Act.26 幕間[信じる心]
怖い、と思った瞬間がある。
信じていても何気ないことに裏切られて失望を繰り返して疲れてしまった瞬間が。
でも、あの光だけは何があっても、馬鹿正直に信じられる自信があった……。
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『お前に頼みがある』
そう言ったのは自分が尊敬する将軍。
本来ならばクビになってもおかしくないのに将軍はただ少しだけ疲れた表情で笑っただけだった。
許されない筈の関わりを、自分にとっては奇跡と言っても良いほどの繋がりをあの人は笑って許してくれた。
全てがお見通しと言わんばかりのあの目を直視できなかったのは仕方ない。どうしようもなく気恥ずかしかったのだから。
それよりも将軍自らに頼まれた事の方が俺にとっては耳を疑うほどの信じられないような事だった――。
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「それで喧嘩したのか?」
「うん!だって酷いんだから!いくら私が小さいからってそんな何も知らない子供じゃないんだから!」
憤慨して不満を露わにする少女。
濃い深紅の髪を今日は下し、少しだけキツめの印象を与えるその吊り目は益々吊り上がって気の強さを表しているかのようだった。
しかしいくら怒りに目を吊り上げていても子猫が毛を逆立てているような愛らしさが溢れ、どうしても顔が笑み崩れるのを感じる。
まさかこんな早くにまた再会できるとは思っていなかった。しかも名前を呼んでくれとの発言に敬語もいらないとまで言われて……流石にそこまで出来ないと答えを躊躇えばしゅんと落ち込む様はその、凄く可愛かった。というか寧ろなんて言うか……いや、衝動的に抱きしめるのを我慢した俺は偉いと思う。本当によく我慢した俺。
自分の立場が知られていることも彼女が理解しているのは見ていて分かったが、それでも尚彼女は立場を隠すことを選んだ。アウスヴァン公爵家の人間としてではなく、一人の人間として対等に接する事を彼女は望んだ。
恐れ多いと思うと同時に湧き上がるのは隠しようの無い歓喜。
――少しだけ、彼女の内に入るのを許されたと実感した。
一度、外で使用人たちに囲まれている彼女を見たことがあるが……どうやら彼女は幼いながらもきちんと“内”と“外”の使い分けをしているみたいだった。年相応にはしゃいでいた彼女。でも時折その表情は冷静な大人びたものに変わる時がある。
彼女なりの線引き。自分にとっての大切なものとそうでないもの。守るべきものと守られるべきもの。
きちんと判断し、分けた内と外。そうしなければいけない立場だということは分かっているが、それでも少しだけ彼女の立場が寂しく、哀しいものだと思った。
幾ら彼女が望んだって彼らとの身分差は無くならないし、その繋がりも変わることは無い。
自分の部下であり、使用人である彼ら。彼らの上に立つ彼女。いくら仲間だ家族だと言っても優先順位は変わることは無い。
本当ならば年相応に振舞っても良いはずなのに、彼女の立場とその覚悟が良しとはしないのだろう。
次期公爵家当主として、彼らを守る人間として。冷静に見極める彼女に凄いと尊敬の念を抱くと同時にそんな彼女の内側の人間に嫉妬したのも事実。
彼女は俺を助けてくれた――比喩なんかじゃなくて本当に。俺の心を、救ってくれた俺にとって彼女――ルイは恩人だ。
そんな彼女が信頼し、自分の身を預けて任せる護衛の二人が羨ましく、そして妬ましい。
聞いたところによるとルイの護衛である二人は獣人だと聞く。影で生きる事しか許されぬその身。しかしルイは彼らを護衛にすることを決めた。
反対意見も多かったらしいがそれらを退けたのは他でもないルイ本人らしい。まだ未熟な二人に自分の守護を任せる事を彼女はその立場と覚悟をもって決めた。そして影からではなく堂々と表に二人を出して知らしめた。自分の護衛は彼らなのだと。
全幅の信頼を彼らに寄せたルイ。しかしその仕打ちは裏切られた形になってしまった。
彼女が憤るのも仕方が無い。関係がなくても話を聞いてふざけるなと彼らに言いたい。
折角彼女が心を許し、信頼しているのにも関わらず忠誠心だけ捧げて何が従者だ護衛だ。それなら代われと詰め寄りたい。
でも、こうやって怒っている彼女だが二人を護衛から外すことは考えていないのだろう。それが分かるからこそ苦笑を禁じ得ない。
同じく獣人になれる自分だからこそかもしれないが、その信頼が本当に羨ましい……。
「ルイは優しいんだな……それに強い」
「え?」
分からないと首を傾げるルイ。それが可愛くてついついその頭に手が伸びてしまう。妹がいたらこんな感じかな……過去の記憶が脳裏を過るが、それよりもまず目の前の事に目を向けた。
その優しさが何よりも尊いものだと知っている。そしてその信じる“強さ”は何にも得難いものだと。
最初こそは俺も持っていたであろうその強さ。でも人間の感情を、行いを、人の汚いところばかり見ているといつしか失われてしまう強さ。
裏切られる事に恐怖したことがある、いつか失うものならばと切り捨てた時もある。人間不信になった時はきつかった。
今だって人を信じるのは怖い。感情を持つ者はいきなり豹変する時があるから、でもそれらをひっくるめて信じる事を彼女は出来る。
馬鹿正直に。ただ一途に。何があろうとも揺らがないその信頼は俺が持たないもので眩しいほどに輝かしい。
「ルイはその強さを持って信じているのに彼らはどうなのかなって」
ちらりと向けた目の先。
その先は森が広がり、ただ木々が囁くように木の葉を揺らしている。
だけどその隠そうとしても隠しきれない殺気は肌に痛いほどだった。
俺にだけピンポイントに向けられる殺気に嗤う。
今の俺の発言も聞こえていたのだろう。寧ろ聞こえるように言ったのだからそれは良いのだが。
残念ながら時間切れ、みたいだ。
名残惜しくてついついその手触りの良い髪を乱暴にかき乱してしまった。
もう!と口を尖らせるルイに悪いと言いながらも笑う。
今度はいつ会えるか分からない。
少しでも彼女の感触を、笑みを覚えていたくて意地悪かもしれないがちょっかいをかけてはころころと変わる彼女の表情を記憶に刻んだ。
「さて、じゃあ……俺はもうそろそろ」
「え!?い、行っちゃうの?」
憤慨していたのを一変。もう?と寂しそうに目を伏せる彼女に折角決めた決心がぐらぐらと揺らぐ。だが、ここは譲ってやろうと頑張ってその目を振り切った。
「悪いな」
「う、ううん。私こそごめんなさい」
我が儘を言ってしまったと落ち込む彼女に無言で頭を撫でる。こんなの我が儘の内には入らないが、そろそろ殺気が本当に攻撃も伴いそうで仕方ないと心の中で深い、深いため息を吐いた。
「またな」
「!う、うん!またねリド」
本当に。本 当 に !名残惜しいが帰るために立ち上がる。
再会を約束する言葉を口にすれば途端に俯けてた顔を上げて嬉しそうに破顔する彼女に、今度もどんな事があっても絶対来てやると決意した。
――実は今回、ここに来るために色々と無理を通して来たのだ。この後に待ち構えている出来事を思うと憂鬱な気分になるが……彼女のこの笑顔のためならどんな無理無茶無謀な事でも絶対乗り越えて来てやろうではないか。
手を振ってくれるルイに同じく振り返す。最後にもう一度振り返ればルイは俺の姿が見えなくなるまでずっと手を振っていた。
……将軍に次の休み、聞いておこう。
さっきしたばかりの新たな決意を強く心に刻み騎士団の本部までの道のりを歩く。
「――――」
勿論、ぼそりと呟いたのは情けない護衛二人への文句。
ざわりと大きく揺れたのは果たして風の悪戯か、それとも違う何かか。くつり、喉を鳴らして嗤う……。




