Act.41 [願いを乗せて]
――風が吹く……。
国を、大陸を越えて……世界に吹く風は神の吐息。生命の息吹。
闇も光も関係なく。善悪も、差別も、種族も、人の価値観なぞ何処吹く風。
自由に、気ままに吹く風は巡る、廻る。
そうして世界を巡り、そして世界の空すら変える風は一人の少女の元にも訪れた――――
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ヒュウ――、風が頬を撫でていきます。
まるで私の覚悟を励ますかのように、心配するかのように。
もしかしたらあの風の精霊さんが送ってくれた風かもしれないと不意に思いました。
優しく髪を揺らし、ふわりと浮くのは解け始めた包帯。くるくるフワフワと包帯が風に靡き、空中を漂います。
それを目の端で追いかけた先。
そこには玄関前の階段の上、こちらを真剣な表情で見下ろすレイディルの姿がありました。
どうするのか?まるで問い掛けるかのようなその瞳にくすり、一つの笑みを零します。
「ルイシエラ?」
呼ばれた声は父様のもの。何をするつもりだ?と言わんばかりの表情にこれもまた笑みを一つ。
……なんか段々全てを笑って躱すようになったのは気のせいですかね。
日本人らしく曖昧に誤魔化す時の愛想笑いは元々でしたが、それに加えて貴族としてのポーカーフェイスが身についてきたのかいつも笑っている気がします。良い事なのか、悪い事なのか、まぁ焦りや動揺を周囲に見せない様にとゼルダから指導を受けましたし。取り敢えずは良しとしましょう。
そんな関係ないことをつらつらと思いつつも父様にお願いし、やっと地面に足を付けます。
一歩、父様の部下であろう騎士の方々の前へと足を踏み出します。
そこにはリドの姿もありました。
こちらをじっと見つめる夕焼けの瞳。それに一瞬、目が合いリドの表情は少しだけ歪みます。
ど、どうしたんだろう?
泣きそうな、悔しそうな、そして少しだけ怒りの滲むそんな表情に内心動揺してしまいます。
しかし今はそんな事には構ってられないと、思考を切り替えます。
今、すべき事はリドに尋ねる事でも、父様の問い掛け答える事でもなく、この闇を祓う事ですからね!
「――初めまして、の方が多いですね。見たことのある方は改めて、ですが……私の名前はルイシエラ・アウスヴァンと申します。いつも父がお世話になっております」
スッと痛みが酷くならない程度にワンピースの裾を掴み挨拶をすれば途端に一糸乱れぬ動きで拝礼を返してくれる騎士様たちに心の中の自分が感動に驚嘆の声を上げます。
ふわぁ!カッコいい!!
ざっと見、二十数名いる騎士が鎧や武器こそはそれぞれ違いますが、それでもお揃いの赤獅子騎士団の所属を表す紋章を刻み、そしてざっと音を立てて武器を置いて拝礼する動きは訓練でもしてるのか!?と思うほどに綺麗に揃っていました。
やっぱり大人数での揃った動きは一種の美と迫力がありますよね。
そんな事を頭の片隅に置きつつ……
「どうぞ頭をお上げください。今回は私の我が儘を聞いてくださった事に感謝を伝えたいのです」
流石に立場的には私が上なのでどうか楽にしてくれと声を掛けます。
ぐるり、皆の顔を見回します。
私の言葉に首を傾げそうな表情ばかりでしたが、その中でも真っ直ぐこちらを見る橙色の瞳の力強い視線は痛いほど突き刺さります。
い、いや!む、無理はしてないよ!たぶん!と声を上げたい程ぐさぐさと刺さる熱視線。
今までのお転婆さを知られている分、言い訳も聞いてくれ無さそうなリドの据わった目はちょっと見れません。
お、怒らないでほしいなぁ私、頑張ったんだよ!と思いつつもそーっとリドの方からは目を逸らしてぎゅっと握る右手。
「失礼ながらルイシエラ様。我が儘とはどういう事でしょうか?」
そう尋ねてきたのは一番私の近くにいた騎士の一人でした。
鳶色の髪にモスグリーンの瞳。父様の側近の方です。
父様よりは年上の壮年の男性はグイン――代々我がアウスヴァン公爵家に仕えてくれる家の者でもあります。
勿論私とも顔見知りで、寧ろ仕事を投げ出す父様を連れ戻す役目を毎回しているグインには本当に頭が上がりません。
スッと私の前に跪き目を合わせて問い掛けてくるグインに私も答えます。
その疑問は皆の物でしょうから。
「堕骸盗賊団――」
「それはっ!」
「あの場に行ってくれと頼んだのは私なのです」
そして助けてくれと、願ったのは“あの子”
だけどグインは驚きの表情を一変、悔しそうに唇を噛み締めます。
それは悔恨の表情です。
――嗚呼、やはりもう生存者はいなかったのでしょう。
分かっていても、あの惨劇の光景を目の当たりにしても、でももしかしたらと思っていた一縷の望みが消えたことを理解します。
ふと目を上に向ければそこにはグインと同じく悔しそうに、そして沈痛な面持ちの騎士団の面々。
彼等だって目を背ける程の光景を見てきたのでしょう。あの堕骸盗賊団が作り上げた凄惨な現場を。
その中で必死に探した生き残り。でも村の全ての人間が息絶えていた。
その現実に、間に合わなかった悔しさに、怒りと後悔を浮かべる彼等に少しの微笑みを向けます。
それは労りと感謝を込めて、結果は元々分かっていたんです。それで彼等を責めるのはお門違いと言うやつ。
それに鎧についた土汚れや血を見る限り弔いもきちんとしてくれたのでしょう。
「ルイシエラ様、申し訳ございませんが――」
「大丈夫です。全て分かっています」
うん。だからこそ――みんながそんな表情をしなくて、いいんだよ
「皆には感謝を。これは私と……そしてあの村人達からです――ありがとう。本当に――」
ありがとう。
色々な感情が浮かんでは混ざりますが、でもそれは全て一つに集約して言葉として紡がれます。
悲しんでくれて――ありがとう
怒ってくれて――ありがとう
悼んでくれて――ありがとう
それらは全てあの村人たちの気持ちです。闇こそはレイディルの力もあり祓われましたが、それでも私の心の奥の奥。そこで燻っていた無念の感情が和らいでいくのを感じます。
「ルイシエラ様……」
「私は全てを視ました。そして知っているのです」
あの惨劇を、惨状を、そしてどうなってしまったのかを。
するりと無意識に包帯の巻かれている左目を触ります。
私は魔眼の能力を勘違いしていました。
この眼は人の魔力を、魔力そのものを映すものだと思っていました。ですが、まさか魔力を纏う記憶さえも視る事の出来る眼だとは。
でも、だからこそあの村の悲劇を知れたことは悪いことではありません。
それを視た反動は凄いですけどね!
隠れた瞳を触る私に気付いたのでしょう。グインが驚愕の表情を浮かべ、まさか?と言わんばかりにこちらを見つめます。
グインはアウスヴァン公爵家に近しい人間ですからね。私が祝福持ちであるのと、そして魔眼を持っていることを知っています。
それに肯定するかのようににこりと笑えばくしゃりと表情を歪めるグイン。
それは一体どんな感情からなのでしょうか?
怒りとも悲しみとも尊敬とも取れる強い眼差し。
笑おうとして失敗したかのような引きつる口元と頬。
眼は私から後ろに居るであろう父様へと移ります。
忙しなく動くグインの感情がその表情からも読み取れました。珍しいと心で零します。
いつもは子供である私の手前、余り動揺などを露わにしませんから。
そんな事を思いつつも、いそいそと準備をします。主に心のですけどね!
はぁ、と深く息を吐き、深呼吸をします。
眼を伏せて一瞬閉じた際に意識するのは身体の奥――体内を巡り、渦巻く魔力の流れ。
……うん。まだ大丈夫。
どうやら実は私の魔力循環の補助をしていたらしい翡翠さんの封印石。
それが無い所為か、乱れる魔力を見つけ意識して正していきます。
もしかしたら、翡翠さんのあの石は他にも私を助けてくれてたのかもしれません。
でも今は無い――。
ギュッと握った胸元。いつもなら触れる感触が無いことを改めて胸に刻みます。
「ルイシエラ様?」
「ルシィ、どこ痛むのか!?」
グインと父様が心配そうに顔を覗き込んで来ます。
――大丈夫、ルイなら出来るよ――……
それは翡翠さんがよく言ってくれた言葉。私の背中を押してくれる魔法のコトバ。
「――祝福を、皆に……」
ふと眼を開け、前を見据えます。
ぎゅっと再び強く握った右手。その手に力を、心を込めます!
「オイっ!」
後ろからレイディルの声が聞こえましたが無視です。無視。
さぁ、歌いましょう――世界の美しさを、癒やしの唄を
感謝を込めて、心を込めて……やり方はもう解っています。
これは神域を作り上げる祝詞では無く、ただこの心の衝動のままに紡ぐ旋律――
私からの、そしてあの村人たちの心を彼等に伝えるための音……。
「――」
月が咲く夜空に、空高く響けと――歌います。