Act.42 [浄化の歌声]
女神が見守る満月の夜。
満天の星星を空に浮かべ、堂々と輝く月が空を支配する夜。
その場に存在する全ての人々は口を揃えて言葉を紡ぐ――
――それは確かに“奇跡の輝き”だったと……。
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その場に居た赤獅子騎士団の面々は、目の前に現れた少女の姿に息を飲んだ……。
全身をこれでもかと言わんばかりに巻かれた包帯。その可愛らしい顔を覆い隠すように貼られたガーゼ。
ひょこひょこと足を引き摺る動きは見るからに重傷者のそれだった。
決して軽くは無い怪我なのにも関わらず、気丈にも笑顔を浮かべ自分たちを出迎えてくれる小さな少女。
深い色合いの赤の髪を風に靡かせ、力強い輝きを放つ夜明け色を宿した瞳。
月明かりに照らされながらも凛と立つその姿は自分たちの主をどこか彷彿とさせる。
無情な現実に心折れる事無く乗り越え、非情な結末に嘆くだけではなく、その先を見据える彼女から目が離せなかった。
そうして彼女が紡ぎ出すのは一つの旋律……その喉を震わせ、空高く歌い上げる音。
「――La――」
最初は小さく、そして徐々に大きく響き渡るルイシエラの歌声。
その歌に歌詞は無かった。ただ一音だけで強弱に奏でられる声にただ耳が、眼が、そして心が惹き付けられる――
そうしてルイシエラが歌う奇跡の音は――神の祝福さえも奏でる。
“それ”に初めに気付いたのは誰だったのか、定かではない。ただ息を飲む音が至る所から聞こえた……。
それは――ルイシエラの歌に混じる美しい鈴の音色。
反響するようにリィィンリィィンと涼やかな音が鳴る度に空気が澄み渡っていくのを確かに肌で感じる……。
その音に応えるかのように微笑みを浮かべて、ルイシエラは右手を空高く掲げた。
掲げた右手の甲に刻まれているのは満ち欠ける三日月に雫の涙。それを取り囲むのは月桂樹の葉の形の紋章。
女神ルーナの紋章がルイシエラの歌声に、その旋律に、呼応するかのよう優しい光を灯し始める。
そして――奇跡が起こった。
「っ――これは!」
ガウディは驚愕のままに声を上げた。なんだこれは!と叫びたい声を飲んでも漏れる言葉はそれだけでガウディがどれだけ驚いているかを表していた。
ポゥ――
まるで儚い蛍火のように、小さくとも強く輝く光の粒。
闇に染まる景色を明るく照らすその光景は幻想的であり神秘的。そして何より、その暖かくも偉大な気配。強大な力の片鱗。
それはルイシエラの祝福が宿す、力の一つだった……。
ポォ――光る粒が辺りを埋め尽くし、それは空へと浮かび飛んでいく――
まるで讃美歌の様に、そして鎮魂歌の様に、物悲しくも堂々と響く歌声は空へと、そして騎士達へと捧げられる。
辺り一帯を埋め尽くす美しい光――それは浄化の光だった。
穢れた闇が、無念に染まっていた村人達の想いが、昇華される瞬きの景色。そして空へと還っていく光景。
それは確かに奇跡の瞬間――
*
やがて歌は小さな祝福の旋律を辺りに響かせて風に交じるように静かに終わる。
誰もが動けなかった。
誰もが言葉を発する事を躊躇う神聖な空気の中、ただ一人慌しく動く小さな影。
「――この馬鹿!」
「――っ!」
ぐいっと歌い終わり肩で息をするルイシエラの手を引いたのはレイディル。
全身から怒りの気配を発し、目を吊り上げる彼はルイシエラの様子に益々怒りに顔を歪めた。
だが、そんな乱暴なレイディルの振る舞いに眉を顰めると同時に崩れ落ちるルイシエラ。
「馬鹿って、ひどく、ない?」
はぁはぁと全身に汗を浮かべるルイシエラは先程の様子など嘘のように、その顔は青を通り越して真っ白になっていた。それに加え胸元をきつく握りしめ、痛みに歪む表情。
言葉を発するのも辛いのか、途切れ途切れの言葉の間には荒い呼吸が入る。
「ルイシエラ!」
慌てて駆け寄るガウディ。既にベルンとヨルムの二人はルイシエラの側に膝を付き、支えきれないレイディルの代わりにその小さな身体を抱えていた。
「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い!?祝福の使い過ぎだ!これ以上無理を重ねれば命に関わるぞ!」
分かっているのか!?と声を荒げるレイディルの剣幕は凄まじかった。
レイディルは止められなかった自分に内心歯噛みする。
自分の暴走を止める為、そして魔人を撃退する為にも決して少なくない犠牲を払っているルイシエラ。それに加え堕骸盗賊団の起こした悲劇の光景。村人たちの恨み辛みをその身体で受け止め、傷付いた心と身体。
既にルイシエラの身体は、そして心は限界だった。しかしそれでも行使した力。
穢れた闇を浄化し、退けるその力は決して無限ではない。どれほどルイシエラが自分の祝福の力を扱えるか不明だが、それでも初めて使った祝福の力にすぐ昏倒してしまった自分自身を考えれば……簡単に予想が付く。
自分の限界以上の力を使ったルイシエラは無事では済まないだろう。だからこそ制止の声を上げたのにも関わらずルイシエラはその声を無視してまで力を使った。
「っ心配、しなくても、そこまで、はぁ…いかない、わよっ」
余程現状は悪かったのだろう。ルイシエラが無理をしてでも浄化しなければならなかった“何かが”あったのだろう。それは理解出来る。しかし、それでルイシエラが傷付いてはどうするんだ!とレイディルは怒りを抑えられなかった。
「ルシィっ」
「心配、しないで…父様。だい、じょうぶ、」
狼狽えるガウディにルイシエラは笑みを浮かべる。だが、それすら痛みに歪み歪な表情だった。
そんなルイシエラにざわつく騎士達。穢れた闇などを視認出来ない彼等はただ疑問とルイシエラが倒れた事実に焦りと心配の色を浮かべる。
「っくそ!」
グッとルイシエラの右手を掴んだレイディルは悪態を吐きつつもその手を自分の額へと触れさせた。
「頼む、力を――」
この者へ。そう口の中で呟く言葉。心を込めて、力を込めて紡ぐのは今自分が出来るたった一つの手段。
じわり、滲むように光を灯す花咲く蕾に照らす月と太陽の紋章。狭間の神トワイライラの紋章――
それに呼応するかのように同じように滲むように再び光を宿す、ルイシエラの祝福の紋章。
レイディルが行うのは祝福の能力ではなく、自分自身の力の一つ――魔力の譲渡、だった。
元々、ルイシエラがこれ程までに衰弱しているのはルイシエラ自身の魔力の枯渇が原因だった。
レイディルを助けるために、精霊を喚ぶ為に流した魔力が宿る血。それに加えて魔人ヒュブリスを退ける為に紡いだ唄は古代の、古の呪文。そして祝福の共鳴、怪我の治癒などにより少なくない魔力が使われている。
魔封病により、その魔力が外に漏れ出ることは無いがそれでも内に宿り高純度のものと化しているルイシエラの魔力は余りにも失われ過ぎた。
それは翡翠の封印石が無いことも起因している。
翡翠が封印されている石は確かに翡翠を宿し、眠る揺り籠となっていたが、それでも契約のお陰でルイシエラの魔力の循環と保護、そして無駄な魔力が使われるのを防ぐ防波堤の役割をしていた。
だが、それはルイシエラが肌身離さず身に着けていたからこそ出来ていた事。特に魔力の制御器官である魄があるとされる心臓に限りなく近かったからこそ。
しかしそれが失われてしまった今、制御のストッパーは無いも同然。
今、現状でルイシエラは使用できる魔力を限界以上に使用して魄が、制御器官が悲鳴を上げ、そして生命力が枯渇寸前だった。
丘に棲む風の精霊がもたらした神聖な湖の水で、僅かながら回復はしていたが……それでも微々たるものだった。
ルイシエラが闇に侵蝕された妖精を受け入れた際、母親であるスーウェや水の精霊王が効かないと解っていても治癒魔法を掛けていたのも、これが起因している。
魔力の枯渇は生命力の枯渇。それは即ち死に至ると言う事。
だが、そうはさせないとレイディルは力を注ぐ。
本来ならばそれは出来ない。有り得ないことだった。
しかし今、翡翠の封印石を持ち、そして祝福の覚醒と共鳴を経たレイディルとルイシエラにはある種の繋がりが出来ていた。それは魔力の通り道。そしてお互いを認め、交わした名は狭間の神トワイライラによりその道を、絆を、強固にしていた。
流石に二人は名を交わしたが故の副産物を知りはしなかったが……それは悪いことではなかった。
「レイディル……」
ガウディが初めてレイディルの名を呼ぶ。だけどそれは公爵や将軍としてではなく、ただ一人の父親として助けてくれと望む声だった。
レイディルは頷く。自分の父親がルイシエラに願い、そして叶えられたように。今度は自分が恩を返す番だと言わんばかりに。
《心配はいらん、我々が力の調節を行おう》
《この繋がりを手放すなよ》
《集中じゃぞ、お前さんなら解るじゃろ?》
《大丈夫……貴方なら出来るわ》
頭に響く声に背を押される。大丈夫。そう呟く言葉。眼を伏せ確かに感じる祝福の紋章から繋がる一つの道筋。
そしてレイディルは自分の中に感じる魔力を額に集め、ルイシエラの右手を通じて注いでいった。
まだ細かい調節は出来ない。だが、自分の中に宿る歴代のティリスヴァン公爵家の当主達が力を貸してくれているのを感じて、遠慮なく自分が持てるだけの力を込める。
それは不思議な感覚だった。注ぐ魔力が圧縮され細く、小さく、そして純度が高められていく感覚。
ざわり、高密度化していく魔力に肌が粟立つ。
そして集中力を途切れさせること無く注げば注ぐほどルイシエラの呼吸は段々と落ち着いていった……。
ふと眼を開けた先。ベルンとヨルムに抱えられたルイシエラはぐったりとした状態ではあったが、その呼吸は正常なものに治まりつつあった。
「もう、大丈夫だと思う」
既に意識は無いのか固く瞑られた右目。汗を掻いたせいで張り付く髪の毛をガウディは優しく払った。
レイディルも少なくは無い魔力を注いだが、意識ははっきりとしており立つその足取りもしっかりとしたもの。
ルイシエラの右手を額から離せば静かに消え行く紋章の光。
ガウディはルイシエラの無事の様子に安堵の息を吐いた。
「礼を言う」
改めてレイディルに向き直り頭を下げるガウディに倣い騎士団の者達もレイディルへと頭を垂れる。
その中には深く頭を下げるリドの姿もあった。
だが、その夕焼けの瞳は羨望と僅かな嫉妬を宿しレイディルへと向けられる。
同じ祝福者でも向き不向きはある。
魔術や魔力が関係する祝福と武術や自己能力が関係する祝福。前者は守りに強く、後者は攻めに強い。
勿論メリットが強ければ強いほど、デメリットも強いもので、それを補うように一柱神につき祝福者は二人程確認されるのが常だった。
ちなみに前者がレイディルとルイシエラ、後者がリドである。
前者の魔術や魔力に関係する祝福を宿す人間は魔力などが強大で治癒や守りの力が強い反面、自分自身の身体能力などが低い事が多い。
そして後者の武術や自己能力が強い人間は強靭な肉体や戦闘能力が強い反面、治癒能力や最悪魔術などが使えないことが多い。
幸いリドはある程度の魔法を使えるが全てが攻撃特化であり、守護の魔法や治癒の魔法はほぼ出来なかった。魔力こそはあるのだが、体質的に使えぬためルイシエラを癒やし助けるレイディルに感謝をする反面どうしても羨ましいと思う心を止めることが出来ず悔しさに拳を握る。
それに加え、堂々とその隣に立てる身分と立場。同じ祝福者と言えど間違えてはいけないその立ち位置は否が応でも自分の何もない立場を自覚させられる。
「……」
嫉妬などしてはいけないのに、心の自分が囁く。「ずるい」と……。
「ベルン、ヨルム、ルシィを」
「はっ」
「了解です。ご当主」
ガウディの指示にベルンとヨルムの二人がルイシエラを運んでいく。
獣人であるその獣の耳や肌に散る鱗など堂々と晒す二人に騎士団の人間は俄にざわつくが、その騒ぎを知ってか知らずか二人はルイシエラを大切に抱えて屋敷へと姿を消して行った……。
ぎゅうっと握る拳。
暴れる感情を抑えるように固く、キツく握るその手にリドは理性を感じ目を閉じる。
激情を、感情を持て余し一人堪える彼を見下ろす月はただ優しく彼を、彼らを照らしていた……。
ルイシエラの頑張りによって最悪の事態は免れた。
それを知る人間はひっそりと安堵の息を吐く。
そして、〝奇跡の光景〟を見た面々はその光景を忘れる事は無いだろう。祝福の力を、神の愛し子の力を……世界を守る力の片鱗を。
それらを静かに見守る小さな影は震える手を握り空を見上げた――
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――――空に君臨する満月は、そして天空を支配する神は一つ目の運命が確定した事に笑みを零す。それは彼女が、彼女達が望みそして渇望した一筋の光。
その手の平に浮かべた小さな光のひと粒に女神は慈愛の笑みを浮かべ頷いた。
それは一つの救い。罪を犯した魂を赦し、そして彼女は光を空の星星の一つに加える。
それは一つの願い。罪を許された魂が、願い祈った事に対する対価だった……。
《どうか……》
どうか、その言葉の先は唇からは溢れない。でも、その先を何十回、何百回、心で呟いた女神は眼を伏せ暫しの沈黙を守る。
耳に残る美しい旋律――穢れた闇を浄化するルイシエラの歌声をなぞり彼女は口ずさむ。
美しくも悲しく、そして歓喜に満ち溢れた彼女の生きる歌声を……。
声はやがて風に乗り世界を巡る――――
村を町を、国を大陸を、越えて届く歌声は知らせとなってある者達へと届く。
大地を支える一柱が、闇と光を司る二体が、魔と聖を束ねる二人が、その歌声に酔い痴れ夢の狭間を揺蕩う。
それは束の間の安息の時間。唯一許された干渉出来る力に女神は精一杯奏でた……。
どうか、今だけは幸せな時間を。と、願い望む平穏は一人の少女の為に。
大切な愛し子の為に彼女は歌った――――




