模索
舞踏会の初日。
これまでに結局目ぼしい情報は得られなかったが、この場が最大の好機だ。
『森で張っていても』そう言っていた仙女。ならばそこ以外ならあの女はいる。
まずは、国中の貴族令嬢が集まるであろうこの会場で捜索する事にした。さすがにひとりひとりを気にかけている時間の余裕などないが、その様子を流して見る事は出来る。
どうせ姿形など当てにならないと思っている。
一目見てそれと判らないのなら所詮その程度の想いだったのだと割り切った。
しかし、さすがに多い。俺は息をついて前髪を掻き上げた。
職務と私情を並行させているから普段よりも疲れが溜まる。
交代を知らせる同僚に代わり、俺は持ち場を離れて風にでも当たろうと、月明かりが照らす中庭へ出た。
真っ先に、長椅子に座る令嬢が目に飛び込んできた。
小麦色の髪は緩く巻かれて背中まで垂らしている。伏せ目で青白い顔をしている事から具合が悪くここで休んでいるのだろうと見当をつけた。
警戒させないようにわざと音を立てて近づくと、令嬢はゆっくりと顔を上げた。
驚かせただろうか。きりりとした目は見開かれ、体は緊張で強張っているようだ。
「ご令嬢。具合でも」
俺を見上げていた令嬢はそのまま硬直した。
こういう反応は見慣れているから特に何も思う事なく、介抱をしようと飲み物を取りに会場へ戻ろうとしたが。
震える声で、人に酔って休んでいるだけだと言う。
何処か気の強そうな顔立ちの令嬢はしかし明らかに弱っている様子であるから、仕事柄このまま放っておくわけにはいかない。
弱った令嬢が一人、こんなところにいては何があるかわからない。
顔色も悪く前髪は汗で額に張り付いているくらいだ。思わせぶりな誘惑ではなく本当に体調が優れないのだろう。
令嬢の連れか誰かが現れるまで付いていていようと思いじっと見下ろしていると、妙な既視感に囚われた。
正直記憶にないが会った事があるのか、どこかで見た事があるのか。
思い出そうとすればするほど脳の一部がもどかしく反応する。思い出せそうで思い出せないあの感じだ。
「あの……?」
令嬢はおずおずと俺を見上げて眉を下げた。その様子もやはりどこか引っかかるもので。
「失礼……どこかで会った事はないだろうか」
はっきりと聞いてみる事にした。
自惚れなどではなく、他者が言う女受けする顔である俺にそう言われたら自ら名乗るだろうという算段だ。
しかし令嬢の反応は思わしくない。
気のせいだと俯く様子に俺はそんなはずはないと食いつく。記憶力には自信がある。絶対に何処かで――。
令嬢はそんな俺に訝しげな視線をくれた。記憶力に自信があるのならはっきり覚えているのが普通ではないかと言う正論に、俺は少しの気まずさを隠そうと睨んだ。子供か。
「ひぃ……ごめんなさい!」
そんな俺の苦し紛れの視線に令嬢はしかし怯んだ。俺から距離を取るように白い顔を更に青くして、気の強そうな目に反して眉を下げて。
頭の中で、捜していた女とこの令嬢の様子が被る。
しかしどう見ても変装などでは誤魔化せない程に別人だ。こういう性格の女に惹かれる性質だったのか俺は。
まるで節操がないと言われているようで俺は口ごもる。
だが、何故だ。
俺はこの令嬢から目が離せない。絶対に逃がすなと頭の中で警鐘が鳴る。
押し問答とも言えない攻防が続いて、ざわついた会場へ彼女を伴って様子を見に行く。
さり気なく手を取った時、何とも言えない感情が心臓を掻き毟ったがそ知らぬ顔を取り繕う。……思春期の子供じゃあるまいし。
会場ではなんとエルマー王子がひとりの令嬢と踊っていた。
思わせぶりな態度など微塵も見せない王子は、俺と同じく、伴侶選びに実感が伴わないようだったのだが。
ああしてダンスの相手をひとり選んで、しかも満更でもなさそうな笑みを浮かべてすらいる。
「珍しい物を見た……あの王子がな」
思わず呟いたが、あのエルマー王子が誰かを選んだのだ。嬉しくないはずはない。実際王子はずっと楽しそうに、相手の令嬢を眩しそうに見て周りの令嬢をやきもきさせている。
ふと、ずっと手を握っている隣へと目をやると。
彼女は何とも言えない顔で、涙を浮かべていた。口元を片手で押さえ何かを堪えるように。
失念していた。
ここに来ているという事は、少なからず王子に見初められるようにと願っているに決まっているのだ。
冷水を浴びせられたように身体が冷えていき、頭は空になり心臓は激しく鳴る。
そんな躊躇と迷いが、確かだった俺の手を緩ませた。
それから閉会まで彼女の姿は影も形も見えなくなった。
どこか心ここにあらずな俺に、眼鏡を新調した同僚が明るく声を掛けてくる。理由は察せないまでも奴なりに気を遣っていると感じたが。
「元気ないじゃないか。……振られたか? なーんて……」
冗談で場を和ませようとしたのだろうが、しかし今の俺にはただ傷口に塩を塗り込む行為。
まさかの直撃に奴は慌てた。だが故意に俺を揶揄する意図などない事は分かっていたために。
「気にするな」
そう言ってやった。それがいけなかったのか。
「お前が振られるとは……相手の令嬢が見てみたいものだ」
同僚との会話からそう時間も経たないうちに王子からそう気遣われ、俺は後で同僚の眼鏡を真ん中から捩じり折った。
翌日も俺は仕事をこなしながらも必死で目線を向ける。続々と令嬢令息たちが入場してくるその門へと。
彼女は現れないがあの桃色の令嬢が現れ、王子はまた彼女とのみ踊り、場を捌け中庭へと移動したようだ。
仲良くやっているようで、その点に関しては安堵した。
結局その日も彼女は姿を見せなかった。
王子と令嬢の仲睦まじい様子を見たくなかったのだろうと思うと、同時に喪失感のようなものだけが俺の中に残った。
エルマー王子もどこか遠くを見ており、あの令嬢に逃げられたのだと打ち明けてくれた。
それはいいが、片方の煌めく靴を見せられても返答に困る。――まさかとは思うが。
「その顔やめてくれ……私が無理矢理脱がせた訳じゃないぞ」
「なら押し付けられたか」
棘のある言葉に王子は珍しく俺を睨みつけた。
「私に付け入るつもりならあんな回りくどい事をせずともいい。二日間で彼女が私のお気に入りだとみなが知っているのだから」
その言い分に俺は理不尽ながらも眉を顰めた。
その裏で泣いている女もいるのだと――今更、当然の事に憤ったのだ。彼女でなければ俺も気にも留めなかっただろう。
桃色の令嬢は初日も門限があるからと、名残惜しそうにしながらも慌てて帰って行ったという。二日目は時間を忘れ話し込んでいたところ、十二時の鐘で我に返り本気で逃げ帰ったらしい。
「正門階段でこの靴が脱げたのを彼女はまるで絶望したような面持ちで振り返った……しかし足を止める事なくそのまま……」
項垂れる王子の尻を叩く、いや、蹴り飛ばす勢いで押すしかない。
「まさか諦めるつもりか。何としても捜し出してしっかり手に入れろ」
俺の言葉が意外だったのだろう。王子は顔を上げて俺を見た。その目は俺の真意を探っているようにも見えた。
「聞くまいと思っていたが……お前の惚れてる相手というのはまさか」
その目は揺れながらもどこか剣呑としていて、俺は溜息を押し殺し勘違いも甚だしいと吐き捨てた。
「俺の惚れた女は……舞踏会で令嬢と踊る王子を見て涙を流した」
息を詰めた王子を冷静に見る事など出来る気がしなくて目を逸らした。視界の端で俯く王子が見えて舌打ちしたくなり、ぐっと堪える。
「デュート……私は」
「いいから、あの令嬢を早急に見つけ捕まえておけ。そうすれば俺も彼女を手に入れられる」
俺の意地の悪いだろう笑みを王子は眉を下げ見ていた。
エルマー王子はすぐに令嬢の捜索に動き出した。
遠目でも輝きが他と違う令嬢だ。すぐにでも見つかるだろうと思っていたらしいが。『シンデレラ』と名の着く娘は、しかし、この国には何処にもいない。
偽名であると王子は薄々と勘付いていたようだが、目に見えて落ち込んだ。
唯一の手がかりである片方の靴もこの国では手がけられていない物で、側近法師からは僅かな魔力を感じると進言された。
魔力、と聞いて俺はあの森で最初に会った女と、舞踏会で会った不安気な女、ふたりの人間を思い描いた。おそらくあれは同一の存在だ。
「魔力……それを手掛かりにこの持ち主に辿り着けないか?」
王子は法師に希望を見出すが。
靴を纏う魔力は規格外で未知の物。侍女の魅了すらなんともできなかったお飾りの城の法師などでは、手も足も出ないと頭を下げられた。
森の仙女なら、と法師は俺を見る。王子もつられて俺を見た。
「仙女はもう手を貸してはくれませんよ。それに、魔力を纏うのならこの靴の持ち主を突き止める事は可能です」
虱潰し。
そう言った俺を法師は途方もない顔で、王子はそれしかないか、と顔を引き締めた。ただの靴ではないのならそれ相応に持ち主と引きあうはずだ、という予想は満場一致であった。
そして。
俺を掻き乱す素性の知れないあの女も自ずと見つかる。
無関係ではないと確信したのだ。