勇者召喚される前にクラス転移でBW(バトルロワイヤル)
「えー、皆さん。この度は、勇者召喚選考にお越しいただきありがとうございます」
僕達の前に突如として現れた少女は優しい声で言った。
光り輝く髪と全てを照らす白い肌を持った小さな少女は、ペコリと可愛らしく頭を下げた。
だが、そんな丁寧な動作に反して、恐らく僕達は全員が全員そんな些細な所作など気にはしていなかっただろう。
何故ならば――少女は宙を浮いていた。
いや、本当は宙になど浮いていないのかも知れない。少女自信が光を放っているがために、視界が奪われ薄目でしか確認できないからそう見えるのか。実際、彼女は小柄な身長のおばあさんなのかも知れないし、宙に浮いているように見えるのは、背中にワイヤーが付けられているからなのかも知れない。
光の中に浮かぶシルエットしか僕には見えなかった。
ただ――、誰もが少女の声に何も言わないのは、まだ、状況が把握しきれていないからだろう。
薄目で周囲を見渡しても何もない。
真っ白な空間に人々がいるだけだ。
少女の発する光で正面に立っている人間が誰なのか分からないが、辛うじて僕の横に立っている人間は分かった。
相山 力。
神名高校3年E組。出席番号一番の男である。生徒会長を務めたこともある冷静沈着な男ですら、この状況にみっともなく口を開けていた。
誰しもが、少女の次の言葉を待っている中、
「おい! なんだよここ! てか、眩しいんだよ!!」
と誰かが声を上げた。
いや、僕はこの声を知っている。
彼もまたクラスメイトだ。
植松 竜一。彼はいわゆる不良と呼ばれる生徒であり、何人かのクラスメイトを従えている男だった。
小柄ながらも固く密集した筋肉を持つ彼の力は、クラスで一番だろう。僕などでは、相手にもされない。
「ごめんんさい。ただ、まだ、あなた方には私を見る資格はないのです」
「なに?」
「あなた方はまだ、完全に選ばれたわけではありません。ここからは、自分の手で勇者になる権利を掴み取るのです」
「なに? 勇者? 何言ってんだよ、てめぇは!?」
少女の言葉に一層苛立った声を上げる竜一。そんな中、僕の後ろのほうでコソコソと相談するような声が聞こえてきた。
どうせ目を開いていても眩しいのだ。目を閉じて後ろの会話に集中してみると、小さいながらも男子生徒たちの声が聞こえてきた。
「こ、これって、異世界に召喚されるのではないか?」
「しかも、クラス転移じゃないか……」
話している二人の男達は、恐らく長津 一樹と渡辺 勇人だろう。彼らは常に二人で一緒にいる仲良しで在り、二人共かなりのオタクであろう。美少女アニメのグッズやファイルを恥ずかしげもなく教室で使っているのをよく見かける。
長津は細身で肉付きの薄く、勇人は100㎏近い体重の持ち主だ。
二人そろって平均体重と女子達に揶揄われていた。
クラス転移に異世界か。
僕はアニメには詳しくないが、ネットのまとめサイトでそう言ったジャンルが人気だという記事を読んだことがある。その時は特に感じなかったのだが、まさか、現実にあるとは。
……現実にあるか?
ふと、これはただ、自分が夢を見ているだけではないかと不安になり、自分の左手をツネってみるが、しっかりと痛かった。
夢じゃなかった。
もっと、軽い力でツネれば良かったと後悔したが、
「あなた方に一人一つ。特殊な力を与えました。その力を使って、この中で一人になるまで戦うのです」
たったそれだけの情報を残して少女は消えた。
少女が消えることで光も消失した。
「……っつ」
眩しさから普通の光になれるにつれて、全体が見えてきた。部屋は最初に感じた通り真っ白であり、壁や天井は見られない。全体が白一色なのでそう感じるだけなのだろうが。
集められている人数は29人。
ちょうど、僕たちの暮らす人数と同じくらいだった。
「いや、一人足りないか」
その場にいる人の顔を確認すると、やはり、全員見知った顔で、僕のクラスメイトだった。皆も視界が慣れてきたのだろうか、それぞれが仲のいい友人たちと固まり始めた。
「ねぇ、これなんなわけ? あんたら知ってるんでしょ!」
少女がいなくなって初めて声を出したのは、ギャル集団のボスであり、植松 竜一の彼女でもある鈴木 杏樹だった。ネコ目に軽くウェーブのかかった髪。短いスカート。そんな彼女が話しかけたのは、彼氏――ではなく、僕の後ろにいた長津 一樹と渡辺 勇人だった。
「あんたらが、コソコソ話してたのは知ってんだよ。なんだ! これ、お前らが仕組んだのか!」
「ち、違うって」
女子生徒とあまり話す経験がない二人は互いの手を握り合うようにして、鈴木 杏樹から視線を反らして答えた。
「じゃあ、なんだ! あたしらは教室にいたはずだろう!」
確かにそうだ。
僕たちは昼休みを終えて午後の授業が始まるのを待っていたはずだ。それなのに、教室は消え、こんな何もないような場所に全員が移動していた。
常識では考えられない。
だとしたら、やはり、
「た、たぶん。勇者召喚ってやつだと、お、思うよ。な、なぁ」
「あ、ああ」
「だから、それが何か聞いてんだよ!」
おどおどとした態度が気に入らないのか、自分の質問にはっきりと答えない二人に鈴木 杏樹が詰め寄った。
「鈴木 杏樹さん。落ち着いてくれ――。ほら、植松くんからも言ってやってくれ」
半ば脅迫に近い形で二人に問いかけていた鈴木 杏樹を止めたのは、相山 力だった。元生徒会長として、この状況を整理した方がいいと思ったのか、彼氏である植松 竜一に助けを求めた。
「杏樹……。落ち着けって。こいつらがなにか知ってんなら説明して貰おうぜ」
「竜……。分かった」
そう言って彼氏の膝に座り甘え始める。
「で、勇者召喚ってなんだよ」
鈴木 杏樹の頭を撫でながら植松 竜一が聞いた。
「あ、ゆ、勇者召喚っていうのは、い、異世界から人を呼ぶことなんだ。大抵、その場合は、不思議な力が与えられ、まさしく勇者となり得る力を使って、その世界を救うんです」
「よく分からねぇな」
不良である男はあまりそう言ったジャンルには疎いのか首を傾げた。だが、他のクラスメイトは理解できた者が多いようで、何人かが頷いていた。
「要するに世界を救えばいいんだろ?」
「そ、そうなんだけど……。これはちょっと違うっていうか」
「なに?」
「あ、そ、その……。さっき、少女が言ってたでしょ? 一人になるまで戦えって。つまり、この中で最後に残った一人だけが、勇者召喚を受ける権利を得るんだと、お、思います」
普通に考えてそう考えるしかないよね。と、僕は周囲の人間と思考のズレがなかった事に安堵する。最期の一人になるまで戦えってことは、クラスメイト達とバトルロワイヤルをしろと言うことなのか。纏まって手を繋いで励まし合っていた女子生徒たちが急に手を放した。
「最後の一人になるってなんだよ。殺し合えばいいのか?」
植松 竜一は残酷な笑みを浮かべると、迷うことなく彼女の頭を撫でていた手を止めて、両手を首元に移した。
鈴木 杏樹が苦しそうな表情を浮かべる。
彼女の取り巻き達が「ひっ」と、小さな声を洩らした。
「勇者だかなんだか知らねぇが、久しぶりに来たらこれって、イラつくんだよ」
「りゅ、竜……」
鈴木 杏樹が救いを求めるようにして彼氏を見るが、腕に込められた力は増したように思えた。流石にヤバいと思ったのか、竜と同じグループに所属している仲間が、二人係で押さえつけた。
「おい、竜一、やめろって。本気で殺す気かよ」
「そうだよ! まだ、殺し合うって決まったわけじゃないし、それに、時間が経てば助けが来るかも知れないだろ?」
「……ちっ。悪かったよ。杏樹、ここにこいよ」
「う、うん……」
首を絞められ殺されかけたにもかかわらず彼氏に従う。僕には理解できないが、今は鈴木 杏樹を理解する場合ではない。
植松 竜一。
ただの不良かと思っていたけど、平気で人を殺そうとするとは。
僕は冷静に自分の中の暮らす名簿にチェックした。
「と、取り敢えず、出口がないか、皆で探してみないか?」
相山 力が提案した。
誰もがあんな光景を見た後では、自ら意見を出そう問わせずに黙ってその提案に従うのだった。クラス30人――いや、この場にいるのは29人か――で、ぞろぞろと歩き出す。
そんな折に僕の元に二人の友人が集まってきた。
「なあ、これ、本当に現実だと思うか?」
「現実だろ。こうして、互いに話してるわけだしさ」
二人は武道家コンビと呼ばれていた。小学校から高校まで、僕と同じ学校に通う幼馴染というやつだ。
髪を坊主にした体格のいい男は、佐藤 浩二。
クラス内に置いて腕力だけならば植松 竜一を上回るのではないかと称される肉体の持ち主だ。その並外れた体格は、柔道でもいかんなく発揮され、県大会で優勝している。
一方、眼鏡をかけた冷静に見える男は、五十嵐 雄介。その知的な外見とは似合わずに剣道二段の持ち主だ。小さいころから祖父に教えを受けているからか、彼もまた県大会で優勝していた。
累は友を呼ぶ。
そう言いたいが、僕がそこに入ることで、その言葉の信憑性が一気に薄くなる。武道家どころか部活無所属だ。
とはいえ、彼らはそんなことで人を差別するような人間ではなく、小学校の時と変わらず僕に接してくれているのだけれど。
「植松……ヤバかったな」
眼鏡の位置を直しながら五十嵐 雄介は言った。
「ああ」
佐藤 浩二は体格通りの低い声で同意した。
「まさか、自分の彼女を殺そうとするなんてな」
「悔しいが余りの唐突さに出遅れた。もしも次があるなら――俺らであいつを止めるぞ」
『次』と二人は確認し合った。
クラスメイトで戦えと言われた。僕が植松 竜一を警戒するように、二人もまた、僕と同じように警戒対象に入れたのだろう。
戦う相手として。
「駄目だ――。ここから先は進めない」
先頭を歩いていた相山 力が足を止めて後ろに続いていたクラスメイト達に両手で大きくバツを作り、先に進めないことを告げた。
「なんだ? 俺、ちょっと行ってくるわ」
五十嵐 雄介が相山 力の元に歩いて行った。
二人は成績上位同士で気が合うのが、時々、勉強について意見を交わしているのを見たことがある。成績が高くない僕と佐藤 浩二は彼らに何度救われたことか。
一言、二言と言葉を交わした五十嵐 雄介が僕たちの場所へと戻ってきた。
「なんだ。力はなんと言っていた?」
「なんか、見えない壁があって先に進めないってさ」
後ろを右の親指で指す。
差された指の先には本当に壁があるのか、自分たちの手で確認しようとするクラスメイト達がいた。何人も挑戦していくが、数十年の年季を積んで習得したパントマイムのように力を込めて壁を押す。
当然、この中にパントマイムが得意な生徒は一人も居ないので、壁があるのは事実だ。
「つまり、閉じ込められているということか」
佐藤 浩二が腕を組んで低く唸る。壁を伝ってどこかに繋がっていないかと諦めずに歩く仲間達もいるが、ぐるりと円を描くようにして歩いているだけで、この空間から抜け出せはしなかった。
一通り歩き回ったことで体力を使ったからか、歩き回っていたクラスメイト達は皆、真っ白な地面に腰を落とし、誰もが黙っていた。
いつ、助けが来るのかも分からない中で、こんな何もない場所でいつまでも待つなんて、普通の高校生たちに出来るわけはない。
「腹減ったな」
「ああ」
助けが来る以前に――この場所には食料も水もない。人は何も口にしなければ一週間は持たないと聞いたことがある。更に空腹は人の思考を奪い蝕んでいく。
どうやら、あの少女は僕たちをどうしても戦わせたいようだ。
勇者召喚とか世界を救うとか、そんな空想、どうやって信じろと言うのか。未だに信じられない僕は、これからどうやって生き延びるかと僕が思考を始めた。すると、一人の女子生徒が、僕たちクラスメイトに幻想と言う名の現実を突きつけた。
人が氷を作り出すことは出来ない。機械などがあればできるかもしれないが、生身の人間が、氷の結晶を花開かせることなど聞いたこともない。
「おお!」
美しく透き通る結晶に僕たちは思わず歓声を漏らした。しばらく、クルクルとその場で回る結晶を眺めていたが、ガラスの割れるような音と共に砕けて消えた。
結晶を操っていたのは、今井 藍。小柄だがハキハキとした態度で話す小動物のような女子生徒である。
「ちょっと、これ、藍がやったの?」
「あ……。え、うん」
氷を操ると言う〈魔法〉のような現象を起こした今井 藍に対して、彼女の友人たちは興奮していた。
だが、興奮して騒いでいる友人を退かして、鈴木 杏樹が身を乗り出した。
「藍……。どうやったか、私に教えてくれない?」
「あ、うん、いいよ。杏樹ちゃん。目を閉じて心を落ち着けようとしていたら声が聞こえてきたの。その声に従ったら――こんなことが」
今井 藍はもう一度、氷の結晶を作り上げた。結晶ができるまでの過程は美しく、クラスメイト達は目を奪われているが、僕だけは、果たして、今井 藍と鈴木 杏樹は名前で呼び合うほど仲が良かったかと首を傾げる。
まあ、女子は名前で呼び合うことは普通なのか。フルネームで人を呼ぶ僕が可笑しいのか。
「これが……最初に言っていた与えらたっていう特殊な力なのか?」
僕の隣で五十嵐 雄介が呟く。
「目を閉じて心を落ち着ければいいのか」
すぐに自分に与えられた〈力〉を目覚めさせようとする。確かに今まで、脱出を試みたりと自分の心と向き合う時間はなかった。
僕も佐藤 浩二も目を閉じて、自分の心の中にへと潜っていく。
目を閉じると白の空間になれた瞳は瞼の裏の闇を見つめる。その闇が映し出すものは何もない。ただただ、全てを黒く塗りつぶす。瞼から僕は腹の底にへと感情を落とす意識をする。深く深く沈んでいくイメージだ。
すると、
「あなたの〈力〉は『力の無効化』です」
少女の声が頭の中に響いた。
「イメージするのです。自分の周囲のモノが全て停止するイメージを」
僕はその声に従って〈力〉を使ってみるが何も起こらない。
そうか。
すぐにその理由に僕は気付いた。
『無効化』と言っていた。
ならば、今、誰も〈力〉を使っていなければ、当然、その効力はない。皆が自分に与えられた〈力〉を確かめようとしているのに、僕が邪魔してはいけないと瞼を開ける。
……。
僕の鼻先を日本刀が掠めた。
「悪いな。これが俺の〈力〉みたいだ」
物騒な刃をなれた手付きで扱う。流石は剣道有段者。もっとも相応しい武器を手に入れたことになる。
クラスメイト達の中にも、武器を呼び出すような〈力〉を持った者はいるようで、拳銃や弓、ハンマーなどとゲームや漫画ではなじみ深いが、日常生活では見ないような武器を手にしていた。
「ふむ。俺はどうやら風を掴む能力のようだ」
「なにそれ。面白いな」
「……声に従ったが良く分からん」
「意味ないじゃんかよ」
中には自身の〈力〉の使い方を分からない人間もいるようだ――否、もしかしたら人に知られたくないのかも知れない。この〈力〉は生き残るための勝ち残るための手段として渡されているのだ。むざむざ人にバラさないほうが賢いのだろう。
僕も良く分からなかったと佐藤 浩二に便乗した。漫画やらゲームの影響で、無効化できる技はロマンがあるようにも思うけれど、現実では役に立たない。五十嵐 雄介や佐藤 浩二のように生粋の武道家であれば、実力勝負に持ち込めるため有利だろうが、残念ながら僕は弱い。握力30だ。
殆どのクラスメイトが自分の持つ能力に気付き始めた頃。一発の銃声が無垢の空間にへと響いた。
「おい。お前ら全員、取り敢えず自分の〈力〉を全員に教えろ」
引き金を引いたのは植松 竜一。任侠物のやくざのようにだらしなく銃を構えクラスメイト達を脅していた。
「俺だけに教えろって訳じゃねぇ。クラス全員で把握しようって言ってんだ? 平等だろ? 平等」
確かに内容だけを聞けば全員が互いの〈力〉を把握すれば、信頼の証――とは、いかなくても変に疑心暗鬼になることはないだろう。
もっとも、それは自己申告で嘘を付かなければの話だ。
当然、この状況。
嘘を付く人間は絶対に出てくるはずだ。
現にこの話を切り出した植松 竜一はイヤらしく笑っていた。あの笑顔には絶対なにか裏がある。誰もが分かっているからこそ、進んで申告する人間はいなかった。
沈黙のまま10分は立っただろうか。
気味の悪い笑みは次第に怒りへと変わっていき、植松 竜一の横にいた鈴木 杏樹に銃口を突きつけた。
「おい、誰も言わねぇなら。お前が言えよ!」
「で、でも……」
「なんだ。俺を信じてないのかよ」
「そんなことはないけど……。でも、余り人に知られたくないから……」
「あっそ」
植松 竜一の握る拳銃から弾丸が放たれた。鈴木 杏樹の右のこめかみに突きつけられた銃口から。頭部を貫いて弾丸が地面に刺さる。
赤黒い血液が白を染めた。
数秒間、クラスメイト達はなにが起きたのか分からなかったようだ。僕も信じられなかった。付き合っていた人間を、殺すなんて。
何人かの女子生徒が悲鳴を上げて植松 竜一から離れるが、しかし、見えない壁に遮られ、人殺しの視線から逃れることは出来なかった。
「おーい。逃げんなよ。殺されたくなかったら戻ってこーい」
拳銃を適当に打ちまくる。
頭を抱えてその場に残った者は伏せていた。しばらくすると弾丸の嵐は収まり、クラスメイト達は一か所にへと集まっていた。
「ほら、じゃあ、教えてくれよ。誰からだ……?」
「僕から言おう。僕の〈力〉は――」
相山 力が先陣を切って自信の〈力〉を皆に伝えようとする。そうすることで、すぐには殺されないとアピールしたいようだ。だが、そんな彼の行動は虚しく、一人の男子生徒によって阻止された。
「はぁー。良かった。まだ、殺し合いはしてないみたいだね……。何とか間に合った」
「木梨くん……」
相山が突如として現れた男子生徒の名を呼んだ。
木梨 空。
最初からこの場にいなかった30人目のクラスメイトだった。
「焦ったよ――。教室に戻ったら誰もいないんだもん。一人で待ってたらさー、教室に変な少女が入ってきて、勇者召喚とかわけわかんないこといってくるし」
そんな風に早口に話す木梨 空を、誰もが不気味に思っただろう。何故ならば、彼は教室では殆ど声を発することはなかった。いつも一人で本を読み、時々、人を小ばかにしたような目で同級生を見ていた。
そんな視線が気に入らないと植松 竜一に目を付けられ、かなりひどい目に合わされていた。噂では一人でトイレで食事をしているとか。
「なんだ、お前。珍しく話してるじゃねぇか。なんか久しぶりに見たけど気持ち悪い顔だな」
「あー、はいはい。そうだね。でも、知ってる? 君も思ってるほどカッコよくないよ? 社会に出たら急にモテなくなるタイプだね。お山のお猿さん的な?」
虐められていた相手に対して日頃から思っていた鬱憤を晴らすがのように悪口を言う。言う方は気持ちいのかも知れないが、植松 竜一としては、一気に怒りが頂点に達したのだろう。
手にしている拳銃を向けて銃弾を放とうとするが、
「待て! 少女と話したと言うのならば、俺達に知らない情報を持っているかもしれない」
クラスの中で唯一、腕力で対抗できる佐藤 浩二が言った。その隣には武道家コンビの相方が日本刀を持っているのだ。二人の〈力〉が分かっていない以上、無視するのは危険だと思ったのか、植松 竜一はその声に従った。
「木梨……。良かったらお前が少女と話した内容を教えてくれないか?」
「えー、どうしようかなー。そうだなー。女子達が全員、下着姿になってくれたら考えようかな?って、あれ? くそビッチ死んでんじゃん。なんだよ。殺したかったのに」
「木梨くん。君はどうしたんだ。そんなことを言う人間じゃなかっただろ」
「は? お前が何言ってんだ似非優等生。何もせずに黙って地獄のような毎日を送るのが、俺みたいな人間には相応しいってか? 黙って虐められてろってか? ふざけんなよ! いいから、女子達は全員、服を脱げ!」
ヒステリックに叫ぶ木梨 空に従う女子は誰もいなかった。
「なんだ? どうした? そんな態度を取っていいのか? 俺はな――お前らと違ってあの少女から直接――」
と、少女から特別に何か教えて貰ったのだと口に出そうとしたが、木梨の声は銃声にかき消された。
「あー、もういいや。喋んなよ」
佐藤 浩二に止められていたが、偉そうに理不尽な命令を出す木梨 空に耐えられなかったようで、二人目の犠牲者を生み出した。
「…………」
何故、撃ち殺したのか。何か言おうとしていたじゃないかと僕たちは思ったが、女子達が放つ空気を感じ、植松 竜一を責められなかった。
「なに、話したかなんていいだろ。こいつは元々いないような人間なんだ。後からこようが、最初からいようが変わんねぇよ」
この空間に現れて数分で死体になってしまったクラスメイトを乱暴に蹴った。いくら、態度が悪かったと言えど、撃ち殺すなんて……。二人目の死者が出たことによって、クラスの空気は植松 竜一に掌握されたと言ってもいいだろう。
何も言っていないのにクラスメイト達が自身の〈力〉の説明を順番に始めた。
「お前たちは言わないのか?」
クラスメイト達に自身の能力を教えていないのは、僕、五十嵐 雄介、佐藤 浩二だけになった。
「言うよ。別に俺は、見ての通りだから、説明は要らないかなって思ったんだけど……」
植松 竜一と同じで武器を呼び出す〈力〉だと告げた。確かに五十嵐 雄介は〈力〉が分かってからずっと日本刀を握っていた。
「俺と同じか……」
「そ。同じだよ」
「まあいい」
「そりゃ良かった」
二人は何か無言の探り合いをしているかのようだったが、植松 竜一は納得はしていないが、深くは追求してこなかった。次に佐藤 浩二に銃口を向けた。
恐らく、植松 竜一が一番〈力〉を知りたい存在だろう。
「俺か? 俺は『風を掴む力』らしい。使い方は分からんがな」
と、自分の力の使い方も分からないと言った。そんな取って付けたような嘘を他の人間が言っていたら頭を撃ち抜かれていただろうが、佐藤 浩二は無事だった。
警戒しているがタメに深読みをしているようだった。
最後に残った僕も観念して、自分の〈力〉が使えないものだと告白しようとした。
だが――僕の視界にピクリと動くものが入った。
「なんだ? お前、言わないつもりなのか? たく。こういう状況になると弱ぇやつらが調子にのるんだよな」
僕に対していら立ちを見せる。
植松 竜一の言う通りだ。僕はクラスで浮いていると自覚している。さっき殺されてしまった木梨がクラスにいなければ、あそこで死んでいたのは僕かも知れない。
たまたま、僕より目つきが悪くて、成績が悪くて、運動が出来なくて、少し変わっていた。
本当にどれも紙一重で僕が勝っていたからこそ、今のクラスのポジションにいられたのだ。
「おい、何してんだよ。早く言えよ」
五十嵐 雄介が僕の身を案じてか肘で僕を突っつくが、僕は黙って木梨 空の死体を指差した。
「……なに?」
植松 竜一も指差す方向が気になったのか、首を僅かに横に向けて、自分は蹴り飛ばした死体を見つめた。
ピクリと動いたように見えたのは僕の勘違いじゃなかった。
「あ、あああ」
と、身体を不自然に起こしていく木梨 空。その不気味な雰囲気に当てられてか口に手を当て吐き出しそうになる女子もいた。
「はぇー。へぁー」
荒い呼吸を整えることなく不気味に笑う。
「言っただろう。俺はお前たちとは違うんだよ! 俺は選ばれた人間だ! 選んだ人間だ! お前たちは〈力〉を与えられたようだが、俺は自分で選んだんだ! 一番、勝率の高い〈力〉をなぁ!」
木梨 空はゆっくりと植松 竜一に向けてゆっくりと足を進めていく。
「ちっ」
近づいてくる相手に対して、銃弾を連射していく植松 竜一。その銃弾に巻き込まれてはたまらないと木梨 空と植松 竜一の線上から、避難していく。
「なっ」
弾丸が当たっていない訳ではない。明らかに当たっている。それなのに木梨 空は銃弾の当たるたびに僅かに足を止めるモノの、また、直ぐに足を動かしていく。
「なんだよ!?」
自分の〈力〉が通用しないことに驚きを隠せない植松 竜一。さっきは殺せたのに。なんで生き返って死なないんだと、恐怖の表情が彼を支配していく。
「さっきのは死んだふりだよ。俺の〈力〉があれば、誰にも殺されないが、万が一のためにな。でも、一番厄介そうなやつらの〈力〉が分かったんだ。死んだふりも必要ないさ!」
そういうことか。
植松 竜一がクラスメイトの〈力〉の詳細を求めたように、木梨 空もまた、同じことを思ったようだ。もっとも、木梨 空が欲しかったのは佐藤 浩二と五十嵐 雄介の二人だけのようだが。僕の前で動き出したってことは、隠すまでもなく、僕など眼中にないと言いたいのだろうな。
僕が木梨 空を少し劣っていると思っているのと同じく、木梨 空もきっと、僕を見下しているのだ。
ただ、それだけだ。
「だから、お礼に俺も教えてやるよ。俺の能力は『不死身』だ!」
銃弾が何発当たろうとも死なない体。自分で選んだと言うだけあって、最もふさわしい〈力〉を選択したようだった。
状況と目的が分かっていてれば、対策は取れる。
最後の一人になるまで生き残らなければいけないならば――死ななきゃいい。単純だが、分かりやす。
しかし、木梨 空の内に秘めた攻撃性からすれば、全員を一撃で殺せる〈力〉を優先しそうな気もするが。
銃弾が貫通した後が瞬く間に塞がっていく。
「死なないからってなんだよ……! 来んな! こっちに来るなって!」
木梨 空が自分に一歩ずつ近づくたびに植松 竜一の余裕は消えていく。不気味に笑いながら銃弾を浴び続ける木梨 空に追い詰められ、気が付くとクラス一の不良は見えない壁にまで後退していた。
「ほーら。日頃の行いが悪いからこうなるんだよ。お前らが俺をコケにした分。いまここできっちり清算してやるよ!」
「黙れ……! 殺してやるよ!」
「いいよ。無駄だとは思うけどなぁ!」
木梨 空は顎が外れるのではないかと思うほど口を大きく開いて銃身を口に含んだ。
「何の真似だ?」
「さぁね。いいから、ほら、早く打てよ。これなら脳を貫いて殺せるかもしれないよ?」
口に咥えたまま言葉を発するので鮮明には聞き取れなかったが、僕たちに恐怖を植え付けるには充分で、
「うわぁああああ!」
植松 竜一は取り乱して引き金を引いた。
「あ……ああ」
至近距離で打ち出された弾丸は決して外れるわけはない。木梨 空の脳を貫通したはずだが、
「ざんねーん」
木梨 空はそう言って、更に銃身を口内に押し込んだ。いや、押し込んだわけではない。木梨 空は引き金を引いた人差し指にへと嚙みついたのだ。
「……っ!」
噛みつかれた指を咄嗟に引き抜く。さほど強い力じゃなかったのか。あっさりと拳銃ごと引き抜けた。
「あーあ。噛みついちゃった」
木梨 空が小悪魔系女子のように茶目っ気を混ぜて笑う。不釣り合いな言葉使いに不快感を覚えるのだが、誰もが文句は言わなかった。
現状――このクラスのカーストの頂点に立っているのは、間違いなく木梨 空なのだから。
「ちょっと。もういいでしょ? 木梨くんも落ち着いてくれ!」
そんな木梨 空を止めに入ったのは相山 力だった。止めに入るかずっと悩んでいたようだが、二人の動きが止まったのをみて、何とか間に入ったようだ。
その動作はここが教室で――虐めだったら正しい行いだっただろう。だが、この場所は教室でもなければ、学校でもない。
常軌を逸する〈力〉が与えられた空間なのだ。
「あん? うるせえよ。てか、前から気に入らなかったんだよ、お前」
「え……?」
「本当は虐めを止める気もないくせにさ。止めたいですよ、みたいな姿勢だけ見せて、良い格好して、周囲の反応を確認したらすぐに手を引く。頭が良い奴はやることも小賢しいよな」
「別に――そんなつもりじゃ……」
「あー。気に済んな。別に言い訳を聞く気もないから。じゃあ、奴隷一号。頼んだよ」
「なにを……奴隷って――?」
止めに入った相山 力の首に、植松 竜一が噛みついた。
「なにを……するんだ。植松くん……」
噛みついた植松 竜一の腹部を蹴り飛ばして無理やりスペースを作る。
植松 竜一の肌は不健康な白さへと変貌し、黒く濁った血管が不気味に走っていた。
「あー。あれいの……あー」
パクパクと自ら釣り上げられた魚のように植松 竜一は口を動かすが、何を言っているのか、何を伝えたいのかが全く分からない。
噛みつかれた首にはくっきりと歯形が残っていた。
「いい気味だなー。植松 竜一――。いや、奴隷一号くん」
バンバンと手を叩き、腹を抱えて笑う。
散々自分を玩具として遊んできた男が、自分の意志に逆らえず、無様な姿をさらしているのがよほど面白いのだろう。
「これも……君の仕業なのか?」
「あ? そうだよ? 言ってなかったけ?」
「そんな……。君の〈力〉は『不死身』じゃなかったのか?」
「あー。ごめん。もう一つ俺、貰ってたんだわー。ほら、俺の才能がお前らと同じとかないからさ」
少女から選び受け取った〈力〉は一つでないのか。ただですら、ランダムで与えられたために、〈力〉を使いこなせていないハンデがあるのに……。
僕はあまりの境遇の違いに愕然とする。
「チートだって思うだろ? でも、残念。これが現実。そして俺が選んだ二つ目の〈力〉は――!」
『感染』
木梨 空はそう言った。
「そして、この〈力〉は『不死身』と合わせることで――更なる〈力〉に昇華される!」
『感染』という〈力〉の通り――植松 竜一に噛みつかれた相山 力も同じように肌の色が変化し、血管が浮かび上がる。
「ゾンビだ……」
クラスの誰かが言った。
確かに、その姿は命亡き人間によく似ていた。
「『感染』したものは、俺の命令に逆らえない! わずかに残った意識は俺に対する恐怖を感じることしか出来ない! 醜い姿に成り果てて俺に仕えろ!」
木梨 空は『感染』した二人を自分の元に呼び寄せると、容赦のない拳で二人を殴り始める。何度も何度も執拗に、これまでの恨みを晴らすかのようにただ拳を振るう。青白い肌から血液が噴き出して木梨 空を染めた。
そこでようやく手を止めた木梨 空。
クルリと震えながらその光景を見ていた僕たちに言う。
「ほら、女子は早く下着になってよ……。男たちはそうだな。取りあえず四つん這いで虫けらのように這い蹲ってろ」
互いに顔を見合わせてどうすべきか確認をする。
「面倒くさいなー。なに? まだ、僕に逆らおうとしてるのかよ。じゃあ、奴隷一号、二号に誰か襲って貰おうかなー」
両手を前に出しおぼつかない足取りでクラスメイトに近づいてくる。相山 力は噛みつかれることで変貌した。つまり、あのゾンビには近づかないほうがいいだろう。
五十嵐 雄介や佐藤 浩二は、それでも戦いを挑もうとしたが、僕は二人の腕を掴んで、首を横に振り、逆らわないほうが良いと伝えた。
そして、望み通り腕を地面に着けた。
「くそっ……」
流石に二人も馬鹿じゃない。『不死身』で尚且つ、噛みつくことで仲間を増やすゾンビに無策で立ち向かうことは諦めたようだ。
僕達三人に習って男子陣は命令に従っていくが、女子達はそう簡単に命令には従えないようだ。人前で下着になるなど、非常事態とは言えど恥ずかしいはずだ。
そんな中、一番最初に動きを見せたのは、氷を操る〈力〉を持っている今井 藍だった。目には恥ずかしさからか涙を浮かばせてはいたモノの、迷いのない手でスカートを下し、制服を脱いだ。小柄な彼女に似合う可愛らしい下着に、僕は目を反らした。
「いいねぇー。興奮するよ。うん? どうだ、他の奴らは?」
今井 藍の脱衣に合わせて足を止めていたゾンビたちが動き出す。一人、命令を実行したからか、次々と下着を露わにしていく。
「うん。いいねー。いいねー。ただ――お前は駄目だ」
と、品定めするようにクラスメイト達の下着姿を堪能していた木梨 空はその中の一人に不合格を突きつける。両脇からゾンビが襲う。
「いやだぁー!」
目を付けられたのは横井 栞だった。
彼女は、かなり、ぽっちゃりとした体形を持っていた。下着になることでタルンと垂れた肉を木梨 空は不快に感じたのか。
迫るゾンビから逃げるようにして彼女は〈力〉を発動させる。
横井 栞が持っている〈力〉は『動物化』だった。
両手の肘から先は毛皮で覆われ、爪は鋭くとがっている。足も膝から先は毛皮が付いてた。
「はぁー。別にお前のそんな姿、誰もみたくないっつーの」
確かにこの格好をコスプレイヤーやアイドルがしているのを見たことがある。だが、それは衣装で在り、実際に動物のような筋力を得るわけではない。
決して足の速い横井 栞ではないのだが、俊敏にゾンビたちから逃げていく。
「かぁー。醜い。走るたびに肉が汚い!」
命がけで逃げてる相手を侮辱する木梨 空。ゾンビたちは操られているからか、動きは鈍い。(力)を使っている横井 栞ならば捕まらないだろうが――、
「はぁ、はぁ」
彼女の呼吸が荒くなる。
「やっぱ、運動不足だねー。はは、荒い呼吸は猫っていうより豚ちゃんだね」
恐怖により汗でなく涙もとめどなく流している相手を更に傷つける。自分が傷付けられる側なのに、木梨 空は何も感じないのか。
「うーん。こんな奴隷いらないから――殺そうかな」
ゾンビにする価値もない。
感染ではなく殺すと――クラスメイトを笑った。
「なんで! あんたなんかに!」
横井 栞は乱れた呼吸を整えて言う。
「あんたなんかに」と言う言葉には、クラスで一番下だと思っていた人間が、〈力〉を手に入れたくらいで調子に乗るなとでも言いたいのだろうか。
「は? 俺とお前じゃ、絶対、俺の方が優れてんだよ! なのに、なんで俺が!」
体力が底を尽き、両足から崩れた横井 栞を二匹のゾンビに抱えさせ、自分の元へと引きずらせる。目の前で崩れ落ちた女子に向かって、木梨 空は唾を吐いた。
「勘違い腐女子が。それらのに、お前らまで俺を見下しやがって!」
猫耳の付いた横井 栞をひたすら殴る。自分の怒りが解消するまで。殴られ続けた横井 栞は意識を失ったのか、自分の身体を支えきれずに倒れてしまいそうになっているが、その両脇を抱える奴隷がそれを許さなかった。
誰もが目を背けていた。
「はぁー、飽きた。もういいや」
木梨 空の言葉に――横井 栞の体が二つに引き裂かれた。
ゾンビになることで、腕力が強化されているのか。上半身と下半身に分かれた死体をそのまま捨てる。
僕は思わず胃の中のモノを吐き出しそうになる。僕たちが昼食を食べてから、どれだけ時間が経っているのか分からないが、まだ、胃の中に残っているのか。込み上げてくるものを、なんとか飲み込み、僕はしっかりとクラスメイトの姿を見た。
二人目の犠牲者。
鈴木 杏樹は銃弾で撃たれたため、身体に損傷はさほどなかったのだが、無理やり千切られた横井 栞は違う。骨が、内臓が、肉が、血が――だらしなく地面に落ちていく。
バタバタと女子達が倒れて行った。
「ふぁ~。なんか眠たくなってきたな。じゃあ、意識ある人間の中で、お前とお前と――お前。こっちこい」
欠伸をしながら、木梨 空が呼んだのは二人の男子生徒と、一人の女子生徒だった。
男子は朝倉 光哉と戸高 拓。
女子は杉山 加奈子だった。
呼ばれた三人に共通しているのは、植松 竜一のグループだと言うことか。それはつまり、最も木梨 空を傷つけたグループでもある。むしろ、学校を休みがちだった植松 竜一よりも、与えた苦痛は三人の方が多いかも知れない。
「た、助けてくれ……。お、俺たちは竜一に、言われて仕方なく……。あ、あいつが休んでる間もお前にちょっかいを出さないと、俺たちが――危なかったんだ。な、そうだよな、戸高!」
「その通りだ。好きでやってたわけじゃないんだよ……。だから!」
四つん這いで頭を下げる。それはもう土下座に近い姿勢だった。自分たちはクラスのトップグループだと傲慢な態度を取っていた二人からは、想像もつかない哀れな姿だった。
木梨 空は、
「その気持ち、すっごく分かる。俺だって本当はこんなことしたくないんだけど、ほら、少女に言われてるから。だから、仕方なくね」
二人の耳元で言う。
「ふざけんな!」
このまま、何もせずに殺されるのは嫌だと二人はそれぞれ自分の〈力〉を解放する。
朝倉 光哉の〈力〉は高速移動。人体の構造では考えられない速度で空間を走り回る。『動物化』の横井 栞よりも速度は速く、目で追うのがやっとだ。それは木梨 空も同じようで、どんどんと視線が朝倉 光哉を捕らえきれなくなったようだ。
「おら!」
見当違いな方向に視線を誘導された木梨 空は、背後から朝倉 光哉に捕まれた。
「いまだ! 戸高!」
「ああ!」
そして、戸高 拓の〈力〉は巨人化。
身長が4mほどの高さまで伸び、身体もそれに合わせて太くなる。
「不死身だが知らないが、粉々にすれば再生しないだろ!」
二匹の奴隷を軽く跳ね飛ばし、巨大な拳で木梨 空を潰そうとする。拳が当たる瞬間に、拘束を解いた朝倉 光哉は拳の範囲から脱出する。拳が木梨 空を潰して地面に当たった。グラグラと空間を揺らした。
「やったな……」
「ああ! んだよ。最初からこうすればいいじゃないか――」
と、戸高 拓は拳を引き抜いた。
そして、粉々になった肉片を満足げに確認する。
「いたっ」
「どうした?」
「いや、強く殴り過ぎたからか、拳が痛くて……」
自分の殴った右手を見た戸高 拓の顔から血の気が引いていく。それが人の歯形に近かった。
「これって……」
「気にすんなよ。噛まれていようが、あいつが死ねば感染しないだろ」
「だよな?」
二人は楽観的にそう言うが――すぐに二人の行動が全くの無意味だったと分かる。ばらばらになった肉片は一つに集まり、糸で釣られたマリオネットのように木梨 空が立ち上がったのだ。
「なっ……」
驚いたのは朝倉光哉だけ。戸高 拓は、植松 竜一と同じように感染していたからだ。操られた戸高 拓は横にいた朝倉 光哉の手を掴み、抱き着くようにして首元に噛みついた。
「はぁー。良いマッサージだったよ。これで、ゆっくり寝れるよ。ほら、奴隷くんたちは僕のベットになって」
自分が眠るためだけにゾンビを増やしたのか。
地面に4匹を並べてその上に横になる。
「寝心地悪っ。でも、気分はいいねぇー。あとは――ほら、加奈子。呼ばれたんだからこっちこいよ」
朝倉 光哉たちの挑戦で呼ばれていたことを忘れていたが、杉山 加奈子も名を呼ばれていたのだ。ギャルな鈴木 杏樹と窪田 美優の三人グループの中で、唯一の常識人だろう。甘えたがりな二人をお姉さんのように後ろで見守る姿は、密かに男子からの人気は高かった。
「なんで……しょうか」
「そんな怖がらないでよー。君は特別なんだから」
どうやら、木梨 空もその一人のようで、照れ臭そうにゾンビベットで仰向けになりながら言う。顔を見ないのは恥ずかしいからなのだろうか。
「特別……」
「そう。君は最後まで殺さない。その代わり――俺の相手をさせてあげるよ」
「相手……ですか」
「そうだ。俺の眼鏡にかなった君には、俺の性処理係をさせてあげる!」
「は……?」
「良かったねー。日頃から俺を馬鹿にしてたのに、名誉ある係に付けて。あ、でも、他の女子達にもさせるんだけどねー。ま、取りあえず、ズボンを脱がせてよ」
下着姿の杉山 加奈子に言う。
寝たままそう命じる。まるで自分が王様にでもなったような態度だ。だが、彼の下には『感染』を持ったゾンビたちがいる。少しでも逆らえば、自分がその仲間に入ることになる。生き残るためには、今は従うしかないのだ。
杉山 加奈子は恐る恐る近づき、ズボンに手を掛けた。ベルトのバックルを外し、フックを外してチャックを下す。
緩んだズボンを持ってゆっくりと木梨 空から脱がせていく。
「……」
ズボンを脱がされ、木梨 空のパンツが露わになる。この状態ですでに興奮しているのか、下半身はあからさまに膨れ上がり、ヒクヒクと波打っていた。
「そうだな……。次は舐めて貰おうかなー」
と、下卑た命令をした時――佐藤 浩二の我慢が頂点に達した。
「おおおお!」
低い声で獣のように雄たけびを上げると、四つん這いから立ち上がり、真っ直ぐ木梨 空にまで駆けて行った。
そして寝ている木梨 空の首元と腕を掴み、綺麗に背負い投げを決めて見せた。
「もう我慢できん!」
鬼気迫る表情に迫られ、木梨 空はゾンビたちに引き離すように命じるが、
「あーあ。やっちゃたよ。本当はもっと、観察すべきだったんだけどさ。ま、しょうがないか」
呆れたような言葉を吐きながらも、佐藤浩二に迫るゾンビたちを、〈力〉で呼び出した日本刀で切り裂く。再生すると言っても再生に時間は掛る。四肢を奪えば時間稼ぎは可能だ。
突如行動に移した佐藤 浩二を、何の合図もなしにサポートする当たりは流石、武道家コンビだった。
でも――対策案はないのではないか。それは二人も知ってるはずだ。
「すまんな……。雄介」
「気にすんなよ。お前が我慢できないだろうとは思ってたからさ。長年の付き合いだろ?」
だが――、佐藤 浩二が動き出した理由は、僕にも分かっていた。
彼もまた、杉山 加奈子が好きだったのだ。
目の前で無理やり他の男のモノを咥えさせられると考えたら、誰だって止めたくなるだろう。ましてや、古風な男である佐藤 浩二ならば尚更だ。勝てないと分かっていても好きな人を守ろうとするに決まっている。
「がっ。ははは、なんだよ、急に。こんなことしてどうするつもりだ? ゾンビどもを足止めしようが、俺たちは死なないんだぞ?」
いや――殺せる可能性はある。
僕一人では無理だが、佐藤 浩二の腕力があれば――『無効化』を使えば、木梨 空を殺せるはずだ。
どんなに特別扱いで〈力〉を選ぼうと、二つ持とうと、与えられたのが〈力〉ならば、僕の〈力〉で無効化できる。不死身でも感染も無ければ、木梨 空は只のクラスメイト。佐藤 浩二に勝つ力はない。
しかし――僕は、友人を殺人者に出来るのか?
こんな状況だからって、人を殺していいのか? 殺させていいのか? 植松 竜一や木梨 空はやってのけたが、それと同じことを僕がやるのか?
僕の頭の中を人としての理性が駆け巡る。
けど、こうやって悩んでいる間も五十嵐 雄介、佐藤 浩二のスタミナは消費され続けていく。このままでは横井 栞のようにいずれ殺されてしまうだろう。
僕は強く拳を握り、どうすればいいのか一人悩む。
どうせ、一人しか生きられないならば、このまま、木梨 空を勝たせて、友人たちの殺し合いを見ないで済む方が、楽なのではないかとまで考え始めた。
「はははは! いいぞ、もっとやれ。俺を殺せるなら殺してみろ! お前たちは奴隷にはしない! 自ら殺してくれと言うまで痛めつけてやる!」
死ななくとも痛みはあるだろうが、痛みを狂気に変えて笑う。いずれ自分が勝つ。最期に勝つのは自分だと不敵に笑う。
現に押さえつけるのも佐藤 浩二は辛くなってきたのか、柔道も何も関係なく、ただ、ひたすら殴り続けていた。五十嵐 雄介はまだ余力はありそうだが、ここで足止めを辞めれば二人共やられると理解している――いや、勝負を挑んた時点で分かっていただろう。頭のいい五十嵐 雄介だが、彼は頭でっかちではない。
親友のためになら命をも投げ出す男だ。
それに対して僕は――なんて小さい人間だろう。
「怠惰は罪だ」
ふと、そんな言葉が蘇る。
何もしないことは罪を犯しているのと同罪だと。
言葉は知っていたのに、何故、今、僕の頭に浮かんできたのだろうか。考えるまでもない。何もしない自分を自分で攻めているだけだ。
〈力〉を使えば木梨 空はクラスメイトに殺されるだろう。だが、このままではクラスメイト達が殺される。
『一人の命』と『クラスメイト29人の命』。
『殺人の一端を担う罪』と『怠惰の罪』。
怠惰の罪を犯せば29人が死に――殺人の一端を担う罪を犯せば、当然、木梨 空が死ぬ。人の命は平等。
一人と一人の命が平等かも怪しいのに、数に差があれば、考えるまでもなく分かる。
どっちにしても罪を犯すのだ。
ならば僕は――自ら選んで罪を犯そう。
意識を集中して自分の内に与えられた〈力〉を発動する。
「……なっ!」
最初に異変に気付いたのはゾンビたちと戦っていた五十嵐 雄介だった。青白い肌から、不気味に浮き上がる血管がクラスメイト達から引いていったのだ。
「な……なんで……、俺が……?」
その異変は木梨 空も身をもって感じることになる。佐藤 浩二は最後の力を込めて首を絞めていた。無駄だと笑み浮かべていた木梨 空の意識がスッと落ちた。意識だけでない。心臓の動きが止まった。
「はぁ……、はぁ……」
「何が、起きたんだ?」
死を覚悟していた武道家コンビは、何が起こったのか理解できていないようだ。僕は二人元へと近づき、そっと、自分の〈力〉を耳打ちした。
きっと根っからの正義感の強い二人には怒られるだろう。
「なんだよ……そんな力あるなら先に言えよな」
「全くだ」
予想通り二人は強い視線を向けるが、
「ま、こんな状況じゃ、無理もないか。ましてや、お前は優しすぎるからな」
僕の頭を二人が叩く。同い年だと言うのにお兄さんのような二人だ。僕は頭を下げて小さく感謝する。
「でも、まだ、刀を呼び出せないってことは、まだ、〈力〉を発動しているのか?」
五十嵐 雄介が聞いてきた。
僕はその言葉を肯定する。不死身の〈力〉だ。死んでも生き返るのかと言う恐怖から、〈力〉を解除できないでいた。
「でも、良かったよな。木梨 空が死んでさ。浩二は直接手を下したから気分は悪いだろうけどさ」
「いや……いい。この罪は俺が背負うまでだ」
佐藤 浩二は直ぐに結論を出した。うじうじと考えていた僕とは大違いだ。
「でも、安心するのはまだ早いよな。木梨 空のせいで荒れちまったが、振り出しに戻っただけだ」
「ああ。ここからどうするかだ」
二人の言う通りだ。こんな殺し合いはもう御免だ。残った人間でここから脱出する方法を見つけなければならない。殺し合いをするのではない。力を合わせるんだ。
二人がいればそれは出来るだろう。
だが――、
「な、おい! やめてくれよ。竜一!」
僕が無効化していることで、木梨 空の『感染』から解放された植松 竜一が、同じく奴隷にされていた朝倉 光哉に馬乗りになっていた。そして、佐藤 浩二が木梨 空を殺したように首を絞めているのだった。
戸高 拓はなにが起こっているのか、混乱した様子でただオロオロと周囲を見渡すだけだった。
「あいつ、絶対するさねぇ。もう二度とあんな目に遭ってたまるかよ。こうなりゃ、殺される前に殺してやるんだよ。お前ら全員なぁ!」
植松 竜一の言葉にクラスメイト達は、生き残るのは自分だと誰それ構わず殴り始めた。木梨 空はただ、死んでいったのではない。狂気を残していったのだ。そしてそれは〈力〉を使わなくとも感染する。
「おい! お前ら、やめろって!」
クラスメイト達を止めようとするが、誰も僕たちの声など聴かない。男子はどさくさに紛れて女子生徒に暴行を行おうとする者もいた。全員が暴れ出したら、たったの三人ではどうしようもない。他に正気を保っているのは、今井 藍とその親友である金沢 寛子くらいだ。彼女たちは、もう一人の友人である佐藤 未羽を男子から助けようと足掻いていた。
「恐怖で押さえつけられていたからか……」
「浩二、冷静に分析してる場合じゃないだろ? どうするよ」
「ふむ……。なにかいい案はないものか」
〈力〉が使えないからか、現状の殺し合いはより原始的に暴力を振るっているだけだ。
「しょうがないな」
五十嵐 雄介は僕に〈力〉を解除するように言う。でも、解除したら木梨が生き返るのではないか。僕はその不安を告げるが、
「大丈夫だよ。不死身と蘇生は違う。ゾンビだって頭を撃ち抜かれりゃ死ぬんだ。それにほんの少しだけだ。どっちにしても止めないと死者は増えてくぜ?」
これじゃあ、木梨がいた時の方がマシにも思えてくる。まだ、誰かに支配されていた方が、犠牲は少なかった。
被害者を減らすために〈力〉を使ったのに、意味がない。僕は五十嵐 雄介を信じて〈力〉を解放した。
「よし……。これで……」
日本刀を握った五十嵐 雄介は水平の構えを取る。短い時間で意識を集中させると、その場でクラスメイト達に向かい刀を振るった。日本刀の間合いに入っているのは僕くらいのもので、この距離でなにか出来るとは思えない。しかし、今の僕には信じて待つことしかできない。
「はぁっ!」
日本刀の刀身から、五十嵐 雄介の動きに合わせて、斬撃が飛んで行く。青く光る三日月のような物体は、争っているクラスメイト達の隙間を通り、見えない壁にぶつかって消滅した。中には肌一枚斬られたものや、制服が斬られたものもいるようだ。
飛ぶ斬撃とその精度に、争っていたクラスメイトの動きが止まった。
「よし、もういいや。ありがとうな」
僕は直ぐに〈力〉を使う。はっと、木梨 空が倒れていた方に視線を向けるが――そこに死体はなかった。
「……な」
僕の表情に異常を感じたのか、五十嵐 雄介も同じ方向を見る。その視線の先にはほんの数十秒で起こったとは思えない惨劇があった。
佐藤 浩二が――殺されていた。
「ははははは! 俺を殺したからそうなるんだ! 馬鹿がぁ!」
佐藤 浩二は植松 竜一を止めにいったのだ。そう――『感染』していた植松 竜一をだ。少しならばいいだろうと僕達は判断したのだが、大きな間違いだった。
木梨 空は生き返り、ゾンビたちも復活した。
そして、彼らに近づいた佐藤 浩二が殺された。
『感染』でもなく、横井 栞のように、身体を引き千切られて。僕たちの希望が――絶望を生んだ。
「俺は不死身だ! 死んでも生き返るぅ! そうだ……。俺が死ぬわけなかったんだぁ!」
一度死んだことで、より木梨 空の精神は狂ってしまったようだ。大声で笑いクラスメイト達を見渡す。
「生き残るのは俺だぁ! お前らはどうせ生きる価値もない人間なんだ! だから、死ね、死ね、死ねぇ!」
「ふざけんな! 勝つのは俺なんだよ!」
そう叫びながら、生き返った木梨 空に跳びかかる男がいた。それは、『感染』から解放された植松 竜一だった。佐藤 浩二がいない今、止められるのは誰もいない。彼らの仲間である朝倉 光哉や戸高 拓も、もう近づこうとしなかった。二人から離れて、僕たちの方へと近づくが、
「おっと、それ以上近づかないで貰えるか」
五十嵐 雄介に止められた。
「なんで?」
「お前たちは今、『感染』が抑えられているだけだ。いつ、解放されるか分からないからな。それに浩二を殺したお前たちが憎い」
「そんなこと言わないでくれよ。俺たちだって、あんな化け物になりたくないんだよ! な、なぁ、戸高」
「あ、ああ。頼むよ」
二人して救いを求めるが――彼らを救おうとするものはいなかった。普段の教室での傲慢さや態度の悪さ、そして『感染』しているのだから、当然ではあろうが。
しかし、この後どうすればいいのだろう。狂気に支配された人間は、何が引き金になって暴れ出すか分からない。もう、恐らく、クラスメイト達は互いのことを信用していない。皆の脳がどうやって自分が生き残るかに傾いている。
「そうかよ……。なら、一人でも多く殺してやる!」
二人係で五十嵐 雄介を襲う。タイマンでの勝負ならば五十嵐 雄介は二人に負けないだろうが、二対一では流石に部が悪いようだ。徐々に二人に押され、首を絞められそうになっている。
「ふー、ふー!」
生への執着心が再び皆の心を狂わせていく。僕は五十嵐 雄介を助けようと間に割って入ろうとするが、僕では完膚なきまでに力不足でしかない。僕よりも小柄な戸高 拓にあっさりと突き飛ばされた。僕を殺そうとしないのは、恐らく、木梨 空の〈力〉を封じるためだ。それだけのために、僕は生かされているのだ。
そして、最後には――。
どうすればいい。
〈力〉を使えば木梨 空は止められるが、他のクラスメイトを止められない。
使わなければ木梨 空が絶対的存在となり、支配する。
なんで、皆、協力し合わないんだ……。
元々、そんな仲良くなかった。偶々教室が同じだけの存在、互いに命を賭けて協力し合うなんて、誰も想像していない。
「ねぇ……」
僕の元に一人の女子生徒が声をかけた。
今井 藍だった。
「私の〈力〉なら、皆の動きを止められるんじゃないかな?」
今井 藍の〈力〉は確か氷の結晶を作ることだった。
……そうか。
人間を結晶の中に閉じ込めることが出来れば、不死身だろうが身動きは取れなくなる。今井 藍の提案は非常に魅力的ではあるが、「問題は、一度に何人も対象に出来るかなんだけど」と言う言葉に暗雲が立ち込める。
自信なさげな表情だ。
一か八かで〈力〉を解除するのが危ないと彼女も分かっているだろう。
僕は、今井 藍に無茶はさせたくない。
何故ならば――僕は彼女に好意を抱いているから。この気持ちは誰にも言っていない。佐藤 浩二にも、五十嵐 雄介にも隠していた。僕みたいな人間が人を好きになるなんて、絶対皆笑うに決まっているから。
もっとも、五十嵐 雄介は、僕の気持ちに気付いていたのか、「今井 藍はお前に気があるぜ」などと言っていたのだけれど。
僕が彼女を好きになったのは、修学旅行の時だった。偶然、彼女と同じグループになったのだ。正直、誰と一緒だろうとどうでも良かったのだけれど、今井 藍は違った。
どこに行くにも、何をするにも、僕を気遣ってくれた。優しかった。
人の優しさに成れていない僕は、たった数日で彼女を目で追うようになったのだ。修学旅行から一年、僕は思いを告げることもないまま、卒業を迎えようと決めていた。
「どうしたの?」
一人、難しい顔で考えていた僕に今井 藍が聞いてきた。
僕は何でもないと首を横に振る。
「やってみるしかないと私は思う……。じゃないと、皆――死んじゃう」
今井 藍の言う通りだ。
植松 竜一に木梨 空は殺され、次のターゲットへと足を動かしている。戦意の無いものが弱者として狙われている。髪を引っ張り、首を絞め、地面に叩きつける。
誰しもが内に秘めている暴力的欲求が、この空間で解放されてしまったのか。クラスメイト同士の殺し合いは、友人の少ない僕でも、見ていて気持ちのいいものではなかった。
僕は〈力〉を解除することを決めた。
「いいの?」
今井 藍は確認するように上目使いで僕を見る。長い髪に前髪を眉で揃えた髪型。パッチリと開いた眼で見つめられ、僕は思わず照れてしまう。
さっと目を反らして構わないと言う。
「じゃあ……お願い!」
今井 藍とタイミングを合わせて、僕は〈力〉を使うのを辞めた。今回、〈力〉の解除にいち早く気付いたのは植松 竜一だった。自分の身体が『感染』により、上手く動かないようだ。最期の力を振り絞り、僕を見た。
「お前……、何考えてやがる……? 折角、あの空気野郎を殺したのに!」
その言葉を最後に植松 竜一の意識は無くなる。代わりに、今さっき殺されたばかりの木梨 空が二回目の生還を果たした。
首を回しながら立ち上がり、植松 竜一のゾンビを、他の三体に襲わせた。そんなことをしても自分の『感染』と『不死』により、彼らは死ぬことはないのだが、殺された腹をそうすることで晴らしているようだった。
しばらく、そんな命を使った遊びをしていた。
死ぬことはないからと鷹をくくっているのか。〈力〉が戻ったことで、何人かが木梨 空を攻撃しているのだが、ハンドボールほどの鉄球を操る〈力〉や、弓矢を呼び出し殺害を図るが、彼らの攻撃は見向きもされなかった。
木梨 空は油断している。
今がチャンスだと今井 藍も気付いたのか、彼女は、部屋全体を――僕と彼女が立っている場所を除いて――すべてを凍らせた。
木梨 空とゾンビだけでなく、五十嵐 雄介も、杉山 加奈子も、親友である金沢 寛子も佐藤 未羽も、例外なく――凍り付かせた。
僕はなにが起こったのか理解できない。まるで、僕の脳まで凍り付いたような衝撃だった。今井 藍が、クラスメイトを全員、殺した?
けど、何故、僕は生きている?
僕は〈力〉を使おうとする。そうすれば、氷も解ける筈だと。
だが、
「待って、話を聞いて」
と、今井 藍に止められた。
「私――あなたのことがずっと好きだったの」
彼女は僕の手を取り思いを伝えた。好きな人からの告白に、「ドクン」と胸が高鳴るが、周囲の冷気が僕を現実に引き戻す。
なぜ、この状況で彼女は告白をするのか。
「私は――生き残って欲しい。私が死んでもいいから!」
自分よりも僕に生き残って欲しいと。
「それくらい好きだった。あなたは覚えてるかな? 小学校の時から私に優しくしてくれたことを!」
僕の右手に、自分の右手を絡ませる。指と指の間に入れられた彼女の手は暖かく、柔らかかった。絡ませた手を胸元に寄せて、今井 藍は自身の胸に僕の手の甲を当てた。彼女の小ぶりの胸に当たっていると言う視覚に、一気に体温が高くなる。氷が無ければ、僕は解けてい仕舞うのではないかと錯覚するほどにだ。
しかし、僅かに残った理性が僕の思考を手放さなかった。
小学校の時、確かに同じ学校に通っていたが、僕がそれに気づいたのは一年前。今井 藍を好きになってからだ。それまでは、僕は彼女を意識することはなかったのだから、当然、小学校の思い出など――記憶には残っていない。
「覚えてない? 私が杏樹ちゃんと喧嘩して、クラスで無視された時、話しかけてくれたよね! あれ以来、ずっと、好き! 自分よりもあなたに生きて欲しい」
そう言えば、鈴木 杏樹も同じく小学校まで一緒だったか。僕たちの住む地区で選べる高校など限られているのだから、確率的には、おかしくないか。
しかし、今井 藍と鈴木 杏樹が仲良かったとは。
今では考えられない。
今井 藍にとっては強い思い出となって残っているようだが、僕は覚えていなかった。小学生の時の思い出など、片手で収まる。
「だから、最後に、私が死ぬまで二人でいよう? 短い時間になっちゃうから、濃密にしよう?」
今井 藍は制服のボタンを外し、僕を脱がせようとする。
これが、こんな雰囲気もない真っ白な空間で、今井 藍がクラスメイトを氷漬けにした直後でなければ、夢にまでみた行為だった。
だが、その二つが加わることで、今井 藍の行為は、凍りつけにされたクラスメイト達と同じく、狂気にしか僕は思えなかった。
「ねぇ……? なんで? このままじゃ、殺されるよ?」
僕を脱がせるのは諦めたのか。木梨 空に命じられて下着になっていた彼女は、おもむろに両手を背中に回して、上半身のふくらみを支えるフックを外す。
僕は思わず唾を飲む。
「だから、死ぬまで私を愛して欲しい。あなただって、私が好きだったんでしょ?」
僕の首に彼女は妖艶に抱き着いた。滑らかな肌から感じる体温に、欲望に任せて今井 藍の提案を受け入れたくなる。
このまま、二人きりで死ぬまで生きて、最後に生き残る。
只生き残るよりも、美味しい展開だ。
けど――僕はそれが出来ない。こんな場所じゃなくて、皆で現実に戻って、互いに合意の上で行いたい。
僕は今井 藍の手を解いて頭を下げた。
「そう……なの。分かった。なら――」
せめてあなたは生きて。
彼女はそう言うと、〈力〉で作った氷柱を、自分の胸に向けて差し込んだ。突然の行為に〈力〉を使う暇もなかった。
数秒、固まった僕は、直ぐに『無効化』によって今井 藍を助けようとするが、なんど試しての〈力〉が発動しなかった。
「なんで……?」
何故、〈力〉が使えないのか。氷柱に直接、手を触れて試してみても、結果は同じだった。呆然と膝から崩れ落ちる。
辺りを見回すと、クラスメイト達の無残な姿がその場に残っていた。
ゾンビの如く血管を浮かび上がらせた男子。動物の姿のまま、身体を引き裂かれた女子生徒。そして、暴力に支配された表情で氷漬けになったモノたち。
彼らの方が、僕なんかよりも生きようとしていた。
戦っていた。
何故、戦う気もなく、ただ、人に任せていた僕が生き残ってしまったのか。
「おめでとうございます。勇者召喚の権利を手に入れた強者よ」
と、光を纏った少女が天から現れた。
「これだけの経験を積んだあなたは、違う世界で何が起こっても動じない精神力を手に入れた。さらに、生き残ったボーナスとして、クラスメイト達の〈力〉を、あなたの体が許す限り授けましょう」
「そんなこと僕は望んでない! それに生き残ったって、僕は――なにもしていない」
「あなたが何をしようと関係ありません。最後に残った人間を『勇者』とする決まりがあるので」
椅子取りゲームと同じです。最期に椅子に座っていた人間が偉いのですと少女は言う。だから、拳銃で彼女の頭を撃ち抜いた彼よりも――と、植松 竜一を指差すと、氷漬けの中から姿が消滅する。
「な、なにをした?」
不死身を手にして、恐怖を感染させた彼よりも――
木梨 空が消える。
「……」
僕が何を言ってもこの少女は止まらない。
あなたの友人であり、争いを止めようとした彼らよりも――
佐藤 浩二と五十嵐 雄介が消える。
そして、あなたを愛したがためにこの勝負を終わらせた彼女よりも――
「生き残ったあなたに価値がある」
クラスメイト達を消していった指先が僕に向けられる。そうすると、今井 藍に凍らされていた他の生徒達が全員いなくなる。
いや、これは僕が移動したのか。
真っ白だった空間は黒くなり、光る小さな星屑が散り映えられていた。光を放つ少女の存在が一際大きく感じられる。
「でも、もしも、なにもしなかったことを後悔しているのでしたら、これから召喚されるであろう世界で、行動に移すことですね。過去を見ても何も変わらないのですから、これから起こることに集中しましょう」
前向きな発言は僕を馬鹿にしているのか。だが――少女が全ての根源ならば、僕など取るに足らない存在だ。指先一つで消されてしまう。何をしても無駄だ。どうせ僕には何も出来ない。
ならば、最後に――一つだけ聞かせてもらおう。
「なんで――あなたが世界を救わないのですか?」
力を与えることができるなら、自分で行動した方が早いに決まっている。それなのに、人間を殺し合わせるなんて、僕には非効率的にしか思えない。
「救えないのではなく――救わないのです。それが私達の決まりですから」
「……」
人の命よりルールを重要事項としているらしい。それは人間も同じところはあるだろうが。
「さて、では、そろそろ、時間です」
僕の足元に光る魔法陣のようなものが浮かび上がる。
「それでは、世界を頼みましたよ」
足元の光が徐々に強くなり僕を包んでいく。暖かな光に恐怖心はなく、むしろ安心して身を任せられた。これから、どんな世界に行くのか分からないが、少なくともクラスメイト達と殺し合うより酷いことはないだろう。結局、力は選ばなかったが、なにかしら〈力〉はくれるだろう。
「ああ――今度こそ僕が救ってみせる」
死んでいった友人と、告白の返事を返せていない彼女のためにも世界を救う。自然とそんな気になったのは、僕が『勇者』だろうか。
いや――笑えない冗談だ。
こうして僕は――『勇者』として召喚されたのだった。