Act.55 [さぁ、同じ想いを返しましょう]
――大地の神は蒼穹を見つめ拳を握る。
愛し子の慟哭を聴き、怒りを受け止め、静観する事しか出来ぬその身の不自由さを嘆く。
――覚悟を、していた筈だった。
もう二度と相見える事すら、触れ合う事も話す事も出来ぬ魂の半身を見つめ、その心を憂う。
慰める事も癒す事も出来ない現実にただ拳を握り締める事しか出来ない。
だが、愛し子ぐらいはどうか己と同じ身にならぬように、手を尽くし、力を注ぐ。
どうか、どうか、あの子だけは。
大地を支える一柱はそう願わずにはいられなかった。
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――礼拝堂は夕焼けに染まり、太陽は夜の訪れを迎える。
オレンジ色に染まる中には等間隔に並んだ長椅子。
その一つに小さな影が待ち人を待って座っていた。
「……リド、遅いなぁ」
ぽつり、つまんなそうに呟かれた声。
先程のドレスよりは少し質素な形の服を纏い、ルイは戻る気配の無いリドをただ待っていた。
――何かあったのかな?
二階へと上がる階段の方を見ても来る気配は無い。
ここは闇の精霊の子がいるし……。うーん。
闇の気配は礼拝堂を覆うようにそこかしこにあるから、どこにいるか分からないし。
着替えを渡して、悪いけどリドには物置の方で着替えてもらっている。同じ部屋でも良かったけど……やっぱり私も女の子だからね!
誰に言う訳でもなく言ってみる。
空は既に夕暮れ。茜色に染まった空をステンドガラス越しに見上げ欠伸を噛み殺す。
全力疾走したのと、祝福の力を使ったのもあってか今頃疲労感が眠さとなって現れた。
――それにしても、今日は色々あったけど良い日だったなぁ。
一人だけなのを良いことににやにやと相好を崩す。
まさかのレイディルの暴走とか、リドの獣の姿とか、本当に色々あったけどリドの言葉は私の心を確かに支え守ってくれる一言だった。
前世のゲーム――「払暁のファンタジア」の中で見たキャラクターとしてのルイシエラと今の、ルイシエラとなった私。
少し前まではどこか他人事に思えていたルイシエラの役割、その周りの事。だけど、翡翠さんが私を守り、眠りに付いた時、私は本当の意味で覚悟を決めた。ゲームでのルイシエラもまた“私”であり、そしてゲームの様に決められた道筋を進むのではなく、自分自身の道を突き進む事を……。
ルイとしての私を守ってくれた翡翠さんに報えるように。
その中で、私は様々なものを手に入れた。知識は勿論、力の使い方や戦う術。そして私自身の剣と盾を……。
ゲームのルイシエラでは持たなかった力を持つ為に死に物狂いで掴んだ私の力。
だけど、どんなに足掻いても私は“ルイシエラ”なのだ。それを納得して決めた筈なのに……どうしても脳裏にチラつく、気高く心優しいお姫様としての彼女の影。
幾らこの世界がゲームではないのだと自分に言い聞かせても……彼女だったらどうするのか、そればかり考えてしまう。
だからだろうか……リドの言葉がこんなに心に響き、そして歓喜の感情が胸を締め付けるのは――。
リドとは初めから“ルイシエラ”としてではなく、“ルイ”として出逢った。
結局はすぐに身元が知られたがそれでもリドは、リドだけは翡翠さんと同じように私を公爵令嬢の“ルイシエラ”としてではなく“ルイ”として扱ってくれた。それがどんなに私にとって救いであったか……。
そしてあの言葉。
にやけるのも仕方ないだろう。
心に灯る温もり。それがどんなに私を勇気づけ、支えてくれるのか。改めてリドには惚れ直したといっても過言ではない。
その感情がどんな色を持つのか、薄々気付いているけど、でもその色をはっきりさせることは出来ないだろう。
公爵家の人間として、いつか来る別離の未来を泣いて暮らす事は出来ないのだから。
でも、今だけは――秘めることを許して欲しい。
女神ルーナの銅像を見上げ想う。
いつかきちんとけじめを付けるから。この仄かな恋心とさよならできるようになるから。
今だけは――どうか、どうか、と願うように心の中で呟く。
夕暮れに照らされオレンジ色に染まる礼拝堂。
見上げた銅像はまるで優しく微笑んでいるように見えた――――
*
それからどれくらいの時間が経ったのか、ぎしりぎしりと階段が軋む音に振り向く。
「あっリド!」
「ルイ……」
階段を降り、こちらを見つめる茜色の瞳。
渡した服は少し大きかったのか、袖と足元が少し折られて長さを調節されていた。
白いシャツに黒のズボン。靴は元々履いていた焦げ茶のブーツ。
少し地味めな格好だけど改めて恋心を自覚した後だとどうしてもキラキラとした無駄なエフェクトが見える気がしないでもない。
落ち着け自分!と内心言い聞かせながら椅子から立ち上がりリドの元へと進む。
だけど、近付けば視界に入るリドが手に持つ一本の剣。
珍しい程に鞘から柄まで真っ黒に染まり、柄頭には私の瞳の色に似ている宝玉。
先程まで無かった筈の剣に疑問符を浮かべた。
「リド?それは――」
「ルイ」
何?と問い掛けようとした言葉を遮りリドが私の手を取った。
え?え?なに?これ?
いきなり手を繋がれて若干パニクる。
そんな慌てる私を気にせず手を引くリド。
何も言われないまま手を引かれて進んだ先は女神ルーナの銅像がある祭壇前。
目線で促され隣同士に並びルーナ像を見上げる。
私は気恥ずかしさとパニックで目を白黒させながら答えが欲しくてリドの方を向いた。
――どきり、目が合った瞬間、心臓が跳ねる。
それは甘酸っぱいときめきとかではなく、リドの怖いほどの真剣な表情に鼓動は不規則に跳ねた。
「リド?」
「ルイは騎士の誓いを知っているか?」
「え」
騎士の誓い。それは誇り高き騎士が主に忠誠を誓い、剣を捧げる儀式。
いきなりどうしたのか、リドの真意が知りたくてその目を覗き込むがリドの瞳は何かの強い光を湛えるだけ。
ざわり、不安に心がさざ波を立てる。
何故?どうして?と疑問が大量に浮かぶが、その先の言葉を知りたいような知りたくないような……僅かな恐れが心に浮かぶ。
「一応……いつか私も赤獅子騎士団の長になるからって教わったけど」
「そうか」
りど?
少しだけ嬉しそうに口元を綻ばせるリドに益々不安は強くなる。
どうしてそんな事を聞くのか、何故、剣なんて持っているのか、疑問は嫌な予感を煽り立ててくる。
余程不安な表情をしていたのか、私を安心させるようにリドは仄かな笑顔を浮かべた後、優しく私の頭を撫でてくれた。
それにいつもなら恥ずかしさに顔を赤くするが、今は安心してほっと息を吐いた――その時。
徐にリドは私の目の前に跪いたではないか!
「え、」
「――ルイシエラ・アウスヴァン嬢、いや……“ルイ”どうか俺の誓いを受け取ってくれないか?」
「な、んで……」
何でそんな事言うの?
なんで、どうして、私にそんな事を言うの?
「――俺の剣はいつかこの国の為に捧げられるだろう。来たるその時、宿命の為に俺は国に仕え、この力を奮う事を望まれている……でも、俺はこの誓いをルイに受け取って欲しいんだ」
「っ!」
私より少し低い目線。
でもいつもより近いその瞳は、覚悟の光を宿して私を真っ直ぐ見ていた……。
――脳裏に過るゲームでのルイシエラとリドの誓い。
神域の湖の側で誓った幼い約束。
絶対だ。と互いに交わした指切り。
嗚呼、未来は変えられないのかと失望に心が暗くなる。
言葉こそ違えども、その流れはゲームと一緒。
そんな関係、望んでなんかいないのに。
先程まで考えていたからこそ、その約束の場面は鮮明に脳裏に描かれる。
――モノクロの色彩の中、笑い合う幼い少年と少女。
精霊達が見守る中、交わされたたどたどしい約束。でもその気持ちは確かに二人を繋いだ――。
それはリドの過去編として存在した一場面。
それは後に反響を呼び、ゲームのストーリーが小説化した時にはもっと掘り下げられて書かれていた。
勿論前世の私はそれを熟読した。何回も何回も繰り返し読んでは幼いお姫様の未来を想い涙した事もある。
やがては死んでしまう少女が心安らかに過ごせた時間。それは瞬きのような早さで過ぎ去り、彼女はリドの目の前で命を落とした。
ぐっと唇を噛み締める。
結局は未来は変えられないのか……。いくらストーリーとは違う事をしても。私は、ゲームの“ルイシエラ”でしかないのか。
やっと、やっと覚悟出来たのに。リドの言葉で吹っ切れたと思ったのに。
悔しくて、悲しくて、寂しくて、感情が心が揺れ動く。
だけど――。
「ルイ、聴いてくれ。――俺は公爵令嬢のお前でもなく、女神ルーナの祝福者としてのお前でもなく、ただ――俺を、独りではないと言ってくれた俺の光に誓いたいんだ」
血の気が引いて震える両手を優しく取られる。
真剣に、ただ私の瞳を見て何かを伝えようとしてくれるリド。
「ルイ、ルイ、俺はお前を守りたい。その身も心も、強く立とうとする気高いお前を。辛くても苦しくとも前を見据え、決められた未来に抗おうとするお前に。我慢強くて意地っ張りで、でも誰よりも優しくあろうとする……ルイ、俺はお前を……守りたいんだ」
「リド……」
ルイ、と私の名前を繰り返し呼ぶリド。
緊張に強張り冷たい指先にリドの額が触れた。
何回も何回も、訴えるように私の名前を呼ぶ。
呼ばれた名前、手に込められた力、告げられる心の覚悟。
それらが私の冷たく凍える心に沁み渡る。
――嗚呼、私は馬鹿だ。
こんなに、こんなに私を認め、“私”を守ろうとしてくれる人を少しでも疑った事を恥じる。
ゲームの物語に振り回されて、勝手に決めつけて、失望した事を後悔する。
でも、だからこそ、私は一筋の涙を溢した――。
そして私も覚悟を決める。
「うん、分かった」
目を見つめ返して頷く。
私の為に覚悟を決めてくれた彼に同じ位の思いを返せるように。
握られた手に力を込めて、私は前を向く。
私はもう、迷わない――。




