そして見つかって捕まって
さてやって来ました王子の御触れ。
硝子の靴がぴったり合う娘を捜している、というあのシーン。
正直靴の寸法なんて何人か合ってしまうだろうけど、サンドリヨンだけがぴったり履けるようにあの靴には術がかかっているのだ。
抜かりはない!
このまま妹は玉の輿。わたしたちや見て見ぬふりをしてきた使用人、この屋敷は丸々潰されるか庶民に落とされるに違いない。
わたしは――いざとなったら逃げる!
そう意気込んだ気合が綺麗さっぱり霧消した。
王子と共に現れた従者は、あの青年だった。どうしてこの人が!
そう思った時、黒と金の刺繍が施された白い軍服は、国ではなく王家の従属の物である事。まるで王子を身近に知っているような口ぶりだった事。それらを思い出して、脳内で頭を抱えて地面に打ちつけた。
王子の関係者として現れても不思議じゃない立場の人だったのだ。
もしかして、を想定していなければいけなかった。
案の定彼はわたしを見て、肉食獣の如き目の輝きを放っていたのだ。いや、誇張ではなく。
姉が率先して足を差し出し、しかし当然合うはずもなく。無理矢理小さい靴に足を納めようと必死だった姿に執念を見た。
そして何故か次は母が進み出て、何とも言えない空気が漂う。もちろん履けない。
次はもしかしてわたしの番か?
姉は睨んでくるし、母はわたしの背をぐいぐい押してくるし、どうせ合わないのが分かっているのだからさっさと履いてサンドリヨンに繋げようと思っていたら。
「他に娘はいないのか?」
そう鷲色の青年が周りを見渡すではないか。おう、わたしの事は見えていないのか?
王子はどう見ても違うと分かっていながらも、もれなく試してみたいようでわたしを見た。
「まだ彼女が残っているだろう」
「彼女は違いますよ」
王子にきっぱりと断ずる青年は、ずっと一直線にわたしを貫いていた。口から変な声が漏れそうになるけどぐっと堪える。
蛇に睨まれた蛙ってこういう事なんだな。なんてぼんやり思った。
「……違うと言い切れるのなら絶対に合わないだろう? さあご令嬢、履いてみてくれ」
そう王子が青年を意地の悪い笑みで見た後、わたしに眩しい笑顔を見せてきた。なんという完璧な変わり身だと感服した。ぜひお手本にしたいものです。
何も言えなくなった青年を通り過ぎ、わたしは硝子の靴に足を入れた。
「あら、小さいですわ……残念」
傅く王子をそう笑って見下ろすと、彼は一瞬目を見張った。わたしは一礼して母たちの元まで下がる。
さあ、サンドリヨン、出番よ!
そんな期待はしかし、彼女の姿を見て驚愕に変わった。
妹は、使用人たちの後ろで成り行きをただ見守っていただけだった。哀愁に目を潤ませ、少し震えて。
(あれ、ここで彼女が前に出てわたしにも……。って言うんじゃなかったっけ!?)
わたしは戦慄した。ここまで来て消極的にならないでよ! 妹! もう少しじゃないの!
落胆する王子とわたしをずっと見ている青年は、何やら小声で話をしているようだ。
そして王子までもが何故かわたしを見た。
(何なの!? 違う! あなたがお探しの娘は後ろに……ええい、こうなったら)
わたしは一片も動かずに硝子の靴に術を掛けた。
どよめく王子の護衛たちと家の使用人たち。
王子の持っている硝子の靴が、まるで光を帯びた降雪のような輝きを纏い出したのだから。
「……まだ娘がいるのではないのか?」
王子は、見る者を凍らせらんばかりの冷たい視線を母へ送った。母は青ざめて唇を噛む。
いきなりあんな輝きを放ったらいかにも、ここにいますよ! と言っているように見えるわよね。
そして。
母よりも王子の不興を買いたくないだろう使用人たちは当然、道を開けてサンドリヨンを人目に晒す。
目を見開く王子は徐々に柔らかい表情で目を細め、彼女に歩み寄り跪いて靴を差し出した。
ああ、もう彼は気付いている。
見るからに使用人のようなつぎはぎの服を着ていても、髪や肌が灰で汚れていて荒れていようとも。
彼の目はしっかりとサンドリヨンを見ている。
ああ、どうしよう。
わたしはここで悔しい顔をしなければならないのに。どうしても涙腺が緩んでしょうがない。
サンドリヨンが全く嬉しさを滲ませずに靴へ足を差し入れるのを見た時、わたしは納得した。彼女がすぐに前にでなかった理由に。
(そうよね……見られたくなかったのよね……)
汚れた姿に王子は幻滅してしまうかもしれないと、尻込みしたのだ。年頃の少女として当然の思考だ。
当然、彼女の足は硝子の靴に自然に納まった。
目を伏せたサンドリヨンの手を取った王子。
「ようやく見つけた……シンデレラ。どうか私と結婚してほしい」
そんな乞うような焦がれるような声に、彼女は恐る恐る目を開け、頬を染めながらも信じられないように目を見開いていた。
彼女の荒れた手の甲に口付けを落とす王子。
それを見届けて、わたしは最大の魔力を送る。
サンドリヨンの周りが先程と同じように煌めき、服は新品のものに、髪も肌も汚れを払い艶やかに、そして足にはもう片方の硝子の靴を。
化粧っ気は無いものの、あの会場で王子がただ一人、愛を向けていた令嬢がそこに立っていたのを、母も姉も軽く悲鳴を上げて観た。
わたしも続かなければと力を入れると、急に立ちくらみがして足元がおぼつかなくなった。連日の魔術行使に疲労がたたったのだ。
こんなおめでたい場面で倒れてたまるものかと思った矢先、背に誰かの腕が回った。
「あ……」
見上げたら、意地の悪い笑みを浮かべるあの青年。ゆっくりとわたしの耳元へ顔を近づけて――。
「どうされた? 顔色が悪いようだ……魔力の使い過ぎか?」
何か言おうとした口からは息しか出てこなかった。
血の気が引いて心臓が煩く爆音を叩きだす。
そんなわたしたちの様子なんて今は誰も気にしていないのが幸い――なんて現実逃避をしていたらなんと、王子だけがこちらを見て苦笑いをしていらっしゃった。
わたしは咄嗟に首を横に振る。何度も。
(違うのです! これは決して抱き合っているわけでは……!)
勘違いをされては困る。
でも血の気が引いているはずなのに顔はものすごく熱くて。
王子はサンドリヨンに視線を戻し、あの舞踏会で見せたお互い熱の籠った視線で見つめ合う。その光景を未だ見たことの無かった使用人たちからは感嘆の溜息が漏れる。
「シンデレラ……いや、本当の名を教えてくれるか」
「……サンドリヨンと申します」
「ああ……その心地よい声。サンドリヨン、先程の返事をまだ聞いていない」
そう言うと王子は再度彼女の手を取り、求婚した。
「はい……私も、あなたをお慕いしております」
その大きな目から粒になって涙が零れる。それを愛おしそうに拭った王子。
すっかり二人の世界を築きあげていますが、わたしのこの状況はどうすれば……!
何とか逃げようとしたら、わたしを支える彼は大股で王子に歩み寄った。そのままの体勢で。
そう、そのままの体勢だ!
「ようございました、王子。私も見つけましてね」
何を!?
「ああ、そのようだな。おめでとうデュート。お前も目出度いな」
この青年はデュート様と仰るのか。
と、妙にしっくりと心に沁み渡った後、はっとしてわたしは再度否定の意味で首を振る。
母も姉も放心状態だし、使用人たちはざわつくものの展開についていけていないようだ。わたしもです。
サンドリヨンはわたしの妙な登場に当然驚いている。わたしもです。
「アメリお姉様……?」
「アメリと言うのか。ああ、愛称なのか。本名は?」
その有無を言わせない問いかけに、それでもわたしは抵抗する。唇を引き結びじっとりと青年を見上げ、無言の拒絶を示す。
すると彼は母を見て。
「夫人。私は右大臣カール・マクディスの子であり、エルマー王子直属である側近のデュート・マクディスと申す。このお嬢さんを私の妻に貰いたい……名を教えては貰えまいか」
「は」
わたしの口からは変な声しか出なかった。何だって? ツマ?
一瞬で放心から帰ってきた母は喜色満面でわたしたちに歩み寄った。
「アメリーヌ! お手柄よ! 大臣の御子息に見初められるなんて……あなたは出来る子だと思っていたわ!」
そんな相変わらずな母の態度に、わたしは気が遠くなってふらついた。そしてあまりの羞恥に顔が上げられなくなる。
本人や王子を前にしてそんな事を言う神経が分からない、誰か助けて!
「アメリーヌか。いい名だ」
そんな台詞が耳に入ってきたあたりでわたしは意識を手放した。