Act.2 [始まりの産声]
短いです。
誰しもどうにも出来ない事に直面した時、無意識に神へと救いを求める。
神とは一体なんなのか…?
その始まりは未だ誰一人、知るものはいない――。
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それは星をも見えぬ闇夜の日。
背後に小高い丘を背負う、とある山間の屋敷での事。
城塞を思わせる程の武骨な外壁と塀。入口には帯剣し武装した人間達が配置され、物々しさを思わせる。
しかしどこか砦をも思わせる屋敷はどこか浮足立った雰囲気に包まれていた…。
「スーウェ様もう少しです気を確かに!!」
「もう少し力んで下さい!」
屋敷の主人の寝室では何人もの医師が一つの寝台を取り囲み、口々に一人の女性に向けて声を掛けていた。
どこか緊迫した空気を切り裂くのは痛みに呻く女性の声。
薄紫の神秘的な髪を寝台に散らし、顔を白くしながらもその瞳は確固たる意志に固められていた。痛みに歪んだ顔をしながらも彼女が思うのはただ一つ。今から産まれる我が子の事だけだった。
陣痛が始まり、出産に入ってからどれ位の時間が経過したのか彼女の体感時間はとても長く感じられた。痛みに気が遠くなる度、周りの医師や侍女から声を掛けられ引き戻される。段々と失せて来る力にいつ医師が最悪の決定を下すか、彼女は気が気じゃなかった。
それほどまでに周りの空気は最悪で、医師たちの顔色も悪い。
出産前から選択の覚悟は告げられていた。
お世辞にもそこまで強く無い身体は出産に耐えられるか否か。もしもの場合は子か母を選ぶか。
だが、どちらも選ぶつもりはない。と言ったのは己の夫。どちらかを選ぶ二択の中では無く。どちらも望むと、愛する夫は言ったのだ。
それに同意したのは自分自身。
我が子を無事産み、そして自分自身も生きると。
何が何でも生きて見せると、彼女は夫に告げたのだ。
「――うぅっ」
しかし心の片隅には不安が付きまとう。もし、もしもの場合は――。
しかしそう想った瞬間、急激に自分の力が失せていくのを感じた。
(嗚呼――…)
身体を巡る力は<魔力>と呼ばれる魂の力。それが急激に失われる。それは死を意味していた。
そんなっ。
もう少し、あと少しでっ産まれるのに!
このままでは子もろとも死ぬ事は分かっていた。一層周りの医師たちの声が騒がしくなる。医師たちは魔力が無くなっていくのに気付き、母体を助ける治療に切り替える事にしたのだろう。慌ただしく駆け回る周りを視界に入れつつ、歪む視界で膨れた腹を見る。
腹に宿る子はどうなるのか。それは言われずとも彼女自身分かっていた。でも、でもそれが納得できるかどうかは彼女自身違うと心で叫ぶ。
(お願い…子供だけでも…)
もう声を発する事も出来ないほどに尽きかける力。周りの優秀な医師たちならば彼女を助ける事は出来るだろう。しかし子供の命は…。
誰か助けて、と彼女は声無き救いを求めた。
その時、霞む視界に銀色の何かが映った様な気がした……。
≪もう、大丈夫……≫
ふわりと尽きかけた力が戻ってくるのを感じる。さらりと撫でられたと感じる頭と心に届く優しい声。
「……ふぎゃあぁぁ!ふぎゃぁああ!」
闇に落ち掛けた意識が力強い泣き声に引き上げられる。
「スーウェ様!おめでとうございます!」
「元気な女の子ですよ!」
次第にはっきりして来た意識に涙の滲む視界の先には医師に抱えられ元気に手足をばたつかせる小さな赤子。
気を利かせた医師がすぐさま処置を施し、産まれたばかりの赤子を母親へと委ねた。
「ああ…っ!」
力が入らなかった腕は赤子を渡された瞬間に自分でも驚くほどの力でしっかりと子供を抱え上げた。
「っく」
嗚咽に息が苦しい。でも、良かったと心が歓喜に震える。
「スーウェ!大丈夫か!!?」
子供が産まれた事を聞いたのだろう。夫がドアを破壊する位の勢いで部屋に飛び込んでくる。
すぐさま医師たちの咎める声が聞こえるが夫はそんな声など聞こえないようで産まれたばかりの子と無事な姿の母親を食い入る様に見つめていた。
その鮮やかな黄金の瞳には初めて見る涙が浮かんでいた。
「っあなた…!」
呼ばれる声に誘われるままに、部屋に飛び込んできた時とは異なり静かに妻へと近寄る夫。伸ばされた手を掴み震える身体を妻へと寄せる。その腕の中には産まれたばかりの我が子が静かに瞬きを繰り返していた。
「スーウェっ!ありがとう。頑張ったな…」
差し出した手に偶然か、小さな手の平で指を掴む愛しい我が子。その元気な姿に夫は愛する妻へと労わりの口づけを送る。
そんな微笑ましい夫婦の姿に周りの者たちも強張っていた表情を緩めた。一時は母子共に危ぶまれたが、奇跡とも言える程に生命力を取り戻した彼女とそれに応える様に産まれて来た赤子。
耳を澄ませば無事に産まれた事が屋敷中に広まったのか、外からは歓声が僅かに聞こえて来た。
―――険しい山々と貿易の拠点である港を有し、他国との国境の第一線である地を治める、大国ジゼルヴァン王国の三大公爵家の一つ。
大陸最強と謳われる紅蓮の獅子将軍≪ガウディ・ヴァルバロス・アウスヴァン≫
魔術発祥の地、魔術国タナシュト公国が魔女≪スーウェ・セシル・アウスヴァン≫
二人の子は、周囲に祝福され無事産まれた。
母子共に無事を喜び、子が産まれた奇跡に祝杯を上げる領民達。
自らが剣を捧げる主人の慶事に雄叫びを上げる騎士達。
それらを見守るのは、この世界の朝の訪れを知らせる暁と陽に隠れる月だけだった。
産まれた子の名は≪ルイシエラ・ロトイロ・ヴァイス・アウスヴァン≫
暁に祝福され、宵闇に望まれ産まれた子として。
そしてこの世界の天空に君臨する女神の手によって齎された命として彼女はこの世界に生を受けたのだった。