舞踏会で再会して
そして決戦の日。
とは言っても、舞踏会は二日あるのだ。まずは一日目。
張り切っておめかしするお姉様に、お母様も妥協を許さずわたしにまで王子に気に入られるように言ってくる。
幸いなのは二人とも流行に敏感であるという事。張り切って空回りして周りから浮くようなものを着させられる事はない、という事だろうか。
母は母で、自分も誰かに見初められるのでは。と内心浮かれているのを知っている。
まあ、まだ若いしキツイ顔立ちだけれど美しい母。案外あるかも。
これからの展開を思うと――再婚したとしてもわたしは反対はしない。
ただ、お姉様とわたしに関しては無理だろう。どう考えても王子に気に入られるとは思えない。たとえ物語の流れを知っていなくても。悪人その1、その2にしか見えないし。わたしですら王子よりも年上だし。
そして馬車に乗り込み、使用人たち、そして悲しそうな目をしたサンドリヨンに見送られて王城へ向かった。
馬車の中ではしゃぐ姉のこれからを思い、罪悪感が沸かないわけじゃない。
ただ、わたしだって一度は物申した事はあるのだ。
その時のあの目――あれは駄目だと、わたしは逃げたのだ。サンドリヨンだけじゃなく、血の繋がった妹だとしても姉は躊躇なくいびり倒すだろう。と。
昔に思いを馳せていたら難なく馬車は王城に到着した。周りは着飾ったご令嬢や、お零れ狙いの結婚適齢期の貴族男性でごった返していた。
先しか見えていない母と姉を撒いて、わたしは馬車に戻り転移する。
そろそろいい時間かと思い、ひとり夜空を見上げる居残りのサンドリヨンに声をかけた。
もちろんあの魔女の姿で。
「舞踏会行きたいんでしょう? 連れて行ってあげるわ」
お師様のような喋りを模倣して、驚き、僅かに警戒するサンドリヨンに笑いかけた。が。
「そんな……見ず知らずの方にそんな事を頼めません」
そうなるよねえ! 普通! なんて普通でいい子なんだろうか。
「年頃の貴族令嬢は全員参加義務があるのよ? 本来なら参加しなければならないものなの」
初耳だというサンドリヨン。もちろんそんな義務はない。と、思う。
「あなただと周りに気付かれなければいいのね? 任せてちょうだい」
わたしは指を鳴らしてサンドリヨンの周りを輝かせた。
指なんて鳴らさなくても一瞬で出来るけど、もちろんこれは演出だ。それっぽい方が盛り上がるじゃない?
着飾ったサンドリヨンは大層美しかった。茫然としている彼女の前に姿見を出現させると、彼女は食い入るように鏡に映る自分を見ていた。
「嘘……これが私……? あなたは魔法使い様なのですか?」
「わたしは確かに魔法使いだけれど、ただ小奇麗にして着飾ってあげただけ。その美貌はあなたが元々持っている素材よ」
普段灰を被ったように薄汚れている彼女から、この煌びやかな姿。
これは近くでみても間違いなく誰にも気付かれない。ほのかにお化粧も施しているし。
鏡を消して、次は例の、馬やら馬車やら御者やらの元を出現させ変化させた。
そしてあの約束事を取り付ける。
「時計の針が十二時を回る前に屋敷に戻る事。でなければすぐにこの魔法は解けてしまうわよ」
少し脅すくらいがいいだろう。
サンドリヨンは神妙に頷いた。でもまるでわたしに向ける目は何かを拝むような色を宿していた。
「もし誰かに名を聞かれたら『シンデレラ』と答えなさい」
それに頷いた彼女を馬車に乗せ。
「さあ行きなさい……よい夜を」
そう妖艶に微笑んだ――つもりだったけど、上手く出来ただろうか。
何度もお礼を言っていたサンドリヨンを乗せた馬車が見えなくなると、わたしは影で姿を戻し王城に停めてある馬車内へ転移した。
(つかれた……)
たったあれだけの魔術だというのにどっと疲労感が押し寄せてきて、わたしは会場の輪に混じるどころではなくなった。
お師様からも言われていた。
『あんた、元々魔力量が少ないみたいだから連続使用はちょっとフラっときちゃうかもね』
どうでもよさそうな態度でそんな心配をしてくださった。
本当に面倒見がよくてお優しい。
中庭の長椅子に座って心地よい夜風に当たっていたら、足音がこちらに向かってくるのが聞こえて、月が作り出した人影がわたしに重なった。
見上げ、驚愕した。
白い詰襟の軍服に身を包んでわたしを気遣わし気に見下ろしていたのは――あの森で会った男性。
鷲色の癖っ毛、利発そうな切れ長の目、真一文字の薄い唇。
「ご令嬢。具合でも」
咄嗟に言葉が出てこないわたしに、彼はそうとう具合が悪いのだと思ったのか。
「飲み物を持ってこさせましょう」
そうきびすを返そうとしたから、わたしはそっとして欲しい気持ちで断った。
「……人に酔ってしまったのです。少し休んでいるだけですので、お気づかいなく……」
絶対にあの魔女の姿とわたしの姿が結びつく事なんてないとわかっていても、焦りが顔に出てしまう。顔を伏せて誤魔化そう。
しばらくお互い無言のまま、少し時が経った。
(……どうして立ち去らないの!?)
そんな思いで恐る恐る見上げたら、彼は鋭い目をずっとわたしに向けていたようだ。
「あの……?」
「失礼……どこかで会った事はないだろうか」
今度こそ心臓が止まるかと思った。
どうして疑問じゃなく確信があるような口調なのだ。気付かれる筈はないのに。
「も、申し訳ありません……失礼だとは思いますが……わたくしの記憶には……」
そう気まずそうに頭を下げれば勘違いだと思ってくれるだろう。わたしは心の中で拳を握った。
しかしそう甘い相手ではなかった。
「自慢ではないが私は記憶力には自信がある」
「……それならばはっきりと覚えているのでは」
当然の疑問を発するわたしを、彼は鋭い目で射抜いた。有無は言わせぬその眼光に体が縮み上がる。
「ひぃ……ごめんなさい!」
つい椅子の上で後ずさると、彼は少し目を見開いてそのまま黙り込んだ。
(もう……何なの……早くどこかへ行ってよ!)
何とも言えない空気が流れる中、そんな中庭まで伝わる程のざわめきが会場から漏れていた。わたしたちは二人して会場に繋がる開かれた大扉を見た。
時間的に、恐らくサンドリヨンが到着したのだろう。ちゃんと王子の目に留まるといいけど。
気になって様子を見に行こうと立ちあがると、軍服の彼はわたしの手首を取って止めた。
「何処へ行くのか」
わたしは唖然として振り向いた。むしろどうしてここに留まっていなければならないの。
「会場にはわたしの家族もいます。何かあったのではと……」
お母様お姉様、ダシにしてしまってごめんなさい。
「そうだな。では行こう」
彼はそのまま、そう、その体勢のまま歩み始めた。いやいやいや。
「あの! 手をお放しになってくださ……ひぃ」
半分振り向いた彼はまた視線を突き刺してくる。もういや助けて!
結局手首から手に移動しただけの拘束は解かれる事はなく。
そのまま人垣に紛れて様子を窺う事になってしまった。こんなところをお母様たちに見られたら何て言われるのか恐ろしい。
まるで人垣が輪を作るようにして見守っていたのは、中心にいるふたりの姿。
金の髪に青い目の端正なエルマー王子と、その手に手を重ねた美しい娘、サンドリヨン。
煌びやかな光に照らされたピンクゴールドの巻き髪。シミもくすみもない白い肌には紅が乗り健康的な美しさを醸し出す。
普段灰や埃でくすんでいる彼女の髪が、こんなにも美しいと周りに感付かれないようにするのは苦労したものだ。肌も同様。
二人はお互いを蕩けるような目で見ていた。
(よしよし! 順調ね!)
心の中で小躍りするわたしの横で軍服の男性は呟いた。
「珍しい物を見た……あの王子がな」
わたしは斜め上を見上げる。楽しそうに口が弧を描いているその横顔に心臓が跳ねた。
くっ……。顔が整っている人はこれだからズルい。
少したどたどしいかもしれないサンドリヨンの足さばきだけど、王子のリードがいいので傍目には全然気にならない。
それどころか素晴らしく二人は絵になっている。
ダンスの練習相手になれ、と強要するフリをして彼女を躾けた甲斐があったというものだ。
わたしはどうなるかわからないけど、これならきっと妹の将来は安泰だろう。健気で優しいあの子がようやく幸せになれるのだ。
思わず涙ぐんでしまったけど、周りはみんな中心で踊る二人に釘づけだから大丈夫。
拘束が緩んだ隙に、わたしは人垣を縫うようにかき分け彼を撒き、停車してある家の馬車に乗り込んだ。
「はぁ……疲れた……色んな意味で……」
馬車の中からサンドリヨンが十二時前に帰るのを確認して、わたしは外で待機している従者に先に帰る旨を言付ける。そして御者に馬車を走らせるよう指示を出した。
早く帰って寝てしまおう……。
お母様やお姉様よりも先に老け込んでしまいそうだわ、わたし。
二日目も同じ流れでわたしは先に出発。
その間ずっと姉に愚痴の捌け口にされていたけれど、適当に相槌を打っておいた。
そしてサンドリヨンを着飾らせ馬車に乗せる。今度は十二時の約束はあえて言わなかった。
今まではおおむね物語通りに進んでいるとはいえ、あの真面目な妹が楽しすぎて時間を忘れる。なんて事があるのだろうかと不安になったために。
わたしは、会場ではまた姉たちと逸れたふりをして、一人こそこそと立ちまわっていた。
サンドリヨンの様子もちゃんと見ておかなければならないし、でもあの青年に見つかってはまた面倒な事になりかねない。
なんとなく、次に見つかったらもう逃げられないような予感が頭を占めていた。
王子は最初からあからさまではないにしろ誰かを探していた。
次々と来るご令嬢を上手く笑顔であしらっては、会場の扉が開かれる度に期待と落胆の目をしていた。
そして現れるサンドリヨンに会場がざわつく。
彼女の美しさや内から溢れる気品は、周りのご令嬢とは一線を画している。持って生まれた清い心がなせる業だろうか。羨ましい。
わたしは希薄の術を自身にかけた。まるでそこらの石ころのように存在はしているが、特に気にも留められないというもの。
術のお蔭で、わたしは誰にも捕まる事なく彼らを観察できた。
踊り終わった王子とサンドリヨンは、中庭の長椅子に座り二人並んで話をしていたようだ。さすがに話を盗み聞きする趣味はないけど、遠目でもわかる程に話が弾んでいるのが分かる。
そして王城の壁面にある大時計が十二時を知らせる。
サンドリヨンは青い顔で立ち上がり、王子に礼をしてからもの凄い速さで走り去った。
一瞬固まった王子だけどすぐにその後を追う。わたしも追う。
その時が来たら片方だけ脱げるように術で細工した硝子の靴を拾い上げて、サンドリヨンが消えた暗闇へ憂いの目を向ける王子。
順調すぎる……!
わたしは浮き立って昨夜と同じように帰路についた。
どこか心にしこりを残したまま。