Act.74 番外編[傍観者の在り方]
――遥か昔、世界には様々な種族と生き物たちで溢れていた。
その中で生まれた一つの“黒”
全にして一。一にして全。
そう在れと生み出された存在それが――“魔王”だった。
ただあるがままに。
何もせず、何も起こさず、何もしてはならない。
それが魔王としての役割――……
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“魔大陸”
それは人には住む事も生きる事すらも叶わぬ魔境の大陸。
穢れた大地は草木を腐らせ、水は澱み、空は黒い雲に覆われた“死”が蔓延る土地。
しかしその地に順応し、生きる事を許された一つの種族がいた。
強靭な肉体、膨大な魔力を操る技術を持ち、世界に命を受ける種族の中でも最も力を持つ――それが魔族。
魔を司り、魔と共に生き、魔に死ぬ。
魔とは魔力。魔力とは命。命とは宿命。
他の種族とは異なる生まれにより世界の膿として生じた異形の形に宿る生命体――それらを総じて“魔族”と称した。
世界の自浄作用の一つとして生み出された魔族は生まれた当初、意思も感情も有りはしないただ獣と同じ本能と衝動で生きる存在だった。
しかし、そんな魔族の中でも一つの個体が神の愛を宿した事により魔族達はその存在の在り方を変えた。
本能に心を宿し、魔力を理性で制御し、魔族はいつしか理知的な種族として世界に産声を上げた。
その特別な個体――名を【ディヴァル】といった……。
*
――“闇”
それは魔大陸では常に隣にある良き隣人だった。
眠りを守り、心の安寧と精神の形を護る守護者。
闇が無ければ魔大陸に住む魔族は簡単に心を乱し、精神を歪め災いの一つとなり得る。
だからこそ魔族は闇に感謝を捧げ、尊敬と敬愛を寄せていた。
そんな闇の象徴として魔族の頂点に君臨する王――闇を宿し、闇と共に生きる一人の男。
闇を表す“黒”の名を冠する魔王ディヴァルは幾度目のため息に空を見上げた。
「……つまらん」
長い、永遠にも近い時を生きる魔王。
遥か昔、その命を得てから数えるのが馬鹿らしくなる程の時間を経た。
全ての中の個。個の中の全て。
そう在れ。と願われ生まれたディヴァルはただ代わり映えの無い日々に飽き飽きしていた。
狭間の神に愛され、望まれて生を受けた世界は余りにも危うい均衡の真っ只中にあった。
しかしそれを救うでもなく、ただ見届けろと傍観者としての役割を押し付けられ魔法を使って世界を俯瞰して眺める毎日。
生まれ落ちた時代には魔族と呼ばれていた同族を正しい姿にする為に奔走していた。
しかしそれらが落ち着けば後はただ時が過ぎるだけ。
時折同じ祝福を受け、神に愛された祝福者に会う事もあったが気紛れに助言をしては別れを告げる。
彼らが何をするのか、何を為すのか、それはいつも他人事。
友人と呼べる者も、仲間と呼べる者もいないディヴァルはいつも一人だった。
神の力はディヴァルの命を永遠と呼べるほどの長さにし、老いも病気もしない身体はまさしく不老不死。
今までも、そしてこれからも続くその生にディヴァルは悲観する訳でもなく絶望を抱く訳でもなく、ただ一言「つまらない」と呟く。
「そろそろ穢れが動き出す時期か……」
世界を脅かす穢れた闇。
世界に住まう生きとし生きる者達の欲望と絶望によって生まれた存在。
周期が決まっている訳ではないが長年世界を見つめ続けたディヴァルには感覚的にそれを感じていた。
空を見上げていた己の居城のテラスから踵を返して向かう先は城の中でも最も厳重に守られた一室。
――無数の時計が浮かぶ不思議な部屋。
大小様々な時計。形も千差万別。シンプルな物から豪華な物までそれは真っ黒な空間に漂い、その秒針を規則正しく動かしていた。
部屋の中央には大きな椅子。
玉座の様に豪華絢爛に彩られた意匠と柔らかいクッションが乗せられたその椅子にディヴァルは静かに腰を下ろす。
カチコチ、カチコチ
耳障りにも思える秒針が進む音を聞きつつディヴァルは物思いに耽る。
ディヴァルの目の前に浮かぶ時計達は全てこの世界の時を刻む存在。
過去から遥か遠い未来まで、時を刻むそれは女神ルーナの力によって生み出された過去、現在、未来の時間を表していた。
過去の時計を見ればそれは緩やかでも時を刻む。
現在の時計を見ればそれは足早に。
未来の時計は……一定の時間を刻むと巻き戻っていた。
……それは未来が滅ぶ事を表す凶事。
「……これもまた、変わらぬのか」
しかしそれを見て慌てる訳でもなくディヴァルはいつの間にか手に持った酒盃を傾ける。
琥珀色の透き通った液体はディヴァルが一番好むお酒。
純度も度数も高く、辛くて飲めぬ!と酒好きの同族さえそう叫ぶ酒をディヴァルは殊更気に入っていた。
芳醇な香りと舌を痺れさせるアルコールの味。
喉を通れば焼け付く熱さを感じ、花開く香しい薫りは鼻を通り抜け熱い息を吐く。
それをお供に長い時間ディヴァルはその部屋で変わらぬ時を刻む時計を眺めていた。
――それからどれ位の時間が経っただろうか。
ふと気付いたのはただの偶然。
カチコチカチコチと刻む秒針の音に紛れた異音。
「……何だ?」
それがどんな音か、と聞かれれば答えに困るようなそんな形容し難い本当に些細な変化。
しいて言えばそれは、そう……タイミングが合っていないだけの音。
しかし現在過去未来の時を刻む時計は元々秒針の進み方が少し違う。だから気の所為かと思った。
だがディヴァルはそのささやかな音が気になった。
椅子から少し身を起こし順々に目の前に浮かぶ時計を観察する。
「これは……女神の、か?」
その中で見つけた一つの時計。
他の時計の中では小ささで一、二を争うほどの手のひらサイズの物。
それは月と太陽が描かれ、蔓の形をした針、花の模様の文字盤をした可愛らしい時計だった。
随分と前から進む事のなかった秒針が、震えるだけの秒針が……少しずつ戻り始めていた。
「……」
ディヴァルはその時計を睨み付ける。
僅かな異変も見逃さないと言わんばかりに。
すると、文字盤は震え――時計は月の意匠に赤い光を仄かに宿らせて、早巻きに逆に回り始めたではないか!
「これは……」
ぐるぐると逆に回り始める秒針。
それはディヴァルが見守る中、二本の針と秒針が頂点に至った時に止まる。
カチッ!
全ての針が揃い、現れる剣の意匠。
左右対称で優美な曲線を描く蔓の模様が重なり合うと一つの剣の形になる。
仄かに宿った赤が薄まり、茜色にそして金色に変わった瞬間――それは再び時を刻み始めた。
カチッカチッカチッ
力強く、規則的に時を刻む秒針。
いつの間にか光っていた色は消え去り、沈黙する文字盤を見つめディヴァルは無意識に口角を上げていた。
「くっ、ハハハッ!」
時計だけが見守る空間にディヴァルの笑い声が響き渡る。
愉悦が滲んだ笑い声を高らかに上げ、ディヴァルは笑い過ぎて涙の滲むその赤い瞳で目の前の一つの時計を睥睨した。
「そうか、そうか……女神は、あの女は、まだ懲りないらしいな」
くつくつと震える喉に言葉を込める。
「異界より来たりて災厄となるか、それとも……」
舌に乗せることの無かった言葉を心の内で反芻し、ディヴァルは益々笑みを深める。
「良いだろう。精々足掻くと良い。……それを眺めるのもまた一興」
……それからディヴァルは足繁く部屋に通ってはその時計を見守っていた。
時には弱い音を立てる秒針を、時には一際大きな音を立てる秒針を、音の強弱を付けるその不思議な時計を飽きもせずずっと眺めていた。
それから六年。
――時計は……全ての“時”を変えた。
*
全ての時間が変わった。
それからディヴァルは直ぐにその時を変えた存在を見に行こうとした、が、ディヴァルは一応は“王”なのである。
いくら傍観者としての役割以外の自由を許されているとしても己の居城から、大陸から出る事は困難を極めた。
部下や己を慕う同族達の反対と妨害。
魔王としての役割。
それら全てがディヴァルの邪魔をしたが一年掛けて身代わりを作り、念入りな脱走計画を立ててやっと城を無事に脱出出来た。
余計なオマケまで付いてきたが、それはそれ。
邪魔はしないという条件で同行を許した獣人の祖、聖獣の先祖返りを伴い辿り着いたのは“人の聖地”
初めて足を踏み入れた人間達の大陸は色とりどりの色彩で溢れていた。
いつも魔法で眺めていた景色。
木々は青々しい緑を揺らし、花々は鮮やかな色を宿して堂々と咲き誇る。
魔法越しでは感じられなかった色の洪水とも言えるその目の前の光景にディヴァルは言葉を無くした。
何だこれは、と。
実際に見て、聞いて、感じるその生きる強さと美しさ。
人の喧騒一つ、その人々の声はディヴァルに感動を齎した。
生を謳歌するその輝きはディヴァルが生きてきた中でも最も美しいと、感じる程だった。
そして唐突に理解する。
今までディヴァルに会いに来た祝福者達が命の危険も省みずディヴァルに助言を乞いに来た訳を。
その理由を知らなかった訳ではない。しかしディヴァルにとっては他人事で何故そんなに必死になるのか分からなかった。
ディヴァルにとっては世界は舞台。
その世界に生きる命は演者。
世界を襲う穢れもそれに抗う人々の戦いもただの演目でそれを眺めるディヴァルはただの観客だった。
そうあれと生み出されたが為にディヴァルにとって世界の命運を賭けた戦いは演劇同然。
戦いに破れ世界が滅び己が死のうが、関係は無い。
ただ全ての“終わり”を見届ける存在としてディヴァルは生み出されたのだから……。
だが――、
「世界とは……美しい、ものなのだな……」
ディヴァルは知ってしまった。
世界の美しさを、精一杯生きる命の輝きを。
ディヴァルにとって瞬きの様な時間しか生きれぬ人々の、その生を謳歌するその色とりどりの光を。
知ってしまえば、それはとても愛しく思えた。
『良いのか?』
旅の連れ添いが、静かに問い掛ける。
それは色んな意味を孕んでいた。
しかしディヴァルは不敵に笑みを浮かべる。
「構うものか」
己の役割を、役目を放棄し世界を脅かす穢れに抗う力の一つとなる事をディヴァルは己で良しとした。
それで自分が滅ぼされようとも、命だけでは無く魂すら無にされようとも。
ディヴァルは傍観者としての立場から舞台へと一歩、足を踏み出した。
――それが未来にどんな影響を与えようが、嗚呼……構うものか。
カチリ、どこかで秒針が新たな時を刻み始めたのを感じてディヴァルは笑う。
己もまたこの世界で生きる“命”なのだから――……
そして未来はまた一つ、変革の時を迎えた。




