Act.39 幕間[見守る者]
その言葉は誰でも言えるようで、言えない言葉。
昔からの習わしを、古からの言葉を伝える言葉。
それを告げた少女を、弟を誇らしくも哀しく思う。
――それは逃れられない運命と向き合う事を指すのだから。
**********************
静かな夜だ――…
心底そう思う。それはこれからの出来事を予期して……まるで嵐の前の静けさのようにも思えた。
空に輝く大きな満月。それを彩るのは煌めく星星。
今居る屋敷は山間にある為か少し肌寒い風が体を撫でていく。
――アウスヴァン公爵家が所持する領地は広く、大きい。
特にタナシュト公国の国境沿いの山脈から王都まで至る街道並びに魔大陸に接する港を有し、実質我が国ジゼルヴァン王国の国土の約四分の一を領地として保持している。
勿論、全てを管理しているという訳ではないが赤獅子騎士団などの独自の組織を持つアウスヴァン公爵家は初代国王より破格とも言える権利を有するが故その組織形態などにより領地はもう一つの王国とさえ周辺諸国には呼ばれていた……。
そんなアウスヴァン領にある、ここは王都にほど近い隠れ屋敷。
王国を縦断するように走るセキ街道沿いに出来た町 《 リーベ・ルトワ》を眼下に望み、公爵家が保有する赤獅子騎士団の本部があるこの地には精霊達が棲まう聖域があると言われている。この屋敷はさしずめその地を守るための門の役割をしているのだろう。
一応、もっと町寄りに表向きの別宅である屋敷もあるのだが、そちらはガウディ将軍が執務に使っているらしい。
まるでひと目から避けるようにひっそりと佇む屋敷は無骨な門に対して気品漂う優美な木造建て。
ひとたび敷地内に入れば玄関前には色とりどりの花々が出迎え、美しいと素直に思った。
そんな玄関前の石造りの階段に腰を下ろすのは二つの小さな影。
しかし、徐ろに立ち上がった一つの影は月明かりに照らされその姿を露にする――
赤よりももっと濃い深紅の髪を風に揺らし、その暁が照らす空の色を閉じ込めた赤紫の瞳は力強い光を宿してはもう一つの影を見据えていた。
『――私の名はルイシエラ・ロトイロ・ヴァイス・アウスヴァン。武を司る一族の末裔にして、誇り高き意志の継承者。そして女神ルーナの祝福者よ 』
女神の光と呼ばれる満月の灯りが照らす中、全身に包帯を巻き大怪我を負うその小さな少女は目の前の少年へとそう告げた。
大人顔負けの優美で美しい礼と共に自らの名を告げる彼女は一体、どこまで知っているのだろうか……?
俺達の役目を、この世界での役割を……。
まだ幼い幼児とも言える歳なのにも関わらず、その瞳に灯る光は確かな知性と理性の輝きを宿していた。
それに人知れず息を飲む。それは彼女の強さを、心の気高さを感じて――彼女こそが女神ルーナが選んだ祝福者。
ティリスヴァン公爵家の次期当主として、この国ジゼルヴァン王国を守る双翼の対であるアウスヴァン公爵家の次期当主である彼女が頼もしくもその境遇には同情を抱かずにはいられなかった。
普通の淑女として、女の子として、危険な事から周囲に守られいつかは然るべき相手に嫁ぐ女の幸せを享受出来るであろう彼女。だが、それを自らの意志で拒絶してまでその重く罪深い、呪いとさえ思える業を背負う覚悟を表す彼女に純粋に尊敬の念を抱く。
祝福者として柵も危険もあるだろうに。それすら抱えて笑う彼女。
どうしてあんなに綺麗に笑えるのか。ティリスヴァン公爵家の次代を、これからの未来を受け継ぐ者として心底不思議に思う。
次期当主として指名を受けた際に見聞きした公爵家の歴史。
書物には記されることのない、悲惨で凄惨な過去。吐き捨てたいほどの悍ましい真実。
歴史の波に埋もれた人々の無念と怒りを知った時、俺は確かに恐怖を抱いた。
それを背負えるのかと、それを受け入れられるのかと。そうしなければならない事は解っている。
「兄上……」
「ああ――」
心配そうにこちらを見つめる弟を見て目を伏せた。
父上や俺と同じ銀色の髪に金の瞳。それはこの世界を、世界の真実を見つめてきた者の証。
俺は果たして彼女のように胸を張って名乗れるだろうか?
【イース・ゼクシオ・ティリスヴァン】と、己に課された宿命と運命を背負い、覚悟を持って――
満月を見上げ考える。
何回も、何十回も自分自身に問い掛けては、辿り着く答えは一つ。
いまだそれを胸の内に秘めるばかりだ……。
*
我が国、ジゼルヴァン王国の始まりは女神ルーナの神託によって為された。
神託を受けたのは世界中を旅する流浪の民である兄弟。
兄は他を圧倒する武力を持ちながらも心優しく。弟は兄を支えながらも人では無い者と友誼を結んでいた。
この地に根付くことを女神より告げられた兄弟は、不毛の大地であったこの地に仲間と共に根を下ろした。
澱みと呼ばれる穢れた闇が齎す災いを治め、封印する為とも言われているし、この地が女神にとって大切な場所だった故に守るためとも言われている。
残念ながら神託の内容は次期国王のみに伝えられるのが昔からの習わしだ。
そうして根を張り、育んだ大地に芽生えたのがこの国ジゼルヴァン王国。
兄は弟を守るためにその剣となる事を求め、弟は友の為に家族の為に自らが全てを背負う強さを求めた。
そんな二人の幼馴染であり、至高の魔術師と謳われたのが我がティリスヴァン公爵家の初代である。
親友を守るために国の盾となる事を先祖である初代は求めた。
そんな堅い絆で結ばれた三人は国を支える柱となる。国王として、将軍として、宰相として、己に合った役職を名乗るようになったのがジゼルヴァン、アウスヴァン、ティリスヴァンの始まりである。
時代が時代であった所為か、戦乱の世の中に傷付き、疲れ果てた者達を受け入れ成長していく国。
だが決してこちらから戦いを仕掛ける事は無くとも世の流れに逆らう事は出来ず、王国もまた戦いの渦中へと巻き込まれて行く。
様々な悲劇があった。悲しみが、怒りが、無念が、世界を包みやがて悍ましい穢れた闇が蠢く。
それでも決して折れる事のない意志を持ち、抗い戦ったが闇は人々の想像を超えて遥かに強く、また深く穢れていく――そんな中、一人の少女がこの世界に降り立った。
それが後に【暁の神子】と呼ばれる少女である。
この国は初めて暁の神子が降り立った地であり、そして代々穢れた闇が世界を覆った瞬間。彼女たち暁の神子が降り立つ聖地なのだ。
そうして我々の役目もまた時代によって変わっていく――
暁の神子を守る者として、支える者として、そして傍にいる者として。
現在、闇はまだ沈黙を保っている。
前回の暁の神子が召喚されてから300年の長い時が過ぎている。時代によって変動はするが周期的にそろそろ闇が動き出しても不思議ではない。そんな中、ティリスヴァンの宿命を、歴史を受け継ぐことは重く、苦しい。
父上や将軍――アウスヴァン公爵もまた闇に警戒し、目を光らせている事は知っていた。
そんな中、産まれ始める神々の祝福を宿した人間。人知の超えた力を、知識を、技を持つ人々。
現在、ジゼルヴァン王国が確認している祝福者は全部で5人。その内の4人が王国が有する祝福者である。
それが一体どういう意味を持つのか、歴史を、暁の神子について詳しい者ならばすぐ想像が付く。
――いつか、遠くない未来。この世界は再び穢れた闇に包まれるのだろう。
それに対抗するように産まれてくる祝福者たち。
その中で自らの役目を思い、俺は口を噤む。
――彼女のように覚悟を決めれるだろうか?
これから降り掛かってくるであろう災いを止める覚悟を――
だが、
『オレの名はレイディル――【レイディル・ノアゼル・ティリスヴァン】知の番人の末裔にして、そして――智慧の守護者。狭間の神トワイライラの祝福者だ』
はっきりと告げる声が聞こえた。今まで聞いた事の無い強い力に満ちたその声は末の弟のもので……。
はっと顔を上げて柱の陰から彼の顔を見る。
遠目でも分かる父上や俺達とは異なる氷水色の瞳。
――その色が優しく笑みの形を作るのが好きだった……。
《――お願いね、お兄ちゃん?》
くすり、と笑って笑顔を浮かべる女性――在りし日の母上の顔を思い出す。
決して丈夫とは言えない身体だった。
でもいつも凛と前を見据え、決して諦めることなどしない人だった。
どうして父上と結婚したのか?と疑問が浮かぶほどに父上とは正反対の性格で、頑固で我が儘で、そしてどうしようもなく優しい母親だった。
余命幾ばくも無いと医師に告げられても、残された生を生きるのではなくその命を託す事を望んだ人だった。
死ぬ恐怖に恐れるくらいならば、家族と共に過ごす時を大事に大切に刻んでいたあの人。
いつも朗らかに笑い、屋敷はいつも笑顔が絶えなかった。大人げない悪戯で泣かされた事もあった。ちょっとした我が儘に振り回された事なんてしょっちゅうだった。
でも、いつも辛い時、悲しい時に側にいて話を聞いてくれる大事な母親だった。
俺達家族の中でも、屋敷の中でも太陽のように周囲を照らし笑顔にさせてくれるそんな人だった。
そんな母上がベットの上で告げた言葉。託された想い。
「イース兄上」
「ああ」
掛けられた声に頷く。それは隣の弟も同じ想いなのだと分かる。
『互いにその運命に振り回されそうだけど……ふふっもう一人ではないでしょう?』
『――ああ』
お互い見つめ合う少年少女を見て覚悟を決める。
「……絶対守るぞ」
「ああ」
いつか降り掛かるであろう運命の波から。その助けの一筋になることを望んで……。
大人としての矜持を、兄としての誇りを懸けて。
決して彼を、彼女を、宿命の闇には渡さないと……決意を新たに二人は拳をぶつける。
「まずは――」
「堕骸盗賊団だな」
互いに頷き見上げた月。
優しく照らす月明かりにティリスヴァン公爵家の者は――世界の知を守る一族の血族はその一族の宿命を、役目を受け入れ覚悟を決めた――
その覚悟を、決意を見届けたのは天空に輝く満月のみ……。




