Act.21 [母は強し]
お待たせしました!
その瞳はキラキラと輝いていた。
全てを見透かすように深い深い色を宿しているのに、それでも全てを受け入れいつも楽しそうに何にも染まらない純粋な輝きを宿した眼。
時には憂いに曇り、悲しそうに涙を滲ませるけれどそれでも前を向き凛としたその目は一体何を見据えているのだろうか。
どんなに苦しくても、どんなに辛くても、それでも前を向くその瞳にどうか、どうか、と願いを天へと乞わずにはいられなかった……。
********************
部屋から出て屋敷を歩く。
そのまま奥へと進み一歩外に出れば、私を迎えてくれるのは植物のアーチ。
可憐な花弁を精一杯広げて出迎えてくれる花々に見惚れつつ真っすぐ進めばそこは一つの離れがあった。
今日は母さまと一緒に薬学のお勉強なのです!
私の背後に控えるのは先日私に忠誠を誓ってくれた蛇の獣人のヨルム。
現在彼ともう一人、熊の獣人であるベルンは私の直属の部下兼護衛という扱いとなっています。
残念ながら本日は向っている先も先なのでベルンはお留守番です。しかし悲運な事に手持ちぶたさなところをゼルダに発見されてしまったらしく。
現在はゼルダから直々の修行中という……取りあえずベルンにはご愁傷様と合掌を捧げます。
朝から元気に追いかけっこしてるなぁと思っていたらあれはどうやらベルンがマジ逃げしてたらしく。ちなみに相方であるはずのヨルムはそれを見て大爆笑してました。
上司には生死を懸けて笑顔で追いかけられ、相棒は大爆笑。味方なんて皆無です。
私?私なんかがゼルダを止められるはずなんてないので笑顔で見送りました。ドンマイ!骨は拾ってあげるからね!
「お姫さん。そこ危ないぞ」
「わっ、ありがとう!」
そんな事を考えてたら段差に傾く体。ぶつかると衝撃を覚悟し目を瞑ればふわっと浮かび上がる体に目の前にはヨルムの顔が。
どうやら転ぶ寸前に抱き上げてくれたらしく、ほっと安堵の息を吐きます。
危ない危ない。ヨルムが抱き上げてくれなかったら今頃盛大に転んでいたことでしょう。
つい足元を見ればそこには大人の歩幅では気にしない程度の段差があり。残念ながらまだ幼児並の身長しかない私にとっては普通の階段並みの段差がありました。もし転べば怪我は必至でしょう。そして過保護な皆に外出禁止令が出されまた軟禁状態に逆戻りです。
最早何かあればすぐさま部屋での絶対安静の図式が出来上がってしまうのには辟易しますが、過保護な面々を考えるとため息もついつい漏れてしまいます。だって両親はまだ分かりますがゼルダもヨルムもベルンも逃走防止を完璧にしてベットに縛り付けるんですよ!しかもゼルダはプラス難題な宿題も課されます。もう当分あんな事態は御免こうむりたいです。
――それは兎も角、笑顔で感謝を伝えれば同じく笑顔を返してくれるヨルム。
暗緑色の鱗の肌に銀と金のオッドアイに縦に割れた瞳孔。
やっと仮面を外してくれるようになったのは最近の事です。
ベルンもそうですが影からではなく、私の隣で護衛をする事には比較的簡単に承諾してくれたのにも関わらず、あの仮面に黒いローブ姿を止めるのは断固拒否の姿勢だったのは驚きました。
どんなに言っても「それだけは出来ない」との一点張り。頑固な程の二人にあの手この手で迫り、お願いし最終的にはゼルダを味方につけ、泣き落としで承諾させた時は余りの達成感についついガッツポーズを決めてしまった私がいます。あれはある意味でいい勝負でした。
「――そういえば、ヨルムは薬の匂いとか大丈夫なの?」
「ん?まぁどっちかっていうとオレはこっちが本業でもあるし」
ふーん。まぁ確かに蛇ならば毒とか薬とか関わり深いですよね。
ふと思った疑問に返ってきた答えは確かにと思えるものでした。ちなみベルンは嗅覚などの感覚が鋭敏すぎて薬などの匂いはダメらしく珍しく自ら護衛を辞退してきたのでした。
流石にこればっかりはどうしようもないですからね。
屋敷は本来父さまの部下の方々や護衛専門の方々などが巡回、警邏しているので基本的には安全なのです。本当ならばこうして付きっきりで護衛などしてもらわなくても大丈夫なのですが私が寂しかったので傍にいてもらっている状態です。
翡翠さんがいなくなってから人恋しさが募りすぎて脱走を繰り返す私にゼルダが出した妥協案でもありました。
チャリと首元を触れば金属の感触が。
ちなみに翡翠さんの石は少しだけ加工してネックレスのようにゼルダが誂えてくれました。おかげで持ち運びには便利です。
そんな他愛のないことを話しながらも目的地に到着です。
色とりどりの花々や青々しい草木に囲まれた一つの建物。ここは屋敷の離れであると同時に屋敷の医務室なのです!
「こんにちわ!」
「ども」
下ろされるタイミングも無く抱き上げられたままに離れに足を踏み入れます。
勿論、きちんとノック済みですとも!(ヨルムが)
部屋に入った瞬間感じるのは様々な草木、薬草の香り。青々しい草の香りもあれば鼻につく刺激臭など実に色んな匂いが入り混じっております。
ここは医務室兼母さまの研究室です。この離れの裏手には温室がありそこで使う薬草などを育てています。
入口すぐの部屋は使用人たちの診察室ともなるので簡易ベットに机など基本的な器具が置かれています。パッと見前世での学校の保健室が連想されました。まぁ実際行ったことは無いんですけどね!
っと室内からの返事は聞こえませんでしたが勝手知ったる何とやら。スタスタと私を抱えたまま奥へと進むヨルム。簡易医務室を過ぎれば廊下があり、奥の奥。母さまの研究室となっている部屋へと足を踏み入れます。
そんな中、私はといえばヨルムに抱っこされたままワクワク感に胸を高鳴らせます。なんたってここには“あの人”がいるんですから!!
――あ!いたいた!
それは明るい日差しが部屋を照らす陽だまりの中。左右の壁一面に置かれた本棚。その一つの棚の前に佇む一人の男性。何かを調べているのか、一冊の本に目を走らせるその視線がこちらを向きます。
こちらを見つめるのは美しい晴天を宿した空色の瞳。ダークブラウンの落ち着いた髪は艶やかな天使のリングを放ち見るからに手触りが良さそうです。顔の造形は美術品の如く整っており、老若男女問わず見惚れてしまうこと間違いなしです!勿論私も例外ではありません。
その“美しさ”自体を体現したかのような美貌。でも私にとってはその美しい髪から覗いて見える耳が特に重要なんです!!
そう……なんたって、な ん た っ て !
一番目を引くのはその髪から見える先が長細くなる耳!彼はファンタジーにはお約束な“エルフ”なんです!
「こんにちはお嬢様」
「こんにちわ!ヴェル!」
エルフ!エルフなんですよ!!彼は!
勿論エルフと言ってもこの世界では森の妖精とのハーフの事を指し、地属性を持ち植物に関して博識で他種族に対しては排他的で関わりあうことを避けている部分もあります。妖精と言っても様々な属性を持つ妖精がおり、他には土妖精とのハーフをドワーフ、風妖精とのハーフをシルフィ、水妖精とのハーフをウンディーネなどなど。様々な一族があるそうです。
彼らは総じて妖精と人とのハーフ“妖人”と呼ばれ一種族として世界に根付いています。
彼らの中でも特徴的なのはその容姿です。妖精も勿論基本的に美しい容姿を持つ者が多いので人間とのハーフである彼らもその容姿は美しい者たちが大半です。眼福眼福と心の中の自分が頷いています。本当に。
しかもヴェルデは私が憧れていたと言ってもいいほどの立派な耳をお持ちで……色々滾って仕方がありません!心の中の自分がエルフ耳萌えぇ!と騒いでおります。
にっこり微笑むその表情が眩しすぎて目がぁ!目がぁ!ドキドキと動悸が激しすぎて息が苦しいです!
こ、殺す気かぁ!!
……うん。落ち着こうか自分。オタクな自分が色々騒ぎすぎてちょっと一種の賢者タイムに入ってしまいます。
改めて、彼はエルフのヴェルデさんです。
珍しく里から出たエルフとして世界中を放浪し、なんと母さまに師事するためにアウスヴァン公爵家の門を叩いたという勇者。
同じ理由で打診してくる人間は多いですがそんな彼らが門前払いを食らうのを目撃した身としては改めて彼が優秀かつ勇気があるなぁと思いました。
いい笑顔でばっさばっさ敵――ではなく弟子志願者を投げては門の外に追い出す父さま。難易度の高い問題を情け容赦なく出すゼルダ。この二強をクリアしなければ母さまに会うことすらできません。
それらをクリアした彼はそれに加え自分の持つ知識と母さまの持つ技術の調和と進歩を訴えた自己アピールまで披露した本当の勇者です。その完璧なプレゼンを是非とも見たかったです。
現在はアウスヴァン公爵家お抱えの庭師兼医師兼母さまの弟子としてこの屋敷に住んでいます。
「今日は体調が悪いんですか?」
耳朶を打つテノールの声さえついつい聞き惚れてしまいます。
私が自分で歩かずヨルムに抱えられているのでまた体調を崩したと思ったのでしょう。私の顔を覗き込みながら問われた言葉に否定するように首を振ります。
「ううん。さっきちょっと段差で転びそうになった所をヨルムに助けてもらったの!」
「そうだったのですか。でも気を付けてくださいね?」
雰囲気もそうですかその優しいしゃべり口調についつい色んな事を話しそうになります。この何でも受け入れる感がダメなんだと思います!
今のところ一緒にいて一番子供っぽいところを見せてしまっている気がしないでもないですがヴェルのこの穏やかな感じが凄く癒されます。
「スーウェ様でしたら今は奥で作業中ですのでもう少しだけお待ちくださいね」
「うん!」
分かったと頷けばよくできましたと言わんばかりの笑みのヴェル。その手がワキワキと動いているのはなんででしょう?
「させねぇよ」
「うーん。ダメかい?」
ぼそりと小声で交わされる会話。ずるいと言わんばかりの声色にルイは首を傾げたが頭上で交わされるその会話の意図が分からずただ首を傾げるだけだった。
*
「それではスーウェ様がいらっしゃる前に概要だけ説明しますね」
「うん!っじゃなくてはい!よろしくお願いします先生」
綺麗に片づけられた勉強机の前に腰を下ろします。同時に差し出されたのは薬草などの辞典とメモ用の紙。にっこり笑顔で言ったヴェルデに返事を返しますが、今から私は教わる身です。慌てて言い直せば驚きを露わに固まるヴェルデ。
あれ?もしかしてなんか失敗しちゃったかな?
「あ、あのヴェル――」
「お嬢様!」
「うわぁはい!」
「もう一度言っていただいても宜しいですか!?」
はい?
がしっと力強く掴まれた肩。いきなり目の前にはヴェルデの綺麗な顔がドアップで迫り、私の顔は赤くなったり青くなったりと大忙しです。
「も、もう一度言って――ぐふっ!」
「え、ちょっとヨルム!」
しかし突然目の前から消えたヴェルデ。いつの間に接近していたのか、ヴェルデの隣にはヨルムが。その拳は固く握られヴェルデの腹を直撃した模様です。
「お ま え は!一片死にたいらしいなぁ!!」
「ちょっ!ちょっと待ってくれ!流石にキミでも本気になられると僕でも洒落にならないから!」
「ああん?そんなことどうだっていいんだよ。金輪際姫様に寄るな!触るな!近づくな!」
いやいや無理でしょそれ!
ひどい!と声を上げるヴェルに凄むヨルム。パッと見チンピラに絡まれている美人にしか見えないです。
あ、でも眼福かも。
よほど慌てているのか、ぴこぴこと僅かに上下するヴェルデの長い耳。
くぅう!触りたい!触りたいけど、エルフ族にとって耳を触るのは伴侶かそれに準ずる相手のみらしいです。いくら心を許した相手でも触れることを許さない気高き一族。他にも色々理由があるらしいですが簡単に言えばにエルフ耳はとっても重要かつ大切な器官だということ。
でも夢にまで見たファンタジーの定番な姿を目の前にして私の心は悶えてばかりです。
それは兎も角、二人とも? そろそろ止めた方がいいと思いますよ?
そう思いつつすすすっと二人からゆっくり離れます。肌を撫でる空気が若干冷たいなんて知らない知らない。うん。
「貴方たち?ここで何をやっているのかしら」
「す、スーウェ様!」
「げ、奥方様」
「ここは遊び場じゃないの。じゃれあいなら外でやってきなさい?」
ひぃいと内心悲鳴を上げます。二人の後ろの扉から静かに登場した母様。
薄紫色の美しい髪を一括りにして紺碧の瞳を静かに細めるその姿は氷の女神と言ったところでしょうか。
いつもの儚げな雰囲気を纏いつつも凛としたその姿に見惚れてしまいます。
しかし僅かに口角を上げて表情は微笑んでいるはずなのに部屋の空気が一気にマイナスまで下がった気がするのは何故でしょう。
お、恐ろしい……。
自分的に笑顔でキレる人ほど恐ろしい人はいないと思います。うん。
「ルイシエラよく来たわね」
「は、はい!母様、今日はよろしくお願いします!」
氷の微笑みを溶かした柔和な笑顔にほっとしつつも一回抱いた恐怖心は拭えませんでした。慌てて椅子から降り頭を下げます。
「ふふっ今日は貴女も体調が良さそうでよかったわ」
「母さまは大丈夫ですか?」
「ええ、今日は幾分良いのよ。さぁそんな馬鹿どもはほっといていらっしゃい」
馬鹿どもとは言われずとも分かります。ヴェルデとヨルムですね。
「え、ちょっ奥方様オレは――」
「スーウェ様!?僕は――」
「お黙りなさい」
慌てた様子の二人が同時にピタリと止まりました。
うん。母様も強いですね!
ついでに氷の眼差しも復活です。声を荒げた訳でも大きな声だった訳でも無いのに母様の声はよく通り二人を止めます。
「ルシィは勉強しにここに来ているわ。それにも関わらずこの体たらく。貴方たち――舐めているの?」
こ、怖ぇぇ!
ひやりと冷たい何かが背筋を駆け抜けた気がします。今まで母親として優しく接してくれていた母様しか知らなかった分、上に立つものとしての覇気すら感じられる母様に恐れを抱くと同時に尊敬します。
母様は実は母国では魔女として軍に所属していた時もあったそうです。しかも魔術師団の団長すら務めたこともあるとか。母様かっこいい!!と内心ミーハーな私が騒いでおります。
それは兎も角、ショックを受けたまま固まる二人についつい同情をしてしまいますが、そんな事気にしない母様に手招きされ奥の部屋へと呼ばれます。
「ルシィこちらにいらっしゃい。その二人はほっといて」
「でも」
「そこで少し頭を冷やすといいわ」
良いからいらっしゃい。と呼ばれちらちらと二人の様子を見つつも大人しく母様の元へと向かいます。流石に私も怒られたく無いですから!
先ほどまで母さまがいた部屋に促されるままに入ります。部屋を見回せば特に目を引くのはフラスコやビーカーといった実験道具がごろごろと机の上に所狭しと並んでいます。
勿論、中身が入っているのもあれば、現在蒸留中なのでしょうかブクブクと火で熱せられている液体もあります。
壁一面には本棚が並びびっしりと並べられているのは分厚い本です。背表紙を読めば薬草の辞典や外国語の辞書などが並び、日付が書いてあるのは研究日誌とかでしょうか?
「さ、ルシィ今日は簡単な薬学からしましょうか」
「はい母様」
促されるままに座った椅子。僅かに道具をどかし開いたスペースには先ほどヴェルデから渡された本を置きます。
簡単な概要ならばゼルダから授業の一つとして学びましたが本格的なのは今回が初めてです。
前世では医学と言われて思い出すのは西洋医学と東洋医学。そんな詳しいわけでもありませんがその二つは似て非なるものとして覚えています。
実際はそれぞれ信仰や物の捉え方によって色々と細かく異なっていたみたいですが私的には西洋医学は外科的なもの東洋医学は内科的なものと捉えています。
やはり国や信仰対象が違えば医学も異なるのか、この世界でも医学と言えば様々なものがあります。しかし大体は二通りの物に分かれる不思議。
この世界では医学と言えば薬術医療か魔術医療の二つがあります。勿論呼び名も二つあり、薬師は基本的に生薬などを使った漢方医学を用いた治療を基本とし、薬術師は魔法を用いた治療を基本とします。
しかし残念ながらこの世界での医者の主流は薬術師で薬師は民間治療のようなものと捉えられているところがあるみたいです。
ヴェルが言うには薬術師は国ごとに試験があったり、きちんとした資格制度があるのに対して薬師には制度が無く、残念なことに知識も技術も無くても名乗れるそうなのです。
けれど世間には少ない薬師。その歴史もまた別の時に学ぶそうですが、現在薬に使う生薬などは数が減っていっている状態だそうです。
そんな中、数少ない生薬を用い人体に負担の少ない薬を作るのを研究しているのが母さまです。ここにはそうして今まで研究したものが記された宝の山があると力説していたヴェルはちょっと目が血走っていて怖かったと言っておきます。
「ゼルダからはどこまで学んだかしら?」
「えっと、それぞれ特徴的なものとあと毒類はある程度教えてもらいました」
すっと母さまに差し出したのはゼルダの授業中にノートとして使っていた紙の束です。
製本技術が少ないこの世界ではノートのような気軽に書き込めるものは無く、あるのは本型の物と一枚ずつの紙です。
幸い前世と同じような植物が原料の紙があったのでそれを自分なりに加工し使っている現状です。
紐で纏めて気軽に紙の追加もできる自分ノートには今まで学んだ事が書き込んであります。
特に毒については、一番初めに教えてもらいました。
やはり公爵家の人間ですし色々と大人の事情があるのでしょう。もしもの場合知っていて損は無いと毒の名前や諸症状、解毒の仕方などを教えられました。本当ならば毒殺などの暗殺を避けるために毒に体を慣らさなければならなかったそうですが、現在魔封病のお蔭で毒などが一切効かない体の私です。毒殺の心配はありませんが、一応ということで徹底的に詰め込まれました。
「そう。結構先まで行っているのね」
ぺらりと捲られるページ。
母様の細い指が紙を滑っていきます。何やら思案中の母様を無言で見守ります。部屋にはポコポコと気泡が弾ける音が鳴りカチコチと時計の針が動く音にちょっと緊張感が高まっていきます。
今回母様に教えを乞いたいと我が儘を言ったのは私からでした。
本当ならばこんな専門的なものを学んでも医者になる訳ではないのでしても仕方がないとゼルダには言われましたが、ゲームではこの世界ではある病気が蔓延したという描写があったのです。
それを知って何が出来る。と思いましたがでもスルーできるものではありません。もし私がその事件に対面した時ただ狼狽えるだけなんて嫌なのです。
前世ではパンデミックなんて言葉有ったように病気で感染力の強いものなどは広がる事が最も恐ろしい事態だと思います。それを抑える術がなければ……前世ほど公衆衛生がしっかりと確立されていないこの世界では簡単に大陸全体が危ない事態になります。
それだけは避けなければ。それは貴族として領地を持ち民を守る立場にいるからこそ思うことでもあります。
それからどれくらいの時間が経ったのでしょうか?
ぼーっと部屋を見ていると衣擦れの音に母様に視線を戻します。
「これならばもう実験の方に入っても良さそうね」
「へ?」
実験?と首を傾げます。
てっきり講習を受けれると思っていたのですが、母様はノートを閉じると徐に私の頭を撫でてくれたではありませんか!
「よく頑張って勉強しているのねルシィ。母様は鼻が高いわ」
にっこりと笑顔の母様に顔に血が上るのを感じます。
え、ちょ、待ってなんか恥ずかしい!なんで!?
褒められ慣れてないというか、なんか気恥ずかしい気持ちであうあうと意味不明な言葉を唸りながら視線を泳がせます。
元々お互い身体が弱いためにこうして対面で長い時間いるのも珍しいのもあって母様と長い時間目を合わせられない自分がいます。
だって母様美人だし!儚そうとか思ってたけど結構強くてギャップがあるっていうか……
思春期の男の子か!と自分で自分に突っ込みを入れてしまいます。
うーうーと恥ずかしさについつい俯いてしまいます。今頃私は耳まで真っ赤な事でしょう。
こうなんかその道の専門の方にその努力というか認められた事に誇らしい気分にもなりますし、久々な母さまに手放しで褒められる事に嬉しさとちょっとの恥ずかしさが湧き上がってきます。
ドキドキとうるさい心臓が口から飛び出しそうな程に紅潮する頬。照れがどうしても堪え切れません。
優しく撫でらる頭。おずおずと眼を上げればそこには僅かに頬を赤らめてはにかむ母さま。つられて私もふにゃりと表情を崩して笑顔を浮かべます。
すると。
「萌えぇ!」
「ばっ!うるせぇよ!」
ガタタと揺れた扉。いつの間にか閉まられているはずの部屋の扉は僅かに開いておりそこから母様に馬鹿どもと言われた二人が馬鹿な行動をしているところでした。
「……貴方たち。反省が足りないようね?」
ゆらり、恐ろしい冷気を発しながら私から一歩離れた母様。その背後には般若が見えた気がします。
「か、母様」
「ルイシエラ、悪いけど少し待っててくれるかしら?」
「は、はい」
さっきまでの親子同士のほのぼのとした空気も霧散し、ヨルムたちには冷気を発しつつこちらには優しい表情で向く母様が恐ろしくて溜まりません!!
「――ちょっ!奥方様それはやばいって!!」
「僕もですかぁぁ!」
母さまが退室した後、ガタガタと振動に震える扉。
「ひぃ!」とか「死ぬぅ!」とか悲鳴が聞こえて来るので母さまが何かしているのは分かりましたが恐ろしくて覗く気も起きません。
ヴェルにヨルムの悲鳴が聞こえるなんて気のせい気のせい。
「折角のルシィとの触れ合いになんって邪魔してくれんのよ!この馬鹿どもが!!」
そんな怒髪天を突いたような母さまの怒鳴り声が聞こえてくるなんて気のせい気のせい。
母さまは怒らさざるべからず。
そう心に刻んだ瞬間でした。