Act.67 [宝物]
――――声が聴こえた。
揺蕩う世界で、色なんてもう分からない世界で、ただ一つの叫びを……。
嗚呼、行かなければ――
早く、早く、とく速く。
風よりも、速く。何よりも早く。
――その声の元へと
何を見ていたのか、何を守っていたのか、それすら既に何かに塗り潰された記憶の中で彼は駆け抜けた……。
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ルイは目の前の光景にただ固まる事しか出来なかった。
「ルイシエラァァァ!!」
「往生際が悪いですよご当主。仕事は山程あるのです。さっさと終わらせて下さい」
止めろ離せ!と赤の髪を振り乱し暴れる父様。
それを非情にも引き摺って行くゼルダを見て、私は寝ていたベッドからもぞもぞと起き上がり両手を持ち上げる。
さぁ、手と手を合わせて……南ー無ー
チーン、と心の中で鐘を鳴らし合掌したまま父様を見送る。
……骨は拾ってあげるよ、たぶん……
*
ルイが長い眠りから目覚めてから三日。
どれ位心配を掛けてしまったのか、心苦しくなる程に父親であるガウディは毎朝ルイの自室に突撃を掛けて来てはゼルダに連行される光景が繰り返されていた。
「あらあら、仕方ない人ねぇ」
「母様!」
「おはようルシィ。具合は大丈夫?」
そして出て行った扉から入れ替わるように入って来たのは母親のスーウェ。
彼女もまた毎朝ルイの様子を見に訪れたのだった。
まだ朝食の場には出られない――否、出る事を禁じられているルイはずっと一日中部屋にいた。
ベッドから出る事も止められる始末。
ならばトイレはどうするんだ!?と訴えた声は腹心のベルンとヨルムにおんぶに抱っこで移動させられた。
あれ?おかしいぞ?とルイは冷や汗が浮かぶのを感じた。ここ最近では寝込む事は無くなったが、数年前までは良く熱を出したり体調を崩す事が多くベッドに縛り付けられる事は常だった。
しかしそれだってトイレなど最低限の生理的欲求の際はルイ自身の行動に任せていたのが、まさかの人力での移動。しかもトイレに連れて行かれたら扉の前で待機され終わったら再び抱き上げられての移動。
あれ?これ?人として終わってないかな?
ごりごりと人としての何かを削られていく気がした……。
要介護並みにベッドから起き上がればすぐさま手を貸されクッションを間に挟まれて食事も勉強も全てベッドの上で。
少し庭を見たいと言っても窓辺の椅子に移されるだけ。正直に外に出たいと口にした一言は周囲のどこか仄暗い目で却下された。
あれ?皆、色々病んでないか?とこそっとネロに相談したら誰の所為だ?と仮面の如く作られた笑顔ととても低い声で告げられた。
……ネロこわーい。
「――言っておきますが、当分は大人しく言う事を聞いておいた方が身の為ですよ」
「……そんなに?」
「文字通りベッドに縛り付けられたくなければ」
「……具体的には?」
「手錠と鎖で両手両足ぐるぐる巻き」
「わーぉ、それ明らかに犯罪だよね!?」
「言っておくがマジでその案が実際に出たけどなんとか俺とゼルダ様が皆を説得したんだからな?」
あれは大変だった……、と遠い目をするネロにルイはベッドの上で土下座した。
ルイが行方不明になって一日。そして見つかってから彼女は約一ヶ月も寝たままで姿を現す事が無かった。
アウスヴァン公爵家に仕える暗部と重役しか彼女の行方は知らされておらず、他のメイドや使用人達は彼女を心配し見舞いに訪れても門前払いをくらう日々。
元々ルイシエラを敬愛し、可愛がっていた彼ら彼女らは会えぬ日々に色々と想いを拗らせてしまったらしい。
身の回りの事は自分でしたがるルイを尊重して手を出さずに我慢していた箍も外れてしまったらしく彼らは甲斐甲斐しくルイの世話を嬉々として焼いている。
しかもルイが今までどうなっていたのか知っていた重役達もあんな想いはもうしたくないと言わんばかりに彼らを応援する始末。
「ほとぼりが冷めるまで大人しく人形になっとけ」
「うっ」
腹心の二人とメイド全員を下げた二人っきりの部屋の中でルイは青褪めた顔で泣きそうに顔を歪める。
それを見てネロは思う。
もう少し自分が他人にとってどういう存在なのか自覚して欲しい、と。
あれ程まで周囲から可愛がられ宝物のように愛でられ守られているルイ。
そんな周囲から守られている自覚がある癖に自分の怪我などに無頓着な彼女に小一時間は説教したくなる。
他人の事に対しては酷く敏感な癖して、とネロは心の中で呟く。
幸い目覚めてからあれ程まで治りの遅かった怪我は最初から無かったかのように綺麗に消えた。
傷跡も無く、体調こそはまだ貧血気味だがそれももう少しすれば治るだろうと公爵家専属の医師から太鼓判を押されている。
ルイの身体は魔封病の所為で外からの魔法を受け付けない。風の精霊王である翡翠がルイの身体に満ちる魔力を身体という器の中で循環させているので魔力によって身体全体がコーティングされているのだ。
そして絶え間なく循環されている魔力が満ちた身体は毒や病気などの身体に害がある物に対して通常よりも遥かに強い耐性を宿し、怪我に対しての治癒能力が高い。
だがそれは完璧では無く、魔力を宿した攻撃、病気などには滅法弱かった。
しかも治癒魔法を受け付けない為に重症化しやすく、治癒には長い時間が掛かる。
ルイの前世である日本においての医療技術など廃れており、この世界における医療とはほぼ全てが魔力に頼った治療のみ。薬だって魔草と呼ばれる魔力を宿した薬草を使い、そして調薬の手段として魔力を使い、込めているのでルイの身体には効き目が無い。
唯一の幸いだったのはアウスヴァン公爵家に一般的な薬術師だけでは無く世界でも数少ない薬師がいた事だった。
しかも滅多に外界には出る事が無い一族の出であり、妖精とのハーフである妖人と呼ばれる種族。
今や人の世界では失われた技術と知識を継承する稀有な一族の男はルイシエラの為にその知識と技を十全に発揮した。
細長い耳と見るもの全てを魅了する美しいその容姿。
ルイの前世ではエルフと呼ばれる姿をした彼――ヴェルデの薬は確かにルイの身体に効き目をもたらした。
お陰でルイの怪我も完治し、増血剤の薬により健康な身体を取り戻すにもあと少し。
「……だって」
「だっても、でももない。良いから大人しくしてろよ?」
そう言って部屋を後にするネロを見送る。
ついつい口から溢れるのは深い溜め息。
ネロと入れ替わる様に部屋に入って来たベルンを眺めてルイはベットの中に潜り込んだ。
「お休みになられますか?」
「うん、少し寝るね」
「畏まりました」
甲斐甲斐しく布団を整えるベルンにもぞもぞと少しだけ頭を出してルイは彼を見つめた。
「ねぇベルン」
「はい」
「……ごめんね」
「……」
ぽつり、呟くようにルイは謝罪の言葉を口にした。
それは何に対して謝っているのか。
普通ならば心配を掛けた事に対するものだと思うが、それ以外にも込められている気がしてベルンはじっとルイを見つめた。
その目を見つめ返すルイ。
しかし彼女は何も告げるつもりは無いのか、無言で目を逸らしすっぽりと頭まで布団を被ったのだった……。
*
「……また後で参ります」
布団越しにベルンの声が聞こえた。
布団に入ってから暫くの間感じていた視線。じっと真意を見透かす様な、そんな目から逃れる為に潜った布団の中で軽く溜め息を吐きます。
ベルンもヨルムの気持ちも分からない訳ではありませんが……それでもずっと見張られているのは息が苦しくて、素っ気ない態度になってしまうのは仕方ないと思うんですよ。
誰に言う訳でもなく心の中で言い訳を零す。
父様や母様は勿論、屋敷の皆に迷惑と心配を掛けてしまった事は大変申し訳なく思いますが……。
“あの夜”からもう一ヶ月も経ち、私が目覚めてから三日。その間、ずっと眠り続けていたと聞いた時は目玉が飛び出るかと思う程驚きました。
自分の体感的には一日、二日ぐらいだと思っていたらまさかの一ヶ月。それは私に掛けられていた魔術の所為でもあるそうです。
致死量に近い程の出血で生死の境を彷徨った私は禁術とされている魔術を掛けられ身体の時間をほぼ止められていたそうです。
といっても完璧な時間停止ではなく、あくまで遅延であり、肉体の時間を引き伸ばす時間稼ぎの魔術。
一秒を何分にも、数分を何時間にも引き伸ばし、そして私の意識が戻る事を賭けて掛けられた禁術。
お陰で私は肉体が力尽きる前に意識を取り戻し、身体の傷は塞がりもう直ぐで健康を取り戻す程になりました。
しかし、今までで一番生死の境を彷徨ったからか屋敷の皆は今まで以上に過保護になり部屋から一歩も出れず、そんな中なのに部屋でも数人の監視の目があります。
最早実質的な監禁ですよコレ。
といっても部屋にいた筈なのに行方不明になってほぼ瀕死状態になった私が悪いんですけどね!
それはそれ、これはこれと言うやつです。
布団を被ったまま目を開ければそこは真っ暗な世界。
でも僅かに光る色とりどりの揺らぎは部屋を監視する暗部の人の魔力です。
以前から薄い壁一枚は透けて視えた魔力の揺らめき。
しかし今回の事があってからその視る力は以前よりも増して強くなったのを感じます。
布団を透かして視えた魔力。
目を閉じて集中すれば、その視る視界は部屋を飛び越え周囲の部屋にも及びます。
天井に二人、窓の外に一人、部屋の扉にもう一人。
庭の所に二人、廊下には三人が移動し、見覚えのある闇の気配を纏うのが足早にこちらに向かってくるのが分かりました。
闇を纏うのはこの屋敷ではただ一人、ネロだけなので直ぐに分かります。
今まではこんなに詳しく感じる事はありませんでした。
分かる範囲も部屋の中ぐらい。
それが屋敷の半分ぐらいまでは視えるようになった事を考えると……“魔眼”というのは一体どれほど視えるようになるのでしょうか。
これが限界なのか、それともまだまだ成長途中なのかもしれませんし、寧ろこれは魔眼の力ではなく私自身の能力なのか……それすらも分かりません。
もぞもぞと布団から出て見つめるのは自分の右手。
黒々と刺青の様に浮かび上がる女神ルーナの紋章。
その手を掴んだ夢の中の白いルイシエラを思い出します。
夢のようで、現実の世界。
真っ白に染まった景色と穢れた黒。そして輪郭しかなかった彼女を……。
「でも……夢じゃ、無いんだよね……」
ポツリと呟いた言葉は小さく部屋に溶けていく。
少しだけ動いた天井の気配と窓の気配を一瞥し、枕元の小箱に手を伸ばします。
私が動くたびにそわそわと落ち着かない様子の彼らに内心呆れながら小箱を開ければ、そこには壊れた髪飾りが一つ。
リドから貰った髪飾りは守護魔法が掛かっていた魔封石が壊れ、銀細工の部分も花弁部分が欠けていたりとボロボロになってしまいました。
貰ってからまだ一ヶ月……いや、プラス一ヶ月寝ていたので二ヶ月ですが、そんな早くも壊した事に後悔しかありません。
だけど、この髪飾りのお陰で助かりました。
「……ありがとう」
あの時、黒い靄に手を伸ばした時……私を襲ったのは真っ黒な穢れた闇と鋭い牙です。
右手に激痛が走り、そして――穢れた闇が私の手を侵食するのを感じました。
右手の怪我から皮膚を、血を、黒く染め上げる穢れ。
言葉にできない程の恐怖と嫌悪感。
心の底から悍ましいと震えるほどの不快な感情が胸に広がり――のみ込まれると思いました。
だけど……もう駄目だと、思ったその瞬間。
私を守る様に光を放ち穢れた闇を退けたのが、この髪飾りです。
夕陽の色を灯し、私を包み込む光。
それが穢れた闇を祓い、髪飾りは魔封石を砕いてもなお私の右手に噛み付く“何か”を打ち払いました。
……それを最後に私の意識はそのまま闇に沈み、目覚めた時はあの真っ白な世界にいました。
「……リド」
彼がどんな思いでこの髪飾りに守護魔法をかけてくれたのか分かりませんが、それでもこの髪飾りがなければ私はあのまま穢れた闇にのみ込まれた事でしょう。
労るように撫でる髪飾り。
確かに私を守ってくれた彼の心を感じてどうしようもなく泣きたくなります。
会いたい、と口に出来ぬ想いを心の中で吐露し大切に胸に抱いては部屋の窓から外を見上げます。
彼は今、何をしているのでしょうか……。
脳裏に思い描く灰色の髪と夕焼けの瞳。
彼の無事と健康を祈ってルイは空を見上げた――




