬養さん……」
「いや、もちろん心情的にも道徳的にも許されることじゃねぇ。人類史上最大の無差別攻撃だ。俺の親父も災害のせいで死んじまったしな。でもな、わかっちまうんだよ、嫌なくらいにな」
スキットルの口を開け、犬養は再び2口飲んだ。
「そして……そんな自分も許せねぇ。何もかもぶっ壊してやりてぇ!」
遠くで甲高い声が聞こえる。
即応部隊の隊員にまじり、人々を自然区に避難誘導している唯の姿だった。
その傍で藍や瑞穗、エリーも手伝っている。
「あいつ……」
その目はどこまでも澄んで、純粋だった。
最後の最後まで可能性を捨てない、希望を捨てない強さがある。
「木皿儀……お前のようなヤツがいるから……俺は……人間でいることをやめられねぇ……辞めたくねぇんだ」
ふらりと犬養は立ち上がり、活を入れるように両手で顔をバシッと叩いた。
「小西、できるだけ住民を自然区に誘導するんだ!! いくぞ!!」
「はい!」
今できることを全力でやる。
そのために最善を尽くす。
自分の役割を思い出したように犬養達が動き出す。
「みなさん、こちらに避難してくださーい!」
唯の通る声が住民に呼びかける。
「避難のみなさ~ん! こっちですよぉ~~!」
「避難は自然区へーーー!」
エリーと藍の声が続く。
瑞穗は自然区を先に行く人々にコテージ方面へと声掛けをしていた。
「自然区に入る際は足元に注意しろ!」
「迷わないように前の人に続いてくださーい!」
いきなり割って入った野太い声に唯達が振り返る。
「犬養さん! 小西さん!」
「いいか、みんな! 住民全員が避難するまで続けるぞ!」
『はいっ!』あちこちで隊員が呼応する。
唯は犬養の隣へ移動した。
「犬養さん、誘導が終わったら少しお話があるんです。マハのことで」
「ん? ああ……わかった」
ほどなくして、アイオミの車が巨大な壁から少し離れた場所に到着した。
運転席から千々岩、助手席からアイオミが降りる。
後部座席からは二人の職員が降車した。
「市長!!」
小西に誘導を任せて犬養はアイオミの方へ走る。
アイオミは厳しい表情をしていた。
「マハはすぐ壁際まで来ている。朝見たときの2倍以上の大きさになっていた……」
南ブロックの街路樹などを吸収しながら数を増やしていったらしい。
西ブロックが飲み込まれるのも時間の問題だ。
「市長、西園寺のほうは?」
「部下を引き連れてセントラルタワーにいる」
今頃タワーでふんぞり返りながら見下ろしている訳か。
その様子を想像するだけで犬養の腸が煮えくり返る。
唯が誘導をB分隊隊長の角に頼んでアイオミの元へやって来た。
「西園寺はセントラルタワーの最上階にいると思います。放送を見ました」
「木皿儀君……」
「放送の時に写り込んだ背景は展望台です」
そう断言して、唯はマハの情報をわかっている限りアイオミと犬養に話した。
「マハは夜になると不活性化する……本当かね?」
アイオミにうなづいて唯は慎重に言葉をつむぐ。
「今の移動速度と方向、日没までの時間を考えると……西ブロックの団地のあたりで進行が止まると思うんです」
犬養は無精髭だらけの顎をざらりとなでた。
「だとすると、とりあえず今夜から朝までは時間が稼げそうだな」
「市長、西園寺のほうはどうします?」
「それなんだが、接収された武器で火力が強化されている上、人員もかなりいる。C分隊の助力を得てここまで来るのでやっとだった」
「正面突破は無理……ってことですね」
『うーん』と黙してしまった二人に唯が独り言のように言う。
「空から……行ければいいのに」
唯の発言にアイオミは何か思い出したような顔つきになった。
「私に……考えがある。聞いてもらえるかね?」
 




