Act.54 [惨劇の夜、そして彼は望む]
――天空の神は一つの過去に胸を痛め涙を零す。
仕方無かった。変えられるものでは無かった。
その未来を、その悲劇を知りながらも神は何も言わずただその惨劇の一部始終を見つめ唇を噛み締める。
嗚呼――願わくば、彼らの魂に、彼らの来世に幸多からん事を……。
神は祈りを彼らの魂に捧げる――――
************************
――リドが生まれた地は辺境の辺境。
里を険しい山々が囲み、旅人など訪れぬ忘れられた人狼の里でリドは産声を上げた。
生まれた時から刻まれた祝福の紋章。
それは数少なくなった人狼達にとっては希望の星だった。
リドは祝福の能力もあり、他の仲間達に比べて幼い頃から抜きん出た実力を有していた。
人狼の里の民は狼の力を宿し、人と狼の二つの顔を持つが基本的に穏やかな気性で、争いを嫌う種族だった。
世界を支え、守る為に神から遣わされた銀狼の子孫はいつか滅ぶ予感を感じながらも仲間同士助け合い支え合って日々を過ごす。そんな優しい大人達に見守られリドは穏やかな日々をすくすくと育っていた。
三歳の頃には無事に祝福の覚醒を経て、リドの力は益々強くなる。
それに振り回されぬよう両親はリドを厳しくも慈愛を込めて育てた。
やがて、リドには可愛い弟が産まれ家族は騒がしくも幸せな日々を謳歌する。
いつかリドはその宿命の為に里を出ることが決まっていた。
将来人狼の里を守るアウスヴァン公爵家の元に仕え、国にその剣を捧げる事はリドの胸に憧れと共に刻まれた未来。
――しかし、穢れた闇は既に蠢き出していた。
リドが五歳の誕生日を迎えたその日。
里は滅びのカウントダウンを始めていた。
最初は隣に住む老人が倒れたことから始まった。
つい昨日まで元気に畑仕事に精を出していた人が高熱で倒れ魘される。原因は不明。
第一発見者は鍛練の帰りだったリド。慌てて両親に知らせ里の医者の元へと運んだ。
ざわり、心を揺らす衝動を感じながらも無視して里を駆ける。
それから次々と元気だった年配の人から女子供、そして働き盛りの人々が倒れていった。一日足らずで里の半分の者が高熱で倒れていった事態に里長はすぐさまアウスヴァン公爵家へと知らせを飛ばした。
里の医術師では手の施しようが無い。
残った人々はいつ自分が倒れるのか、恐怖を抱きながらも倒れた者を介抱し助けが早く訪れることに希望を抱きその日を終えた。
だが、それは惨劇の序章でしか無かった……。
夜中、リドは夢で魘され飛び起きた。
全身に汗に濡れ、つい今しがた見た夢に震える。首元の紋章が熱を持っているように熱い気がした。
内容は覚えていない。しかし恐怖と怒りと後悔の強い感情が身体を震わせ涙を溢した。
リドは怖い夢に両親の元へと行こうとベットを降りる。それは幼い子供としては普通の行動だろう。
それが間違いだったと誰も思いはしない。だがリドはそれを後に深く後悔した。
「母さん、父さん……」
両親の寝室に入り込み寝ている二人に声を掛ける。
二人はすぐ起きてリドを見つめた。
だがその表情は夜目が利くリドの瞳をもっても暗く澱み見えなかった……。
「――どうしたんだリカルド?」
そう父親がリドに声を掛けるが――その声は何時もの父親とは似ても似つかぬ低く枯れた声。
その時、リドの祝福の紋章が強い力を放つ。
それからのリドの記憶は所々黒に塗り潰されている。
だが、その手が濡れる赤い血が誰のものだったのかは理解していた。
一匹の獣となり果てたリドは両親をその手で殺め、家を飛び出す――
里に次々と上がる遠吠え。危険を知らせ、そして自分はここにいると知らせる声は里の至るところから上がる。
リドはその声を頼りに里を駆け抜けた。
目に入った者を次々と屠り、広がる赤。
獰猛な爪が相手の身体を引き裂き、鋭い牙が敵と認識した相手の喉笛を食い千切る。
いつしか里には火の手が上がり煌々と火の粉が舞う――。
その場に生は無く、死屍累々と広がる見覚えのある姿。
自分の友人が、戦いの師が、何時も声を掛けてくれる近所の姉変わりの人が、兄同然の人が、地に伏しその命の源を垂れ流す。
リドは叫ぶ。
もう止めてくれ!とどんなに嘆いても懇願しても身体は止まること無く目の前に立ち塞がる知人をただの肉塊に変えていく。
泣き叫んでも止まらぬ暴虐の嵐。
それは動くものが居なくなった時、唐突に止まった。
肉体は獣のまま。まるで機械のように里の皆を殺し尽くした猛獣はその場で固まりそして空を見上げる。
奇しくもその日の月は満月。
血の海と化した里の広場で獣は叫ぶ。
それは慟哭であり、怒りであり、そして自らの力を誇るような堂々とした遠吠え――。
だけど、殺戮はそれで終わりではなかった。
「おにい…ちゃん…?」
ずりっと後退りする足音と幼い声。
それはリドが大事に大切にしていた弟だった……。
(嗚呼、やめろっ!やめてくれっやめろぉおお!!)
獣の中でリドは血の叫びを上げる。
だが、無情にもリドの身体を持つ獣は幼い弟の前に立つ。
茫然と振り上げられた手を見上げる弟。
血の気が引いた真っ青な顔が月明かりに照らされ恐怖を宿した瞳がリドに向けられる。
だが、
「うん……怖いけど…いいよ…ひとりじゃないもん」
弟はそう言って泣きながら受け入れるように手を広げた。
「……ごめんね?……おにいちゃん……」
それが弟の最後の言葉だった。
血が舞う、赤が舞う。
倒れていく小さな身体。
地面に落ちる人形はリドが弟の誕生日にプレゼントした狼のぬいぐるみ。
ぽてっと軽い音を立て落ちたぬいぐるみは地面の赤を吸い真っ赤に染まる。
(あ、あぁっああぁあぁぁあ嗚呼!!!)
何故?何故、どうして?疑問が怒りと悲しみに塗り潰される。
慟哭を叫ぶ心のリドに合わせてか獣も再び遠吠えを叫んだ。
里に響き渡る慟哭の叫びは山を越え谷を越え、空高く響き渡った。
――赤が舞う。
パチリ、パチリ、燃え行く火は里を飲み込み全てを燃やし尽くす。
――赤が広がる。
真っ赤な真っ赤な命の欠片は地面に広がり赤黒く変色する。
――それからどれくらいの時間が経ったのか、騒がしい声と音が里に近付くのを聴いた。
でも、放心したリドは全てがどうでも良いとばかりに自分が命を奪った弟の亡骸を抱え声もなく泣く。
「――遅かったかっ!」
悔恨の声。悪態をつくその声はリドの背後から聴こえた。
「……リカルド、すまない!遅くなった……救えなかったっ!」
リドの隣に跪き、頭を下げる偉丈夫。
赤い髪に金色の瞳。大陸最強と謳われるアウスヴァン公爵その人が頭を下げてリドに謝罪する。
数回会った事があるその人にリドは虚ろな瞳を向けた。
それからのリドの記憶は曖昧だ。
ただアウスヴァンのその当主はぽつりぽつりと真実を告げる。
何故リドの祝福が暴走したのか、何故里の皆を殺したのか。
――――里の者は全て穢れた闇に侵食されていた。
その穢れた闇に反応した銀狼としての本能。祝福の力。
リドを守る為に奮われた暴力は里の者が望んだものだった。
その全てが記された手紙を握り締めリドは悔恨の涙を流す。
何故、何故、と叫んでもそれを聞き入れる相手はもう、事切れた後。
里長は全てを理解していた。
最初に倒れた老人が一瞬きの理性を振り絞り告げた言葉。
穢れた闇を知るからこそ、それに対抗出来る銀狼の血を引くからこそ、彼らは誇りの為に世界を穢す事が無いように死を望んだ。
重荷を背負わせてしまう事を憂いながらも、死の救いを望んだのだ。
それを理性の断片に記憶する。
――穢れた闇はうっそりと歓喜の笑みを浮かべた。
**
「あれは俺の罪だ!もっと他にも、助ける術が、あったはずなんだ……」
一瞬の記憶の反芻にリドは呟く。
だがそれは闇の精霊によって無慈悲に否定された。
『残念だけどあれ以外の手段はないよ。紅蓮の名を背負う彼だってその為の覚悟をしていた……里の皆を殺す覚悟を』
「そんな……」
『穢れた闇を浄化出来るのは女神の祝福を受けた者だけ。それとも君は彼を、そしてあのお姫様を責めるかい?』
早く生まれなかった事を、早く駆け付けなかった事を。
そう言外に問われリドは反射的に首を振る。
そんな事を責めるのは違う、と否定に顔を歪める。
ガウディは十分早かった。当時ガウディが居たのは王都。そこから里までは普通は早くても一週間以上掛かる。しかしガウディはたった半日で駆け付けてくれた。
使役する魔獣を駆り、走り潰しても、駆け付けてくれたのだ。どんなに疲弊しても、仕事も立場も放り出して。
護衛が必ず付くはずが、それすらも置き去りにしてただ一人で駆け付けてくれた人を、恩人を責めるのは違う。
ルイに対しても何故早く生まれてくれなかったと嘆くのだって筋違いだ。
それに惨劇があった当時にはまだスーウェには妊娠の兆しすら無かった。ガウディとスーウェは長年子宝に恵まれず、ルイシエラを妊娠したのだって結婚してから約10年も経ってからだった。
――理性では理解してるのだ。
責任を負わなければならない者など居ない事を。
あのまま現状が悪化していれば穢れた闇に染まった人狼の里は滅びと共に世界を荒らしていただろう。
だが、感情は納得しない。後悔は尽きないし、溢れ出す感情は自分自身を責める。
『それでも君が自分に罪があるのだと言うのは彼らが悲しむよ?』
「なにを――」
『彼らは救いを望んでいた。死という救いを。そして一人残してしまう君を死ぬ瞬間まで憂いていたのに……自分達の死が君を責めることの無いように、大地の神に願い、祈ったんだよ?』
だからこその暴走とも言える祝福の顕現。
そして獣としての姿。
ただ、悲劇はリドの理性が思ったより強く、記憶を残してしまった事。
「っだからと言って――」
『君にとっては悲しいし、非情な選択だったかもしれない。でも彼らは君に殺されて救われたんだ。穢れた闇から……解放され、女神の箱庭まで魂は辿り着いた』
女神の箱庭、とリドは呟く。
――それは死した者達が辿り着く楽園。
罪を犯した者には決して辿り着けぬ、死の終着点。
ありとあらゆる苦しみから解放され、そして魂を癒す箱庭。
死を見つめる女神ルーナの楽園に、彼ら――人狼の民は居るのだと闇の精霊は告げる。
『だから君ももう有りもしない罪の意識を捨てるんだ。それが彼らの願いだよ』
彼らを殺めたことを誇れとは言わない。
だが、救いを与えたことを〝罪〟とは言うな。
闇の精霊は死と安寧を司る。
安らかな死を、精神の安定を。
ありとあらゆる〝眠り〟を守り、導く精霊はただ人の幸せを護る事を望まれて生まれたのだ。その役割の為に、彼は言葉を惜しみはしない。
「……俺は……望んでも許されるのか?皆を殺したのに……それが皆の……」
『そう、希望であり、幸福だよ』
「あの子の――ルイの……隣を、望んでもいいのか?」
『それは決して簡単ではないだろうね。彼女が歩む道は君が思っている以上に危険を孕み悲しみに満ちている。そんな茨の道を突き進む彼女を側ではなく隣を望むならば険しく辛い困難な道を進むしかない。でも、君は――覚悟を決めているんだろう?』
その問い掛けは、尋ねているというよりはただの確認の言葉だった。
そして俯いていたリドが顔を上げた時。闇の精霊は目を細め、口元を緩めた。
「――ああ。どんなに辛くても、苦しくとも、それで彼女の隣に行けるのならば俺はその全てを抱えて進みたいっ!俺を求めて欲しいとは望まないから、その背中を守れるように……俺は強く、ありたい」
強い、強い覚悟を込めた瞳が薄暗い部屋に煌めく。拳を握るリド。だが、その込めた力は先程の強い後悔や懺悔の念ではなく、彼の心に通った一筋の望みによって握られた。
強く自分を見返すリドに闇の精霊は真剣な目を向ける。
肌が粟立つ感触。そして本当の闇はその姿を変えた――
『――汝のその願い、二度と取り消すことなど出来ぬぞ。後悔はないか?己の命を惜しむ事は無いか?二度と引き返せぬ深い闇への道、それがあろうともその覚悟、違える事は赦されぬぞ』
「っああ!」
『ならばその覚悟を祝福しよう――闇の精霊王たる我が身の力を――汝に……』
「っ!?」
先程までの柔らかい口調を改めて厳かに告げられた言葉。
小さな気配が膨れ上がり、部屋を闇が覆い尽くす。
自分の手元さえも見えぬ真っ暗な暗闇。
だが、恐怖は無い。
リドは驚きに肩を揺らすが、覚悟を胸に奮い立つ。
『さぁ――掴み取れ、汝の希望を』
暗闇に響く声。それは深く低い威厳のある声。
リドは促されるままに手を伸ばし何かを掴む――。
「っく!ああぁあああ!!!」
ずるり、闇を引き摺り力の限り引き抜く。
辛い記憶がリドの脳内を埋め尽くす。
両親をその手で殺した感触。血で染まる身体。弟の死に顔。
化け物と呼ばれた。嫌悪の視線を向けられた。畏怖を浮かべた表情――
神に怒りを叫んだ。過去に憤怒を抱いた。変えられない現状を嘆き、穢れた闇に染まり。
そして――自分自身を憎悪した。
まるで見せ付けるように、忘れるなと言わんばかりに脳内に刻まれる記憶。
――でも、だからどうしたっ!
仲間の顔を思い浮かべる。共に戦う仲間を……。
自分のおぞましさを笑い飛ばしてくれた戦友を。
恩人の言葉を思い出す。
力に振り回されぬように強くなれ、と信じてくれた先達を。
悔しさに唇を噛み締めれば励ましてくれる声を。悲しみに涙すれば背を叩いて慰めてくれるその手の温かさを。
慕ってくれた弟の笑顔を、家族の愛を作り守った両親の顔を。
独りでは無いのだと言ってくれた――ただ一人の少女を。
愛された記憶を、愛される温もりを、強く思い出しリドは叫ぶ。
「俺はっ!もう二度と後悔はしない!闇に怯えはしない!俺は二度と大切なものを間違えはしない!だからっ――だから俺に力を!」
寄越せ!そう叫び引きずり出す。
『――それが汝の覚悟。汝の決意の証明――』
キラキラ、夕闇の明かりを照り返す一筋。
『汝、その魂を汚すことなかれ。その心を偽ることなかれ。それが――君の希望を守る刃』
光を吸い込むような真っ黒な刀身。
透けるほどに薄い刃先は薄闇を宿し、夕陽の灯火を一筋引かれた見事な剣。
僅かに反りが入る剣はリドのその手にしっかりと握れていた。
『僕は君を応援するよ。その恋心も含めてね』
「っ!」
すぃ、と目の前に浮かぶ小さな半透明の姿。
最初見た姿よりも小さく、薄くなった気配。だが、闇の精霊王たる彼は笑顔を浮かべた。
しかし、息を飲み剣に見とれてたリドはいきなり言われた言葉に動揺が隠せず顔を真っ赤に染めた。
「な、なんの事だっ」
『今さら隠してどうするの?』
クスクスと笑い声を上げる。
『それは君の魂を使い形作ったモノ。君の心が折れない限り、その剣もまた折れることは無い』
「俺の魂……」
『君は彼女の剣となる事を望んだんだろ?その身も心も守れるように。それは僕達も歓迎するよ――彼女は僕達にとっても希望なのだから』
その光を消すことが無いように願っているよ。と言葉を残し、闇の精霊王たるものは姿を消した。
「俺の心――……」
リドは夕暮れで染まる部屋の中、一人残され呟く。
黒い刀身に柄には戦いの神の紋章。そして柄頭には赤紫の宝玉が煌めく剣。
リドは徐にその剣を振るう。
風を切る感触。思い通りに空中に軌跡を描く刃。
まるで長年愛用していた物のように手に馴染む剣は感心と驚きをリドに齎す。
「……」
今初めて手にした筈の剣。だがリドはその剣をどうすれば良いのか本能の中で理解していた。
片手で振るっていた剣を両手で握り、片手を剣に滑らせるように握れば剣は二つに分かれた。
リドの戦い方は二刀流。
それを体現する武器。分かれた方の剣を離せば剣は微かな煌めきと共に空中に溶けるように消えていく。
鞘を望み剣を一振りすれば、刀身を覆うように闇が纏わり付き刃を隠す。
「凄いな……」
思うがままに剣は形を変え、リドが望んだ姿を現すそれを持ち上げ、言葉が漏れた。
「――ああ、誓うよ。俺はルイを守る。その身も心も、決して独りにはしない」
小部屋の窓から差し込む夕焼け。
それと掲げた剣を持ってリドは覚悟を胸に確かな決意を言葉にした……。




