イマジナリー墓参り
九十八パーセントの確率でもっともそれらしい出来事が起こる。一パーセントの確率で考えられうる最善になる。そして残り一パーセントの確率で、考えられうる最悪になる。
「ねえポーリー、私ちょっと考えてみたんだけど……インターネットで流行っているっていう、あれ、やってみたらどうかしら? えぇバカバカしいのは重々承知しているの。でもあの噂、気になるじゃない? もしかしたらって……」
******************************
名前:ポーリー
生命:10
精神:0
お金:0$
武器:ショートソード(10)
人間/女/二十五歳/戦士
******************************
駆け出し冒険者のポーリーは、初心者向けのダンジョン〈森の迷宮〉の第一層で、さっそくゴブリンに遭遇していた。持ち金ゼロではあったが、ログインしたとき最初のボーナスで武器だけは支給されていたので、そのままダンジョンに潜ってみたのだ。ポーリーは口下手だった。パーティーは組んでいない、単独行だ。そして、ポーリーというキャラクター名も、そのまま本名だ。仮想現実の世界に、現実世界の性質を持ち込んでしまうような、あまり器用でない人間だった。
そのような彼女が、わざわざこんな何年も前に流行りのピークを過ぎてしまった仮想現実大規模多人数オンラインをプレイしているのには、わけがあった。
ポーリーはショートソードを振りかぶった。剣の構えがいまいち決まらない――剣術ではないなにかをほうふつとさせてしまうのは、彼女がソフトボール経験者であるから仕方がない。彼女の今の装備だと、ゴブリンを叩いた場合、九十八パーセントの確率で十ダメージを与えることができる。そして、一パーセントの確率で三倍ダメージ。残りの一パーセントで攻撃が外れる。ポーリーはフルスイングした。「えいっ」
ポーリーの攻撃!
ゴブリンに十のダメージ!
ゴブリンの反撃!
ポーリーは三のダメージを受けた!
ポーリーの攻撃!
ゴブリンに十のダメージ!
ゴブリンは倒れた!
罪を犯した妖精の末路がゴブリンという生き物らしい。ポーリーが二発目のスイングをお見舞いしたところで、ゴブリンは妖精らしくキラキラ光る銀の粉になって消えた。チャリンチャリンとこの世界の通貨ジンバドルの銅貨がどこからともなく落ちてくる。ポーリーはそれを拾って、腰の袋に押し込んだ。〈はじめての勝利〉とか〈はじめてのお金入手〉とかのアチーブメントがまぶたの裏側を通り過ぎていって、少し気恥ずかしくなる。まるで初めてアルバイトをしたときみたいな。特に第一層のフロアは、まだ他のアバターたちもたくさんいるから、シャウトで初心者まるだしのアチーブメントを喧伝されるのは、そこそこキツい。
そのあと、第一層の回復の泉まで戻って、またゴブリンを叩きに行って、また回復して、を繰り返しているうちに、ゴブリンが一パーセントの確率でジンバドルの代わりに落とす生命増強剤を使用したり、自分自身で集めたお金で買った新しい武器を装備したりで、次の層に向かう準備が整ってきた。
******************************
名前:ポーリー
生命:16
精神:0
お金:155$
武器:血染めの棍棒(15+出血)
薬草×3
人間/女/二十五歳/戦士
******************************
プレイ時間は既に三時間を経過していた。このころになると、ポーリーにもこの世界の仕組みがだいたいわかるようになってきていた。通常攻撃の一発が、六ダメージ以上の相手なら、出会い頭でやられてしまう。一パーセントの確率で飛び出すクリティカルが、ポーリーの足を第一層に留めさせていた。ゴブリンなら、クリティカルが出ても耐えられるが、下の階層にいるという強敵では即死の可能性がある。そして死亡によるペナルティは、装備品と所持金の剥奪だ。レベル制のないこの世界では、それはふりだしからのスタートと同義なのだ。ログイン前に調べた、ネット用語のことを思い出す。〈一夜限りの夢〉。骨折って最下層までたどり着き、強敵を討伐し、一パーセントの確率でレアアイテムがドロップして、喜んだところで次の敵に遭遇する。すぐさま先制攻撃を行うが、いきなりの攻撃ファンブル。返す敵の反撃がまさかのクリティカル。さらにあざ笑うかのような二度目のファンブル。そしてとどめのクリティカル。積み上げたものが一瞬でなくなる。最悪と最悪の掛け算の確率は、数値上で見るととても低いものに感じるが、〈一夜限りの夢〉の検索結果と書き込み数をかえりみると、あながち軽視もできないように思われる。
迷った挙句、ポーリーはもう三時間をゴブリン叩きに費やした。アチーブメント〈ゴブリンキラー〉の文字列を見たときは、さすがにちょっぴり笑ってしまった。そしてログアウト。
「ねえポーリー、今日はどこまで進んだの?……まだ第一層でゴブリンを叩いているの? あらまあ、なにをぐずぐずしているの。いくら長期休暇を取ったといっても、あと二週間しかないのよ。ほらさっさと攻略サイトでも見なさいよ。第二層には最大ダメージ六の敵はいないって書いてあるじゃない。ほら進んで進んで!」
攻略サイトの威力は絶大だった。ポーリーはジンバドルはただ持っていても意味がなく、さっさと消耗品の回復薬に変えたほうが何倍も効率が良くなることを学んだし、階層ごとの最大ダメージをもたらす敵の情報も学んだ。あとは時間をかけるだけだった。第二層でホブゴブリンを叩きまくり、第三層でベビーオークを叩きまくり、……第九九層でエンシェントドラゴンを叩きまくった。その間、ポーリーの休暇はあと一日にまですり減り、この缶詰ゲーマー状態から気分転換に出かけた折の草野球ではホームランを連発できた。そして第百層。
******************************
名前:ポーリー
生命:3,760
精神:0
お金:128,200,105$
武器:ドラゴンブレード(9,980+炎上)
人間/女/二十五歳/戦士
******************************
第百層に入って、危なげなくデーモンキングを叩いて、フロアの様子を一通り見て回っていたとき、しばらく見ていなかったヒトガタのシルエットが視界に入って、ポーリーはやっと目的地までたどり着いたことを知った。頭と体の向きをその人のほうに正対させる。会話アクションを行うときの合図のようなもので、ほどなくポーリーの願いどおり、その人の頭上に会話可能アイコンが浮かび上がる。回線をつないで、ポーリーは呼びかけた。
「久しぶり、ジョン。今日は大事な話があってここまで来たの。私、結婚するの。相手は同じ職場のマキーニさん。はにかみ顔が世界で一番かわいらしい人。あの人、あなたにちょっと似ている気がする……もしも子どもが生まれたら、あなたの名前、もらおうと思ってね。ジョン……かわいい弟。また会いに来るわね。もう攻撃力、一万近くもあるし。ふふ……」
そのときジョンのアバターが笑った。
九十八パーセントの確率でもっともそれらしい出来事が起こる。一パーセントの確率で考えられうる最善になる。そして一パーセントの確率で、考えられうる最悪になる。ジョンの笑顔。これはレアな二パーセントじゃない。九十八パーセントのほうだ、とポーリーは思った。残り二パーセントの何かが起きるまで、ポーリーはこのゲームをプレイし続けるだろうとも。
そして、ログアウト。
このゲームは何年も前に流行りのピークを過ぎている。数億のアカウントが作成されたまま放置されて電脳空間にただよっている。普通の九十八パーセントではない、残りの二パーセントで、死者からの声が聞こえるときがあるという、そんな無責任な噂が、いまもこのゲームの命をつないでいる。