Act.43 幕間[絆の在処]
それは声なき声の慟哭。
「誰か助けて!」と叫ぶ声は暗闇の中に響いては消えていった……。
だけど――
『大丈夫』
応えてくれた小さな声。
『任せて』
誰もが嫌悪するその手を、声を、聞き届けてくれたのは暁の光――
嗚呼――、もう思い残すことは無い……。
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――ざわり、風に揺られ木々が音を立てた。
夜の闇に包まれた森の中。
月の光に照らされた薄暗い闇夜の中。
ベルンとヨルムの二人は目の前に現れた姿にただその眼を細め、自分達の主の言葉を思い出していた。
「――嗚呼、なる程なぁ」
「お嬢様が俺たちじゃないと駄目だと言った訳だ」
納得と共に見つめる二つの影。
その内の一つは二人にとっては馴染み深い姿をしていた――
*
それはヨルムとベルンの二人が村へと辿り着いた時まで遡る。
二人の主たるルイシエラの言う通りに訪れたのは村が祀る神の祭壇前。
祭壇には大地の支配者、戦いの神イカリスの紋章が掲げられていた……。
神イカリスの紋章は芽吹く葉に空昇る輝く太陽。そして交差に掲げられた二本の剣である。
剣を掲げる為に守り戦う事を表す紋章でもあるが、その中に描かれる芽吹く葉は大地を示し、五穀豊穣の意味もあった。
ジゼルヴァン王国は建国こそは女神からの神託だが、だからといって他の神への信仰を否定したりすることは無い。
この世界を守り支える三柱神は絶対神。そこに上下の関係は無く、国ごとに主神こそは異なるがそれでも祈る事柄によって祈りを捧げる先の神は違った。
それ故にこうした地方の村や町には五穀豊穣、厄除けといった意味合いで戦神イカリスを信仰するのも少なくは無いのである。
ベルンとヨルムはその紋章を眺めその描かれた証が黒ずんで汚れているのを見て眉を潜めた。
それは余りにもちぐはぐな光景を感じて……祭壇は世話をしている人間がいるのか古くてもしっかりと清潔を保たれていた。磨かれた祭器や古くても補強修理されている頑丈な造りの棚などを一目見てきちんと管理していることが判る。
しかし守り神ともいえる証の、神の紋章を描いたご神体たる円盤状の石はひび割れ、それを覆っていたであろう布はボロ切れ同然。
何故?と僅かな疑問に首を傾げたが……今はそれに思考を割いてる暇は無いと頭を切り替える。
祭壇の後ろを覗き込めばそこには紐で立ち入り禁止を表すように塞がれている洞穴が。
ルイシエラが言っていた通りである。
慎重に気配を探れば確かに生き物の気配が、ここに来るまで見た足あとなどから二人はいると分かっていた。
今まで行使していた探査の魔法を消し去りヨルムはベルンと目配せする。どうするか?とお互いの意思を確認する為のアイコンタクト。
ルイシエラはこの洞穴の中にいる正体不明の二人を助けてくれと望んだ。しかし相手がこちらと敵対しない相手とは限らない。慎重に警戒は必要だろう。
互いに頷き意思のすり合わせは一瞬で済む。伊達に長い事共に居るわけではない。
一歩前に出たのはヨルム。ベルンはその半歩後ろで待機し周囲の警戒を深めた。
ザッと音を立てて自分たちの存在を露わにヨルムは口を開く――
「いるんだろう?」
それは確信を持った言葉。こちら側は知っているぞ、と言外に伝える言葉。
それに驚いたのか、それとも動揺したのか、ザリっと足音が聞こえた。
それから待つこと数十分。
「……出て来ないな」
「……だなぁ」
「上から言うのが悪かったんじゃないか?」
「オレの所為か!?」
ベルンのしれっとした指摘に嘘だろ!?と目を剥いた。相棒からのまさかの裏切りにヨルムの口元は歪み、ベルンを睨みつける。
件の相手がどんな相手か分からぬ以上自分の対応は間違ってない主張するヨルム。
それを軽く流しながらもこうもわざとらしく隙を見せているにも関わらず動かぬ気配にベルンは警戒するのも馬鹿らしくなったのか噛み殺せなかった溜息を吐きつつヨルムの隣に並んだ。
確かに気配はある。それに加えて痛いほどの視線と押し殺した呼吸の微かな音を耳が拾う。
そして敵意ではなく、警戒の視線にベルンはさて、どうするかと頭を捻りながらも穏やかさに気を付けながら洞穴へと声を掛けた。
「――我々はアウスヴァン公爵家の者だ。決して危害は加えないと誓おう。良ければ出て来てくれないか?我々の主が君たちを待っている」
ここで顔を晒した方が良いのは理解していたが残念ながら獣人である二人にはハードルが高いものだった。
真っ黒なローブ姿に仮面を被る姿は真昼の中でも不信感たっぷりだろう。しかも今は夜。
月明かりが照らしているとはいえ、薄暗い中の全身ローブ姿の人間二人。見るからに不審者である。
しかし獣人だと知られた方がもっとややこしくなる事を今までの経験からよく分かっている二人がその姿を露わにすることはなかった……洞穴から出て来た小さな影を見るまでは。
“アウスヴァン公爵家”の名前が効いたのか恐る恐るこちらへと近付いてくる足音。
流石に国の守護者であり英雄の名前は効果的だったのであろう。それだけでもアウスヴァン公爵家の当主、ガウディの民からの信頼が感じられた。
そしてベルンとヨルムは洞穴から出て来た二つの小さな姿に息を飲んだ。
――――月明かりに照らされ輝く白銀の毛並み。血のように真っ赤な色の瞳は警戒心も露わに爛々と緊張からか見開かれていた。その頭に揺れるのは細長い獣の耳が2つ。それは野を飛び跳ね、駆け巡る兎の耳そのものだった。
そしてそんな少女を庇うように立つのは暗闇に紛れそうな程全身真っ黒な少年。
それはこの世界から迫害される容姿を持つ二人の子供だった。
ヨルムは深く被ったフードの中で苦笑を浮かべる。それは隣の相棒も同じだろう。
お互い苦い笑みを浮かべつつも納得する。ルイシエラが告げた「自分達でなければならない」と言った理由を……。
そして出てくるまでずっと警戒していた事にも理解した。こんな辺鄙な場所でも覆らない差別の意識。普通のヒトとは異なる見た目が、容姿が、人に嫌悪感を、恐怖を、抱かせこの子達を苛んだのだろう。
よく見れば解る暴力の痕。そして放置されたが故の諦観を浮かべた瞳。
だが、ただの暴力だけならばなんて事ない。寧ろその環境は幸運とさえ言えるだろう……他の獣人たちに比べれば。
それを言うつもりは無いし、別に不幸自慢をしたい訳ではない。でもその環境にベルンとヨルムの二人は感謝した。よく間に合ったと……。
そうしてこちらを訝しげに見る子供達の前で二人は徐ろにフードを脱ぎその正体を露わにする。
驚きに小さな目が益々見開かれるのを見て笑う。それは確かに大人の笑みだった。
世界のどうしようもない地獄を潜り抜け、酸いも甘いも経験した者だけが浮かべられる笑み……。
*
「…おなじ?」
「獣人…なのか?」
驚きから疑問へ。互いを支えるように並ぶ小さな少年少女はぽつりと独り言のように零した。
ベルンやヨルムと同じく、獣人の少女は緊張からか震える手を握りしめ二人を見つめる。
信じられないと、あり得ないと、言わんばかりの驚愕の表情。ただでさえ大きな瞳は零れんばかりに見開かれ、その頭上に存在する二つの長い耳もまた緊張からかピンっと上を向き少しの音でも拾うかのようである。
「ああ、そうだ。我らは古の獣の血を受け継ぐ者。世界からは獣人と呼ばれている種族だ」
「心配しなくても仲間を傷付ける気は無いさ。例え一族の血は異なっても獣人の絆は深く固い」
だから、安心しろ。と告げる二人。しかしそれでも警戒を解かぬ子供たち。特に獣人の子供が二人の言葉に何の反応も無いことに二人は首を傾げた。
「……うん?」
「我らは同胞に嘘をつく事を禁じている。それは分かるだろう?」
それは獣人達の間のみ交わされている制約。
世界から忌み嫌われ疎まれる彼等だからこそ、その繋がりを決して間違える事は無い。
彼等は仲間間での嘘偽りを自分達で禁じていた。仲間へ嘘を吐く事を、自らを偽る事を。
それを言っても理解出来ないと疑問符さえ浮かべる少女にベルンとヨルムは互いに顔を見合わせる。
「もしかして……」
「血の祝福を受けていないのか?」
――〝血の祝福〟それは獣人特有の儀式。
本来ならば親から子へ、受け継がれる知識と血の意味。それをしていなければ獣人として半端なモノとして扱われる。
産まれた瞬間から継承する筈のモノをしていない様子の少女に二人は僅かな逡巡の後、互いに目配せ頷く。
徐に自分達に近付く二人にびくりと肩を揺らす少年は威嚇するように歯を剥き出しにする。
「くっ来るな!」
「落ち着けって、心配しなくてもお前には何もしねぇよ」
「我らが用があるのは少女の方だ」
「そうそう。それに危害を加える訳じゃねぇし」
「――どちらがやる?」
「あー、やっぱ森の獣だからなぁ。ベルンの方が相応じゃないか?」
「そうか。ならば……」
少女を庇うように前に立ちはだかる少年を押さえ込みベルンは少女を抱き上げる。
離せ!と騒ぐ少年を宥める役割はヨルムが。少女を必死に守ろうとする心は感心するが、邪魔をされては元も子もない。
少女を取り返そうと暴れる少年をヨルムは抱え、二人から一歩下がった。
「まぁ見てなって、滅多に見られないやつなんだからな」
「っ離せよ!なんだよそれ!?」
そんな騒ぐ少年を横目に少女は大人しくベルンに抱えられその腕に収まった。
こつりと合わさる互いの額。
自分を抱き上げるベルンを見上げ目を逸らさぬ少女。それを見つめつつもベルンは目を伏せ身体の内に籠る魔力に意識を寄せる。
そして、儀式が始まった――
ざわり、と揺らぐ空気。肌が粟立つのを感じて少年は息を飲む。その闇を宿す瞳はベルン達から逸らされることはなかった……。
「『……古の同胞に祝福を、我ら森を守りし誇り高き獣。草原を駆け抜ける一族に森の祝福を授けよう』」
合わさった額からじわり、優しい温もりが自分に流れ込むのを少女は感じた……。
それは泣きたくなる程の懐かしくも僅かな寂しさも感じる暖かさ。
「あ、」
「『――汝、恐れることなかれ、立ち止まることなかれ、祖は全てを見守り、そして次代へと繋ぐものとなる』」
まるで祝詞のような言葉。だけどその言葉に脳内に駆け巡るのは決して自分のものではない知識。
少女はその圧倒的な知識の量に咄嗟にぎゅっと固く目を瞑る。
古くから受け継がれてきた獣人の知識はその歴史の分だけ重みと厚さを持っていた……。
「『さぁ、目覚めよ美しくも気高き獣。祝福は今、受け継がれた――』」
ぐるぐると頭に流れ込む知識が巡る巡る。自らの血脈の流れが、歴史が、そして生きる術が。
自分に宿る魔力に、血に融けて巡るそれは確かな繋がりの証。独りでは無いのだと記憶が、歴史が、囁く。仲間の存在を、絆の存在を。
そうしてベルンの言葉に促されるままに少女は目を開く――……。
「……なんだよあれ、」
その光景の一部始終を見ていた少年は呟く。
それは神秘的でいて、どこか自分が立ち入れない繋がりを見た気がして固く拳を握る。その感情は一体どんなものだったのか、呆然と目の前に広がる光景を彼は言葉なく見ていた。
ふわり、ふわり、ベルンと少女の間に浮かぶ光の粒たち。それはベルンから溢れ出した魔力の残滓だった。
合わさりあった額から流れ込むように薄い、光の筋がベルンと少女を繋ぐ。そして漏れ出した光は粒となって周囲に浮かぶ。
それを見つつヨルムが口を開く。その目は二人を見つめながらもどこかその先を見ているように遠い目をしていた。
「あれは本来ならば俺達獣人が生まれた時に親から知識を貰うための儀式さ。俺たちは字が書けねぇ、言葉も発せない一族もいる。だからこそ俺たちは自分の魔力に知識を融かして子に与えるのさ。もし生き別れてもこの世界を生き残れるように……」
それはこの世界で迫害され続けてきた獣人たちが必死で考えた術。
そして種族によっては子に愛情を抱けない彼等が唯一示せる一つの愛情表現だった。
――獣人は〝魔法〟を使えぬ種族である。
それは本当ならば魔法として発現して使う魔力全てを知識の伝達の為に使う所為で魔法として体外に発する体外魔力が極端に少ないのだ。そして獣としての本能を、力を、融かした魔力は魔法を使えずともその身体を強くする。
それ故に獣人は強靭な肉体、驚異的な身体能力、そして強い精神力を持っていた。
ヨルムは血の祝福をする二人を見ながら思い出す。
自分達もまた親から血の祝福を受けることが無く、獣人として半端者だった。
人間に捕らえられ、死を覚悟した先で圧倒的な力と死を纏っていた自分達の先達に出会ったあの時を。
まさか自分達が血の祝福をする側に回るとは思っても見なかった。
それはとても感慨深く、胸を締め付ける。
そして儀式が終わった――……
「っおい!大丈夫か!?」
「おっと」
スッと音なく離れた二人に少年が駆け寄った。
拘束する為に半ば抱えてた状態だったが地面に足が付かない状態なのにも関わらず飛び降りた少年に大人しく離し好きにさせる。
そして少年が向かった先。
ベルンもまた少女を降ろしていたが、その少女の姿は先程とは異なり僅かながらも成長していた。
彼女の年齢は不明だが、それでも幾らか少年よりは年上だったのだろう。
最初は少年よりも小さかった背丈が今や頭一つは大きく、その身体も一回り成長しているのが見て取れた。
「お疲れ」
「ああ」
隣に並んだ相棒に声を掛ける。
獣人は血の祝福など独自の文化や特殊な生態を持つ種族である。
今や廃れた精霊信仰を行う一族も存在し、自らの血を何より重んじ誇りとしている。
血の祝福は生きる術などの知識の継承といった役割もあるが、その他にも獣人自身の成長=覚醒にも大きく関わっているのだ。
祝福を受けていない獣人は半端者として扱われる。それは子供以下の存在として。
獣人は幼年期と言われる子供としての時期が短く、そして大人としての青年期が長い。寿命が近くなれば老年期に入り段々と老いていきそして寿命を全うする。
その中で血の祝福は幼年期から青年期に入るための必要な儀式だった。
それがあるとなしでは大きく変わる。
身体も力も血の祝福が無ければ赤子同然の存在なのである。
無事継承は受け継がれたらしい。
少年に無事を確認されている少女からは先程とは段違いの力を感じた。
それは彼女自身感じているのだろう。
少年の言葉を上の空で答えつつも自分の両手を見下ろす少女にベルンは懐かしく思っていた。
自分が血の祝福を受けた時を思い出し、そして祝福してくれた恩人を思い浮かべて、僅かに口元を緩める。
ヨルムもベルンも同じ獣人によって血の祝福を受けた。偉大なる獣の王。誇り高き獣人の王族たる人物に。
今や亡き師であり、親代わりでもあった人だった。
あの人がいたからこそ今の自分達があるのを重々理解している二人。今や届かぬ感謝を胸に夜空を見上げる――。




