めでたしめでたし
額にひんやりとした感触が気持ちいい。
そんな事を思いぼんやりと目を開けると、見たことのある天井で。ああ、家の客間の天井だ。
「は!?」
あれからどうなったのだろうか。わたしが起き上がる前に。
「アメリお姉様! 具合はどうですか?」
綺麗なサンドリヨンがわたしを覗き込んでいた。
ああ、こんなに近くで見るとやはり規格外に愛らしいな。と、じっと見ていたら、サンドリヨンはわたしの額に置いてあった濡れた布を取った。
わたしはゆっくりと起き上がる。背に手を添えてわたしを気遣い、伺うサンドリヨン。
意地悪な姉に対してなんて優しいのだ。
「ねえ、あまり聞きたくないのだけど……あれからどうなったの?」
もちろんサンドリヨンの事ではなく、わたしのこれからの事だ。あの求婚らしからぬ妻にする宣言は取り消されたのだろうか。そうであってほしい。
「王子様方が隣でお待ちです。歩けそうですか?」
そうではなかったようだ。
わたしは天を仰ぎながらもゆっくりと立ちあがった。
隣の部屋で寛いでいるエルマー王子とデュート大臣子息は、わたしを見て立ちあがる。
わたしは咄嗟に頭を下げた。
「申し訳ありません! 母のあのような厚顔無礼な振る舞い……何なりと処罰を!」
「いや、それより大丈夫なのか?」
王子は気遣って下さるが、大丈夫なものか。わたしはもう穴があったら入りたい。むしろ自ら穴を掘りたいくらいだ。墓穴をな。
「はい、大丈夫です!」
もうやけくそで涙が滲んできた。ああ、顔を上げたくない。
そんなわたしの姿勢を半ば無理矢理直したのは、やはりデュート様で。
あの、面白い玩具を見つけたみたいな顔。それが今わたしを見下ろしている。
「あの……つかぬ事をお聞きしますが、わたしを、その」
「妻に貰う。四度目は無いと思え」
引きつった声がわたしの口から漏れた。三度も彼から逃げたという……ん?
わたしが首を傾げたのを、彼はずっと面白そうに笑ってみている。三度……。
「舞踏会の初日で一回、二日目は姿すら見えなかった一回、そして最初の一回はあの森で」
わたしは震えた。
何故。あの妖艶な魔女がわたしであると気付かれるはずはないのに。
「違います! あれは、あれはわたしでは……!」
たまらずと言った風に噴きだした彼を見て、失言に気付いた。
(またやってしまったああ!!)
「ち、違います! 今のは……!」
「わかったわかった。それでいいが、そもそも俺の求婚……断れると思っているのか?」
はっとした。
大臣の子息である彼からの婚姻を、わたしがどうこうできるわけがないのだ。王子とサンドリヨンは例外だ。
目の前が絶望に染まったような気がして少しふらついた。
また背中を逞しい腕が支えるのを感じ、心臓が煩い。居た堪れない。
「そこまで露骨に嫌がられるとさすがの俺も傷付くのだが」
困ったように笑った彼に胸が締め付けられた。
「そう、いう訳ではないのです……ただわたしは……」
庶民堕ちか、国外逃亡か、お師様に居候か。
小さい頃からそんな未来しか描いてこなかった。ただ戸惑っているだけなのだ。心の準備というか。
それに、魔術を扱えるという事を知られたくなかった。
「とにかくみな着席しよう。どうやら訳ありのようだし。話を聞きたいがまだ顔色が悪いようだ」
王子の鶴の一声でわたしはのそりとソファに座った。
隣に妹、向かいにデュート様。
「私がサンディを娶る事になり、この屋敷に捜査が入った」
王子がわたしを厳しい目で見た。ええ、そうでしょうとも。
わたしは軽く深呼吸をして表情を作った。意地悪な姉の。
「物騒なお話しですわね。それで、何か出てきまして?」
「ああ。元当主の愛人の連れ子をまるで召使いのように虐げていた証言が沢山出てきた。本来家族であるはずの者も、庇うべき使用人たちもみな……サンディに辛くあたっていたそうじゃないか」
わたしはその通りだと表情を変えずにじっと王子を見ていただけだった。
「それが……何か問題でも?」
無表情のまま首を傾げてみせた。
王子も無表情のまま続ける。どんどん言っちゃってください!
「王子妃となる罪無きサンドリヨンを虐げたのだ。地位も現在の暮らしもただでは済むまいよ。まあ、貴女はデュートの妻になるのだから多少罪を免除してもいいと思っているが」
そう口を綻ばせるが目は笑っていませんよ、王子。
そして、わたしに天啓が降りた。
「では、わたくしは大臣子息殿の妻としてふさわしくないという事になります。デュート様……考え直してみてはいかがでしょう?」
さすがに彼も押し黙っている。
そうでしょうとも。妹を苛めるような女なんて、誰が妻に欲しいと思うのか。そもそもお父上である右大臣が許さないだろう。
勝った――!
そう確信した時。
「それは違います!」
胸を押さえるようにして悲痛に顔を歪ませたのは隣に座る妹だった。いやいや、庇う余地なんてどこにもないはず。
「アメリお姉様だけは違います……! だってお姉様はいつも影で私を助けてくださっていました!」
「な、なん……」
何でそれを!? と言いそうになるのを咄嗟に堪えた。もう何度も同じ過ちは繰り返さないのよ!
安堵するわたしを妹は善意という攻撃でどんどん追い詰めていく。
「水を掛けられてびしょぬれになった私のそばにそっとタオルと着替えを置いてくれたのも、食事に虫が入れられていたのをこっそり取り替えてくれたのも、母に叱られてぶたれそうになったのをさり気なく注意を引いて止めてくれたのも、捨てておけと命じる振りをして本を沢山くれたのも、寝不足の私を閉じ込める振りをして休息をくれたのも……」
その怒涛の勢いに王子たちの方が圧倒されている。
わたしはもう何と言うか、羞恥しかない。完全に気付かれていたんじゃないか……!
「全部……辛い中何とか暮らしていけたのは、全部、アメリお姉様のお蔭なのです……それに」
まだあるのか。
わたしはもうすっかり体を折り曲げ顔を膝に埋めて震えるしかできない。こんな公開披露なんて望んでなかった……!
「舞踏会でエル様とダンスを踊れたのも……お姉様が練習台と称して私を使ってくれたから。妃教育に必要な勉強も……教養の無さを嘲笑うふりをして私に知識を付けてくれたから。言葉使いがなってないと叱咤しながらも正しい言葉を教えてくれたから。だから今こうしてエル様に失礼のないようにお話ができる……」
そう、それだけは、必ずやらなければならない事だった。将来サンドリヨンが王子に見初められ、王族の一員になるのならば絶対に。
だって母はサンドリヨンにまともな貴族教育を施さなかった。
ここは確かに現実で、お伽噺の世界ではないのだ。たとえ王子妃の道が見えたとしても基礎がなっていないとお話にならないのだから。
「話を聞いていると、まるで私とサンディがこうなる事を予期していたように見えるな」
王子がまさにその通りな予想をしてきて、もうわたしはお手上げしたい。どうすればいいのだ。助けてお師様。
「何で……気付いたの……」
そうこっそり妹を見上げる。
しかし彼女は何故か青ざめて大きな目を潤ませていたから、わたしは内心首を傾げる。
するとサンドリヨンは蹲り泣きだした。
「ごめんなさい……! お姉様、お姉様! 私はそうとは知らず……ずっと恨んでいたの! どうして私がこんな目に合わなければいけないと……悔しくて……いつか見返してやりたくて……! アメリお姉様の一挙一動をずっと見て……立ち振る舞いを……盗んでやろうって……!」
「そう……。あなたがそんな気概のある子でよかったわ……城でも上手くやっていけそうね」
わたしはすっかり気が抜けてしまった。
脱力してぼんやりとそう言ったら更に妹は泣きだして、もうどうしていいやら。慰めるのは王子に任せるとして。
「理不尽に苛められたら恨むのは人間として当たり前の感情でしょう……?」
聖人君子じゃあるまいし。むしろわたしを恨む事に罪悪感を抱いている様子なのがびっくりよ。
何だか色々疲れ切っていたわたしに近づいて、片膝立ちで手を取ったのはやはり、デュート様で。
「俺の目も満更ではないな」
「随分悪趣味ですこと」
そう鼻で笑ってやったら、あの困ったような笑みで見上げてくる。もうこれ以上わたしをどうする気なのか。
「増々欲しくなった」
そんな直球に熱い瞳で見つめられたらどうしたって顔が火照るのはしょうがない。
「そもそも何故そんな頑ななんだ。他に……誰かいるのか?」
魔物一匹殺しそうなほどの視線を向けられても、震えるばかりで何もでないのに。あ。
「誰か、誰かね……」
駄目だ。咄嗟に誰の名前も顔も浮かばない。
わたしはずっとお師様に従事してきて魔術の勉強ばっかりだったのよね。男性といい感じになった事なんてないわけで。
「成程。いない、と」
「悪かったわね! どうせ浮いた話すらなかったわよ!」
「じゃあ俺でいいだろう。何が不満だ」
はた、とわたしは考える。そう言われればそうだ。
でも何だろう……この人、あれなんだ。
「だって……わたしをいじめて喜ぶでしょう?」
「ああ、そうだな」
しっとりと頷いた彼にわたしは項垂れる。
そもそも、最初に森で会った時からどうも苦手というか……手のひらの上で踊らされている感が凄かった。
「意地悪言ってわたしがあたふたしてるのが楽しいのでしょう?」
「それが可愛いんだろうが」
ああ、また。
そういう血液の流れに直接影響する言葉は控えてほしい。
「見目が違っても判るのは王子の特権だと思うなよ。お前のそういういじりがいのある中身に惚れたんだよ……最初に会った時からな」
「……いつ気付いたの?」
あれ。さっきも似たような事を言ったような気がするが、まあいい。もう忘れた。
「二回目に会った時だ。舞踏会の初日……中庭で少し話をしただろう」
「え、早い……」
「それだけ分かり易かったという事だ」
なんだ。
中身に惚れたなんて言いながら、結局わたしの演技があれすぎてわかったって事じゃない。ときめいて損した。
「おい、勘違いするな。俺だから分かったんだ」
「やっぱり読んでるわよね!?」
ぐずぐずと泣くサンドリヨンの肩を抱いている王子は、そろそろこの人を止めてくれてもいいと思う。
ああ、お師様。わたしの未来だけはどうやら外れてしまったようです――。
わたしや使用人の立場では、母たちを止め諌める事は困難だと満場一致で判決が出たらしい。
つまり、母と姉、喜んで苛めに加担していた側の使用人たちは貴族位から追放。王家が抱える辺境の領地でひっそりと質素に暮らす事を条件に見逃された。
のんびりできてよさそうですね……。
そして、本来母が行うはずだったサンドリヨンの貴族教育を影で行ったとして称賛されたわたしは、後に大臣子息との婚姻を許された。そう……許されてしまったのだ。
「よかったですね! アメリお姉様!」
後日、そう目を潤ませて本気でわたしを祝福する妹に、わたしは引きつった笑みを向けた。ちゃんと笑えなかった。
あれやこれやと外堀を埋められていくのを、わたしは観念して見守るだけ。
デュート様は、訳ありとしてわたしが魔術を扱えるようだとは誰にも言っていないようだ。そこは信じている。
ただ。
「全部とは言わないがお前の事はちゃんと知りたいとは思っている……無理強いはしたくない」
後ろから抱きしめて耳元でそう囁く彼は完全に狙っている。絶対に言わせようとしている。
そんな心臓に悪い事をしなくても、ちょっとずつでも話していくつもりなのに。
その過程で、どうして彼があの時あの森にいて、仙女に会おうとしていたのかを聞く事になるけれど。それはまた後日。