プロローグ
「岡崎さん! 返してよ!」
今日もいつも通りの学校の風景……。
中学校に登校してきた俺の耳に聞こえる島村の悲鳴、いつもの通り島村が持ってきたモノを岡崎が奪った
のだろう。被害がこちらに向かわない事を願うばかりだ。
「う、あぁぁ……」
そんな事を考えつつ席に着こうとした直前に悲鳴は嗚咽に変わったチラリと目線をやると岡崎が奪ったそれを踏みつけた様だ。いつもは窓から投げ捨てるのに珍しい。そして島村は膝から崩れ落ちて蹲り嗚咽を漏らす。
だが、周りの者らは一部を除き、そんな事は気にもせずに、ほとんどが友人達とのお喋りに興じている。
「おはよー」
席に着き、前の席の少しぽっちゃりとした友人の孝太郎からの挨拶を返す。相変わらず、少しのんびりした口調で話す奴だ。
「で、今日の島村は何を持ってきてたんだ?」
聞いた後に意識を島村に移すと、絶えず嗚咽を漏らしていた島村は同じ言葉を繰り返していた。
「赤まむしィ……」
「セアカゴケグモだってさー」
どうやら今日も教室の平和は岡崎によって守られたようだ。にしても相変わらずのネーミングセンスだ。赤まむしよ……。安らかに眠れ。
「島村くんもこりないよねー」
「登校の時に目と目が合って仕方なく連れて来るらしい。それにしても本当に見境が無いよな……」
「今日は岡崎さんも流石に逃がさずに踏みつけてたもんなー」
「島村も悪い奴では無いんだけどな。流石に毒グモはまずいよなぁ……。あとマリアンヌ」
正直な所、マリアンヌは俺の中でトラウマになっている。あれだけは絶対に許さない。
「ブッ……。ハハハハッ。マリアンヌねぇー。ハヒッ、フハハハハッ」
窒息するんじゃないかという勢いで笑いやがって。なんて友達甲斐の無いやつだ。俺からすればトラウマ物だというのに……。
そう思っていると無意識に睨み付けでも、していたのだろうか? 孝太郎は軽くこちらに謝り。
「でも流石に笑っちゃうのは仕方ないよー。オイラじゃなくても笑うって、正直に言うともう。マリアンヌって名前だけで……」
改めて思い出し、軽く声を引き攣らせながら孝太郎は笑い続けている。いつかこいつには何か仕返しよう。
「だって慎司くんさ。いきなり奇声を上げて涙目になってズボンを脱ぎだすからさー」
「あんなの誰でもそうなるからな! 気が付いたら内股にゲジゲジが這ってんだぞ!」
言い切った瞬間、孝太郎だけじゃなくて近場の席のクラスメイトまで吹き出しやがった! ゲジゲジがこいつらの裾から入って同じトラウマを味わえばいいのに!
「まぁ。もう秋だし冬になったら収まるよ。きっとねー」
そうだといいのだが。などと思っていると、チャイムが鳴り担任の小林先生が入ってきた。席を立っていた奴は各々の席に戻っていく。島村は未だに打ちひしがれていたが……。
「おー島村、今日は何を持って来たんだ? あと席に着けよー」
そんな事は、いつもの事で先生も何があったかは大体理解できているのか、対応もいつもと変わらず。
「ゼアガゴゲグモのあがまぶじでず……」
「とりあえず島村は放課後指導室な」
いや、流石に変わるか……。
その後は先生が、誰かが噛まれて無いかなどの確認をして出欠をとり、島村にポケットテッシュを渡して、ホームルームを始めた。いつも通りの学校風景だ。
そして放課後になり。俺は孝太郎と別のクラスの双子、姉の永久、弟の遥と下校していた。
この双子は少し前まで性格以外で見分けるのがかなり難しかったのだが、最近は遥の声がほんの少し低くなり分かり易くなった。しかし孝太郎を含め、この面子は小学校からの付き合いだが未だに外見だけだと見分けがつかない。初対面だとほぼ分からないだろう。
「にしても、なんでマリアンヌなんやろなぁ?」
道中、島村のセアカゴケグモが話題に挙がり。孝太郎の思い出し笑いから。マリアンヌの話題にシフトした。
畜生め……。
それを聞いた永久がそう問い掛けてきた。
「本人によれば、触角がお嬢様感を出してるから、らしい」
それを聞いた時、島村がこんな感じの名前を付けているのを見たら警戒しようと誓ったのは記憶に新しい。
「そうなん? うちからしたらゲジの足と触角なんて見分けつかんけどなぁ」
「僕も、どっちかって言えば、モップとしか思えんわ」
そう、永久と遥と話していると、いつも通っている道が通行止めになっていた。孝太郎は咽ている。
「工事中みたいやねぇ」
「みたいやなぁ」
「それじゃあ、前の曲道で曲がってみるか?」
「そう言えばオイラも、あの道を通った事ないかも?」
会話に復帰した孝太郎がそう言ったが、そういや俺も無いかもしれない……。
「うちもないなぁ」
「僕もないわ」
「小学校の時は知らない道を通って探検だー。なんてよく言ってたよね」
そう言えばそんな事もあった……。迷って帰宅が遅くなり、親に怒られる事も多かったな。
「なら久しぶりに探検でもしよか!」
「はるちゃん、中学生にもなって探検なんてのは、うちはちょっと抵抗あるで」
朗らかに笑いながらそう言う遥に対して、永久は呆れつつもそう言ってはいるが、別に嫌だという訳では無さそうだった。
「姉ちゃん、人前で、はるちゃんはやめてーや!」
「まぁせっかくだし。少しぶらぶら回ってみてもいいんじゃないか?」
そう俺が言うとみんなも異存が無さそうだったので、久しぶりに探検隊が結成された。こんな事を考える辺り俺も案外楽しみなのかもしれないな。
道を曲がる。そこはいつも通っている道と同じようで、まるで違う。もちろん。端から見れば、なんの変哲もない道だ。しかし、俺には初めて通るというだけでまるで、別世界の入り口を歩いているかの様に思えた。
今、俺たちは誰が言い出した訳でも無く、わざと目的地に向かう道を選ばずに、少し遠回りになる道を選んで進んでいる。ただ見知らぬ道を歩く。それだけなのに、何故、こうも俺はわくわくしているのだろうか? 見知らぬ道、見知らぬ場所というのは、それだけで不思議な魅力があるように思う。
「おっ洞窟発見や!」
不意に、遥が指を指してそう叫ぶ。その先をみると、先の見えない暗闇を押し込めた、大人一人が少し頭を下げれば進める程の空洞がまるで侵入者を飲み込もうとするかの如く口を開いていた。
いや……。こんな事を考えるなんて、かなり浮かれている。正確に表現しよう。かなりでかい側溝の側面に設置された雨水などを排出する放流口がそこにあった。
「入ってみん?」
遥は目の前に餌を置かれた犬のように瞳を輝かせ、そう提案してきた。俺は結構乗り気だったりするのだが、孝太郎と永久の様子を伺うと、孝太郎はともかく永久はかなり嫌そうだ……。
「姉ちゃん安心してや。ここは暗いだけで、なんも出んって」
そういえば昨日、テレビでホラー映画をやっていた。確か下水道が舞台の映画だったか……。
前に遥が、永久は怖がりな癖にホラー映画があると毎回それを観るのに付き合わされると愚痴っていたし。おおかた昨日も付き合わされたのだろう。
「うっ、うちはそんな心配なんてしてへん! ただ暗い中でライトも無いのに危ないやろって思っただけや!」
「スマホでええやん」
「え、うぅ。で、でもなぁ……」
遥がスマートフォンのライト機能を使いながらそう言えば、永久は助けを求める様に俺と孝太郎に視線を向けて来た。俺としては行きたいのはやまやまだが、流石にこれをスルーするのは可哀想だ。
「はぁ……。なら仕方ないわ。姉ちゃんは先に帰っといてええで、僕らはちょっと行ってくるから」
どうやって場を収めるか考えていると遥がそう言い進みだした。永久は少々予想外だったのか困惑している。
俺としては行くならみんなで行きたいと考えていたので、どうしようかとも思ったが。歩き出した遥の様子は少し演技がかって見えたので何か思惑があるのだろうと、後に続く事にした。孝太郎もどうするべきか考えているみたいだったが結局同じようにそれに続いた。
遥は中に入ると、息を大きく吸い込み。
「これからは姉ちゃんの映画鑑賞付き合わんからなー!」
そう叫んだ。後ろを振り返ると永久の困惑していた表情は徐々に軽い泣き顔に変わり、少し逡巡したのち。
「はるちゃんのボケ! ドアホ!」
そう捲し立てながら放流口に足を踏み入れた。そんなに一人で観たくないのか……。
放流口に入ってから、しばらく永久は遥に文句をいい続け、遥はそれを聞き流し。孝太郎は時折、そこにゲジゲジがいる。などと俺に虚言を吐いて爆笑していた。
一度目は身体が勝手に反応して情けない声を上げてしまったが、二度目はスルー、そしたら三度目で本当に居たのが、すごく質が悪い。こんな事で三度目の正直を実践しなくていい。切実にそう思う……。
そんなこんなで俺たちが進み続けていると、小さな部屋に到着した。そこからは俺たちが通ってきた道を含めて四方に道が伸びていた……。
ところで漫画とかだと、分かれ道とかがあると分かれて探索していたりするが、最初から一人ならともかく見知らぬ場所でわざわざ同行者と分かれるなんて不安でたまらないと思う。たとえそれが最善だったとしても俺には実行出来そうにない。
「どっちにいこうかー?」
「真っ直ぐでいいんじゃないか? ここで迷うのは流石にやばい」
こんな場所で迷ったら、景色がほぼ変わらないし正直出られるか分からん。
「やなぁ、うちとしてはもう引き返してもええと思うんやけど……」
そんな永久の呟きと願いを打ち消すように。
「ふっふっふっ……。こんな事もあろうかと準備は万端や!」
わざとらしく笑いながら遥はポケットから何かを取り出した。軽石だ。それを使い、遥は来た道の入り口付近に×と書いた。
「これで帰りも分かるやろ!」
「で、結局どっちいくん?」
引き返す目が潰れたからか不満そうに永久がそう急かす。
「安心してや姉ちゃん!」
そもそも永久からすれば安心も何もないだろうに……。
そう思いつつ遥を見れば鞄から筆箱を出し、そこから短くなった鉛筆を取り手から落とした。そして鉛筆の先端が指し示した方向に指をさして……。
「こっちや!」
安心できる要素なんて無かった。
俺達は鉛筆が指し示した道をしばらく進んでいた。すると今までコンクリートで覆われていた道が終わり。今は土が剥き出しの正に洞窟と言えるような道を進んでいる。
「えらい雰囲気変わったなぁ……」
「ええやん! ええやん! 洞窟らしくなってきたで!」
「さっきまで水路って感じだったけど、これ本当に洞窟みたいだよねぇ……」
道の幅は先程までより広くなり、両手を広げても余裕がある。そして壁面は人の手が入った様には素人目だが思えない……。
今更ながら放水口ということは水が通る事が前提に作られている筈だ。ならばコンクリートが途中で途切れて土に変わるなんて事あるのだろうか? 知識が無いので断言は出来ないが、普通に考えると落盤のリスクが高くなると思うのだが……。
「なぁ一度戻ってみないか?」
考えた末、臆病風に吹かれ、撤退を提案する事にした。
「えぇー。折角の洞窟やで?」
「オイラも戻った方がいいと思うかなー。流石に本当の洞窟だと装備も知識も足りないだろうし危ないかも?」
遥は少し不服そうだが、孝太郎は俺の意見に賛成してくれた。あとは永久だが……。
「孝ちゃんもかぁ……。姉ちゃんは……。まぁそうよなぁ……」
永久が残りたい理由なんてそもそもなく、軽く見てそれを察した遥は自分以外の全員が撤退を考えていると認識し、それならば仕方ないかと折れてくれた。
だが戻った先、そこにはコンクリートの道はなく、周囲と同じ土の壁が俺たちの退路を閉ざしていた……。