Act.34 幕間[寄り添う温もり]
それは確かに暗闇の中に届いた奇跡の光――
暁の灯火に導かれ差し込んだ光は、懐かしい気配を纏わせて闇を祓う――――
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産まれた時から〝それ〟は身近に存在した。
《やはり、この魔術的観点から見た方が理論的には無難ではないのか?》
《それでもこの事例はおかしくなくて?》
《いや、しかしそれならばこの事案はどうじゃ?》
頭の中に木霊する幾つもの、幾人もの声。
それはティリスヴァン公爵家の歴代当主達の声だった。
――ティリスヴァン公爵家はジゼルヴァン王国の三大公爵家の一つ。
武を司るアウスヴァン公爵家とは反対に、ティリスヴァン公爵家は知を司る魔術師の一族、そして代々政を担う宰相家だ。
そこでオレは三男として生を受けた――。
狭間を司る三柱神の一柱【トワイライラ】の祝福を宿して……。
祝福の影響なのかは定かでは無いが、身に余るほどの膨大な魔力、そして彼らティリスヴァン公爵家の歴代当主の意識が産まれた時から自分の中には宿っていた。
常に囁く声が絶えない意識。自我ができる前はそれが当たり前の事だった。
自我が確立し、自分の意識を認識すると分かるその異常さ。こればかりは例え身内である父上や兄上達にも打ち明ける事が出来なかった。
――たぶん無意識に恐れていたのだろうと思う。
唯でさえその膨大な魔力によって周囲の人間に恐れられ疎まれる自分が、家族にさえそういう扱いをされる事を……。
母親の命を奪って産まれたために家族以外の外野は口々に親殺しだ何だのと囁く。それを負い目に兄様達や父上に顔向けできなかった。だって、それは本当の真実なのだから。
でもそれすら笑って話の種にするご先祖様たちに辟易する。それぐらいが何だと、自分の方がもっと酷いぞと不幸自慢を始める先代達。でも、その気軽さに救われたのも事実だった。
愛されているからこそ、この世界に産まれてきた自分を愛しなさい。
そう言ってくれたのは何代前の当主だったか。
――その言葉は確かにオレの心を支えてくれる一つになった。
しかし、ただでさえ制御出来ない魔力はやがて身体から漏れ始めじわりじわりと周囲に影響を与え始める。
魔力を封じることの出来る魔封じのアクセサリーが身体を彩っていく――。
腕に、足に、耳に、抑え付けられる魔力に息苦しさを感じながらもそれは日に日に増えていった。
その頃になれば父上も兄上も容易にオレに触れる事が出来なくなり、簡単に感情の起伏によって暴走し始める魔力。それは悪夢の日々だった……。
ちょっとした言葉に感情を乗せる度に魔力はオレの周囲を傷付けていく。
人も物も、そして本来ならば常人には見えぬ姿無き尊い存在すらも。
そんな無垢な存在を傷付ける度に、オレを受け入れてくれた稀有な存在の人達を害する度に心が軋む。
傷付ける事など望んてなんかいないのに……止まれ、と何回念じて抑えても思う様に制御など出来ない力。それは何より恐ろしいものだった。
――そして、遂には取り返しのつかない事件が起きる。
「――化け物!」
触れた瞬間、飛び散る肉片。
「レイディル!」
「あ、」
耳をつんざく悲鳴。気が付けばそこには阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた……。
血溜まりの中、茫然と佇むオレの目の前には蒼白い顔色をした父上。。
「やはり、あの子は化け物なのよ」
「トワイライラもなんて子に祝福を与えたのか」
「母親殺しだからねぇ感情なんてないのさ」
……その時の記憶はとても曖昧で、断片的にしか覚えていない……。
ただ覚えていなくても判るのは、オレの魔力が暴走して誰かを、人間を、どうしようもなく壊したという事実。
誰かに腕を引っ張られたのは……覚えている。触れられたそれを拒絶したのも。そんな負の感情に魔力は反応し、結果はオレの魔力の暴走と暴発。
「すまない、すまないレイディル」
その日から、オレの部屋は鉄格子と封印術の陣に囲まれた一室となった。
すまない。と項垂れ謝罪の言葉を口にする父上。兄上たちも部屋に籠るオレを見て、鉄格子越しにしか見えぬ姿に悲しそうな表情を浮かべていた。
……自分がどれ程危ない存在かは十分理解している。だからこそ、この対応が当たり前だと思うのに……父上も兄上たちも「すまない」と繰り返し謝罪の言葉を口にする。そんな負い目を背負わせてしまうのが、迷惑を掛けてしまうのが、何より一番堪えた。
そしてそんな感情の揺らぎにさえ、不安定な魔力は反応し暴れまわる。
何時しかオレの感情は、オレの心は、時が止まったかのようの凍り付いていった――――
顔から表情が無くなった。感情の起伏が無くなった。
それを他人事のように、客観的に理解する理性。
ただ日に日に強く強大になっていく魔力に怯えながらも息を殺して日々を過ごしていた……。
――そんなある日。
――――憎い!憎い!憎い!
あの者達を赦すな!そう叫び声が聞こえた……。
怒れ、憎め、呪え、と呪詛に言葉が頭に響く――
無感情を抱いていた心を揺さぶる強い、強い、憎しみの感情。
それは歴代の当主達が溜め込んでいた心の声。
理不尽な現実に、無情な運命に、人を、神を、呪った言葉。
何故?そう疑問が頭を埋め尽くす。
今の今まで、そんな気配おくびにも出さなかったのに……。豹変したように次々と露わにする生への執着心。憤怒の感情、慟哭の叫び。
それがダイレクトに心を、精神を揺さぶる。
駄目だ!うねり、蠢く魔力は先代達の感情に引き摺られ負の感情に、闇に染まっていく――
幾ら抑え込もうと抗っても、その変化を止める事など出来なかった。
嗚呼――――頭が痛い。
ひたりひたり、忍び寄るのは悍ましい程の穢れた闇。
それにやっと気付いたのは唯の意志だったはずの先代達が、負の感情に囚われてしまった時。
しかし今更気が付いても、もうオレ自身が抗がえない程に闇に染まってしまっていた……。
――それからの記憶は曖昧だ。
ただ、呪詛の言葉に抗う術が無くて、疲れ果て全てを投げ出してしまった。……自分も命さえも。
そうすれば嬉々としてオレの理性を、意識を侵蝕し始める闇。
だが――――
『いい加減っ!眼を覚ませこのあほんだら!』
それは閉ざした心に届く鮮烈な声。
耳元で繰り返される呪詛の声すら吹き飛ばして、その声は澄んだ音と共に響き渡った。
心の奥底、精神の根底とも言える、そんな真っ暗な空間に沈むオレを叱咤する声。
闇を裂いて届いたのは導きの一筋。
誰……?
無意識に呟く。こんな場所にまで声を届けられる人間など知らない。
ましてや闇を祓える者など――
そう思った瞬間、浮かんだ一つの仮説。
――――オレと同じ祝福者ならば……?
そう思考を浮かべた刹那。頭に、心に激痛が走った――。
一縷の希望さえ抱くことも許さないと言わんばかりの痛み。
余りの痛さに頭を抱えて蹲る。ガンガンと鳴るのは身体の、心体の警告。これ以上はもたないという限界を知らせる警報。
止めてくれ!そう叫んでも誰にも届かぬ声。
激痛が襲う頭に送り込まれるのは一つの映像。繰り返し、繰り返し、その映像は頭にまざまざと刻みつけられる。それは戦争の光景だった。
慈悲も無いような。悲惨で惨憺たる光景ばかりが繰り返し見せ付けられる。
それと共に繰り返し聞こえる怨嗟の声。
奴らを許すなと、怒りに、憎しみに、身を任せろと言わんばかりに闇がオレの意識を喰らい付く。
我に返った筈の意識が闇に沈んでいこうとする――その時。
《駄目よ……レイディル》
「え?」
ふわり、闇を退け心が優しい温もりに包み込まれる――
初めて触れた筈なのに、初めて感じた他人の温もりなのに……それは泣きたい程の懐かしさを纏っていて……。
《まだ、諦めるのは……早いわ――》
その温もりの姿は見えなかった。でも確かにオレの身体に巻き付く仄かな熱。掛けられる言葉。
――オレは誰かの腕の中にいるらしい。
初めて聞く女性の声。その声を聴くだけで何故か胸が打ち震えた……。
気付けばいつの間にか聴こえなくなっていた呪詛の言葉。それと共に引いてく痛み。
だけど、ずぞぞぞぞっと蠢いたのはオレを取り囲む闇だった。びくり、反射的に肩を揺らす。それを支える様に肩へと熱が移動する。
《負けては、駄目よ》
後ろから回された腕。宥める様に撫でられるその優しい手に心がぎゅっと引き絞られた。
《貴方には…帰る場所が、あるでしょう?耳を、澄ませてごらんなさい――》
促されるままに閉じた瞼。ざわめく闇の気配にどうしても怯えが浮かぶけれどオレは素直に耳を澄ませる。
すると。
『レイディル!』
『レイ!』
『帰ってこいレイディル!』
嗚呼――兄上と父上の声が聞こえる。
《皆が、待っているわ……》
《さぁ――皆の所に……帰りましょう?》
その声に促されてオレは意識を失った――
**
「お帰り。レイディル」
「っ」
耳元で聴こえる声。
それはあの暗闇の中で確かに聞いた声だった。
瞼に透けて見える光。久しぶりに見た太陽の明かりだ。
ふっといつの間にか閉じていた眼を開ければ一番に飛び込んでくる色は――美しい朝焼けの色。
深紅の髪に赤紫の瞳。その存在感は闇すら霞む程に光輝いていた。
しかし気が付けば触れる温もり。一気にあの時の光景がフラッシュバックする。
「な、んで……っ!オレにさわるなっ!!」
どんっと同い年位であろう少女を突き飛ばす。
たたらを踏んだ彼女は堪えきれずに地面へと尻餅を付くが、オレの心情はそれどころではなかった。
触れた……オレに!?
怪我は!?と慌てて彼女の身体に目を走らせる。
ムッとした表情を浮かべる彼女に罪悪感が浮かぶがそれどころでは無い。
今も制御できない自分自身の魔力は簡単に人を害する事が出来る。
あの時のように人の身体を壊すことなど容易なのだ。
ザァと血の気が引いていくのを感じた。良く良く見れば彼女の服は無惨に切り裂かれ、傷だってあった。
赤く滲んだ血と思われる服の汚れ、それは決して他人なんかの物ではなく、彼女自身の物だと察せられた。
なんで?どうして?と疑問が頭を埋め尽くす。その間にもニヤリと何かを企んでいる笑みを浮かべる彼女に知らず知らずの内に後退りしていた。そんな彼女に気を取られていればぎゅるっと身体にまとわりつく植物の蔓。
「な、なんだよこれ!はなせよ!」
いくら暴れてもびくともしない蔓。たかが蔓なのに!?と思わないでも無かったが取り敢えず混乱しすぎて動揺に魔力が漏れ出るのを感じ益々焦る。
すると少女は何かを決意した表情でオレの首に何かを通した。
チャリと胸元に揺れる首飾り。ブローチ位の大きめの真っ黒な石が一つだけぶら下がるシンプルなそれに何故?としか浮かばなかった。
何なんだ一体?!
この状況も、彼女も何者なんだ!?と喚きたくなる。
でも外せと叫んでも彼女はニヤニヤと笑うだけ。
その表情がとても腹立たしかった。しかも胸を張ってどうだ?と言わんばかりの態度。
このアマ!!
そんな汚い言葉すら思い浮かんでしまう。
だが、
「お黙りなさい。貴方はこれから怒られるんだから!」
そう言われいつの間にか解けていた拘束。どんっと遠慮なく突き飛ばされオレの身体は後ろへと倒れ込んでいく。
驚きに目を丸くし、次に来る衝撃を思い目を閉じるけれどーー思ったより軽い衝撃に力強い腕の感触。それは父上の腕の中だった。
「は、離してください父上。このままでは!」
漏れ出る魔力が父上を傷付けてしまう!そう思い必死に声を上げるも、それよりも大きく強い怒鳴り声にオレは二の句が告げなかった。
「構うものか!このバカ息子が!心配かけよって……」
「ち、ちちうえ」
きつく、強く、抱き締められる。それは初めての感覚だった。身体全体で感じる温もりは何より安心出来るもので、「馬鹿者が」と繰り返し言われる言葉。でもその声は掠れていて、一瞬父上が泣いているのではないかと不安になるほどのものだった。
そんな父上に驚いていれば父上の背後から現れる二つの影。
「このバカ弟がどんだけ俺たちが心配したと思ってるんだ!」
「勝手に一人になりやがって!そんなに俺たちは頼りないか!?」
それはイース兄上とラウディ兄上の姿だった。
このやろう!と二人の兄に小突かれ説教をされる。
だって、と口にする言い訳も何のその、それでも俺達は家族だろう!?と怒られオレは口を噤んだ。
そんなオレの心の中は思った以上に凪いでいて、戸惑いも混乱もあるけれど身体から魔力が暴走する兆しは無かった。
「なんで……」
どうして?と疑問が口から溢れる。あり得ないと見下ろした両手。
さっきまで確かに感情の揺らぎに蠢いていた魔力の流れが今や静かに落ち着いている現状に疑問が尽きない。
そんなオレに掛けられる声。その声は凛として、確かな強さが宿っていた。
「……貴方は望んでいたのかしら?」
「……なにが」
「その身に余る力によって人が傷付くのを」
そんな彼女の言葉にカッと頭に血が上る。
そんなはずはないだろうっ!と声を上げる。誰だって好き好んで人を傷付けたいと思うか!と怒りの感情のままに声を荒げた。
ふざけるなっ、何が……お前に何が分かる!?と怒鳴れば彼女はどうしてか、笑顔を浮かべたではないか!
どこに笑う要素が?と余りの態度の変わり様に唖然としてしまう。
そんなオレの様子がおかしかったのか、益々笑みを深くしくすりと笑う彼女。その笑顔は――とても眩しい位に生きる気力に満ちていた。
「ならばいいんじゃない?心配しなくても力が無くなったわけじゃないんだから」
「……なにか、したのか?」
その問いかけに、彼女は少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。
「お守り。私のとても、とても大切なもの――少しでも傷付けたら許さないんだから」
ぞくり、その発言の瞬間に背筋に寒気が走った。
笑顔だったのを一変、真顔で低い声で発せられた言葉は彼女の真剣さが身に染みて分かるようなものだった。
ごくり、つい生唾を飲み込む。どう許さないのか気になるところだが、たぶん禄な事にはならないだろう。
そんな彼女の視線から逃れるように見下ろした胸元。先ほど彼女に掛けられた首飾りが存在を主張するかのように揺らめき、それは見間違いかもしれないが微かな光を灯した気がした。
「?」
なんでろう?と注目すれば父上も首飾りに気付き疑問の声を上げる。
そうして問い掛けた言葉に対する答えに唖然とする。
風の精霊王といえば狂気の王と名高き精霊。幾つもの戦場を荒らし、国を滅ぼし、数いる精霊王の中でも最低最悪だと呼ばれた時もあった。
そんな暴風の王が封じられた石。
若干及び腰になるのは仕方ないと思う――だってまさかそんな大物が封印されているとは夢にも思わなかったのだから。
余りの予想外の答えに言葉が無い父上。嘘だろ、と呆然とする兄上たち。そんなオレ達を笑いからかうのは少女に父様と呼ばれた紅蓮の髪を持つ美丈夫。
燃えるような真っ赤な髪に、金色の瞳。父上よりも一回り大きな体格は鍛えられており、戦う為に作り上げられたのだと分かる。
父上に対して砕けた口調に対等な態度を見ると随分と気安い仲なのだと察せられた。
頭が痛いと言わんばかりに表情を歪める父上をおかしそうに笑う男。
その見た目と態度に、彼は同じ公爵家。しかも武を司るアウスヴァン公爵家の当主。ガウディ・アウスヴァン公爵なのだと分かった。
そんな彼の腕の中で安心して身を任せる少女。彼女は公爵の娘、なのだろう。
少し疲れた様子を見せる彼女。
だけど、そんな彼女の胸に飛び込む黒い影――
それは不吉な報せを携えて彼女の心に飛び込んでいった……。