Act.48 [対話]
今でも目を閉じれば思い出す――
真っ白な病室。代わり映えのない日々。
でも掛け替えの無い大切な日常。
嗚呼――記憶は色褪せることなく私を彩る。
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「――私は生まれた時から病院で過ごし19年の歳月を生きました。そして死ぬ瞬間に、女神ルーナの声を聞きこの世界へと転生して貰った人間です。」
「……」
「ネロ――貴方がどんな過去を持っているのか、私は知りません。でもその記憶は、思い出は、確かに貴方を支えているものだと思っています」
どんな人間だったか、どんな場所で産まれ、生きていたか。それを否定するつもりは無いのです。
ただ、その記憶がネロを、彼を生かして来たのは違えようのない事実なのだから。
「ただ、私は貴方に独りではないのだと知っていて欲しかったのです。そしてアビーにも言いましたが、今の貴方は決して前の貴方を否定するものではありません。そして同じように前の貴方は決して今の貴方を否定するものでは無いのです」
閉じていた目を開き彼を見つめます。
呆然と私を見つめる彼に笑いかけます。
「だからこそ、どうか拒絶しないで下さい」
私を、周りのみんなを、そして――この世界を。
「この世界はもしかしたら貴方にとっては生き辛い世界かもしれません。常識も価値観も見るもの全てが貴方にとっては信じられないものかもしれません。でもこの世界は決して貴方を、過去の貴方自身を否定しません。拒絶、しません」
そう。だから――
「だからこそ、私達は受け入れるべきなのだと思うのです。――その死を、過去を、思い出を」
過去に思いを馳せる事。思い出をなぞる事。その全てをこの世界は許容し受け入れてくれます。
でもそれに甘えて思い出に浸ったままではいけないと思うのです。この世界が前世の記憶を思い出す事を許すのはその死を受け入れる為。私達、転生者が新しい生を、新しい人生を歩むための必要な事だからです。
だけど、それはとても簡単な事ではありません。
色んな転生者が思い出に囚われこの世界を否定しました。前世に引き摺られてこの世界を拒絶しました。
その結末はとても悲惨なものです。
ある者は前世の世界に帰りたいとこの世界を傷付けました。
またある者は前世の世界に心を奪われ過ぎてこの世界に破壊を齎しました。
私自身、過去を乗り越えているとは言えないかも知れません。
でも、でも――
「私にも前世に未練はあります。やりたい事も、してみたい事もありました。でも、それでも私は前世の世界であった日本も、そしてこの世界であるジゼルヴァン王国も同じ様に大好きなんです。大切なんです。……例えこの人生が死んでしまう未来しか無かったとしても……」
この人生がもし決められたレールの上にある命だとしても……私がこの世界を拒絶する事は無いのです。
「おれは……」
「〝ネロ〟……私が語った言葉は決して貴方もそうして欲しいという強制ではありません。ただ同じ〝前世の記憶を持つ者〟がこの様に考えている事を知って欲しかっただけ。それに……私が話したかったのです。利己的で我が儘なものですけど」
――ああそうだ、私はずっと話したかった。聞いてほしかった。自分の気持ちを、覚悟を。
例えベルンやヨルムにも言えないこの想いを。過去を振り切れなくても、中途半端なこの心を。
押し付けがましく、自分勝手な言葉。でもそれを撤回するつもりはありません。
静かにネロを見つめます。
開けては閉じてを繰り返すネロの唇。躊躇い、迷う、その感情。
私の目から逸らされ、伏せられた瞳。
握ろうにも迷う気持ちを表して開いたり握ったりを繰り返す拳。
何かを葛藤し、飲み込み、吐き出す言葉はどういうものでしょうか?
罵倒でしょうか?怒りでしょうか?それとも嘆き、悲しみ、助けてくれという慟哭でしょうか?
でもそれがどんな言葉でも受け止める覚悟を持って待ちます。
もう逃げる猶予は無いのですから……。
残酷かもしれませんがこれからネロに対する対応の為にも今、ネロの気持ちを聞かない訳にはいかないのです。もう見て見ぬふりは出来ません。放置は論外です。
下手すれば過去、この世界を脅かした転生者のような悲劇の芽は摘んでおかねばなりません。この世界を守る為にも……。
【見逃しては……くれないのか……】
ぽつりと呟く言葉。
それはとても馴染み深い心の故郷の言葉――日本語です。
【残念だけど、もう時間がないの。私も、貴方も……ごめんなさい。酷いことを言ってる自覚はあるわ。でも向き合ってもらわなければならないの、この世界の未来の為にも】
そして貴方自身の為にも。
はぁと大きな吐息を吐くネロ。
流暢な言葉はそれだけでネロの前世が私と同じ日本人だと言うことが分かります。
もう一つ深いため息を吐くネロは徐に私の元へと近付き私とは対面の長椅子に腰を下ろしました。
【……色々聞きたい事はある。だが、そうだな……まずは俺の話をしようか】
そう言って肩を竦める彼。ネロと呼んでいた幼い少年に対しては大人びた仕草、口調。それが本当の彼なのでしょう。
諦観を浮かべた瞳。今の年齢とはそぐわぬその眼の光は、確かな大人の眼でした。
もしかしたら彼は私より歳上なのかもしれません。感情を隠し、理性を色濃く映す瞳を見て頷きます。
【何から話そうか……貴方が言う通り俺は前世の記憶を持ってる。でも俺は貴方のように神様に声を掛けられてとかではない。まぁなんというか、ネット小説とかラノベとかでよくあるだろ?事故に遭って死んだと思ったら生まれ変わってた、というありがちなやつさ】
そう口火を切って語られる前世の人生。
24歳という若さで不幸な事故で亡くなった一人の男性のお話。
私はただ無言で耳を傾けます――。
*
【俺には一人の妹がいてさ。両親は俺が子供の時に死んで、幼い妹と二人で結構親戚中たらい回しにされたよ。その時は、確か俺が12歳で妹が6歳だったかな】
――その時の事は今だに胸に刻まれている。
丁度俺の授業参観の日で、両親は共働きだったがその時間だけ仕事を抜けて来てくれるって話だった。
妹は歳も離れていたし俺自身可愛がっていたが、いつもは妹優先だったのを小学校の卒業も目前だったからって二人揃って来てくれると聞いてやっぱり嬉しかったのを覚えている。
でも、来なかった。
いつまで経っても来ない両親にやきもきして不貞腐れていた俺を呼んだのは駆け付けてきた両親ではなく、青褪めた表情の担任教師。呼ばれて教室を出れば告げられたのは無慈悲な現実だった。
目の前に並ぶ二つの白い棺。
互いに罵り合う親戚。幸い共働きだった為、それなりのお金を残してくれた両親だったが、それも養育費だと親戚達に毟り取られてしまった。
悔しかった。何も出来ない子供の自分に出来る事なんてたかが知れてて、ただ徐々に捨てられる両親の遺品、売られていく思い出の品々。泣く妹を抱えて親戚の家を出る勇気もなく、でも絶対許さないと恨みを抱いて、絶対出て行ってやると決意だけ堅く誓って。そして死にものぐるいでバイトに勉強に精を出し、そして安定した職に付き、妹と二人で親戚の家を飛び出して一切の関わりを断った。
大変だったけど幸せだった。
頼れる血縁は居なくても手を差し伸べてくれる人達は居て、友達や学校の先生や近所の人たちが親身になって助けてくれて妹と二人で過ごす毎日は本当に輝く日々だった。
いつもは自分の幸せは二の次になってしまうのに妹は申し訳なさそうにしてたけど、それでも妹が笑ってくれるだけで辛い日々も報われた。
そして、妹も高校を卒業し大学も決まって一人暮らしをする為に家を出る事になり心配ではあったが、それでも立派に成長した妹が誇らしくて嬉しくて、門出を祝う為に少し奮発していいレストランで食事をした帰り道――それは起こってしまった。
美味しい食事に満足げに満面の笑顔を浮かべる妹。寂しさはあったが、それでもいつかは手を離れるのだと自分に言い聞かせ、娘を嫁にやるような気持ちを抱いていた帰り道。
妹から呼び止められ振り返った先。猛スピードで妹の背後に迫る車を見た。
咄嗟に突き飛ばし、庇う――。激痛が全身を襲い、妹の悲鳴を消えゆく意識の隅で聞く。
そして――、
【そして目が覚めれば俺はこの世界に産まれていた】
そう締めくくる声は暗く、感情を抑えた声だった。
【貴方の言う通り俺はこの世界を拒絶しているのかもしれない……例えあの事故の後死んでいても、俺は一目妹に会いたかった……会いたかったんだっ!この世界に記憶を持ったまま産まれるぐらいならば、幽霊でも何でもなって妹を見守りたかった!】
一人残してしまう妹が心配で、でもあいつは強いからいつかは乗り越えてくれるって分かっていても幸せになるのを見届けたかった。
でも、もう叶わぬ願いだ。
【だからこの世界に来た時は攫われたって思いもした……妹と離されたって……馬鹿みたいに被害者ぶって……俺は……】
俯き、目を伏せるネロ。
自嘲気味に、諦めたその表情に私は何も言えませんでした。
【もう、どうすればいいのかさえ分からない】
ただ教えられるままにこの世界を学び、前世を忘れた方が良いのだと突き付けられる度に分からなくなる。
帰りたいけど帰れない世界。
〝今の俺〟が生きなければならない世界を知れば知るほどただ前世への郷愁の念が強く心に刻まれる。
まるで前世の俺が忘れるなと叫んでいるかのように……。
「ネロ」
「っ!」
そっと静かに拳に触れる小さな手。
伏せていた顔を上げればすぐ目の前に広がる赤紫の煌めき――
「いいんです。それでいいんですよ」
ふわり、柔らかく細められたその瞳に目が離せなくなる。
「ごめんなさい。本当ならばもっと時間を掛けて受け入れて貰うべきなのに……でも、ありがとう。その気持ちを言ってくれて、辛い事を話してくれて」
――ありがとう。
答えを、想いを返した訳では無いのに告げられる感謝の言葉。
「なんで……」
感謝される意味など無いのに、相手が願う事など出来ないと告げている筈なのに、ただその言葉はどこか心を震わせる――
「ネロ、生まれてきてくれてありがとう」
「っ!」
「生きてくれて、ありがとう」
つん、と鼻の奥が痛くなる。
「おれは……」
「ねぇ、ネロ。良かったらもっと話を聞かせてくれませんか?貴方の思い出を、妹さんの話を」
ネロ、と呼ばれる度に視界が不透明になっていく。
この世界をまだ受け入れられないと言ったのに、ただ新しく貰った名前を呼ばれれば呼ばれるほど言葉に出来ない感情が胸を締め付ける。
「いいのか?……おれはまだこの世界を受け入れられないんだぞ」
この世界にとって歪な存在の、イレギュラーな筈の俺がそんな事をしても。
この世界で生きていても良いのか?過去を抱えたまま生きても……?
「いいんですよ」
どきり、心の内を見透かされた言葉に心臓が跳ねた。
「それでいいんです。貴方はこの世界を受け入れられないと言いますが、それでいいんです。それが貴方へと救いとなるならば」
「おれは……」
ぽたりと落ちる雫。
手に落ち、床に落ちる透明な雫を目で追い瞳を閉じる。視界を閉ざせば感じる温もり。
優しく寄り添うそれに涙は止まることを知らない……。
――嗚呼、俺は誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
このどうしょうもない現実に怒り、悲しみ、後悔をする心を。
生まれた時から意味が分からず嫌悪され迫害されてきた現状に対する憤りを。
まだ俺はこの世界を受け入れることは出来ないだろう。前世の輝かしい記憶がまだ煌めく限りは。でもそれはいつか時間が解決してくれると思う。
ただそれでいいのだと、肯定してくれる彼女がいる限り――
【――ありがとう】
胸が詰まって言葉が言えない。
でもこれだけはと口にした感謝の言葉。
前世の俺が、そして今の俺が言えるただ一つの言葉。
それを聞いた美しくも強い彼女はただ満面の笑顔を浮かべてくれたのだった――




