第16話 突入③
-第16話-
息を切らして地上へ飛び出した二人を待ち受けていたのは、大勢のマスコミと警察官達だった。
「行方不明者の安否は?」
「なにかわかりましたか?」
「犯人は見つかったんですか?」
「…………」
警察官に守られながら犬養と小西は無言でマスコミの記者群をかき分けて進む。
『そんなもん、わかるわけがねぇ! 喰われたんだよ、全部ヤツにな!』
そう叫びたかった。
何も解明されていない今、不用意な言葉を発すれば大混乱になる。
苦虫を噛んだように顔を歪め、二人は沈黙したまま即応部隊の車両へ乗り込んだ。
運転を小西に任せた犬養は、車が走り出すと無線機でアイオミに連絡を入れた。
「市長、犬養です。原因がわかりました。新種の未確認生物です。カビに似た黒いシミのようなヤツでした」
『やはりそうか。先ほど佐藤さんに事情聴取していた警察署から連絡があり、やや平静を取り戻した彼が2メートル程のシミを見た、と証言したそうだ』
「2メートル? 俺達が遭遇したのはゆうに7メートルはありましたが……」
『待ってくれたまえ。特に形には捕らわれない、不定形の生物……ということかね?』
「恐らくは。特徴から言って証言された個体と同一のものと思われます。シミは壁から剥がれて球体となり、最終的にはウニのような形状に変化しました」
しばしの沈黙が流れ、アイオミが尋ねる。
『ただのシミでは無い、……というのだな?』
「そうです。移動速度は人間の歩調より遅いくらいで、触れられただけで錯乱症状を引き起こす危険なやつです」
『……つまり、ここ一連の変死事件の原因は……』
「間違いなくこの生物のせいです。バーンが溶けるように喰われ、その後に接触したクローゼは発狂して死亡しました」
『…………』
一瞬、緊迫した時間が流れる。
『……君と小西くんには何の影響もないのか?』
「はい。例の症状はあくまでもヤツと直接接触した者のみ発症するようです。人から人へ伝染しないのが唯一の救いですね。有毒ガスなどは確認できませんでした」
『……キメラ続き、またしても未確認生物か……』
無線機の向こうで小さなため息が聴こえた。
犬養は言いにくそうに報告を続ける。
「ライフルによる攻撃は効果がありませんでした。わずかな間の足止めにはなりますが……。物理攻撃は分裂を引き起こします」
『分裂もするのか!?』
「総量は変わらないのですが……。やっかいです」
『うーむ……』
アイオミは唸ると対応策の検討を始めた。
それを察した犬養が訴える。
「市長、今すぐ南ブロックの地下を閉鎖すべきです。ヤツは人間を喰う上に未知の病気を発症させます。あまりにも危険すぎる存在です!」
『……わかった。北堵警察と支柱の点検員、および北堵電力に南ブロックの地下への立ち入り禁止を通達する。また、隣接ブロックの地下通路の隔壁を閉じる』
「ヤツへの対応はどうしますか?」
『それなのだが、君達はそのまま東ブロックの市営倉庫に向かい、次亜塩素酸ナトリウムを用意するように』
「外見はカビに似ているとは言え……効きますかね?」
『効果がない場合は火炎放射器の使用も許可する。何としても地下で食い止めなければなるまい』
「了解しました」
犬養からアイオミの指示を聞いた小西はハンドルを切ってアクセルを踏み込む。
即応部隊の車両は猛スピードで東ブロックの倉庫へ向かった。
一方、セントラルタワーの市長室ではアイオミが椅子に背をもたれかけて目を閉じていた。
刻々と変わる状況に対応するための最善策を模索する。
秘書の千々岩がノック後お茶を持って入ってきた。
「市長。マスコミが情報を開示するよう再三要求をしてきておりますが……」
アイオミは腕を組んだまま目だけを開く。
「そんなことをすれば余計な混乱を招く」
「…キメラ事件の時は極秘裏に処理できましたが、いつまでも事を秘匿しておくことには限界があります。ただえさえ西園寺派閥の工作で支持率が下がってきています。これ以上の不信感は選挙にも影響が……」
アイオミは視線を動かし秘書を見た。
千々岩の顔には焦りとも思える疲労と困惑が貼り付いている。
「自分の保身よりも民の安全、ドームシティの保安が私の責務だと思っている。違うかね?」
「しかし、それはアイオミ様が市長という座にいてこそ出来ることなのでは」
「もしも然るべき事態になったならば、私は迷わず非常事態宣言を発令する」
「市長……」
先を読み、ドームシティの安全と維持を最優先に考えるアイオミの姿勢に、千々岩はそれ以上何も言葉を発することが出来なかった。
正午前。
市長の特命により、警備員達が南ブロック地下に通じる施設と通路を封鎖した。
加えて支柱の点検出入り口付近に侵入禁止のバリケードを作る。
「また隠蔽工作か!」
「情報を開示しろ!」
現場を取り囲むマスコミの群れがうるさく騒ぎ出す。
そこへ即応部隊の車両が割り込むように2台到着した。
バラバラと2分隊が地に降り立つ。
「即応部隊だ!」
「何があったんだ!」
『情報開示! 情報開示!』と叫び続けるマスコミ群を押しのけ隊員達が支柱に向かって進む。
犬養が率いるA分隊とこの作戦のために招集されたB分隊は、マスコミをシャットアウトするように勢いよく点検作業用扉を開け中へと突入した。
「いいか! 敵はとてつもない危険生物だ! 絶対に近寄り過ぎるな!」
犬養の声に隊員達がうなづく。
各隊員が次亜塩素酸ナトリウムを持ち、1分隊に1機、火炎放射器を装備している。
「見つけ次第、薬を散布しろ! 効き目がない場合は焼き殺せ! 火炎放射器は2機しかない貴重品だ、大事に使え!」
犬養の号令を合図に隊員達が地下通路へと散開してゆく。
『こちらのエリアにはいません』
『こっちにはいませんでした』
犬養の無線機に次々と報告が入る。
「よく見ろ。天井も見たか?」
『はい。何もありませんでした』
無線機を下ろして犬養がつぶやく。
「もっと下か。あれからヤツは動いてないのか……?」
少し離れた場所で無線連絡を受けていた小西が犬養の元へやって来た。
「ダメです、犬養さん。どこのエリアにもいないとのことです」
「そうか。よし、支柱の吹き抜けに移動する! 小西、分隊を呼び戻せ!」
「はい」
集まって来た分隊全員で支柱の吹き抜けへと移動する。
吹き抜けの深淵は今朝と同じ不気味さを漂わせていた。
この底にクローゼがいると思うと胸が痛む。
犬養は邪念を断つように頭を振り、自らもライトを点けて敵を探す。
手分けして隅々まで捜索したがどこにも見当たらなかった。
犬養が支柱の脇にある螺旋階段を指差す。
「お前等、1階1階下の階層を見てこい!」
「はい!」
分隊隊員がこぞって階下へ下りてゆく。
しばらくすると犬養と小西の無線機に報告が入り始めた。
『地下2階、いません』
『地下3階、いませんでした』
報告を受けた小西が犬養を振り返る。
「おかしいなぁ、どこに行ったんでしょうね?」
「…………」
少なくとも南ブロックの地下の通路は全部見たはずだ。
残すは支柱のみで、最後に見たのもここだ。
いるとしたらここら辺が一番確率が高いはず。
そう犬養は睨んでいたのだが……。
『地下5階、ありません』
『地下7階、ないです』
報告を聞く度に犬養の表情が険しくなってゆく。
犬養は焦りでべとつく手の無線機を握りしめた。
「なぁ、小西よ。俺達はもしかしてとんでもない思い違いをしているんじゃねぇか?」
「え、どういうことですか?」
「ヤツが細胞サイズまで自分で分離出来て、また集合出来るとすれば……針の穴程の隙間でもあれば、どこでも通り抜けられるんじゃ……?」
「そ、そんな……まさか……っ」
小西は銃撃で弾け飛んだ『ウニ』が、再び集合して元の形状に戻った時のことを思い出した。
「い、犬養さんっ!」
犬養は険しい表情のまま、空いた手で無精ひげをなでた。
「人間の建造物なんざ、そんな細菌とか細胞とかのサイズと比較したらどこもかしこも隙間だらけだ。その気になれば地上に出ることはそんなに難しいことじゃねぇ」
「……じゃぁ、今までは単に運が良かった……ということですか?」
「嫌な予感がしやがるぜ……」
犬養の言葉に小西の背中が凍りついた。
正午過ぎ。
南ブロック商店街の2丁目。
「ねぇ、ママー」
信号待ちで立っていた5歳くらいの女の子が母親の服を引っ張った。
「ん? まだ待ってないと駄目でしょ」
母親は下を向いたまま携帯で友達とのメッセージのやり取りに勤しんでいる。
「ママー、みてー。信号がまっくろー」
女の子が指差す信号が黒いシミのようなもので包み込まれていた。
やがてそれは大きな雫となってアスファルトの地面にこぼれ落ちる。
「ぎゃああああーーーっ! なにあれーーー!?」
目撃した人々の悲鳴がさざ波のように広がっていく。
アスファルトに落ちたそれは球体となり『ウニ』へと変わった。
そして。
『ウニ』はのろのろと蠢きながら、触手を伸ばして周囲の人間に次々と襲いかかった。
 




