Act.22 [夜明けの瞳と夕闇の瞳]
燃え盛る炎を見た。
赤く燃え行く家屋。灰を散らす赤い火花。
呻き、嘆き、怒りを叫ぶ人々。
それは確かにあった出来事。
――そして自分の始まりを示す出来事だった。
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それはとある暑い日の事。
「なぁ、あいつ大丈夫なのか?」
「あの日以来ちょっと思いつめてるみたいだな」
がやがやと騒がしい食堂内で交わされた会話。
それは一人の少年を案ずる言葉だった。
「将軍は休みを告げたらしいぞ」
「あーやっぱり、か」
「あの様子じゃ当分は使い物にならねぇだろうしな」
一人、また一人と会話に加わる男たち。
脳裏に過るのは先日あった討伐戦での一幕。事件とも言えるし、事故とも呼べる不運な出来事に対する会話だった。
男たちが将軍と呼ぶのはただ一人。
【紅蓮の獅子】と名高き一人の将軍。このジゼルヴァン王国の武の頂点に君臨する男のみ。
彼らは彼の人に憧れ、忠誠を誓い、このアウスヴァン公爵領の治安と国の守護を担う役割を負っていた。
そんな彼らが話す渦中の少年は数年前に将軍に引き取られて以来彼らと共に鍛錬に明け暮れていた仲間だ。
この地に来た当初は人形のように泣きも笑いもせず、無表情だったが将軍が目を掛け、周りの奮闘の甲斐もありやっと人間らしさを取り戻したばかりだった。なのにも関わらず初陣とも呼べるとある盗賊の討伐任務に不運が襲う。
再び心を閉ざし、誰にも助けを求めぬ少年に周りの人間たちも手をあぐねていた。
「あいつの事ならほっとけ」
「あ、フォグさん」
そんなお通夜のようにどんよりとした雰囲気を纏う面々にばっさりと告げる一人の男。
「あいつも男だ。自分なりに折り合いを付けるだろうさ」
「でもまだ子供ですよ?」
ただでさえ職業柄体格の良い人間ばかりだった中でも一回り大きい肉体。初老の筈の年齢には到底見えない戦士として完成された体につい気圧された彼らだがつい反論してしまう。
「子供は守られるべきもの」そう根強く刻まれたその思いに、つい強めに反論する。
たが返ってきたのは鋭い眼差しと冷ややかな言葉だった。
「子供だろうが何だろうがアイツは騎士として任務に就いた。その結果がどうであれ、これを乗り越えなければあいつはこの先騎士として、戦う事を生業とするならやってけねぇしそんな人間はこの場所にはいらねぇ。テメェらだって分かってんだろう?こればっかりは自分でしか乗り越えられねぇし乗り越えられなければあいつはそれまでの人間だったてぇ事だ。綺麗事だけでは生きられねぇ世界なんだよ」
それは厳しくとも正論だった。特にデリケートな問題だからこそ彼らだって解ってはいたが、それでも「はいそうですね」と言って納得できる程できた感情を持ってはいなかった。
「でもっ」
彼らの中でも年若い男が声を荒げる。しかしそれはけたたましく開けられた扉の音に遮られたのだった。
*
「こーんにーちわ!!」
バタァンと勢いよく開け放たれた食堂の扉。
大きく発せられた声は食堂に満ちていた緊迫した空気を散らし、人々の注目は入口へと向けられる。
そうして目を向けた先には……。
「ちょっと!ベルン勢い良すぎだよ!!扉壊れちゃうから」
「む、申し訳ない」
「いやいや謝るのは私にじゃないから!料理長さん!ごめんなさい!」
大きな体の獣人に肩車された小さな少女。
濃い深紅の髪を一括りにし、申し訳なさそうに下がった眉。可愛らしい少女の登場に一触即発だった空気はどこか気の抜けた雰囲気に取って代わり、食堂でのあわや喧嘩か?と緊張していた人間はほっと安堵の息を吐いたのだった。
「あれ?フォグさんだ!」
「おう、お嬢様今日はどうしたんでぇ?」
一斉に向けられた100はある視線の数々に驚いたのか、落ち着かない様子で食堂を見回す少女――このアウスヴァン公爵家の令嬢はふと見つけた顔見知りにその大きな目をキラキラと輝かす。
「今日はね久々に休みなの!なので今日は遊びに行ってきます」
「へぇ、どこに行くんだ?」
片や肩車されたままで、もう片方は食事を乗せたトレーを持ったままの会話。
にこやかに飛び交う会話だがルイシエラ――ルイはふとフォグの目の前で立ったまま気まずい表情をした青年に目を向け、そして改めてフォグに目を移しにっこりと笑う。
「今日は一人で丘に行ってくるの!」
「一人でか?」
「うん!一応ね」
一人という言葉に反応するが流石に本当の一人きりではないだろう。その証に苦笑を浮かべる獣人の青年にフォグもまた苦い笑みを浮かべる。
「そりゃあ良かったな。久々に羽を伸ばしてくればいい」
「うん。じゃあ私料理長に用があるから」
「おう」
あっちに行こう。とベルンの髪の毛を僅かに引っ張り踵を返す二人。しかしルイは去り際にその赤紫の瞳を細めて子供らしからぬ苦笑を浮かべたのだった。
「フォグさんも余り煽っちゃだめだよ?」
まるでさっきまでの二人のやり取りを聞いていたかの様な発言にフォグは目を丸くするなり参ったと言わんばかりに頭をかく。
「やれやれ、お嬢様には叶わねぇな」
「喧嘩したら両成敗。これ常識」
ふふんとちょっとだけ得意そうにほほ笑むルイに相手側の青年も罰の悪そうな表情を浮かべた。
「今回は見逃してあげるけど。次は二人ともやったらお仕置きね」
――にっこりと笑顔を浮かべる彼女はどこか母親を彷彿とさせるほど恐ろしかったと後に誰かが言っていた……。
*
「ありがとうねベルン」
「いえ、お嬢様のご命令ならば」
肩車されたまま感謝を伝えれば下からとんでもないと言わんばかりに言われた。
「それにしてもフォグさんがあんなことするなんて珍しいねぇ」
ふと先ほどの事について漏らせば苦笑を浮かべる気配。
「……お嬢様が気に悩むものではありません。彼も色々とあったのでしょう」
「そうかなぁ」
あのフォグさんがこんな人の目がある場所で不穏な空気を出すなんて珍しいと思い呟く。
鈍色の髪に褐色の肌。異国人の血を引いているらしく人一倍大柄な身体はよく目立つがもとよりその経歴も特殊な人という印象の彼。
元々冒険者で父様の仲間だったらしく怪我をして現役を続けるのが難しくなったため父様の部下としてこの屋敷に来た人だった。
今は専属の庭師として屋敷の庭などを整えてくれている。
さっぱりとして気っ風の良い性格で血の気は多く喧嘩っ早いところはあるけれどそれでも年長者として父様の部下の方々にも慕われている彼が剣呑な雰囲気を出しているのに食堂に突入して気付いたときはびっくりしたものだ。
「それにしても突然表から勢いよく入ってと言われた時は驚きましたが……」
「うん。私もびっくりしたよ。まさか妖精のみんなが騒いでたと思ったらあんな雰囲気なんてさ」
本当は裏からこっそり入るつもりだったのに、食堂周辺の妖精の子たちが何やら慌てたりそわそわと落ち着かない様子だったのだ。
パニックな子もいて話は聞けなかったから取りあえず突入!と思ってベルンを急かして入ってみれば、食堂は一触即発な空気だわ、フォグさんに掴み掛ろうとしていた青年がいるわでびっくりびっくり。喧嘩になる前に入れて良かったと息を吐く。
もし一歩でも遅かったら喧嘩になっていただろうし、どちらも何かしらの罰は貰っていただろう。一応、喧嘩とかはご法度だって聞いたし。
「あら!お嬢様よく来たわね!」
「こんにちわ、ミレイヌさん」
「やだミレイヌで良いわよお嬢様」
食堂の奥の厨房に入ればすぐさま声を掛けられた。そこには赤茶の髪をアップに括った女性が一人。
彼女は副料理長であり、今回丘に向かう際のお弁当をお願いしていたのです。
「それよりさっきは助かったわ、お嬢様は来なければ喧嘩になってただろうしね」
喧嘩になってたら私の包丁が舞っていたわ。とちらりと見えたナイフは何ですか?と聞きたいけど聞けません!
触らぬ神に祟りなし。どうやらアウスヴァン公爵家の使用人一同は血の気が多いみたいです。
「おお!さっきは助かったで姫さん!」
「わわ!危ないよ料理長!」
ミレイヌさんと喋っていれば突然襲う衝撃。バンバンと叩かれているのは私を肩車しているベルン。
どんだけ強い力で叩いているのかぐらぐらと揺れる視界に「やめてー!」と声を上げる。
ちょ、本当に酔いそう。
うぷっと口から出てきてはいけない何かが出そうで本気でお願いしました。
「ちょっと何してんのよ!お嬢様が嫌がってるでしょうが!」
「ぐへっ!ちょうお前も止めへんか!女ならもうちっと淑やかにしぃや」
「はぁ?それ今関係ある?」
「ああん?大いにあるわ!」
止めろと料理長の顔面を襲ったのは良く使い込まれたフライパン。
……いいのかな?料理道具をそんなことに使って。
二人ともその腕は間違いなしに良いのに、なんだろうこのモヤモヤ感。
取り敢えず夫婦喧嘩は犬も食わぬものですし、戦場と化してる厨房も無視して喧嘩をし始めた二人につい遠い目をしてしまいます。
「こんちわっすルイシエラ様」
「あ、こんにちわウィルさん」
二人の喧嘩も日常茶飯事なのでスルーして料理を次々作っていく厨房の方々。流石です。
そんな中からひょっこりと出てきたのはミレイヌさんと同じく副料理長のウィルさんでした。
細身でちょっと軽い口調のウィルさんは喧嘩をしている二人にため息吐きつつベルンの手に一つの弁当を乗せてくれます。
というかウィルさんその口のってタバコですか?
口端から覗く白い棒についつい尋ねます。答えはただの棒つき飴。……仕事中に良いのか?
「これ約束のっす。あの二人は無視して良いんでどうぞ」
「む、悪い」
「ありがとう!」
二人でウィルさんにお礼をすればじろじろと見られぷっと笑われた。何故に。
「なんか親子っぽいっすね」
「……」
「……反応に困るよウィルさん」
無言にベルンにどうすれば良いのか困り顔の私。というかベルンはそこまで歳いってませんからね?
そんなウィルさんに見送られ私とベルンはどうしようもない雰囲気のまま厨房を後にしたのでした。
*
今日の天気は晴れ。雲一つない快晴に心も晴れやかになります。
以前、勉強のし過ぎで倒れてから時折休息の場所として来ていたこの丘。
翡翠さんに連れられて何回か来てますが今回は残念ながら一人で丘を登ります。
護衛のベルンとヨルムは何か思うところがあるのでしょう。遠慮でもしているのか丘の麓で待っててくれるらしく私は久々の一人で休みを謳歌します。
胸元でチャリと音を立てるアクセサリーが翡翠さんの石があることを表しますが、私の隣で支えてくれていた姿はありませんし、私をいつも見守っていた視線も今は感じられません。
最近は祝福の覚醒の影響で体調を崩し気味でしたがここ数日は歩き回れるぐらいには回復しました。
ゼルダの許可も取り、今回は翡翠さんが眠りについてから三か月。いい機会だと思ってずっと避けていたここに来てみました。
……ここは翡翠さんとの思い出ばかりで胸が痛くなります。
でもそろそろ悲しむだけではいられません。ゼルダに教えを乞い、母様にも協力をお願いしました。勉強はこの前から始まりましたが、私もまた一歩踏み出さねば。
そんな思いで訪れた丘はあの日と変わらない姿でそこにありました。
「ふぅ」
滲んだ汗を拭い体を伸ばします。
ここは丘の頂上。
精霊の遊び場であり、妖精たちの憩いの場所。
様々な精霊や妖精たちが私の横を浮かんでは飛んでいきます。楽しそうに過ぎ去っていく子たちにこちらもついつい笑顔が浮かびます。
「よっと」
こじんまりとした湖。湖面を浮かんでは跳ねていく子たちを見ながら背負っていたリュックを下ろします。
ぴょこんと伸びた三角の耳。真っ黒な円らな瞳に手触りの良い鬣。
まさかのライオンを模したリュックなのでした。ちなみにオーダーメイドで父様が注文したものだそうです。
何やってるんだよ将軍ェ。と思わないでもないですが、リュックに罪はありません。可愛いので良しとしましょう。
ライオンリュックには先ほどウィルさんからもらったお弁当が入っています。でもまだお昼には早いので湖近くの岩場に下ろして直射日光に当たらないように日陰に隠します。
流石に食中毒とかになりたくはありませんからね!!
お弁当を隠し終えるとはしたないかもしれませんが靴を脱いで湖面に足を付けます。
「冷たくて気持ちー」
段々と気温が上がっていく日々に夏を感じます。
日差しが暑い分、湖の水温が気持ち良く感じてうっとりと目を閉じました。
視界が遮られ、鋭敏なっていく聴覚や触覚。
風が木の葉を揺らす音が聴こえます。さわさわと囁き合うように擦れ合う葉っぱたち。日差しの暖かさが肌を照らし、静かな湖の畔で聴こえるのは私の呼吸の音だけ。
そうやってどれくらい眼を閉じていたでしょうか?
――強く丘を駆け抜けた一陣の風。
慌てた様子の精霊の子たちの気配に意識を奪われたその時。
ぞくりと背筋を駆け抜ける悪寒。ざわりと不穏に揺れる木の葉に身体を揺らし、目を向けた先には――。
*
それは森との境目にある木の根元。
密集した木の葉で濃く陰った影の切れ間に見えたのは赤い瞳でした。
爛々と暗がりに輝くその眼が印象的な一人の少年。
灰色の髪に無造作に投げ出された手足。
ただ彫像のようにピクリともしない少年はただ無言でそこに座っていました……。
「え?」
私以外にも人がいる事に驚きます。なんたってここは精霊たちの遊び場であり、神聖な場所としてアウスヴァン公爵家が守る場所。
ある種の神域の一部でもあり、それ故にここには精霊に認められた者しか入れない筈です。なのにも関わらずここにいる彼。
何者?
警戒心も露わに彼を見つめます。流石にもし彼が敵だった場合は今の私には為す術がありません。
声を上げればベルンやヨルムが気づいてくれるでしょうがそれでも気を付けておく事にこしたことは無いです。
互いの目が合い幾らかの時が過ぎます。私も彼も逸らす事無く、それは短い一瞬にも感じられましたし長い時間にも感じられました。
――初めに目を逸らしたのは少年の方でした。
そしてすっと音もなく立ち上がり無言で立ち去ろうとするその姿。でもこちらに背を向けた瞬間、見えた“それ”に私の身体は反射的に動きます。
「待って!ねぇ!」
行かないで!と制止の声を上げますが少年の歩みは止まる気配すらありません。
一歩、一歩、深い森の中へと向かう少年。暗がりは明るい陽すら届かず薄ら闇に包まれたまま。
まるで闇そのものに進んでいく少年に堪らず追いかけます。その気配にまだ記憶に新しいあの悲しい日の記憶が蘇ります――。
『ルイ――ありがとう』
そう言って満面の笑みを浮かべた彼の姿を……。
「待てって言ってるでしょうが!!」
「っい!」
言っても聞かない相手には実力行使です!!
小さいながらも必死で走り、腰にタックルします。
ごすっと少年の腰を襲う衝撃。堪らず声を漏らす少年でしたがその何も映さなかった目に驚きの色が浮かんでいるのが見えました。
その顔を見上げていればひくり、少年の口端が動きます。それは一体どんな感情だったのか。
怒りか、はたまたただの驚愕だったのか定かではありませんが、一生懸命腰に回した手は痛いほどの強さで振り解かれます。
ぱしんっ
「俺に触るな!」
変声期前の高い子供の声。それでも低く告げられた声は濃い拒絶の色を宿していました。
思った以上に強かった力に手が赤く色を変えていきます。でもすぐさま治っていく私の身体。
一人にしてくれと言わんばかりに声を荒げる少年に私の眦も無意識に吊り上がっていきます。
何があったか知りませんが、【闇】に蝕まれ始めている彼を見捨てられる訳ないでしょうが!!
「そういうわけにはいかないのよ!」
「だからっ俺に触るなと言っているだろう!!」
「っ!」
怒りのままに伸ばして手。しかしそれは触れる前に叩き落されます。
痛ーい!一度ならず二度までも!!
怪我などは魔封病のお蔭ですぐに治りますがそれでも痛いものは痛いんです。
しかし強気な心とは裏腹に身体は驚いてびくりと肩を揺らしてしまいます。でも、彼の瞳がゆらりと揺れるのを見て吐こうとした言葉は喉奥に引っ込んでいきました。
「――俺は人殺しだ!」
「え?」
つい勢いで言ってしまったのでしょう。少年自身も驚いた表情で目を瞬きます。しかし驚きで固まった私に何を思ったのか、さっきまでの無表情が嘘のように崩れていきます。
それは悲しみ、怯え、憎しみ、絶望と様々な色が過っては瞳を曇らせ、それと同時に彼を取り巻いていた闇もまた濃く、深く、色を変化させていきます。
(ひと、ごろし……?)
余りの予想外の言葉に固まった思考が意味を咀嚼し動き出します。
何故まだ子供ともいえる歳の少年がそんな物騒な言葉を吐いたのか。
「人殺し」その言葉の意味を理解しようとしますが、目の前には泣きたくても泣けない子供の表情がありました。
(嗚呼――この子は……)
よく見れば少年の服には見覚えのある紋章が描かれていました。
それは深紅に彩られた咆哮する獅子の紋章。我がアウスヴァン公爵家が所有する私設騎士団【赤獅子騎士団】の証です。
この服は騎士団の人間にしか着用を許されません。何故ならばこの紋章を胸に抱くことは騎士団の誇りであり、アウスヴァン公爵家への忠誠を表します。騎士としての責務を負うその服は生半可な覚悟では着れないのです。
しかも少年のその服は見習いなどではなく、正式な騎士服です。つまり彼は――
「……それが、何?」
「なんだと」
自分でも驚くくらい冷たい声が出ました。
カッと頭に血が上ったのか、少年の顔が怒りに赤く染まります。
お前に何が分かると言わんばかりに彼の怒りの気配が膨らむのを感じましたが、変化はそれだけではありませんでした。
「なっ!」
絶句。言葉もなく少年の姿にただ固まります。
最初に変化があったのはその手足です。
鋭く尖る爪にいつの間にか握られていた私の手。爪は簡単に皮膚を破り、血が滲みます。
その固く結ばれた唇から牙が覗き、その瞳は濃い濃い血を彷彿とさせるほどに真っ赤に染まっていきます。
まるで映像を早回ししているようにどんどん変化していく少年の姿。
「――俺は化け物だ」
そこには灰色の髪と同じ色の獣の耳を生やした獣人の姿がありました。
人狼――!
フリーズした私の頭の中にその言葉が浮かび上がります。
この世界には今の彼のような獣の一部を宿した獣人と呼ばれる種族が確かに存在します。ヨルムやベルンがそうです。
しかしそれはあくまで最初から、生まれた時点で持っているものです。
彼のように人の姿から獣人の姿に変化をするもの本当ならばいないのです。いないはずなのに……。
ヨルムとベルンを部下に迎えるのにあたりゼルダから獣人に関して様々な知識を学びました。獣人の特徴とその性質。他にどんな姿の者がいるのか。
しかしゼルダから彼のような一族の話は聞いた事がありません。
「分かったら俺に構うな。化け物なんかに、触れるな」
脅す様に告げられた言葉。離される手。
でも目を伏せた彼に、関わるなと言う彼に、「助けて」と小さな声が聞こえた気がしました。
反射で逆に掴んだ彼の手。驚きに目を見開く彼のその眼をまっすぐ見つめます。一人になろうとする彼に、意地でも食いつきます。
「それが何?なんだっていうの?化け物?人殺し?私には関係ないことよ」
「はな――」
「私にはただ泣きたいのに泣けない不器用な子供にしか見えないわ」
図星なのでしょうか?ぐっと言葉に詰まる少年にこれ幸いと詰め寄ります。怯えるように震える彼を知りつつ近づきます。
彼は一人ではありません。それは彼を取り巻く闇に対抗する一つの光を見たから……。
それは小さな光です。今にも闇に染まってしまいそうなほどの……でも確かに彼を案じて寄せられた心の輝きです。
翡翠さんに以前聞いた事があります。人が強く思った感情は精霊に力を与え、妖精に意思を与えるのだと。
それは人間が持つ無限の可能性であり、強大な力です。
人が怒り、憎しみ、悲しみを宿せば穢れた闇が生まれました。皮肉なものですがこの世界で一番数の多い人間が一番世界を脅かしています。
しかしその闇を浄化し祓うのもまた人間の感情なのです。
彼に宿る小さな光は生まれたばかりの精霊に力を与えたのでしょう。彼を心配した周囲の人間がどれだけ彼を大事に思っているのかそれを見るだけで分かります。お蔭で彼はまだ闇に飲まれることなくここにいます。……もしかしたら時間の問題かもしれませんがまだ、大丈夫。
……翡翠さんの時のように、もう取りこぼしません。今度こそ、救ってみせますから。
「貴方は騎士でしょう?人を守る人間でしょう?」
「ちがう、ひと、ごろし」
「違わないわ。貴方は守るためにその力を揮ったんじゃないの?」
「……」
その無言が答えです。
私はゆっくりその手を伸ばします。怯えさせないように、怖がらせないように、ゆっくりゆっくり。
少年は私より一回りは年上でしょう。大体十を幾つか超えた頃だと思います。
余談ですが、この世界の人間は前世での欧米人のように体格が良い方々ばかりです。
それ故に実年齢より上に見えるその外見ですが、それでもまだ親の庇護下にいるべき子供なのに。……まぁ私が言えたことではありませんけどね。
何があったのか、詳しい事情は知りません。
でも彼が騎士として全力で誰かを守るために、戦ったのだと分かります。結果、その相手の命を奪ってしまったのだとしても。
……でもその責任は彼が負うものではありません。彼はアウスヴァン公爵家の騎士団の人間。故に彼が行った行動の責任は私たちアウスヴァン公爵家の人間が背負うものです。
この世界は前世と違って命の重さに大きな差があります。王侯貴族が贅沢を尽くす一方で貧困に喘ぐ人たちがいます。弱肉強食、そんな言葉が浮かびます。簡単に殺し、殺され、奪い、奪われるこの世界。将来、私も人の命を奪う時が来るでしょう。……大切なものを守るために。
話し合いだけで物事が解決できるとは思っていません。前世だって戦争がありました。悲惨な過去もありました。それらを踏まえて私が出来ることを考えます。出来ないことも考えます。私は女神から祝福を貰ったとしても神になったわけではありません。何でもできるなんて到底思えません。
人の好き嫌いだってあります。聖人君子じゃあるまいし、善人と悪人の命を平等に扱うつもりもありません。
ゼルダからは「線引きをしてください」と言われました。自分なりの一線を。譲れない信念を自ら作ってください。と
前世で最も忌避されていた命を奪うという行為を、許容できるように。自分の心を守る為に。
……いつか私は自分で大事に、大切に思っているこの「命」というものを駒のように扱わなければならない時も来るでしょう。
上の立場に立つ者として、命の取捨選択をしなければならない時が。その時、私は尻込みして判断を迷ってはダメなのです。本当に守りたいものすら守れなくなってしまいます。
だから決めました。私なりの一線を。たぶん本当に“その時”にならなければ本当の意味での覚悟はできないかもしれません。
でも今、思っているのは罪を犯した人間の命を、重く考えるつもりは無いということです。
だから告げます。人の命を奪った罪の意識に苛まれている少年に。罪悪感で、その責任に押しつぶされそうな少年に。
その自分の姿を嫌う彼に。孤独であろうとする彼に。
「怖くないわ。貴方は化け物なんかじゃない」
「違う!俺は――」
「貴方は人間よ。誰が何と言おうとも。……確かに貴方はこの手で人を殺めてしまったかもしれない。でもこの手は人を守った尊い手よ」
「私は好きよ」と少年の手を掴み、片方の手は少年の頬に寄せます。
少年には視えていないのでしょう。この手ですら闇に包まれているということを。身体全体を取り巻く霧状の闇。
それはあの時、翡翠さんに憑りついていたものととても酷似していました。
触れた手から何かが流れ込んできます。
それはどうやら彼を守る精霊からのようです。ジワリ、ジワリ、染み込んでくる感情。
(嗚呼、彼は――…)
ぐしゃぐしゃに顔を歪めて、それでも泣けない少年の目をまっすぐに見つめて伝えます。私の頬を伝う滴の感触がします。でも目を逸らすことはありません。
「――だから恨まないで自分を、この世界を」
ぽろりと少年の目から一筋の滴が零れ落ちます。
「怖がらないで人を、恐れないで」
自分を。そう告げますが、それ以上私は何も言えませんでした。
ただ強く、強く少年に抱きしめられます。縋る様に掴まれる服。背中に回された腕。
彼の服に私の涙が吸い込まれます。彼の涙も私の服が吸い取っているのでしょう。肩が濡れていく感触に強く、強く私も抱きしめ返します。
一人ではないと、孤独ではないのだと、どうか彼の心が晴れますようにと力を込めます。
――木漏れ日が差す樹の下で抱き合う二人。
お互いが支えあうように、強く固く握り閉められた手。
闇の姿は無く、暖かい日差しが彼らを照らし、穏やかな風が彼らを取り巻く――
ぞわり、森の奥。悔しげに蠢く闇に気づかぬまま。




