ひねくれの僕と、今ここにいない君。
――星に願いを
いつか誰かが使ったその言葉はひどくロマンチックで、けれど少し投げ遣りにも思えました。
星にまで願って叶えたい夢があるってのは結構だと思う。
だけど、願いを掛ける星と地球との距離を想像すると、どうしても『星に願いを』なんて気にはなれません。
それなら、居るかどうかも判らない神様に祈る方がましです。
「ひねくれてるなぁ……」
そう、僕はひねくれていました。
正月は初詣なんて行かない。節分も、端午の節句も、大晦日も。
どれもこれも、素直に楽しめません。
そんな訳で、今まで一度たりとも行事に参加したことはありませんでした。
風の死んだ晩夏は、半宵の頃。
むわりと蒸した空気の立ち込める東京は、茹だるような暑さでした。
日付は、ちょうど7月30日になったばかり。
世間が夏休みだ何だと浮き足立つようになってから、一週間が経ちました。
「夏休みぐらい、こんな仕事は御免したいなぁ……」
僕はとある家の玄関先に立ち、呟きました。
ここまで来たら、もう仕事は半分くらい終わったも同然です。
あらかじめ下見して控えておいた、シリンダーキーの鍵番号。
それを元に業者に作らせた「合鍵」を、鍵穴に差し込む。
右に回せば、あら不思議。簡単に鍵は開いてしまいました。
(お邪魔しまーす)
洒落の一つも言ってやりたい所ですが、バレたら不味い。グッと言葉を飲み込んで、扉を閉めます。
もちろん、音は鳴らしません。方法はまあ、企業秘密です。
少し闇に目を慣らして、玄関を上がりました。
(さてさて、お目当てのもんは……)
よくあるブツの置き場のパターンは、タンスや冷蔵庫が多かったりします。
次くらいに「まず家に置いてない」とか。後は、「本棚に通帳」とかです。
逸る気持ちと緊張を噛み殺し、居間に入ります。
目の前に階段、右手に居間。奥にトイレと風呂。
二階に上がれば、部屋が二つ。手前に空部屋。奥に標的の女の部屋があるようです。
本当にまあ、一人暮らしには過ぎた家の広さです。
ですが、調度品や貴金属の類いは、驚くほど少ない。
それだけが、いやに引っ掛かりました。
(ケッ……)
吐き棄てたくなるのをグッと堪えて、探索を続けました。
まずは居間。次いで、トイレと階段下の収納スペース。
目当ての現ナマは見つかりません。
それでも焦らず、抜からず、抜き足差し足忍び足。二階へと足を運びました。
階段の両端に足を乗せて上れば、階段が軋む音はしません。
床だって継ぎ目を踏んで足を抜けば、床は軋まないのです。
程なくして、二階へ上がりました。
二階へ上がってすぐの空き部屋にも、現ナマはありません。
(残るは女の部屋か……)
出来れば手を付けたくはありませんが、そろそろ今月の生活費が危ない。
多少の無理やリスクは、スリルの内です。
(起きませんよーに……)
祈りつつ、僕はドアノブを捻りました。
捻ってから、「堅実に別の家を狙えばよかった」との念が頭を過ります。
だがそれも、今となっては後の祭りです。
扉を開けた僕の耳には、乾燥した音が怒濤の勢いで押し寄せていました。
「いらっしゃいませ~!」
咄嗟に身構えて、呆然としました。
目の前の少女が持っているもの。乾燥音を発したそれは、賑やかな色合いのクラッカー。
馬鹿馬鹿しくて仕方がありませんが、泥棒を脅かすには案外ぴったりかもしれません。
……と言うか、何故彼女は起きているのでしょうか?
「待ってましたよ~」
母音を伸ばす独特の口調。
まったりとした緩い雰囲気を醸し出す少女は、僕を見てにこやかに笑います。
僅かに傾げた首と呼応するように、肩に掛かる長い髪がふんわりと揺れました。
本当に人の髪の毛かと疑うほどに柔らかな髪が僅かに掛かる顔は、夜中にも関わらず、目の覚めるように端正でした。
「待ってましたよ~」
「それはもう聞いた」
「私は壊れかけのレディオ、ですから~」
「普通の会話をしてくれません?」
この時点で、僕は確かに理解しました。
今日の仕事の失敗と――目の前の少女に、僕と会話をする意思がないと言う事に……。
「それで、あなたは何ですか?」
この子は本当に、頭が沸いているのかと思いました。
泥棒を捕まえて名前を聞くとは。
今年の夏も暑いですから、それで頭が沸いてしまっていても無理はありません。
その点で言えば、盗みを働く僕も十分に頭が沸いています。
ともあれ、僕が頭のおかしい子に捕まってしまった事は確かです。
この子が警察を呼べば、僕はたちまちブタ箱行きでしょう。
そして、泥棒に入られて警察を呼ばぬ日本人などいない。
「もう、どうでもいいや……」と面倒になった僕は――
「泥棒です」
と答えました。
とある場面を思い出した僕は、皮肉を籠めてそう名乗ったのです。
少し前に流行った、サル面の大怪盗の映画。
お姫様を救おうと姿を現した泥棒が、怯えるお姫様に「泥棒です」と名乗る。
僕はその場面が、大好きでした。
「泥棒さんですかー。最近よく来るのは、下見だったんですねー」
「そうかそうかー」と頻りに頷く少女。
どうやら、計画の段階からバレていたようです。
八軒目の仕事にして、僕の運命は終わってしまったようです。
諦めがちに見回した室内には、青々とした若竹がその存在感を主張していました。
今日は7月30日。七夕なんて、とっくに終わっています。
「竹……」
「そうです! 竹です!」
何故か少女は、パッと顔を輝かせました。
ただの竹が、どうしてこうも彼女を刺激させるのでしょうか。
僕は首を捻り、訊ねます。
「竹……が、どうかしたんですか?」
すると少女は、憤然として答えます。
「私、今年まだ七夕やってないんですよ!」
「子供かよ」
「まだ17です」
知ったことではありません。
第一、僕は年中行事の類いは嫌いです。仮に好きだったとしても、過ぎた行事を掘り返してまで楽しもうとは思いません。
「過ぎたことはもういいでしょ」
「何を言うんですかー! 行事は年がら年中楽しいものですよ!」
「謎理論ですね……」
「と言うわけで、七夕祭りの開催です!」
「謎理論で開催!?」
この時、僕は確信しました。
この女、とてつもないバカだ――と。
○△□
気付けば僕は、鼻息の粗い少女を背に短冊を書いていました。
何故こんな事になったのか、と記憶の糸を辿れば、僅か二行で片付きます。
『通報しますよ~?』
『やります』
何を書こうかさえも決めず、その場凌ぎの一心で了承した僕は現在、見事に頭を抱えていました。
短冊を書こうにも、僕は一度も短冊なんて書いたことがありません。
僕がいた孤児院では、年中行事の類いは宗教ばりに強制されていたからだ。
「これ、なんて書いたらいいんですかね?」
「知らないです」
「えっ」
「私も書いたことないので」
なんと言うことでしょう。これは所謂「毒味」。
少女は僕に、自分がしたことのない事をさせようとしているのです。
言わばこれは、地雷原を歩かされるのと同じ。問題なのは、地雷原を渡った先には何もない、と言うとこでしょうか。
「じゃあもうテキトーに、『お金が降ってきますように』でいいんじゃないですか?」
お金が欲しいから、僕はこの家に忍び込んだんですよ。
「じゃあ『通報しないでください』で」
「じゃあ私は『お願いの仕方を間違えないように』で~」
「それ、お願いじゃなくて「警告」ですよね? 僕に対しての」
末恐ろしい少女です。きっとこの天然で、何人もの男を泣かせてきたのでしょう。
ですが、それでもこの少女と付き合いたい男は後を絶たないのでしょう。
かく言う、僕もそうです。僕は彼女の不思議な魅力に、僅かながら惹かれてました。
とは言え、関係性を築きたいとは思いませんが……。
「できました~」
突然、背中で少女の声が上がりました。その声は、どこか得意気です。
どうやら少女は、僕よりも先に短冊を書き上げてしまったようです。
「流石は言い出しっぺ。で、何を書いたんです?」
すかさずおだてて、内容を聞き出そうとします。
内容によっては、僕もそれを真似てしまおうと言う魂胆です。
「ヒミツですよ~」
ですが、そうそう上手く行くもんじゃありません。僕の企みは、即座に儚くも打ち砕かれてしまいました。
もう頼るものはありません。半ば投げ遣りな気持ちで、僕も短冊を書き上げます。
その頃にはもう、空は白み始めていました。
「……朝が来ます」
何を思ったのか、少女はいきなりそんな事を言い出しました。
僕は「見りゃわかりますよ」とだけ返します。
だけど僕は、少女がどこか怯えているように見えました。
「早く短冊を飾りましょう」
語尾を伸ばさなくなった少女の声を聞いて、僕の懸念は段々と現実味を帯びてきます。
「朝になると何かあるんですか?」
「気にしないでください、お楽しみです」
何がお楽しみなんだろう?
僕は首を捻りました。空の白さはじわじわと、しかし確実に目立つようになってきています。
庭に出て、地面に竹を立てました。いや、具体的には「立てるように命令」されました。
部屋にストックできる程の大きさとは言え、若々しくも太い竹はかなり重く、立てるのは一苦労です。
「もう、早くしてくださいよ」
しびれを切らした少女が手を貸してくれます。
その手はいやに白く冷たく、白みがかった空に透けて見えるようでした。
「飾りましょう」
冷たい色の夜明けの空に、少女の冷たい声音が響き渡りました。
この世ならざる者の声を聞いてしまったようで、僕の背筋にはあばたが走ります。
僕はたまらず、「何を焦っているんですか?」と訊ねました。
すると少女は何かを躊躇うように振り向いて、モゴモゴと口ごもります。
「話してもらえませんか? 行きずりの泥棒だからこそ、言えることもあるはずです」
僕がそう言うと、ようやく少女に決心が付いたようでした。
何があっても受け入れてやろう。僕はそう思いました。だって、泥棒だから。だって、今日が過ぎれば無関係になるのだから。
「私ね~、ホントはここにいないんですよ」
短冊を僕の手に握らせ、少女は弱々しく笑いました。
「なんと言うか、「生き霊」? みたいな感じで、今喋ってる私は本当の私じゃないんです」
当然僕は、彼女の話を呑み込めません。
驚くよりも先に、僕の頭には疑問符が浮かびました。
「そうなんですか……。それで、本体は?」
とりあえず、納得した体を装っておきます。
でないと、僕は警察にパクられそうだったから。
「わかりません。ある日急に意識を失って、次に目を覚ましたら家にいました」
少女の口から語られるのは、凡そ信じられない事の連続でした。
何せ、今ここに彼女はいないと言うのです。
「あなたと出会えて、よかったです。ドロボーさん」
消え入りそうな程弱い笑顔で、少女は僕に笑いかけました。
「それは……」
そこまで言い掛けて、僕は口をつぐみました。
警察を恐れたのではありません。合点がいったのです。
場数を踏んだ泥棒に、悟られることなく待ち伏せするなんて事は、中々出来ることじゃありません。
それに彼女が幽霊の類いだと考えると、白んだ空に透けた掌にも合点がいきます。
「あれ? 手が透けるって……」
ふとした事を思い出して、僕はいつの間にか外していた視線で、もう一度少女を探します。
そう言えば、今までうっすらと感じていた少女の気配を感じません。
「い、いない……?」
そこには、もう少女の姿はありませんでした。愕然としながら周囲を見渡します。
残月は遥か遠くで朧気に、朝焼けの陽は燦然と煌めいていました。
町の外では車のエンジンが唸りを上げ、新聞配達のバイクが世話しなく動いたり止まったりを繰り返しています。
朝が、やって来たのです。
そして、少女は消えてしまいました――
◇◆◇
あの日の事は、幻だったのでしょうか?
夜が明けた今でも、それは分かりません。
けれど確かに、僕の手には彼女の短冊が握られています。
『ドロボーさんと、また逢えますよーに。 一条華織』
そして、もう一つ。
僕は今、「一年前の」少女の隣にいます。
二人で飾った短冊を背に、そっと手を繋いで――