Act.70 [星は導く]
空に輝く満天の星々――それは古から伝わる願いの輝き。
天空と大地、その狭間である世界はゆっくりと……そして確実に悍ましい闇に侵蝕され始めていた。
星は煌めきを宿して世界を覆う闇を睥睨する。
古の生命あるモノ達が願い、祈った輝き。
それは一つの出逢いを宿し、夜空に軌跡を描いて世界へと墜ちていった……。
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「――シリウス!こっちおいで〜」
「わふっ!」
冬の寒さが厳しい中、霜が降り立つ草を踏み締めて鍛錬場で黒い獣を呼ぶ。
しゃくしゃくと氷の壊れる音を涼しげに鳴らしその獣はたった今、己を呼んだ主の元へと駆け出した――。
もうすぐで雪も降るだろう、重い色合いの雲を見上げルイシエラは駆け寄ってくる子犬に満面の笑顔を浮かべたのだった……。
*
「あ〜もう!可愛い、可愛い過ぎて私が悶え死にそう!」
「落ち着け」
必死に小さな足をちょこちょこ動かして駆け寄ってくる黒い子犬についつい心の声が漏れてしまいました。
すかさず突っ込みを入れてくるのは私の隣にいるネロ。厚着にコートを着込み、マフラーで顔の半分が隠されていますがその目は雄弁に語らぬ言葉を訴えています。
「だってこんなに可愛いんだよ!?仕方ないじゃん!」
「……言っておくけど一応そいつ魔獣だからな?」
足元で褒めて褒めてと言わんばかりのキラキラうるうるの目につい衝動的に抱き上げればネロからは深ーい溜め息と呆れた視線が。
そう、今私が抱き締めている黒い毛皮の子犬は先日私が行方不明になった時の原因ともなった魔獣です。
契約するしないでゼルダと父様がひと悶着ありましたが母様の許可の元、無事に飼うことを許されました。
本来の姿は私の背丈ほどの大きな狼の姿らしいですが、契約をする前の仮契約というものを私とこの魔獣はしているらしく、狭間の神トワイライラの力によって力を封じられた魔獣は可愛らしい子犬の姿になってしまいました。
勿論、力だってそのまま子犬同然。
危険は無いと言う事で父様ではなく、母様が許可をしてくれました。
それなのにまだ納得してない様子の父様。
だけど母様の冷たい視線に渋々頷いたのを思い出します。
……あの目は怖かったもんなぁ
側で見ていた私が怖いと思うんですからそれを向けられた父様はどれ程の恐怖を感じたのでしょうか。
その時の顔色は青かったとだけ言っておきましょう。
「じゃあ俺は先に戻ってるぞ。――シリウス、ちゃんとルイを守ってくれな?」
「わんっ!」
苦言を呈しても態度を改めない私に諦めたネロが子犬の頭をひと撫でして屋敷の方へと戻って行きます。
子犬は“シリウス”と名付けしました。
真っ黒な毛色の中に唯一存在する白。
子犬らしい小さな尻尾の先に紛れる異色。
そんな暗闇の中でさえ薄っすらと光を宿す不思議な尻尾から、前世で夜空の中でも一等に輝くシリウス恒星から取りました。
天狼星、とも呼ばれる事あるのでピッタリだなぁと思い付けた名前です。
シリウスはネロにも懐いており、よくネロの言う事を聞きます。
他の人の言葉など見向きもしないのに……です。
まぁ、色々とありましたが無事にシリウスは私のペットとして屋敷に迎え入れられました。
そんなシリウスと最近の日課は朝の鍛錬後の散歩です。
勿論私に、と自分で言うのもあれですが、ベッタリなシリウスは私が朝の鍛錬をしている時は邪魔にならない場所で待機してその後に屋敷に戻る道すがら遠回りしながら散歩をします。
屋敷から少し離れた鍛錬用の広場を後にし、真っ直ぐ屋敷に帰るネロを見送り、私は横道に進みます。
ゆっくりと歩くとその足元には戯れながらちょこちょこと駆け足のシリウスが。
まだ小さい身体の私ですがやはり子犬と比べれば歩幅は倍くらい違うので私のゆっくりとした足取りはシリウスの駆け足と同じくらいです。
「ふふっ」
小さい動物が一生懸命動く姿はどうしてこうまで微笑ましく思えるのか、可愛くて仕方がありません!
デロデロに崩れた表情をしているのは自分自身分かります。
ここにネロが居たらまた小言を言われるんだろうなぁと思いながらサクサクと凍った草を踏み締めてそのまま進んでいけば裏庭に到着です。
裏庭と言っても屋敷の裏庭ではなく、庭師であるヴェルデとフォグさんが試験的に草花を育てている実験場みたいな場所です。
近くには庭師用の物置小屋もあり周りは少し乱雑な印象を受けます。
「はぁ〜、寒っ」
空に向かって深く息を吐き出せば真っ白に染まる視界。
雪こそはまだ降ってはいませんがいつ降ってもおかしくない寒さに少し震えます。
朝の鍛練後の散歩はいくら汗を拭っても熱が落ち着いた身体には今の時期は少し堪えます。
ネロに渡された防寒着を着込んでも服の隙間から入り込む冷気は冬という季節をより感じさせました。
シリウスが裏庭の畦道を駆けるのを眺めながら、近くの切り株に腰を下ろして空を見上げます。
――もう少しで私の誕生日です。
この世界は意外に四季がはっきりとしており、暦の上で春夏秋冬が決められています。
その中で秋が終わり、本格的に雪が降る冬の朝に私はこの世界に産声を上げました。
既に誕生日パーティーの準備も始まり、来週には生まれて初めてのパーティーに出席します。
本当ならば三歳になったあの日――祝福の覚醒を経てから出る予定でしたが中止となり、それから五歳の時は体調不良により中止に、やっと七歳になる今回が初めての社交です。
今回パーティーに招待しているのはアウスヴァン公爵家に仕えている諸侯達列びに関係者で、一応事前に中止になるかもしれないと打診してそれでも構わない、と承諾した人達だけが来る予定です。
今でこそ健康になりましたがまた何かあった場合再び中止になるかもしれませんからね!
寧ろそう願っている私が居ますけど何か?
既に幾人かは父様のご機嫌伺いのついでにという形で対面していていますが、それですらたった数人です。
パーティーにはその何倍もの人々が来る事を考えると今から緊張に吐き気を覚えます。
いつもの授業も殆どがマナーのおさらいにあてられ、一度は及第点を貰った立ち振る舞いも、より優雅に、より洗練されたものになるようにゼルダに鍛えられています。
「はぁ……」
ついつい口から出た深い吐息は真っ白に染まり空へとゆっくりと上っていきます。
政治のあれこれなど知りたくも無ければ、関わりたくもないですが、そうも言ってられません。
私が目指す先にはどうあっても関わらない、という選択肢は無いのですから。
それでも嫌なものは嫌ですけどね!
……一体どうなることやら。
そんな憂鬱な気持ちを抱いたままぼーっと時間の許す限り空を眺めます。
*
時間は過ぎ去り、今日も一日が終わる。
時刻は夜。
夕飯も頂き、風呂にも入りさぁ寝ようとベッドに入り込んだ所で足元にいたシリウスが何かに気付いたように部屋のテラスに駆け寄りました。
「シリウス?」
どうしたの?と声を掛けても何が気になるのか、シリウスはテラスの窓に張り付いて外をじっと見つめています。
しまいには前足でカリカリと扉を引っ掻いて開けろとのジェスチャー。
こちらを見上げる金と赤の瞳はいったい何を訴えているのでしょうか?
強い光を宿すその色の違う瞳を見つめ数秒。
「……外に出たいの?」
「クゥン?」
問い掛けに肯定と否定がよく分からない鳴き声を上げられ私は首を傾げてシリウスに近寄り窓の外を覗き込みます。
外は真っ暗で夜の闇に包まれ、静かなものです。
天井に揺らぐ気配を感じながらテラスの扉を少しだけ開きます。
途端に部屋に入り込む夜の冷気。
冬独特の肌を刺す冷たい風が枯れた木の葉を揺らし、私の肌を撫でて鳥肌が立ちます。
すぐ目の前の中庭を見渡しても何もおかしい所は無く、いつも通りの景色。
しかしシリウスはその奥の林を一瞥しては私を見上げます。
「何が……」
こういう時、意思疎通が出来ればと思いますがじっとこちらを見つめて来る瞳は何かを訴えているような強い意志を宿していました。
それに私の口からは無意識に言葉が滑り落ちていました。
「――私が行かなければならないの?」
「わん!」
ハッと自分の口を押さえますが、その言葉にシリウスはその通りと言わんばかりに一吠え。
その返事を受けて少し逡巡します。
これは――あの時と同じ……?
よくよく考えればこれはシリウスを見つけた、あの夜とどこか似通った夜の空気。
あの時のように気配などは微塵も感じられませんが、シリウスの様子を見てると目の前に広がる夜の暗闇は何かを呼んでいる気がしてなりません。
でも……。
「……悪いけどベルンとヨルムを呼んでちょうだい」
あの時と同じ過ちは犯せません。
天井に視線を向けて告げれば天井裏にあった魔力の塊が一つ、屋敷の奥へと向かっていきました。
『――ルイシエラ様』
「大丈夫。一人では行かないわ。二人を連れて行きます。それと一応ゼルダと父様にだけ報告を」
『危険です』
「でも、行かないといけない気がするの……二人では実力不足かしら?」
『……』
天井裏にあるもう一つの魔力の塊、護衛兼私の監視役の言葉に少し苦笑します。
シリウスを見つけたあの事件以降、私には常に数人の監視が付いています。
ベルンとヨルムだけでは足りない部分を補う為に、そして私の行動を抑制する為に。
事件当時はもっと多くの監視がありましたが、落ち着いた今は昔のベルンとヨルムの様に天井裏に二人一組で潜んでいます。
普通ならば気付かないものですが、私の目は彼らが宿す魔力を見通す為、私は彼らの存在を知っていますし彼らも私がいる事を知っているのを分かっています。
寧ろ、お互いの存在を認識しているからこそ私の行動の抑止力となるのでしょう。
でもベルンとヨルムの時のように話しかける事はあまりしません。
私は彼らがいないように振る舞い、彼らもそうする為に気配を消しています。
しかし今は緊急事態です。
苦言を呈す彼の言葉につい尋ねた言葉は少し意地悪だったかも。
彼ら暗部を鍛えるゼルダ直々に厳しい鍛錬を詰み、その試練を乗り越えたベルンとヨルムが弱い筈はありませんからね。
しかも獣人特有の強靭な肉体と戦闘力はアウスヴァン公爵家の暗部の中でも指折りです。
「――お嬢様」
「お姫さん」
「ベルン、ヨルム。夜遅くに呼び出してごめんね」
「いえ」
「何かあったのか?」
呼び掛けられた声に部屋の入り口を振り返ればそこには信頼する二人がいました。
いつものフード付きの外套を身に纏い、素顔を晒す彼らに笑い掛けます。
「―― 一緒に夜の散歩に行かない?」
「はい?」
「んん?」
ぽかんと意味が分からないと疑問符を浮かべる彼らに笑みを深めながら早速私も外に出る準備をします。
父様が止めに来る前に行かないとね!
*
いつもは鬱蒼と茂る木々の葉も大分枯れ落ち、裸の木々が立ち並ぶ森。
夜の暗闇を切り裂く灯火はゆらゆらと揺れ動き辺りを照らしていた……。
「――良いのか?黙って出てきて」
「良いの良いの。父様とゼルダに報告してとは伝えたし、今回はちゃんと二人を連れているんだから」
「しかし後でお咎めを受ける事は覚悟していた方が宜しいかと」
「分かってます〜」
ユラユラとカンテラの火が照らす道を固まって進む。
シリウスが道案内するかのように先頭を進み、そんな中二人からの言葉につい口を尖らせました。
あの後、説明は後で!と言い聞かせベルンとヨルムを連れて夜の森へと足を踏み入れました。
既にここは神域の森。
カンテラに照られた道を眺めながら周囲にも目を移せばここには夜でも元気な精霊達の姿が私の視界には映ります。
いつもは入れない神域の森を私が招いた事で足を踏み入れる事が出来たベルンとヨルムは少し緊張した様子で素早く周囲を確認しています。
冬に入り実りも少ない森の動物達は冬眠にでも入っているのか姿は殆どがありません。
唯一夜行性の鳥達が木々の枝に止まり、こちらを見つめる視線を感じながら進む先はどうやら神域の湖。
「なぁ、姫さんこれ、罠とかじゃねぇよな?」
「さぁ?」
どんどん奥へと進むシリウスにヨルムがぽつりと溢した声に首を傾げます。
魔獣だった姿を見ているからか、ヨルムはシリウスが信用出来ないらしく夜の闇を率先と進む子犬に疑惑の眼差しを向けました。
私達の殿を務めるベルンにちらりと目を移せば彼は無言で黙々と私達の後ろを付いてきます。
ヨルムの言葉を止めない所を見るとベルンも同じ気持ちなのでしょう。
そう思いましたが、ベルンは少し考えるように目を伏せると口を開きました。
「――オレはそう思わん」
「ベルン?」
「何、お前こいつを信じるのか?」
相棒の言葉に苛立ちを露わにするヨルムに落ち着いて、とその手に触れます。
元々ヨルムはシリウスを飼う事には反対していた一人です。屋敷の人達の大半が父様と同じ様にシリウスを側に置くことを反対しましたが、それを退け無理矢理納得させたので私は余り強く言う事ができません。
しかしベルンは中立派で様々な意見が出た中でも賛成も反対もせず、ずっと口を噤んでいました。
ヨルムの言葉に否定も肯定もしなかった彼が今回はヨルムの意見を否定するのに対してヨルムは怒りを抱いた様子。
それはたぶん……口にせずとも“私”を傷付けた相手を信じるのか?と問い掛けたいのでしょう。
自分で口にするのは恥ずかしく思いますが、彼らにとって私は忠誠を誓った主であり、大切な存在なのですから。
ヨルムの怒気を感じてベルンは少し躊躇うように言葉を止めます。
だけど、ベルンが何故そう思ったのか。
その言葉を聞きたいのは私も同じ。
歩きながらも後ろを振り返り、ベルンに先を促します。
「……確かにコイツは……“シリウス”はお嬢様を傷付けましたが、それでも……それはシリウスの意思では、無かったと思うのです」
「ああ?」
ベルンの言葉に何言ってんだ?と言わんばかりに柄の悪い声を出し、ベルンを振り返るヨルムはお世辞にもいい表情とは言えない険しい表情でした。
立ち止まり今にも殴り掛かりそうなヨルムに落ち着いて、と今度はその手を握ります。
ギリッと奥歯を噛み締めるヨルムはまさに怒り心頭といった風貌で、ここまで怒りを露わにする彼を見るのは初めてです。
そんな相棒と相対しつつもベルンは自分が口にした言葉を撤回するつもりは無いのか、ただ静かにヨルムを見つめていました。
「……ベルン、何故そう思ったか聞いても?」
緊迫した二人の空気にそっと尋ねます。
その瞳は何の感情を抱いているのでしょうか。
ゆらゆらとカンテラの光に照らされるベルンのその目は真っ直ぐと前を向いていました。
「……オレは、大熊の獣人です。遥か古から森に住み、森の恵みと平穏を守る守護者――その血を引き継ぐ者です。それ故に森に住まう獣と意思疎通も、僅かですが出来ます。シリウスは魔獣と言えど狼の種族。だから……少しだけその感情を感じる事が出来ます」
「……そうなの?」
まさかの事実にその言葉を飲み込むのに少し時間を要しました。獣人がそんな能力を持っているとは知りませんでした。
と言っても獣人の生態自体余り知られてませんからね。
私が知らない彼らの事情は思う以上にあるのでしょう。
話の腰を折って申し訳ないので、浮かんだ疑問は飲み込みベルンに続きを促します。
「“彼”は……お嬢様を、本当に心配していました。目覚めなかった一ヶ月もの間、誰も、ネロ以外を寄せ付けなかったのも、ただ“守りたい”とそう強く思っていたからこそ。それはお嬢様が目覚めてからもその根底にある感情は変わる事はありませんでした。だからこそ、そんな彼がお嬢様に危害を加える事は無いと思うのです」
ベルンはそう言ってシリウスを見つめます。
シリウスは自分の話をされているのを分かっているのか、歩みを止めた私達を見つめる彼は静かにベルンの目を見返していました。
私達では分からぬ言葉が一人と一匹の、ベルンとシリウスの間で交わされているような静かな見つめ合いの中、最初に視線を逸したのはシリウスです。
くるりと踵を返し再び森を進み始めるシリウスに私達はどうするべきか、互いに目配せします。
しかし付いて来い、というかの如くこちらを一瞥しそのまま進む彼に取り敢えずは付いて行く事を決めました。
――そして森を抜け、開けた視界。
夜の闇と月明かりを反射する水面。
辿り着いた先はやはり神域の湖でした。




