ずーっと以前に書いた創作怪談シリーズとショートショートシリーズ
(怪談)歩道橋
オカルトなことに首を突っ込むことなるきっかけの一つ。
今日は、そんな話を一つしようと思う。
学生時代の話だ。
その日は昼間に電車で出かける用事があった。駅はそんなに遠くなかったから歩いていくことにした。学生で時間に余裕があったこともあるし、駐輪場にお金を使うのがもったいないと思ったからでもある。
帰ってきたのは終電だった。他の大学との共同研究の手伝いだったのだけれど、まあどっちかというと打ち上げの飲み会の方で遅くなっただけだった。電車に乗るまでは一緒だった友人もいたが、その日は地元の友人ばかりで、一人暮らしの自分だけが、その駅で降りることになった。
駅から帰る途中には、やたらと長い歩道橋が一つ、あった。
それは高速道路のジャンクションで、下を通る国道を跨いでいた。住んでいたアパートへ帰るには、そこを通るのが近道だったからだ。
ゆるかやかに上っていく、その歩道橋には階段は設置されていなかった。道幅も広く、自転車なら降りずに通過できるほど立派なものだ。とはいえ、上り坂であることには違いなく、わざわざその歩道橋を好んで使っているものは少なく、昼間でもすれ違う人は多くは無い。
その時間ともなると歩道橋を歩いている人影は無かった。眼下の国道や、頭上の高速道路には頻繁にクルマが通過していく。そのクルマの中には人がいるわけで、決してそこは誰もいない空間というわけではない。けれど、通過していくクルマは、あくまで閉じられた鉄の箱でしかなかった。ナトリウムランプに照らされて歩道上は充分に明るかったが、まるで世界から隔絶しているかのように感じられた。
上り坂が終わり、眼下に国道を見下ろした。
信号待ちの車の列が見えた。
歩道橋のほぼ中央付近。真下は国道の上り線だった。胸まである欄干にもたれれば夏前の夜風が気持ちよかった。少し酔い覚ましに休憩しようかと思ったのだけれど。
ふと自分の足元に目を移すと、枯れた花と瓶が目に入った。
いやな想像が、一瞬にして思い浮かぶ。
確かにこの高さなら飛び降りたら死ねるかもしれない。普通の歩道橋よりも全然高いし、万が一死ねなくても通過する大型トラックに轢かれるかもしれない。昼間はこのあたりではトップクラスの交通量なのだから。
そういえば、花の生けられた瓶を何度かここで見た気がする。
過去に、ここから飛び降りた人がいたのだろうか。
その、飛び降りた高さと、次々に来る大型トラックによる確実な死。それは安らかな死ではないだろう。電車に飛び込むような死に方と大差無いかもしれないが、なにもここから身を投げなくても、と思う。
ふとその時、足音が聞こえたような気がした。
いやなんというか、足音なんか聞こえるわけ無いのだが。歩道橋は立派なコンクリート製で、音が響くような代物ではないし、それに第一、足元の交差点ではクルマがたてる騒音で、そんな小さな物音が聞こえてくるはずがない。
だけれど。
足音は聞こえたのだ。
たぶん、それは酔っていたからだろう。そう思わなければ説明もつかない。
自分が見ているものの正体がなんであるのか頭では全く理解が出来なかった。ただ、ぼうっと眺めていて恐怖感も好奇心も浮かんではいなかった。
そこには足だけが見えていた。
ナトリウムランプに照らされた歩道橋を、黒い靴と黒い足首だけがゆっくりと歩み進んでいた。一歩一歩、聞こえるはずの無い足音を立てて。
再び足元の枯れた花を見下ろす。
ああ、そうか、ここから身を投げたのだな、と一人納得する。
私には一種の霊感があったけれど、それは大したものではなかった。たまに見えてしまう程度の役に立たない霊感で、あったからなんだと言うほどの物でしかなかった。何かに役立つほど立派なものでもない。
ただ、時々見えてしまう程度のもの。
今回みたいに。
足首までだった黒い影は膝まで見えていた。歩道橋をゆっくりと上ってくる。スローモーションでも見ているようにゆっくりと。ズボンの種類から推測して男性。スラックスのようなもの。グレーか濃紺の。靴は革靴かな。
一歩づつ近付いてくる。
コツン、コツン、コツン。
何故だか恐怖感は無かった。たぶん、理解不能で思考停止しているだけなんだと思う。近付くにつれて膝の上も見えてくる。
想像通りのスーツ姿の男性が、浮かび上がる。ネクタイの色はグレーで・・・
その時点での距離は5メートルほどだったと思う。
唐突に私は恐怖感に刈られた。
何を冷静に眺めているのかやっと自覚したというか。
一瞬、足元の枯れた花を見下ろすと、私はよろけるように後ずさりして、その後はダッシュで逃げた。
後日、ゼミの先輩から曰くを聞くことが出来た。
あの歩道橋で飛び降り自殺をした大学4年の学生がいたそうだ。
当時、就職氷河期と呼ばれた、あの時期。何があったのか詳しくはわからない。ただ、就職活動に疲れたのか、それとも他の理由だったのかはわからない。何処かの就職面接の帰り道、そこから身を投げた学生がいたという話を聞いただけだ。
それ以上の情報は聞き出せなかった。所詮、自殺による死など、ありふれた事柄で。
ただ、あの日、あのまま全身が見えるまで、顔が見えるまで待っていたのなら、ひょっとしたらもっといろんなことがわかったかもしれない、と少しだけ思った。
役に立たない霊感だと思っていたけれど、ひょっとしたら、少しの危険を顧みずに、もう少しだけ踏み込んでみたならば。
それが、常識的なことでも、理性的なことでもないとわかっていたけれど、たぶん、なんていうか若気の至り?そういう種類のことのなのかもしれない。