Act.32 [家族の形]
もう、どうでもいいと投げ出した自分。
憎悪と憤怒の感情に抗う事が難しくて絶望と悲しみに心が、力が、闇へと沈み込む――
でも、確かにそこに届いた光が一筋。
会った事なんて無いはずなのに……その光は確かに懐かしい気配を纏わせていた。
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空ろだった瞳に段々と、鈍くとも光が灯るのが見えました。
しかしはっと唐突に覚醒した意識。
そして彼が私の存在を認識した瞬間にびくりと震える身体。
「な、んで……っ!オレにさわるなっ!!」
いきなりどんっと力強く突き飛ばされ、私は堪えることなど出来ずに地面へと倒れます。
おいコラ。お前、その仕打ちは無いんじゃないかな?
まさかの予想外の行動。恩を仇で返すような行為に私のこめかみにはぴしり、皴が寄るのが感じます。
……これは怒っていいよね?
そんな私の怒りの気配を感じ取ったのか怯えるように後退りするレイディル。
ああん?
そんなあからさまとも言える仕草に僅かに疑問符を浮かべながらも心はやさぐれます。
だって!折角人が怪我してまで助けたのに!この仕打ちは無いと思うんですよ!!
ムッとしながらも取り敢えずは立ち上がり憮然とした表情でレイディルを見ます。
しかしよく見れば彼は何故か自分が傷ついたように顔を歪め、信じらんないと両手を握り僅かに震えていました。
そんな彼に益々疑問符が浮かびますが、次の瞬間にはその答えに思い至ります。
そう言えば彼の魔力は相変わらず垂れ流しですし普通の人間だったら今頃、身体破裂していますもんね。
しかし私の場合は魔封病のお蔭で逆流する通り道の魔穴は閉じていますし、身体の内で巡る魔力がレイディルの魔力を弾いているのです。
なので実は普通にレイディルに触れれる私です。
しかしそれを知らない彼からすれば目の前で身体が破裂してしまうかもしれない恐怖を抱いたって仕方が無いですよね。
しかもどうやら私の事を知らないみたいなのでヒュブリスに憑依されている時の記憶は無いのでしょう。そんな初対面の人間が馴れ馴れしく自分と触れ合っていたら驚くし、反射的に突き飛ばしても仕方が無いですよね。そう、仕方が無いんですよ。
「――なので、その殺気は仕舞ってくれると嬉しいかな?」
「こいつ、お嬢様に助けられておいて」
「殺していいかな?ねぇ姫様殺していいよね?」
「いやいやいやいや」
後ろを振り向かなくても分かるのが悲しいです。
私にした仕打ちに大人げなく殺気を飛ばすベルンとヨルムに落ち着けと声を掛けます。
私だって何も思わないでもないですが、彼にだって事情があるんだよ。と宥めます。
そして父さまの方からもそれが感じるのは気のせいですかね?気のせいですよね?そうと言って下さい。
流石に父さまが暴れたら止める気力は無いんですけど……。
――それは兎も角。
「で?気分はどう?」
「な、なにが……ちかづくなよ!!」
じりじり後ずさりするレイディルに同じくじりじりと近づく私。
レイディルの反応が、猫が毛を逆立たせて威嚇している様子に似ていて心の加虐心がとても擽られます。
怖くないよー。とかこっちおいでー。とか言いながら近付くあれですね。
――ああ、これがレイディルファンのお嬢様方がツボった所なんですかね?
ふと思った疑問がストンと胸に収まりました。
これならちょっと分かるかも。と思ったのは内緒です。
まぁ、このままでは埒が明かないのでまだ側に居てくれる地の精霊にお願いして再びレイディルを拘束してもらいます。
「な、なんだよこれ!はなせよ!」
半泣きで泣き喚くレイディル。
フハハハハッ怯えるがいい!
悪役の如く高笑いなどもしてみます。たぶん今の私はある意味良い笑顔でしょう。
……感情を露わにすることは悪いことではありません。好きに泣いて笑って怒ればいいのです。それが出来て許されるのは子供の今の内なのですから。
今の自分の現状が分からず混乱の極致のレイディルを眺めながら触る胸元。チャリっと固い音が立つのは私の胸元に揺れる翡翠さんの石です。
――正直、嫌なんですけど。したくないんですけどっ!でも、レイディルの為に。しいてはエヴァンス様達の為にも断腸の思いでその首飾りを外してレイディルの首元に通します。
「お嬢様……」
「お姫さん良いのか?」
その石が何なのか、知っているベルンとヨルムが心配そうに顔を覗き込んできます。でも良いんです。
もう決めたのだから……。
「……うん」
少し歪んでいるかもしれませんが、それでも笑った私に励ます様に伸ばされる二つの手。
「俺たちはずっと傍に居る」
「私たちがいます」
互いに繋がれた手に強く力を込めます。応えるように握られる手。
大丈夫。一人ではないのですから……。
「これなんだよっ!はずせよ!」
「お黙りなさい。貴方はこれから怒られるんだから!」
「なん――「レイディル!」っ!」
どんっ!と今度は私がレイディルを突き飛ばします。あわや地面に激突か!?と言うところで抱き止められる小さな身体。息を飲んで固まるレイディルをきつく、抱き締めるのは駆け寄ってきたエヴァンス様です。
「は、離してください父上。このままでは!」
「構うものか!このバカ息子が!心配かけよって……」
「ち、ちちうえ」
暴れるレイディルも何のその、その動きを封じて縋る様にその腕に包む込むエヴァンス様。俯き伏せた顔ですがその目元には光るものが見えた気がしました。
「このバカ弟がどんだけ俺たちが心配したと思ってるんだ!」
「勝手に一人になりやがって!そんなに俺たちは頼りないか!?」
「あ、あにうえ」
同じく駆け寄ってきたイース様はレイディルの頭を小突き、ラウディ様は雷を落とします。
それに戸惑いの表情を浮かべるレイディル。その顔は年相応の幼い顔でした。
レイディルを中心に輪になる家族。それはゲームの中では無かった光景でしょう。
触れる事を躊躇う事無く、抱き締め、頭を撫でて笑い合う。そんな普通の家族には日常的な光景。
でも決して実現など出来なかった光景です。
良かった。
この様子ならばレイディルに魔人に憑りつかれていた後遺症も無さそうです。数日は様子見かもしれませんが、それでも無事救えた事にほっと安堵の息を吐きます。
『流石は我らの王の姫君といった所か』
『他の子達が騒ぐのも分かりますわ』
ふっと頭上に被る影。見上げれば空中を漂う二人の美女精霊がいました。
改めて見ると本当に眼福です!
クスクスと上品に笑う高位精霊の二人。
翡翠さんから以前聞いた事があります。精霊にもいくつかの位があり、それによって世界に干渉できる力が違うのだと。
その力は精霊自身を形作る魔力の密度によって変動します。
永い時を生き、魔力を蓄えたモノ程高位へと成れるのだそうです。
そういった高位精霊は独自に住処を持ちそこを守護するのが普通らしいのですが……そう言えば彼女たちはどうしてここに?何故私に力を貸してくれたのでしょうか?
今までの呼び掛けに応えてくれていたのは下位のその辺にいる生まれたての子たちか、この庭や森に住まう中位の精霊達でした。
それをいきなり位を飛ばして高位の者ですよ!呼び掛けに応えてくれたあの時は正直、度肝を抜かれましたとも。
「あの?」
『ああ、お気になさいますな姫君。童たちはちょっとした好奇心で近くまで来ていただけの事』
『ええ、あの方々が噂なされる祝福の姫君に一目お会いしたかったのですよ』
「あの方?」
一体誰の事なのか?疑問に首を傾げますが二人の精霊は意味深な笑みを深めるだけ。
『いつか姫君も会えましょう……』
『そうですわ。それもまた愛し子たる貴女様の運命の一つ』
そう言って空中に溶けていくように姿を消していく二人。
「あ!ちょっと待って!」
『いつでも呼んで下さいませ。その声に私は必ず応えましょう』
『童もまた然り』
そう言い残し二人の精霊は消えてしまいました。
ええー、ちょっと意味深すぎて凄い気になるんですけど!!
むぅと唸りながら二人の精霊が消えた空中を睨みます。
“あの方”とは一体誰なのか?ゲームの中に登場していた人物達を思い出して悩みます。
精霊……特に高位精霊である彼女達に近しい人物……と脳内検索してもヒットはありません。
しかも私の話をするという事は祝福者にも近しい人物なのでしょう。それでなくても関係者である事は間違いなしだと思います。
しかしゲームではそのような人物居たようには記憶していません。
分からないならば分からないまま捨て置いても良いような疑問ですが、魔人が動いている今。あまり不安を感じる疑問を放置する気にはなれませんでした。
しかしムムムっと腕を組んで悩んでいれば、ぽんっと軽く頭に何かが乗る感触が。
「ルイシエラ、大丈夫か?」
「父さま!」
大きなその手の平は何より安心する心地よさがありました。
心配そうに覗き込まれる顔。するりと確かめるように撫でられた頬。その擽ったさに微かな声をあげます。
ふと気が付けばこちらを見つめるいくつもの眼。いつの間にか考え事に集中しすぎてしまったみたいです。
恥ずかしいと若干俯く顔。それに掛けられる声は労りの言葉。
「よく頑張ったな」
「……えへへ」
ぐいっと父さま抱き上げられ再び向き合ったのはお互いの顔。
父さまは多少厳しい表情でしたが、それでもその目は誇らしげに私を映しています。その瞳の色が、感情が私にとっては何よりも嬉しいものでした。
だって、それは確かに私の“何か”を認めるもので……。
ふと隣を見ればゼルダは音も無く居て頷いてくれます。「よくやった」と言わんばかりにほほ笑むその表情に、ついついはにかみます。
――私の身体は、心は、翡翠さんがいなくなってから確かに弱くなりました。
特に身体の不調は顕著でしたが、それは今まで翡翠さんがこっそり調節していてくれた魔力が今の私にはまだ扱えるものじゃなかったのが原因でした。ゲームのルイシエラのように大きな魔力に未熟な身体が耐えられなかったのです。
翡翠さんはどうやら魔封病で身体の内に溜まる魔力の中でも過剰な分を自分の力を通じて発散してくれていたみたいなのです。しかしそれが無くなってしまった今。私の身体には負担が掛かり、すぐに体調を崩す様になってしまいました。
それが分かったのもつい最近の事です。
でも原因が分かれば対処法が有るはず。
そう考えゼルダと模索しながら共に学び、鍛錬を重ねてきた今までを思い出し、ちょっと目頭が熱くなってきた気がします。
……色々、ありましたからねぇ……ぐすっ
そして私自身の力を改めて見直します。
この力は何の為にあるのか。何の為に使うのか。
ふと視線を感じ“彼”を見下ろします。
戸惑い困惑しているその瞳。冷たいと思えるそのアイスブルーの瞳。
でもその瞳を彼に贈ったある人を思い描きます。ゲームでは登場する事の無かった一人の女性を。そして我が子を死の間際でも案じ、愛していた人を。
この瞳だからこそ視えたその姿。想い。果たせた約束についつい笑みが浮かびます。
するとレイディルはまさか笑いかけられるとは思っていなかったのか、ぎょっと驚きに身を強張らせるとおどおどと挙動不審になりました。
まさか他人に笑いかけられるのも初めてとか言わないでくださいよ?
同情的な視線になってしまっているのが何となく自分でも分かってしまいました。そんな私に掛けられる美声。
「ルイシエラ嬢……ありがとう」
感極まったような声色はエヴァンス様です。レイディルをその腕に抱き締めるその顔は噂される冷酷宰相などではなく、ただ我が子を抱く父親の顔でした。
嗚呼――それが見たかったの。
そう思います。そして「ありがとう」と繰り返し告げられる言葉。
その言葉だけで十分です。そう告げれば益々言葉を重ねるエヴァンス様達。しかしそれもぽつりと呟かれた小さな言葉によってぴたりと止まります。
「なんで……?」
声変わりも無い子供特有の高い声。何故?と繰り返すレイディル。
それは私に尋ねているようで、首を傾げ自分の手を見下ろしていました。
まるで自分の魔力に疑問を抱いているように。
「……貴方は望んでいたのかしら?」
「……なにが」
「その身に余る力によって人が傷つくのを」
「――そんなはずないだろうっ!?」
カッと怒りに声を荒げる彼を見下ろします。まだ私の身体は父さまの腕の中。そしてレイディルもまた、エヴァンス様の腕の中から暴れます。
お前に何が分かる!?と怒りに顔を真っ赤に染める彼に笑う私。
「ならばいいんじゃない?心配しなくても力が無くなったわけじゃないんだから」
「……なにか、したのか?」
「お守り。私のとても、とても大切なもの――少しでも傷付けたら許さないんだから」
ええ、一ミリたりとも傷を付けたら千倍にして返してやりますよ!
凄み、釘を刺せばレイディルは改めて自分の胸元に注目します。
そこには黒いローブに埋もれながらも存在を主張する黒い石が揺らめいていました。
「これ……」
「ルシィ……いいのか?」
さっきまで外せと騒いでいたのに。しっかりと小さな手で握られる翡翠さんの石。
微かな光を宿しては消え。明滅を繰り返した石は人知れず沈黙します。
――ああ、翡翠さんも彼を助けてくれるようです。
父さまはあの石が何なのか、知っているからでしょう。ベルンとヨルムのように大丈夫なのか?と確かめる言葉に頷きます。
大丈夫。例え離れていても、私と翡翠さんの繋がりが離れる訳ではありません。
それに、レイディルの魔力を抑えるためにはこれが一番の最善なのです。
――翡翠さんを封印するあの石は本来“魔力を封印する石”です。
その為、存在が魔力そのものの精霊も封印できるのです。そしてあの石は私の血液を媒体に作り上げた封印石の中でも最高の物。翡翠さんを封印しても尚、あの石はまだ魔力を封じる事が出来るのです。
レイディルがあの石を持つだけでも、触れただけで人が傷つくことはもう無いでしょう。その分の魔力をあの石が吸い取ってくれるはずです。現にエヴァンス様達が触れても影響が無いことが何よりの証。
そしてレイディル自身も風の魔力とは相性が良いらしく。翡翠さんも彼を助けてくれる事でしょう。反発する事無く大人しくその胸に揺れる石を見て思います。
「これは?」
今気付いたとエヴァンス様から問われる言葉に答えたのは父さまです。
「それはルシィと契約を交わした風の精霊王が封印されている」
「なんだと!?」
ぎょっと眼を見開き驚く面々をしり目に私は説明を父さまに任せて深く息を吐きます。
安心してしまったからでしょうか?どっと疲れが感じて身体の重さを感じてこの後の自分を想像して憂鬱です。
ついさっきまで文字通り血反吐吐いていたんですから疲れて当たり前なんですけどね。
たぶんこの後は部屋で事情聴取と軟禁だよなぁ
魔人の登場。精霊たちの意味深発言。祝福の能力。その他攻略対象者達の現状。今から考えても頭が痛いです。
しかもある程度父さまにも説明しなければならない所が一番……はぁ、気が重い
でも、ちらり視線を向けた先。
そこには確かに一つの“家族”がいました。
子を想う父親に弟を慈しむ兄弟。そして愛される末っ子の姿。
彼にまだ笑顔はありません。
でも、それを取り戻す事は時間の問題でしょう。
だって彼はもう独りではないのですから……。
例え、再び彼が怒りや憎しみの負の感情に襲われても……囚われる事はありません。
家族が彼を引き止め、そしていつか出会う友がそれを阻止してくれるのですから!勿論私もです!
そんな覚悟を決めて私は笑います。救えた喜びを、救いながらもまた救われた自分を思って――
――その時、“それ”に気付けるものは居なかった。
止める者も、咎める者も無いそれが飛び込んだのは輝かしい光を宿す一つの心。
ざわり、誰一人気付けぬ闇に浮かぶ笑顔。
闇はまだ完全に去った訳では無かった……。