Act.47 [昔話を始めましょう]
それは古のハジマリの色。
混沌から生まれ落ちた色は全てを呑み込み、どの色にも染まることは無かった。
光り輝く色の影に現れた色は互いに寄り添い、やがて様々な色が生まれ落ちる。
赤、青、緑、茶色と鮮やかな色彩を宿して生まれた色は世界を彩る――
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ピチチチ――鳥の囀りが聞こえ瞼を上げます。
もぞりと寝返りを打てば肌を擦れる心地よいシーツのサラサラとした質感。
部屋の中を照らす朝日の光が優しく感じられ窓越しに空を見上げます。
空はこれこそ快晴だと言わんばかりに雲ひとつ無い空。
天空に君臨する太陽は暖かく大地を照らします。
何かをするにはぴったりの気持ち良い空模様にふと思い立ちます。
「――今日、やろう」
日差しに手を翳し握ります。
流石にもう、時間も無いのですから……ね。
ぐっと握る右手の甲には女神ルーナの紋章が。
皮膚が引っ張られ歪む形は前に比べて濃いようにも思えます。何でだろ?と首を傾げていれば、部屋に響くノックの音。
いつもならまだ寝ている私なので返事が無くてもそのノックの主は入ってきます。
床の絨毯に足音が消されても分かる二つの足音。
その正体は天蓋のカーテン越しにシルエットとして浮かび上がりました。
「る、るいしえら様、お、おはようございます!」
――ぐふっ!朝から破壊力が抜群だと思うのは決して私だけでないと思います!!
小さな背丈と頭の上には天に向かって伸びる二つの細長い耳。まだ言葉に慣れていないのか幼児のように辿々しい言葉遣いが私の胸を撃ち抜きます!
「おはようアビー」
いつもなら相手から捲られるカーテンをこちらから捲りつつ目の前の少女に笑顔を見せます。
「は、はい!おはようございます!るいしえら様!」
可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛ーいーい!!!!
はにかみつつも向けられる満面の笑顔に令嬢らしからぬ鼻血を噴きそうになりました。
雪のように真っ白な肌。
クリクリと赤スグリのように鮮やかで大きな瞳。
頬は恥ずかしさからか少しだけ色付き、朝日に照らされキラキラと輝く白銀の髪は私のお気に入りです。
彼女はあの堕骸盗賊団に襲われた村の生き残り。
そして私の中に飛び込んできた妖精が助けて欲しいと望んだ少女。私が〝アビー〟と名付けた兎の獣人の少女はお仕着せを来て慣れない作法に緊張しているようでした。
ちなみにアビーの見た目は私の好みどストライクで、心の中の自分が萌えに萌えて萌えまくりまくってます。
そんなアビーの後ろには微笑ましげに私達のやりとりを見ているルーナさんの姿が。
「ルーナもおはよう」
「おはようございますルイシエラ様、今日はもう起きてらっしゃったのですね」
「うん、目が覚めちゃって」
アビーは現在、私専属メイドのルーナさんに付きっきりでメイドの仕事を学んでいる所です。
このままアビーは私専属かアウスヴァン公爵家のメイドになる事が決定しています。
慣れない礼儀作法に敬語などまだまだ学ぶ所は沢山ありますが、必死に学ぶその姿はとても好ましく思います。
それは兎も角、
「ルーナ、ちょっとお願いがあるんだけど」
「何でございましょう」
わたわたと私の身支度の用意をするアビーを横目に私の髪を梳かしてくれるルーナさんに声を掛けます。
にこりと微笑むルーナさんは女の私でもくらっと来るほどの色気がありその笑顔に鼻血が出るかと思いました。……最近鼻の粘膜が鍛えられている気がします……。
だってルーナさんは女の私から見ても憧れる程にスタイル抜群で、顔だって美人です。
しかも普通の時だと少しキツめな見た目ですが今のように微笑まれると少女のような可憐な所もあって、偶に「萌え!」と叫んで抱き締められた時なんて柔らかい女の武器に埋まる顔はたぶんだらしのない表情をしているでしょう。
同性でも憧れと興味はあるんですよ!その大きさは!
って違う違う!そんな話をしたいんじゃなくて!
「あの、今日の午後は予定を空けてほしいの」
「それは構いませんが……体調が宜しくないのですか?」
なんかサボる事を面と向かって言うとなると少し言いづらいですが、言わないと私の予定は一日中詰まっているのでお伺いを立てます。
それにルーナさんは具合が悪いのか?と額に手を当て熱まで測ってくれますが違う違うと首を振りました。
「……ちょっと、“ネロ”とお話したいなぁと思って」
「そうでしたか……畏まりました。ゼルダ執事長には私からお伝え致しましょう」
「うん、ごめんね?」
手間掛けさせちゃってと言えばくすりと笑うルーナさん。
「ルイシエラ様、こんなものは手間とも思いませんよ?寧ろどんどん仰って下さって構いません」
お嬢様は遠慮しすぎだと苦笑するルーナさんに何も言えず私も愛想笑いを浮かべます。
だって、一応私の我が儘でしている授業をこれまた私の我が儘で今日はやらないと言っているのです。
それをゼルダに報告、授業を受け持ってくれている母さまやヴェルデに伝えなきゃいけませんし、面倒くさいったらありません。
しかしそれをなんてこと無いと笑うルーナさんに内心ほっとします。
「ネロ様も午後にこちらにお呼びしますか?」
様付けするのはまだネロが我が家の客人としての扱いだから。だけど実際様付けで呼ばれていると嫌そうな顔をするネロ。
一体どう思ってそんな表情をするのかも気になるところである。
「ううん私が行くから大丈夫。あと今日はアビーについてて欲しいの」
「畏まりました」
恭しく頭を下げたルーナさんを鏡越しに見つめる。
今日の私の装いは少し大人っぽいデザインでいつものリボンなどのワンポインが無い代わりに見事なほどの刺繍が裾などに散りばめられた一品だった。
薄ピンクのワンピースドレスに上はクリーム色のカーディガンを羽織って完成。
髪型はほぼ下ろしてサイドの髪を編み上げて後ろで束ねている。
最後に髪飾りとして私の瞳と同じ赤紫のバラに似た造花のアクセサリーを飾ります。
ルーナさんと、そしていつの間にか側に立っていたアビーが満足げに頷いていました。
「今日もまるで妖精のように可愛らしいですわルイシエラ様」
「おじょうさま、きれい……」
そんな美人さんと可愛い子に揃って褒められては流石の私でも照れますとも。
「あ、ありがとう」
テレテレとはにかみながら二人に言えば「これが萌えというものです」「わかりました!」と何か意気投合している二人。
そんな過熱するトークに置いてけぼりな私を置いて二人ははしゃいでいます。
……私も混ぜてほしーな〜なんて……
*
そして一日中びっしりと詰まっていたスケジュールも消化し現在正午を回った所です。
昼食は久しぶりに屋敷外への外出も認められたので屋敷の厨房でこっそり頂きました。
寝込んでいた時から既に二週間という長い時間も経っておりますが、無理をして寝込んだ為に何故か料理長に怒られたのも記憶に新しいです。
取り敢えず怒られた内容は置いといて料理長も私の“怒らしてはいけない人”のベスト5にランクインしたことだけは言っておきます。
――マジ怖かった!!!
いや、だって変な訛が強い口調の料理長が流暢に敬語&丁寧語で話すだけであんなに恐怖心って煽られるもんなんだ!っていらない発見しちゃったもん!
いつもは怒らない人こそ怒らせてはいけないって身に沁みて理解しましたよ。強制的にね!
それはともかく、美味しい美味しい昼食もお腹いっぱいに食べて調理場を後にします。
「ベルンとヨルムは森の入り口までだからね」
暗に付いて来ないでね!と釘を刺します。
今から行く所は一応公爵家の人間だけしか入っちゃいけない所ですからね。釘を刺さなくとも分かってはいるでしょうが念の為に。
しかしムスッとした表情も隠さずヨルムは言います。
「なんでオレ達は駄目なんです?」
理由を言えとばかりにこちらを見つめるヨルムに苦笑を浮かべる。
「一応公爵家秘密の場所だからね。それにあそこは神域の一部だから……大丈夫だよ何も危ないことは起きないから」
だから我慢してね?とお願いします。そんな事を問答してれば辿り着いた屋敷の一室。
ノックをして部屋へ入ればそこは小さな書斎でした。
「――お嬢様」
「ごめんね?早かったかな?」
「いえ。これが終わればお呼びしようかと思っておりました」
そう言うゼルダにホッと安心します。
この書斎も普通では十分大きい部類には入ると思います残念ながらこの屋敷では小さい部類の部屋です。
壁一面に設置された本棚にはそれぞれ一般教育の為の基本的な教科書と歴史年表、アウスヴァン公爵領についての本が置かれていました。
本来ならばここで私も勉強に励むのですが私の場合は体調にもよるので、基本的に座学をする時は部屋でするようにしています。
その為現在は使う主の居ないこの書斎――屋敷の皆は「勉強部屋」と呼んでいます――はアビーと同じくこの屋敷に迎えた村の生き残りの少年、ネロの勉強部屋となっていました。
チロッとこちらを見て再び机に向かう黒髪の少年の手元を覗き込めば不器用な字が並んで書かれていました。
アルファベットにも似た字はこの世界の文字です。基本的にこの世界――アヴァロンでは一種類の文字と言葉があります。
遥か昔には大陸や種族ごとにそれぞれ言葉や文字があったそうですが、戦乱期時代に失われてしまい今や知るものは殆どいません。
私が使う日本語に似た言葉や文字も遥か昔にはあったそうですが、今や失われた言葉となっています。
それを知った時は驚きました。これがゲームの世界だからなのか?と首を傾げたのも良い思い出です。
それはそうと、どうやらネロは単語の書き取りをしているようです。書き取りの練習の場合は小さなノートサイズの黒板を使用します。黒板の上から下までびっしりと書かれた一つの単語。
私が現れても気にしなくていいと以前言ったのを覚えているのかただの一瞥だけで黙々と書き進めているネロ。
ちらっと見た限り単語の書き方がどんどん良くなっているのが分かります。どうやら覚えも早く、次からは文章の問題に入るでしょう。
机に重ねられた本を見て私自身既に経験した勉強の進み方に感慨深くなります。
「じゃあゼルダ悪いけどこれが終わった後にネロを借りていくね」
「はい。既にルーナから聞き及んでおりますのでどうぞ。余り遅くならないようにお帰り下さいね」
どきりとゼルダの発言に肩を揺らします。
は、ハハハハ分かってる。分かってるよ。だからそんな黒い笑顔を浮かべないでほしーなぁなんて……
あ?だめ?それじゃあお嬢様が理解してくれないって……まぁ前科がありますからね。はい。気を付けます。
アイコンタクトで交わした会話に背後から生暖かい目線が突き刺さります。
よ、ヨルム?その目は何かなぁ?なんでそんな可哀想な子を見る目してんの?え、気のせい?本当に?ねぇ!
**
そんなこんなでやっとベルンとヨルムと別れつつも屋敷の裏手。
森の中へ足を踏み入れます。
「……」
「……」
かさりかさり、枯れ葉の絨毯を踏み締め、歌う鳥の囀りに耳を傾け、木々を吹き抜ける風を切って進めば段々と見えてくる建物。
森の奥、木々に溶け込むように建つのは森の神域を創り、守る礼拝堂です。
女神ルーナの像が安置されている礼拝堂は基本的にはアウスヴァン公爵家の人間のみが足を踏み入れることの出来る場所。例外はありますが、それでもあの場所は特別な場所なのです。
その為あそこは基本無人なので内緒の話などをするにはうってつけの場所なのです!
勉強部屋からここまで私とネロの間に会話はありません。
黙々と付いてきてくれるネロを横目で見つつ、ついつい溢れそうなため息を噛み締めます。
さてさて、どう切り出すべきか。
言うべきことは分かっています。問いかける言葉も、でもそれがネロにとってどう感じるのか……。
唯でさえ黒髪黒目という、この世界では禁忌とされてしまった闇を表す“黒”を宿す為に辛い目にあってきたのに、私の言葉はもしかしたらまたネロを傷付けてしまう言葉かもしれません。でも。
「ここは……」
「ここはアウスヴァン公爵家が代々守り管理している礼拝堂です。この国が建国した当初から存在する歴史あるものなんですよ?」
近付けば近づくほど空気は澄み清廉な風がそよ風となり草花を揺らします。
ギィ――軋む音を立てて扉を開きます。
礼拝堂の中はあの時――翡翠さんが眠りに付いた時の惨状など無かったかのように綺麗に整っています。
綺麗に整列した長椅子。その奥には変わらず神域の核でもある女神ルーナの像。
そしてその手前の祭壇には綺麗なガラスの杯が一対と……あの時、祝福が覚醒した時、何故か私の右手の小指に嵌っていた指輪が安置されています。
この指輪がどこから現れ、私の指に嵌っていたのか分かりません。しかし途轍もない力が宿っているのは確実で、それは確かに“神の片鱗”とも言えるものでしょう。
しかし過ぎたる力は災いを呼び寄せます。その為、この力が扱えるようになるまでここに置くことを父さまやゼルダ達と決めました。封印、とはいかないまでもこの神域に置くことで誰にも手が出せないように。
パタンと軽い音を立てて閉まる扉。
礼拝堂内を興味深げに見回すネロを置いて女神ルーナ像の足元まで歩を進めます。
礼拝堂内は出入り口である扉を閉じれば薄暗く、しんっとした静寂に包まれます。
像の後ろには大きな女神ルーナの紋章を描いたタペストリーが、天窓からの日差しが照らし輝く刺繍糸はキラキラとして美しいです。
ゆらり、礼拝堂の隅の闇が反射した光に揺らぎます。
「……それで?おれに、なんのようですか」
ぽつり、静寂を破る声。
淡々と感情の篭もらない声色でネロは喋ります。
「屋敷をでていけというなら、こんなとこに来なくても――」
「違う!ってあ、ごめん大きな声出して」
いやいやいや!!余りにそれはネガティブ思考過ぎないかな!?
ネロの余りの発言に食い気味に叫びます。
っていうか追い出すなら最初から教育とかしませんし!教育途中で投げ出すってあまりに酷ですよ!
しかも私自身の正式な名をもって保護を約束してるんだからそんなのするはずないじゃん!
内心どんだけ後ろ向き思考なの!?とドン引きです。
しかし何も伝えずにここに来ているのもあり、ある種私のせいか!と内心頭を抱えます。
いや、それより、もう!何かどう言おうかと考えるのも馬鹿しくなってきた!
「もう、何でそんな風に考えるのか謎だけど……もうストレートに聞くわ、ネロは前の記憶を持ってるの?」
「前の?」
「今の生より前の記憶……前世の記憶のこと」
「!」
ひゅと息を呑む音が聞こえます。
驚きも顕に目を丸くし驚愕の表情、それを見ればゼルダの言葉が本当だと確信しました。
『……彼はお嬢様と“同じ”ようです』
そう私に告げたゼルダ。私と“同じ”――つまり転生者ということ。
それを聞いた時は驚きましたが、別におかしい事ではありません。私以外の転生者が居た事は歴史が証明していますし、私自身が“転生者はいる”という証拠にもなります。
それにこれから未来には来訪者と呼ばれる異世界の人間――暁の神子だって来るんですから。
「な、何をいって……」
動揺に震える声。顔は青褪め、瞳は揺らぎます。
その動揺が私の言葉が事実だと言う事を雄弁に表していました。
ネロが前世でどれくらいの年齢だったのかは知りませんが、私もゼルダに問い掛けられた時はこんなリアクションだったのかな?と思います。
それは兎も角。
「そんな怖がらなくても大丈夫。私も〝同じ〟だから」
じりっと後ずさりするネロ。
それに苦笑を浮かべ、近くの椅子に座ります。
見上げるのは女神ルーナの像。
そして目を閉じれば今でも鮮明に思い出せます――
『涙』
『涙ちゃん』
『ルイ姉』
『るーちゃん!』
『――涙さん』
父さん、母さん、弟の、家族の笑顔が。そして親友の、そして私にとって唯一の――……
あの短くも長い19年という歳月の記憶が心の扉を開ければ次々に思い浮かびます。
それに胸が締め付けられるように痛みます。
もう会えない家族。届かない声。伝えられない言葉。
後悔はあります。でもそれは今の生を否定するものではありません。
願わくば、彼にとってもそうであって欲しいと――
「――私の前の名前は神條 涙 ……地球という惑星のとある島国、日本で生きていました」
――そう思うのです。