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暁の姫君と黄昏の守護者  作者: zzz
第二章
64/79

Act.63 [闇の獣]

 



 ――世界を照らしていた太陽が天空の彼方へと沈み込み、代わりに上るのは闇を照らす月。


 しかしその月は弧を描く欠けた三日月。鮮血に染まるその月を人々は畏怖と畏敬を込めてこう呼んだ――《女神の血涙》と……。



 それは吉兆と凶兆を表す月。


 闇に生きる者には吉兆を。

 光に生きる者には凶兆を。



 世界のどこかにいる者達に向けて女神は警告と憂いを世界へと示す――――





 **********************





 パキり、踏まれて音を立てる枝。

 鬱蒼と生い茂る木々が落とした枯れ葉と枝を踏み締めてルイは迷う事無く突き進む。



 ――そこは神域の森だった……。





 昼間にはあんなに穏やかな森も夜の闇に包まれては別の姿を露わにする。


 木々は不穏なざわめきを囁き、風は冷たく肌を粟立たせ、森の中の沈黙は息を吐くのも躊躇う程。



 普通ならば夜行性の動物が居てもおかしくないのにも関わらず森は緊迫した沈黙に包まれていた……。




「……」



 パキり、パキり、ルイの足音だけが森に響く。

 何かに導かれる様に突き進むルイ。



 鬱蒼とした神域の森は微かな月の光さえ通す事なく、真っ暗な道を手探りで進む。





「……静か過ぎる……」



 ついついポツリと溢す言葉。

 その場に立ち止まり。ぐるりと辺りを見回しても私の瞳に映る筈のものが視えない事に一人で来てしまった事を少しだけ、後悔しました。


 しかし今更戻る気にもなれず、気を持ち直し、また足を踏み出します。

 道は見えずとも何回も通った道を記憶を頼りに進み、時折足を止めて辺りを見ても――精霊や妖精の姿はチラリとも見えません。


 ……おかしい。




 何故と首を傾げても答えなど無く。

 どこか緊張を孕んだ風を受けては僅かな焦燥に手を握ります。




 ここは神域の森。精霊や妖精達の楽園です。

 勿論、動物達だっています。



 昼間に活動する動物達が寝静まる夜ではありますが、それでも夜行性の動物が居るはず。

 何時もならば聞こえる梟の鳴き声すら無く、動く気配は私が探しただけでも皆無です。




 それに加え、精霊や妖精は睡眠を取る必要が無いので何時もならば必ず見えていた沢山の彼らの姿も無い……。




 それがより不安を煽ります。

 いつもと異なる様相の森はあれ程居心地の良かった雰囲気など無く、全てを拒絶するかの様な嫌な雰囲気です。




 でも、あの時――中庭で感じた気配は微かな程ですが感じます。

 不思議な、でも確かな生き物の気配。

 残り香の様に微かに“生”を匂わせる気配。その気配が誘うように残る残滓の気配を辿り進んで行きます。


 そして目の前に拓ける景色。

 闇夜の薄い月明かりに輝く湖面。


 丘の湖は静かな沈黙を湛えたまま変わらずそこにありました。



 しかし、やっと目に映る気配の正体。

 それは私とリドがいつも座っていた定位置の木の根元に居ました……。









 *




 それはもやもやと形容し難い黒い“何か”


 宵闇に染まりながらも私の眼には視える“それ”




「なに、あれ……」




 蹲るように、木の根本に居るモノを見つめ言葉が漏れる。



 それはどこかで見た事のある靄。

 感じる気配は最早“生”などでは無く、穢れた悍ましいもの。



 こちらに気が付いていないのか、動く気配の無いのを良い事によくよく目を凝らして“それ”を観察します。




 靄と言えば思い浮かぶのは魔人ヒュブリスです。

 霞のような存在が不確かな魔人。

 人や動物に取り憑き、狂気と穢れを撒き散らす迷惑極まりない奴。


 お互いの名乗りにより、あの時から私とヒュブリスはある種の契約を成しました。

 ヒュブリスの攻撃対象が私だけになるように、私はその攻撃から逃げられないように。


 しかしあれ以来、ヒュブリスとは会っていませんしそんな情報も無く。

 あれだけ呪いにも似た言葉を吐いた奴が何もしないはずは無いと警戒していましたが少し肩透かしを食らった気分です。


 そんな奴が今頃来た……?




 わき出た疑問は私の理性が否定します。



 お互いが初めて会ったあの時から直ぐに行動していたのならまだ分かります。

 あの頃ならば身体も弱く、弱体化していたヒュブリスでも簡単に私を殺せるでしょう。

 いくら私が蝶よ花よと守られていたとしてもヒュブリスが本気で動けば私など取るに足らない存在なのですから。


 ……彼にとっては相性が悪くても。




 あれから三年の月日が経っています。

 今の私の身体は倒れる事が無くなり、戦う術だって今も鍛え、あの頃よりは戦えると自負しています。



 そんな状態の敵に真っ向から来るか?



 靄の形状からして人ではありません。

 動物に取り憑いていたとしても圧倒的に不利でしょう。

 奴の強みは取り憑いた相手の力を穢し、増幅することなのですから。

 ならば……ヒュブリスならばどうするか。



 そう考え下す判断は真っ向勝負では無く、策による謀殺。

 じわじわと周りから攻めていき、最後には相手の逃げ道さえ塞いで闇に堕として穢し、殺すやり方です。




 そう結論付けて数秒。


 考えるのが少し面倒臭くなって私は悩む思考を放棄し、謎の靄に向かって進みます。



 どうせまだ八歳では無いのですから、ここで死ぬような事態にはならないでしょうし。





 そんな謎の確信を持って靄に近付きます。
















 **







 ――その頃、アウスヴァン公爵家の隠れ屋敷は緊迫した雰囲気に包まれていた。




「ルイシエラはまだ見つからないのか!」



 屋敷の一室には緊張した面持ちの複数の男女。


 アウスヴァン公爵家当主のガウディを筆頭に筆頭執事のゼルダ、ガウディの妻スーウェ、側仕えの獣人ベルンとヨルム。そして部屋の隅には頭を垂れる専属メイドのルーナ、その隣には険しい表情の庭師のフォグとヴェルデ、料理長がいた。


 ガウディの前には腹心のグインともう一人――ガウディの怒鳴り声に跪く黒服の男。アウスヴァン公爵家の暗部を束ねる男がガウディの問いに返答する。



「現在暗部全てを使い捜索中です。今暫くお待ちを」


「だがっ――」


「落ち着けよ馬鹿が」



 なおも声を荒らげるガウディの脳天にフォグの拳骨が炸裂する。



「今ここで騒いだってなんも意味ねぇだろうが。騒いでお嬢が見つかんなら皆そうしてるっつうの」



 痛みに悶える主人にフォグは堂々と叱り付ける。

 冒険者として活動していた時、先輩後輩の間柄でもあった二人に身分の差など些末なこと。

 勝手知ったるメンバーにフォグも敬う気持ちなど捨て去り説教をする。




「スーウェ様、精霊達は何と?」


「……何も…何も無いの……」



 力の使い過ぎ故にただでさえ白かった顔は血の気が引き今にも倒れそうなスーウェ。

 しかしいくら呼び掛けてもいつもなら力を貸してくれる精霊達は無言ばかりを返答としていた。




「犯行声明などは?」



 ふらつくスーウェを咄嗟に支えるルーナ。

 近くの椅子にスーウェを座らせ振り返った彼女の問いに答えたのは後輩であるベルン。




「何も……ありません。申し訳ありません!我々が付いていながら……」



 悔恨に拳を握り頭を下げるベルンとヨルム。

 特に直前まで共にいたヨルムは言葉さえ発することの出来ない程の後悔に震えていた。



 ――ルイシエラが姿を消したのは夕食の少し前。


 執事長のゼルダとの勉強が終わり、夕食までの束の間の時間にルイシエラは自室から忽然と消えていなくなった。


 最初の発見者は夕食の準備が整った事を知らせに行ったルーナとネロ。

 部屋には争った形跡などなく、ただテラスへの扉が開いていた。


 最初は中庭に降りただけだろうと二人は庭を探したがそこにルイシエラの姿は無かった。

 ならば庭から別の所に行ったのでは?と二人は専属護衛のベルンとヨルムにも声掛けて屋敷中を探し回ったがそれでも彼女は見つからなかった……。



 夜も近付き警戒を強めていた警護役である暗部達からの目撃情報も無く、部屋にいた時からの足取りが一切途絶えている。



 誘拐か、暗殺か、ありとあらゆる可能性を考慮して探してもルイシエラの姿は無い。


 一番の最悪な可能性は一人でどこかに行き事故か何かに遭ったか。


 神域の森も捜索したい所だがあそこは選ばれた者しか足を踏み入れる事は出来ない。

 今の屋敷にいるメンバーで自由に出入りできるのはガウディとゼルダ、そしてまだ若いネロのみ。

 ネロはまだ若く、一人で行動を許すのも時間的には夜も遅くなり始めている今では危険過ぎて許可出来ない。

 ガウディは全てを取り纏める者として動く事は出来ず、例えスーウェに指示を任したとしてもアウスヴァン公爵家に仕える者はガウディの指示しか聴かない者も少なくないのが現状だ。


 ゼルダはただ沈黙し、自ら名乗り出る事も無く傍観の姿勢を崩さない。




「くそっ!待つ事しか出来ないのかっ」




 焦りに頭を掻き毟るガウディ。

 動けぬ己の立場に歯噛みしながら窓から見つめるのは神域の森の方向。



 刻一刻と時間は過ぎる。



 何も出来ぬまま時間だけが無駄に過ぎ――そして朝日が顔を出した時刻。事態は動いた。








 *





 ――それは暁が顔を出し、地平線の彼方から朝の訪れを報せる……そんな時刻。



 最初にそれに気付いたのは神域の森との境を監視していた暗部の人間だった。




「おいっあれは――」

「お館様に伝えろ!ゼルダ執事長を至急呼べ!」




 まだ深い闇に包まれた森の裾。

 木々の間からゆっくりと現れた――それは闇の化身とも言えるモノだった。




 真っ黒な毛並みは禍々しささえ纏い、地面を抉る鋭い爪。

 獰猛な牙を晒し、荒い息を吐くのは――一匹の魔獣。



 その姿は犬なんて可愛らしいものではなく無駄という無駄を削ぎ落とした筋肉質な細身の体に獲物を狩るために特化した獣は狼の姿をしていた。



 血のように真っ赤な右目。

 彼らの主を彷彿とさせる金色の左目。



 赤と金を宿した両眼でその獣は殺気立つ目の前の弱者を睥睨した。



 だが、彼らが注目するのは異様な目の前の魔獣では無く、その背に背負われた小さな姿。




 力無く揺れる地面に垂れるその手。

 うつ伏せで背負われている所為でその顔は確認出来なかったが、それでも濃い真紅の髪の毛、血が滴る右手はいつもは消えている筈の女神ルーナの紋章が黒々と浮かんでいた。


 それだけでその姿が彼らが探し求めていた少女だと分かった。




 意識が無いのかピクリとも動かないルイシエラの姿に暗部の男達はつい頭に上る血に殺気を放つが、それでも彼らがその場から動く事は出来なかった。



 相対しているだけでも感じるその威圧感。

 じりじりと肌を焦がす強い殺気は狼の魔獣から。



 目を逸らした瞬間に喉元を食い破られる未来しか思い浮かばず、冷や汗がこめかみから伝い流れていく……。



 魔獣は神域の森との境目、木々の側から離れることなくそれ以上男達に近づく事は無かった。



 緊迫した空気が周囲に満ちる。

 太陽が上り世界を照らしてもなおどこか暗い森は生き物の気配すら感じられず異常な程の静けさを保っていた。



 ――それからどれ位の時間が経ったのだろうか。

 正確にはたった数分、数秒にも満たないだろうが、それでも長く感じられた時間も忙しない足音が聞こえた事で意識を魔獣から移す。



「――すみません。遅くなりました」


「ゼルダ様」

「お嬢様の意識はありません。右手からの出血を確認。魔獣はあそこから動く様子はありません」



 屋敷から足早に駆け付けたゼルダ。


 暗部の男達は魔獣から目を離すことなく言葉少なに報告し、一歩下がってはゼルダへと道を譲る。





「――お前は」



 ゼルダは目の前に相対する魔獣を見つめて目を見開いた。

 知っているのか?と首を傾げる暗部の男達を尻目に、魔獣は初めて声を発する。



「グルルルル」


「そうか、もうそこまで……」



 まるで会話を交わすように魔獣は唸り、それにゼルダは険しい表情で相槌を打つ。

 だが時間は無い。


 詳しく話が聞きたい所だがいまだにルイシエラの手からは鮮血が滴り落ち地面に血溜まりを作る。

 ルイシエラが姿を消してから一夜明けた事を考えればその手の怪我がついさっき出来たものだとしても出血量が気掛かりだった。

 特にルイシエラは治癒魔法が効かない。

 治療にも時間が掛かることを考えれば事は一刻を争う。




「彼女を返して頂いても?怪我の手当をしなければ」




 一歩、魔獣に近付くがそれを嫌がるように魔獣は歯をむき出しに威嚇する。


 それにゼルダの纏う空気が一変した。

 ざわり、ゼルダから発せられる冷たい空気に木々が不穏な音を立てる。





「――今の貴様に何ができる?出来ないからここに来たのだろうが。大人しく彼女を渡せ」



 いつもの丁寧な口調を取り払った言葉。

 ぴりっと肌を刺す殺気に背後に控えていた暗部の男達は底冷えする恐怖に足が震えるのを感じた。


 初めて怒気を露わにゼルダが凄む。

 無表情に魔獣を睨み付け、その声は荒らげる事無くとも苛烈な程の怒りに塗れていた。





「彼女は我らの希望。如何に貴様だといえどこれ以上の勝手は赦さんぞ」


「グルぅ」



 冷たく光る灰色の瞳。

 上から睥睨するその瞳は冷たく、一切の感情を削ぎ落としたそれは相対するモノの心すら恐怖に凍りつかせる程の威圧に満ちていた。



 ゼルダは威嚇する魔獣を無視し、そのまま歩を進める。




「返せ。このお方を殺すつもりか?」



 その言葉に観念した様に魔獣は一つの唸り声を上げてはその場で腰を下ろす。

 首を後ろに回しその背に背負った少女を一瞥し、ゼルダを見上げた瞳はどこか憂いた色を宿していた。




「心配するな、お嬢様はお強い方だ。じきに目を覚ます」



 ふっと心配そうな魔獣に少しだけ表情を和らげ、その背からルイシエラを抱き上げる。

 大事に抱え直しその顔を見れば随分と青褪めた色をしており、どれだけ血を流したのか……脈も弱く、呼吸も微かな程。




「――スーウェ様とヴェルデを呼べ!血を失い過ぎている。事は一刻を争うぞ!」


「「はっ!」」




 簡単な目視で状態を確認し部下達に指示を飛ばす。




「――それとその魔獣も連れて来なさい」


「っ!宜しいのですか?」

「余りにも危険では?」


「構いません。責任は私が取りましょう。――付いて来い。お前も心配なのだろう?」



 魔獣としても高位に位置するだろう狼を見つめ戸惑う部下に告げては魔獣に声を掛ける。



 それを聞き腰を下ろした体勢だった黒い狼は静かにゼルダの足元に寄る。

 その目はルイシエラを見上げ先程までの獰猛な姿は無かった。




「何があっても大人しくしていて下さいよ」


「グルぅ」



 先程からゼルダの言葉を理解しているのか返事としか思えない唸り声が返る。



 そしてゼルダはルイシエラを抱え足早に屋敷へと入っていく――……





 一夜明けた屋敷は騒然とした騒ぎに包まれ、ルイシエラはすぐに手当てを受けたが――その間、彼女が目を覚ます事は無かった。










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