Act.33 [守りの代償]
残酷描写が若干入ります。
それは誰もが予想すらしなかった。――否、予想すら出来なかったと言うべきなのか。
でも確かにそれは蠢き、輝く光を穢す叫び。
**********************
それはいきなり飛び込んで来た――。
「……え?」
視界の端から突如飛び出して来た黒い影。
とんっと軽い感触を残して飛び込んだのは小さな子供の大きな心の中。
ルイシエラは目を丸くして戸惑いの声を上げた。
何で?とも何が?とも取れるそんな声色で発した声にガウディは揶揄いつつも説明していた言葉を止めて我が子を見下ろす。
「ルイシエラ?」
どうした?と言って覗き込んだその顔。ただでさえ大きな目を真ん丸に見開き胸を抑える我が子にガウディはひやりと冷や汗を掻く。どこか痛むのか、とそんな想像に。
よくよく考えればついさっきまで本当に血を吐いていたのだ。魔風邪の影響もレイディルを助ける為に負った傷もまだ完治とは至ってない。多少は傷も癒え、血も吐いていない様子に大丈夫だと安心していたが早かったかと自分の迂闊さを呪う。
「ルシィ?」
「ルイシエラ嬢?」
しかし幾ら声を掛けてもルイシエラから返答は無い。寧ろ全身が硬直し固まった表情。エヴァンスすらその様子に呼び掛けるがそれに被せる様に聞こえた声。それはここにはいない。否、寧ろ居てはいけないとルイシエラに言われた人物の声だった。
「ルイシエラ!」
「スーウェ?」
悲鳴のように上げられた声。屋敷から駆けてくるその姿にガウディは訝し気に首を傾げた。
なんたってその隣には自分と契約を交わす水の精霊王がいたのだから……。
本来ならばどんなことがあっても滅多に人前には姿を現さない彼女が堂々とその姿を露わにしている。それだけでガウディも只事ではない事が起こったのを感じた。
しかも二人の表情をよく見るととても焦り、そして苦し気に顰められている。
それは我が子に無事の姿を喜んでいる様子にはとても見えなかった。
『いけないルイシエラ!その子を受け入れては駄目!貴女の心が壊れるわっ!』
「やめなさい!その子は関係ないはずよ!」
必死に何かに訴えるスーウェ。水の精霊王であるアクヴァは言葉を連ねルイシエラへと何かを伝える。
しかし、崩れ落ちていく腕の中の小さな身体。
「かはっ!!」
「ルイシエラ!?」
「ルイシエラ嬢?!」
やっと動き出した我が子は盛大に血を吐き出し、その手から、腕から血を滴らせる。
ひゅーひゅーと苦し気に吐き出される息。
反射的にガウディは地面へとルイシエラを下ろし気道の確保をした。その間にも瞬く間に皮膚を切り裂く幾多の傷。
じわり、じわり服を真っ赤に染めていく血。
どうして?とガウディの頭は疑問に埋め尽くされる。
さっきまで笑っていた。怪我も治りかけていた。だが、まるで不可視の攻撃を受けたようにすっぱりと綺麗な切り口が肌を次々に裂いていく。それにガウディの顔から血が引いていく。
それは余りにも大量な出血を危惧して……血止めにエヴァンスもイースもラウディも自分の服などを惜しみなく脱ぎその身体に押し当てていくが……一向に止まらぬ血に皆の顔色は悪くなる。
「ルシィ!お願い!目を覚ましてっその子の声を、想いを聞かないでっ!」
涙交じりにやっと我が子の元へと辿り着いたスーウェが惜しみなく魔力を使い効かないと解っている筈なのにも関わらず治癒魔法をかけていく。そうしていないと気が触れてしまうと言わんばかりに。何かに憑りつかれているように鬼気迫る勢いで自分が持てる全ての力を揮う。
『――ルイシエラ、貴女が優しい子だという事は知っているわ。でもその子を受け入れるのは止めなさい。その子の想いを受け取っても貴女の心は壊れるだけよ』
アクヴァもまたスーウェの手伝いに力を発揮させながらも諭すように必死に言葉を重ねた。
しかし当のルイシエラの眼に光は無く、空ろで意識が無いことが分かる。
時折咳き込み、血を吐き出しどういう原理か肌を傷つけていく無数の切り傷。深い物も浅い物も大きさは問わずともどれもが血を滲ませルイシエラの命を溢していく――
「何故」
ガウディはスーウェたちの邪魔にならない程度に応急手当をしながらもつい疑問を口にした。
その原因を知っていそうなスーウェもアクヴァも今はそれどころではない。
だが、その疑問の答えは意外なところからもたらされた。
「オレ、みたよ」
「何?」
たどたどしく紡がれる子供特有の高い声。
話し慣れてないのかおぼつかない言葉でも知性を感じるそれにガウディはルイシエラへと向けていた目を上げた。
「そいつのなかに黒いかげがとびこんだんだ」
「なんだと?レイディル、それは本当か?」
息子の発言に確かか?と問い質すエヴァンス。そしてレイディルは自分の胸を指差し言った――その影は真っ黒に染まった妖精だったと……。
「闇に堕ちた奴か!?」
それは確かに疑問に対する答えだった。
ガウディはクソッと内心悪態を吐く。幾ら水の精霊王と契約を交わしているといってもガウディに精霊妖精を視る力は無かった。それ故に気付かなかった事態。誰よりも側に居たのに。その胸に抱いていたのにも関わらず危険に晒してしまった後悔が一気に胸を苛む。
だが、
「――ぅあ!あああああああああ!!!!」
頭を抱え絶叫するルイシエラ。涙を溢し、暴れる愛娘を抑える。
「ルイシエラ!」
「ルイシエラ!しっかり!」
ガウディもスーウェも少しでも届けと名を呼ぶが……
「ぁぁぁああ、やだぁ――殺さないで!!」
「っ!」
止めて!と叫ぶルイシエラに時が止まる。
それは余りにも悲痛な叫び。止めて!それだけは!と懇願する言葉と共に大きく裂ける腕と背中。特に背中の傷は深く、あまりにも多くの血が失われていく……
一体何を“視て”いるのか。ルイシエラの言葉の意味。その答えは水の女王から齎された――
**
“――て”
「え?」
ルイは暗い、昏い、真っ黒な闇の中で目を覚ました。
悲痛な程に声高々に叫ばれた声。
しかし何と言ったのか、理解が出来なくて言葉を漏らす。
だが――、
「ぎゃあぁぁああ!」
「賊だぁぁあ!逃げろー!」
「女子供を先に逃がせ!」
「やめろぉおお!!」
真っ赤に燃える。真っ赤に染まる――。
怒声が、悲鳴が、火の粉舞い散る空に響く。
な、なに――?これ……
それは小さな村だった。
木造で出来た家と言える建物は真っ黒な煙を立てて燃え崩れ落ちる。
逃げ惑う人々。追い掛ける人間。火に照らされる刃は無情に振り下ろされ、声を一つ。また一つ刈り取っていく。
それは余りにも悲惨な、非情な、悲劇の場面。
――――どうして……
ぐるぐる思考が回る。
なんで、どうして、と言葉にならない疑問が空回りしていく。
まわる、まわる、心の衝動。
怒りが、悲しみが、憎しみが、焦りが、回る――。
どさり、目の前に倒れた影にルイは思考の止まったまま〝それ〟を見下ろした。
――――憎い!憎い!憎い!
アイツらが!あの者達が!
赦さない、絶対に赦しはしない!!
怒りに黒く燃え盛るその影。
まわる、まわる――影の感情が心に纏わり付いてルイは恐れに後退りするが、その影から目が離せなかった……。
まわる、まわる、心が身体がまわる――
ぐにゃり、身体の境界が分からなくなる……
――そこでルイシエラは一人の“少女”だった。
巡る、巡る記憶――。
“その日”少女はいつもと同じ朝を迎えた。
鳥の囀りが満ちる森の中の小さな村で産まれ、育ち、そしてこれからも生きていくであろう。そんな平凡な一人の村娘。
彼女の仕事は朝早くから始まる。
川から汲んだ水を家の水瓶に溜めてから始まるのは働き手の無い家ゆえの重労働な一日。
家畜の世話に昼の畑仕事。そして夕方の妹の子守。
ご飯の支度こそは身体の弱い母親がこなしてくれるが、父親は出稼ぎに出て家には居なかった。その為に小さい頃からせめてこれぐらいは、と手伝って来た仕事は周りの友人からは「大変だね」と口々に同情される程にある。
しかし少女にとっては苦などでは無かった。
大好きな両親の為に、大切な妹の為に、せっせと今日も仕事に精を出す少女。
穏やかな時間が村には流れていた――自慢の領主様のお陰で他領などよりずっと治安も良く、魔物等の被害も少ないこの地域。緑豊かで住みやすい故郷は例え田舎の中の田舎であろうとも胸を張って自慢できる村だった。
やがて天の恵みをさんさんと注いでくれていた太陽が傾きはじめる。
そうなれば少女の仕事はひと段落。
昼間は仕事で構ってやれない大切な妹との時間だ。場所は村はずれの空き地。
軽く広場の様に大雑把でも整えてあるそこは村の小さな子達の遊び場だった。
少女と同年代の数人の年長者がきちんと見守るのが村での暗黙のルール。
いくら治安が良いと言っても盗賊や人攫い、魔物などの被害は少なくないのだ。子供達だけで遊ばせる事はしないように村では出来るだけ気を付けていた。
そんな空き地の隅にある切り株が姉妹の特等席だった。
今日はこんな事をした。こんな事があった。と妹と他愛の無い話をして笑い合う。
それは本当にいつも通りの日常。何気無い一日終わりを締め括る一場面。
明日は何をしようか?と遊びに夢を広げる妹を見て少女は笑う。明日もこんな平和な一日だろうと予想しながら……。
「――旅の者なのだが良ければ一晩、どこか屋根を貸してくれないかな?」
そう言ってボロボロの布を纏う男が現れるまでは。
疲れたように笑う男。しかしよく見れば、疲れた表情でも分かる整った顔立ち。旅人も余り来ない村の少女達が浮き足立つのは時間の問題だった。
少女は取り敢えず男を村長の元まで連れて行った。道中、旅の話をせがむ妹のお願いを快く聞いてくれた男の話に耳を傾ける。
あちらこちら、気の向くままに旅をしているのだと語る男。最近は長らく野宿ばかりをしていたと朗らかに笑う彼。
しかし少女が見た所、野宿をしていると言う割に別に不潔な感じは無く寧ろ服のボロさと身体の清潔さに少しの違和感を感じていた。
だが、少女の境遇に「凄い」と賞賛の言葉を口にする男に微笑まれて少女は気恥ずかしさにいつしかそんな違和感も忘れてしまった。
忘れてはいけなかった本能の警告を――
――火の粉が舞う。赤が舞う――
少女は逃げる。暗闇の中を、妖しい闇が宿る森を……
小さな幼い手を引いて、走る。走る。息が切れても、挫ける足を、心を叱咤して守るべき命を守るために――
だけど、「みーつけた!」子供が好物を見つけたような無邪気な声。心の底から嬉しそうな声。
吐き気が喉までせり上がる。震える心。恐怖に固まる身体。振り向きたくない。でも……でも。
止めてくれ!そう叫ぶ事に切り刻まれる手足。けらけらと楽しそうに嗤うのは屋根を貸したあの旅人。
止めてくれ!そう慟哭を上げれば上げるほど男は愉快だと嗤う。
嗚呼、嗚呼。少女は瞳の無い眼窩から血の涙を溢す。その目の先には少しでも好意を寄せてしまった人が嬉々として手にぶら下げる小さな影。見えない筈なのに少女にはその光景が脳裏に刻まれる。
嗚呼。嗚呼。「助けて」そう言えない喉。ヒューヒューと口では無い所から鳴る喉笛。
ああ……守れなかった小さな命に声無き声で告げるのは謝罪。守れなかった。守りたかった。それはただの願望になってしまった。
「あーあ。壊れちゃった!またお頭に怒られるなぁ~」
やっちまったとお気楽に紡がれるのは男の声。その声を最後に少女の命は蝋燭の火のようにふっと掻き消える。
だけど……ルイは視ていた。その全てを。
動かなくなった少女だったものを見下ろして…
「きたねっ!」と言いながら無造作に投げ捨てられた影。
それは少女が守ろうとした妹だった……。
そうしてルイは巡る。記憶を、人を――
家族を守ろうとした父親は笑いながら腹を刺された。
子の身代わりに盾となった母親は幾つもの刃を身体で受け止め倒れた。
幼い兄妹は逃げ惑う中で矢を射られ殺された。
目の前で恋人を、家族を、友人を愛する者達が失われる。
やだっ!やめて!――止めて!!!
殺さないで!そう上げた声など聞こえないと分かっている。分かっているけれど上げずにはいられない。
どんなに助けてと叫んでも、どんなに止めてくれと願っても、この光景は止まらない。
だって、この光景は今現在この国で起こっている悲劇なのだから……。
届かない声。誰か、誰か止めてくれと叫ぶ。
だが、身体が引き裂かれる痛みは本物で心さえも恐怖に、痛みに、ずたずたに切り裂かれていく――
怒れ、憎め、恨めと恐ろしい声が木霊して心が凍りつく。
妹を守ろうとした少女が、家族のために戦った父親が、子を庇った母親が、恋人を奪われた男が、弟を守ろうとした兄が、この無情な運命と惨劇に、狂ったように喚く。
魂が、精神が、負の感情に、心の闇に、侵されていく――
でも――全てが凍りつくその間際。
《――いけない子だねぇお姫様。言ったはずだよ?妖精や精霊に耳を傾けても、心を傾けてはいけないと》
え……?
ふわり、凍りつく心を優しく包み込むのは見覚えのある色を宿した小さな光。
《まったく、仕方ないお姫さんだ》
ひ、すい……さん?
《――君がするべきなのは〝視る〟ことではなく〝聴く〟ことなんじゃないかな?君の中に飛び込んだ子が、最後の命の灯火を懸けて君に伝えたかったことを》
その声はずっと、ずっと……ずっと聞きたかった、待ち望んでいた優しい声。
《オレからも頼むよ。“そいつ”は決してお姫さんにこの光景を届けたかった訳じゃないんだよ》
《だってさ。ほら、僕たちが目を塞いであげるよ》
《耳を澄ませば聴こえるはずだーールイにはそれが出来るだろ?》
そう言って私を包み込む二つの光。二人の声。
薄翠の光を湛えたそれは確かに翡翠さんの気配を纏わせ私の前に立ちはだかります。
するとあんなに目を瞑っても繰り返し見せられた光景に影が差します。
気が付けば私は〝少女〟になる前に居た真っ黒な空間にいました。
蠢く闇は恐ろしい憎悪を孕んでその色を深くします。
これはあの村人達の無念。助けたかった家族を、恋人を、愛する人を奪った奴らに対する怒りです。
ビリビリ肌を刺すそれに手が、身体が、心が震えます。
――怖い。
それは純粋な恐怖から浮かんだ感情でした。
この身を焦がすほどの怒りが、無念が、呪いとなり、ある一つの命を燃やしたのですから。
その燃え尽きそうな命を抱えて私の中に飛び込んできた存在を想い、涙が溢れます。
それは小さな命。
やっとこの世界に生まれた筈の命は人の怒りに、憎しみに染まり耐え切れなかったのです。
闇に染まったそれは生まれたばかりの妖精でした。
だからでしょうか、妖精でもある翡翠さんの声がとても悲しそうだったのは。
だけど、覚悟を決めて前を向きます。
暗闇の空間にどちらが前かは分かりませんが、それでも震える身体を叱咤します。
あの子が。
闇に染まり切る前に飛び込んで来た妖精が私に伝えたかったことを知るために!
(力を貸してくれる?翡翠さん――)
人知れず呟く言葉。
目を瞑り、感じる気配が薄くなっていく感覚に残り時間が少ないことを理解します。
でも、当たり前だろと言わんばかりに私に寄り添う光。
どうやってここに翡翠さんがいるのかは分かりません。深い眠りについている彼らがどうして目覚めているのか。しかし、私はするべき事をするだけ、と怨嗟の言葉に満ちる音に耳を澄ませます――。
悲鳴が、怒号が、鳴り響く音に紛れて聞こえたのは小さな、本当に小さな声。
“――れ―か……け……て”
“……だ――ぁの……を…た……けて――!!!”
「っ!」
《――聞こえたかい?》
《あの声が……》
息を飲みます。
それは喉が張り裂けそうな程に願い、叫んだ言葉。
無念に、憎悪に、怒りに、塗れながらもたった一つの願いを込めて発せられたSOS。
「――翡翠さん」
《大丈夫、ルイなら帰り方が分かるはずだよ?》
《まぁ、身体はボロボロだけどな》
《確かに》
くすり、二つの笑い声が聞こえます。
いや、笑い事じゃないですよ!
結構それってやばいと思うんですけど!!
《大丈夫、心配いらないよ》
《そうそう》
どこからその自信が来るのか甚だ不思議ですよ!
ムムっと顔を顰めます。
だけど、何となく翡翠さん達の言葉に納得してしまう自分がいるのも確かです。
「大丈夫」その言葉は魔法の言葉。
根拠なんて元からありません。でも不思議と翡翠さんに言われると無条件で信じてしまう自分がいるのです。
《さぁ――帰ろうか?》
《あるべき場所に》
《あるべき時に》
そして託された想いを果たしに――
その声を最後に私の意識は暗転します――