Act.53 [森の礼拝堂にて]
大変お待たせしました!
それは今まで見たものの中でも、一番綺麗な笑顔だった――
どんな感情が込められているのか、その熱い眼差しと涙が滲む赤紫の瞳には……。
傷だらけなのにも関わらず、凛とした姿。
無邪気に素直に向けられたその笑顔が、花開くその笑う顔が――美しいと心が、身体が歓喜に打ち震える。
それを向けられた自分が、誇らしくも少しだけ恥ずかしい。
衝動的に喉まで出かかった言葉を飲み込み、自分も浮かべる表情は――笑顔。
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花びらが舞うエルバの花畑。
互いに笑い合うルイとリドの周りには花の盛りが終わりに近いというのに満開のエルバの花々が静かに二人を見守っていた。
しかし季節は夏を終え、秋へと変わる時期。
肌寒い風が二人の間を吹き抜ける。
「っくしゅん!」
「わ、悪い寒いよな?」
ぶるっと寒さに震えたルイに慌てて自分の上着を掛けようと肩に手をやるリドだが。
「あれ?俺上着どうしたっけ?」
「ずび、あ、鼻水出ちゃった」
いつの間にか無い上着に記憶を思い出そうとするリドを横目にくしゃみの所為で飛び出た鼻水を啜るルイ。
何とも少しばかり間抜けな様子だった。
リドにバレない内に、とワンピースのポケットからハンカチを取り出し鼻をかむルイを見て、その姿に改めてリドは頭を抱える。
リドもルイも服がボロボロで、特にルイはリドに切り裂かれただけではなく随分と泥だらけだった。
「ルイ、もしかして転んだか?」
「……てへっ」
リドの問い掛けに誤魔化そうとしながらも否定も肯定もしないルイについつい溜め息が零れる。
ルイの服は特に足元と膝あたりが泥で悲惨なことになっていた。もしかして、ではなく確実に転んだのだろう。
手を取り手のひらを見れば随分と擦りむいており血は滲んでいないみたいだが、それでも痛かっただろう。
「他に怪我は?」
「あー、うん」
「ルイ」
「思いっきり膝を打ち付けました!」
ギロり、据わった目に睨まれ降参する。
そんな二人は今まであった少しよそよそしい感じが無くなり、随分と打ち解けている様子だった。
それに加えてルイも少しばかり大人ぶっていたものが無くなり年相応な振る舞いにリドの理性はいけないと囁いていてもどうしても緩む表情。しかしこれでは駄目だと表情筋に力を込める。
「リド?」
険しいリドの表情に怒っているのか?としょげるルイにリドは慌てて何でもないと首を振った。
「あー、どうするか、このままでは帰れないよな?」
「うっ、流石にこのまま帰ったらどちらにせよ怒られるけど……ここに来るの禁止されるかも」
どうしようと困る二人。
流石に互いに自分に非があるのを理解している分、保護者達から雷が落ちるのは仕方ないとしても唯一二人で会えるこの場に訪れるのを禁止されるのはルイもリドも嫌だ。
すると、
《―――……》
「え?」
風と共に聞こえた声に気付いたルイが顔を上げる。
その目は宙を見つめ、何やら嬉しそうに頷いていた。
「ルイ?」
どうした?と声を掛けたリドにルイは安堵の表情を向けた。
「あのね、妖精さんが教えてくれたんだけど、礼拝堂に替えの服とか色々あるらしいの」
「礼拝堂?」
「うん、リドは知らないんだ?一応公爵家で保有しているのがこの森にあるの」
行こう。と手を差し出すルイ。
それに戸惑いつつも案内してくれるらしいルイの手を掴み、リドもホッと安堵の息を吐く。
「俺が行っても良いのか?」
「リドなら良いよ。それにあの夜、父様が皆を連れて行こうとしてた場所だし」
「?」
あの夜?と首を傾げるリドにルイは表情を緩めた。
事情は歩きながらでも出来る。支えたいと言ってくれた彼に隠し事はしないと人知れず決めたルイはきちんと話をした。
どうしてあの夜。ガウディが隠れ屋敷であった場所に赤獅子騎士団の面々を連れてきたのか、そしてルイが無理を通してでもあんな事をしたのか。
全てを話した後、リドは一言。
「お前は馬鹿か」
そんなにべもない言葉を頂いたルイだった。
*
かさり、かさり、枯れ葉を踏み締めて足を踏み入れるのはリドにとっては初めて訪れる場所。
森の奥にある礼拝堂は夕焼けを浴びつつも森の中、ひっそりと静かに佇んでいた。
「ここが?」
「うん。ここがアウスヴァン公爵家が所有している礼拝堂……私の祝福の覚醒もここで行ったの」
「そうか……」
鍵は掛かっていなのか、軽く押し入るだけで扉が開く。
道中、ぽつりぽつりと話してくれたルイの大切な存在の話。ここでルイを守る為に存在を懸けて力を振るいそして眠りについた一体の精霊王に敬意を抱く。
例え古の昔、狂気の王と恐れられた風の精霊王だといえどルイを守ってくれた相手。
それだけでも尊敬に値する。
「……綺麗だな」
「うん、“あの時”に結構損傷が激しかったんだけどゼルダが――うちの執事が直してくれたの」
話を聞くだけでも激しい戦闘があっただろう事は察せられたが、今目の前に広がる光景を見る限りそんな戦闘などあったなんて嘘の様に礼拝堂は綺麗な状態だった。
等間隔に並ぶ長椅子、礼拝堂の奥には女神ルーナの像が安置されその後ろには女神ルーナの紋章が描かれたタペストリー。
祭壇には綺麗なガラスの杯が一対。
天窓から差し込む夕日に礼拝堂内は薄暗くとも橙色に染まっていた。
「ちょっと待っててね、着替え取ってくる!」
「あ、おい!俺も――」
「リドはここで待ってて!すぐだから!」
神聖で荘厳な空気に呑まれたかのように銅像を見つめるリドに声を掛けてルイが何処かに駆けていく。
パタパタと軽い足音を残し姿を消すルイに慌ててリドが追いかけようとするが、声だけがリドを押し止める。
どうしようか、一瞬の逡巡にリドの足が止まる。だが、公爵家所有のこの建物を勝手に歩き回るのもどうかと思い至り少しの心細さを覚えながらもリドはその場に留まった。
少しの物珍しさを覚えながらも礼拝堂の中を見回る。
古ぼけてはいるがよく手入れをされている長椅子。こつり、こつり、足を進めれば進めるほど靴音が礼拝堂の中に響いた。
そうして進んだ先。まるで何かに呼ばれているかのように辿り着いたのは女神ルーナの銅像前。
そしてその前に設置された祭壇の上を眺める。夕焼けを浴びキラキラと輝く杯はよく見れば透かし彫りの綺麗なガラス細工で作られてた。そんな美しい一対の杯は芸術品としても一級品だという事が察せられる。
そしてその杯に挟まれる形で安置されている一つの指輪に吸い寄せられる様に目が離せなかった。
「これは……?」
群青色の布の上に安置されている指輪。
細かいレリーフを刻んだ石座に嵌められているのは綺麗な赤紫の宝石。小さなサイズから小指用かと当たりを付ける。
他の物がどこか古いもの特有の年代を感じさせる雰囲気に対してこの指輪はとても新しく感じた。
それと共に感じるのは力強い波動。しかし邪な、穢れた力などではなく清廉な空気と純粋な力はどこか安心感を抱かせる。
無意識に己の祝福の紋章に手を触れるリド。じりじりと心を騒がせる衝動は、この指輪が「欲しい」という欲求だった。
「リド?」
「っ!ルイ」
じっと指輪を見詰めていると隣に並ぶ気配。
どれだけ集中していて見ていたのか、ルイの気配にまったく気付かなかった。
動揺に肩を揺らし隣に立つルイを見下ろす。
ルイはリドが何を見ていたのか察して指輪に手を伸ばす。
「気になる?」
「あ、ああ……」
そっと持ち上げられた指輪。
少しだけ苦笑するルイの顔の高さまで持ち上げられた指輪はルイの瞳の色と瓜二つだった。
光の反射で少しだけ色が変わるのさえ同じ……。
「これね、私が祝福を受けた時にいつの間にか持ってたの」
「祝福の……」
「たぶんリドも感じていると思うけど凄い力、感じる?」
「ああ、でも」
「うん、なんか安心するよね」
力自体は肌が粟立つ程、膨大なものを感じる。だが、それは不思議と恐ろしさは感じない。
寧ろその正反対に心が穏やかになるのを感じる。ずっと見ていたい。触ってみたいと心が安心を求めて騒ぐほど。
「触ってみる?」
「良いのか?」
「リドなら良いよ」
惹き付けられるように凝視するリドを見てルイが提案する。
他の人間ならば正直嫌だがリドなら構わないとルイは指輪をリドに手渡した。
「……凄いな」
「でしょ?だからここに置いてるんだ。ここは神域だからね」
触れた瞬間、ぶわりと身体を巡る魔力の波動。だがそれは魔力の流れを乱すものではなく、心地好ささえ感じる流れ。
余分な力が抜けていく――。感情が、身体が、心が、癒される感覚に深い息を吐く。
そして漲る力。底が尽きることの無い力は何でも出来る無敵感を抱かせる。
もしこれが悪用されれば……この世界は壊れるだろう。そう思えるほどこの指輪は危険な力を孕んでいた。
そしてそれを授かったルイ。もしこれが周囲に知られれば彼女はどうなるのか。
それを考え、リドは血の気が引く思いをした。
ただの想像だが、最悪な想像が頭を過り無意識に手が震えた。
もし、もし、この指輪の存在が世界に知られれば……この指輪を巡って争いが起きるだろう。それは簡単に想像がつく。
北の魔術大国であるタナシュト公国などは喉から手が出るほど欲しがるだろう。それは戦争すら辞さない構えで。
リドの耳にも入ってくる闇の足音。穢れた闇はどんどん大きく、深く、広がり、世界を覆い始めている。
祝福者が産まれ始めているのがその証だ。
遠くない未来。再び暁の神子が召喚されるかもしれないと既に噂は囁かれ始めている。
その中でこんな力を宿した指輪なんて、誰だって欲しがる。
そして指輪を巡る争いに嫌が応にも巻き込まれるだろうルイ。ただでさえ王位継承権を持っているため命を狙われているのに……今まで以上に彼女は狙われるだろう。
「リド?」
顔を青ざめて指輪を持つリドを見上げルイが首を傾げる。
その時俺は――――。
願う場所を、欲しい居場所を、考えては理性が怒りに否定する。
己の役割を、託された役目を考えては本当の心の願いを打ち消す。
リドは何かを振り切るようにルイへと指輪を返した。
「……着替えるか」
「あ、そうだね!えっと二階に上がる階段がそっちにあるから」
指輪を見てるといつまで経っても心が叫ぶ声に揺さぶられる。リドは指輪から目を逸らし、ルイを促す。
礼拝堂は入口の扉近くに小さなドアに隠れた階段があった。そこを上がり二人は二階へと進む。
*
「……俺がいたって変わらないだろ」
ルイに案内され入った小さな物置。
ルイは違う場所で着替えるらしく物置にはリド一人。
物置といっても祭壇に使う調度品の置き場所らしく、小さな棚にはアンティークらしき古ぼけた杯や燭台、三柱神の紋章が描かれたタペストリーが並べられていた。
定期的に掃除がなされているのか埃っぽさはなく、ただ年代物特有の少し重い空気が部屋を支配する。
小さな部屋の為、窓は一つ。
しかし、夕陽が差し込む室内は明るく手元を見るには不便はない。
「俺が側に居たって、変わらない。ルイには守ってくれる人が居るんだ……」
自分に言い聞かせるように呟くリド。
さっきまで騒いだ心を落ち着かせるように、願いを否定して飲み込む。
「俺は戦神イカリスの祝福者。戦う事しか……出来ない」
守るのではなく、傷付ける為の力しか無いんだと強く強く心を言い聞かせる。
この手は、この身体は、既に血に染まっている――。
全てを奪う力……命を、魂を、人の救いを奪った過去を忘れたつもりは無い。だが、それでも、守りたいと思った。思うだけならば許されるだろうと心に秘めていた。でも、それすら既に叫んだ後。
ルイの言葉にカッとなって叫んだ心の叫び。
懇願した心の叫び。
後悔とは後で悔やむ事。
昔の人は確かに的を得た言葉を作ったものだと自嘲する。
「馬鹿か、俺は……」
くしゃり、額に手を当て前髪を掴む。
幾らルイが自分の力を守る為の力だと言ってくれても過去の過ちは変える事は出来ない。
罪を忘れたつもりは無かった。贖罪を済んだつもりは無かった。
でも、願うだけならば、思うだけならば許されるだろうと……思っていた。
それが身分不相応な事を叫ぶ気の緩みになってしまった。
「本当に馬鹿だな」
それは自分に向けて、穏やかな日々に気を緩めてしまった己に向けて。
その時、背後の影が揺らいだ――
『何が馬鹿なの?』
「っ!?」
それは子供の声。男にも女にも聞こえる中性的な声はリドの後ろ、棚の上から聞こえた。
「お前は――!」
『何で、罰を受けないといけないんだい?君に罪など無いのに』
真っ黒な髪に漆黒の瞳。
少しだけ半透明なその小さな姿は棚の上からリドを見下ろし不思議そうに首を傾げていた。
『ねぇ、イカリス神の愛し子。君は何をそんなに悩んでるんだい?心のままに生きればいいじゃないか。お姫さまは君の事が好きだよ?君もそうなんでしょ?』
それは歌うように告げられた。
心底不思議だと言わんばかりの表情。幼い顔はそうするのが当然と、少しだけ笑みを浮かべる。
――彼は闇の精霊。風の精霊王に、ルイに助けられた彼はこの礼拝堂を住処にしていた。
その住処に訪れたルイとリドを影から見つめ、何やら思いつめているリドについ声を掛けてしまったのだった。
闇は特に人との関わりが深い。それ故に穢れやすい闇は人にとっては恐怖の対象だった。
しかし力の大半が失われた彼は少し前まではこうして人の姿を作り上げる事が出来なかった。
だが、運命とも言える奇跡の出会いに彼はどんどん力を取り戻し、やっと人型まで体を作り上げる事が出来るほどまでになった。
人と関わるからか、彼は人間の事が大好きだった。
余計なお節介かもしれないが、それでも彼の――リドの憂いを払えるならばと、取り戻した力を使いこうして目の前に現れる。
「闇の精霊……なのか?」
『そんな事はどうでもいいよ。君は君の心を偽る事を止めるんだ』
それが君の為だよ。と闇の精霊は告げる。
だが、それはおいそれと頷けるものではなかった。
「お前にっ何が分かる!?俺は家族を、友を皆を殺した!あの日、あの時の事を罪と言わずなんと言うんだ!」
ぎゅうと拳を握り締める。
あの日――、力に溺れ、力に飲み込まれ、衝動のままに暴れた悲劇を、自らが犯した過ちを忘れる事など出来やしない。
暗く、虚ろな闇を抱いてリドは唇を噛み締める――思い出すのはあの惨劇の夜――。




