表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

右隣の幼なじみ

作者: 九丸(ひさまる)

 厚手のコートじゃあ、もう時期外れ。かといってコートなしじゃあ、まだ寒さも身に染みる。

 例年なら桜の蕾も膨らんでいて、週末には六分咲きくらいは見れそうなもんだが、今年はそんな気配すらない。

 十八時を回ってるのに、まだ陽の明るさと夜の帳がせめぎあってる。ついこの間までは勝負にすらならなかったのに。

 河口から吹きつける海風を背に、川沿いの道を俺と真由美はゆっくりと歩いている。いつも通り、真由美は俺の右隣。ランドセルを背負ってた時代から変わってはいない。

「それにしても寒いよな。コート着てくりゃ良かったよ」

 当たり前でしょと言わんばかりの顔で、真由美は俺に顔を向けた。

「なんか、毎年この時期にそんなこと言ってない? 確かに今年はまだ寒いけどさあ」

 風に煽られて揺れる真由美の髪の匂いが鼻に届く。咲いてもない桜の花の香りのようだ。

「そっか。毎年言ってたか。でも毎年迷うんだよね。四月にコートっていうのもさ」

「これはわたしが毎年言ってることだけど、スプリングコート買いなよ。便利だし」

「そうだな。あ、これも毎年の返しか」

 言い終わるや否や、俺は真由美に向かって一くしゃみした。

「ちょっと、汚いなあ! なにすんのよ! これ買ったばかりなのに」

「ごめん、ごめん。押さえる暇なかったんだよ。それにしても、コート似合ってんじゃん。お前にしては珍しい色だけど」

 いつも黒系統が多い真由美が着ているのは、薄いピンクのスプリングコートだった。見慣れないけど違和感はない。色白の真由美にはお世辞抜きに似合っていた。

「へへ。ありがとう。ちょっと冒険してみたんだ」

 素直に照れる真由美の笑顔が可愛く思えた。

 すっと差し出された水色のハンカチを受け取り、鼻と口元を拭う。

「ありがとう。洗って返すよ」

 そう言う俺から真由美は「いいよ」と言ってハンカチを奪い取ると、カバンに押し込んだ。

 いつも世話をやかれてきたよな。そんな思いが頭をよぎった。

 いまさら何をと自嘲気味に心の中で呟く。

 昼休みに真由美から連絡があり、どうしても寿司が食べたいから付き合えと言われた。別に仕事が立て込んでる訳でもなかったし、俺に断る理由はなかった。

「そういえば、『たてわき』に行くのも久しぶりだよな。いつ以来だっけ?」

「去年の夏のボーナス以来かな」

「そっか。もうそんなに空いてたんだな」

「なに常連みたいに言ってんのよ。わたし達二回しか行ったことないじゃん」

 それもそうだ。初めて行ったのは、お互いの初任給が出た二年前だった。大人の世界を覗いたようで、緊張していたのは今でも覚えている。

 真由美とは小学校から大学まで一緒。筋金入りの幼なじみだ。俺の右隣にはいつも真由美がいた。だからといって、付き合ってる訳じゃない。あんまりも自然になりすぎていて、そんな感情は湧かなかった。

 真由美はいつも俺の付き合う女の話を聞いてくれた。良かったねに始まり、別れれば慰めてもくれた。

 そんな真由美の恋愛話を聞いたのは、一年前だった。ちょうど今時期。今日よりも暖かくて、桜も八分咲きだった。

 聞いてもらってる側から聞く側にまわったのは初めてだった。その時素直に良かったなと言えたのは、俺にも彼女がいたからだったのかもしれない。まあ、心に余裕があったんだろうな。

 それからも、回数は減ったが、今までの付き合いが変わるわけでもなく、時間が合えば会っていた。でも、不思議とお互いの相手を紹介するでもなく、話の中だけの存在だった。

 俺はあっという間に終わってしまったけど、真由美は順調に続いている。決してのろけることはないが、幸せそうな雰囲気を感じる。だてに腐れ縁じゃない。それくらいは分かるさ。

「あのね……」

 突然の真由美の声はあまりに細過ぎて、風にほとんどさらわれてしまい、やっと気づくことができた。

「ん? どうした?」

 真由美はこちらを見るでもなく、俯きがちに歩みを進めている。

「どうしたよ? 詰まるなんて珍しいな」

 他では知らないが、俺の前ではないことだった。

「……。あのね、わたしね……」

 まあ、言いたいことは分かる。しょうがない。俺の口から言ってやろう。

「結婚するんだろ?」

 その言葉に驚くでもなく、歩みを止めて、静かに俺に顔を向けた。

 真由美の顔は複雑だった。いろんな感情がまとまっていないような、そんな色が滲みでていた。

「あれ? 分かっちゃった?」

 おどけて言ったつもりだろうが、上手くはいってない。

「分かるって。俺らの付き合い何年よ? お前が俺を読めるように、俺も読めんだよ」

「へへ。やっぱりそうか」

 俺たちはまた歩き始めた。背中にあたる風に押されるように。

「なあ、彼氏はいつもお前の左隣で歩くだろ?」

「うん」

「それって、すげー落ちつかない?」

「うん。すごく落ちつくよ」

「だろうな。いい彼氏じゃん」

「うん」

「おめでとう。真由美」

「……ありがとう」

 俺の右隣には、今まで真由美しか立ったことがなかった。どういう訳か、付き合う女全部が左隣に立ちたがった。そして、それに俺が落ちつきを感じることはなかった。真由美が右隣にいるとこんなに落ちつくのに。

「一樹、わたしね、本当は……」

「よし。今日は俺の奢りだ。めでたいんだから、割り勘なんて野暮なことは言うなよ」

 遮るように言葉を重ねた。

「うん。分かったよ。奢られてあげるね」

 少し寂しそうに聞こえる真由美の言葉。いっそ風に流されてくれないだろうかと思いながら、俺は歩みを早めた。

 遅れて真由美も肩を並べた。

 まいったな。今の顔は見られたくないんだが。まあ、しょうがない。今夜の寿司は鼻につんとくるんだろうな。

 咲いてもない桜の花びらが、風に舞うのが見えた気がした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 一言、好き。 想像力が乏しい自分にも読みやすくて良かった。 [一言] 個人的にとても好き。応援してます。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ