Act.1 [微睡みの邂逅]
悲しみはいつしか癒える。
それを言ったのは誰だったか…。
小さな傷は何時しか傷口を広げ取り返しのつかない大きさにまで広がってしまった。
それを癒すのは時間か、人か、果たして人ならざるモノか…答えは誰も知らない――。
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――其処はただ漂う世界。
ぐるりぐるりと意識は回る。
其処に“個”は有って無いような物で、ざわざわと周りが何かを囁き自分も囁き返す。
何かに囲まれているような、何かを囲んでいるような。何かに混じり、何かに融ける様な。そんな感覚が、感じるという意識が“私”を形作り、個を作り上げる。
どれ位の時間、そんな夢現のような微睡む意識だったのか分からないけれど不意に意識ははっきりとしてきてその瞬間、“私”は思い付いた言葉を浮かべていた。
(……あ、れ?私……どうしたんだっけ?)
長い夢から覚めた時の様に思考は鈍く回らない。でも、段々と浮上してくる意識を感じると私は今の状態に軽く混乱する。
だって周りの景色は見えないし、自分の身体すら無いんだもん!まるで自分が魂だけの存在になったかのような。(そもそもその感覚も分からないが…)
いやいや、落ち着こうか自分。
落ち着け、と何回も呟き混乱する頭を落ち着ける。周りの景色は未だに不明瞭で不安は少しだけある。でも、根拠のない。不確かな安心感があるのも事実。
其処では独りではない。何かに守られているそんな気がした。
先ずは思い出せ自分!と意気込み記憶を手繰り寄せる。
えっ…と、確か私死んで…神様に……ああそうだ。
神様に生きるか死ぬかを問われたんだ。
今さらながら神様相手に失礼極まりない言葉だったかもしれなかったが、そう思っても後の祭り。まぁ何もそれを咎められた訳でもないし、まいっかと自己完結する。
ぐるり、ぐるり 思考が巡る。
くるり、くるり 意識が廻る。
どれ位、そうしていたのか分からないけど私が生きてた頃の思い出に浸りつつ、ぼんやりとしていると不意に身近に強大な気配に包まれている感覚がした。
《――気分はどう?》
それはあの今際の際に聞いた神様の声。
ふわふわと揺蕩う意識の中で認識するその声は死に際に聞いたものよりもしっかりと聴こえた。
《起きたようで良かったわ》
ほっと安心したような吐息を吐き出し神様は言った。それを意外に思いながらも問い掛ける。
起きたって?
何ですか?と続けるより早く、神様は言った。
《貴女ずっと寝ていたのよ?仕方が無い事とはいえ心配したわ》
全く、と言いたげな神様だけど私は疑問符を浮かべる。自分としては一切寝ていた気はしなかったのだけど神様が言うには私はずっと寝ていたらしい。
神様曰く。
私の魂は思ったより傷付いていたらしい。どうやら余命を保つためと余命を超えてからの身体を守るために無意識に魂=気力を振り絞っていたらしい。だからこそそれを癒すためにも私は長く眠り続けていたらしい。まぁ私はいまいち実感が無いので、らしい。としか言えないけど。
《でも、その強い想いに私は惹かれて貴女に出逢えた》
それってとても凄いのよ?とまるで自分の事のように嬉しそうな神様。
まぁ、褒められているようで悪い気はしないけど。なんか手放しで喜べない…。
《ふふっまぁ、実感がないのを褒められても意味が解らないものね?》
クスクスと笑う声を聴きつつ無い頭を縦に振る。
神様の姿は見えないけれどちっぽけな自分を守るように抱えてくれる気配は凄く安心出来た。身体の感覚は無いけれど長年染み付いた動作をしてしまうのは仕方が無い。
でも神様はそれすら見えているかのように振る舞う。
《さて、まだ貴女が起きる時ではないわ。――もう少し眠りましょう?》
ふわり、と何かが私の周りを取り囲む。
それはさっきまで見えなかった色とりどりな光る珠。赤、青、黄、緑、銀色に黒。色んな色が優しく光りながら私を囲む。
あぁ、さっきまで一緒にいた子達か。
私が微睡んでいた時、一緒にお互いを囲み囲まれ、囁きあった気配たち。
《ふふっ――…さぁ、みんなお休みなさい》
とろん、と意識が微睡みに沈んでいく。
《次に目が覚めた時は、貴女が産まれた時。 ――――どうかお願い…―――》
それは死ぬ間際に聞いた気がした神様の小さな懇願の言葉だった。
すぅ、と遠くなる意識に言葉は途切れてしまったけれど神様が心の底から願っていることは解った。どれだけそれを望んでいるのか、神様なのに祈るほどの強さで込められた想い。
それを確かに私は受け取った。
薄れる意識に不安は無い。私が知っている世界だとさっき神様は言ってたけどなんとかなるだろう。とおおざっぱな性格が顔を出し、心地よさげに私は微睡みに身を委ねる。
任せておいて。絶対に助けるから。
絶対に貴方を助けてみせるから。
神様に対して極刑並に不敬かもしれないが、今の私は神様を敬う、と言うよりは友達に対するような気安さを持って返す。
神様もそれを望んでいる気がして…。
神様ってどんな存在を指すんだろう?
それは不意に浮かんだ考えだったけど、その問いに答える声はなく私の意識は完全に微睡み沈んだ――…。
――――――――――――――――……‥
――そこは狭間の世界。
それこそ星の数ほど存在する世界と世界の間に在る時空の隙間。
夢の狭間であり、魂が彷徨う空間。
そんな所に彼女は居た。
星の光を集めた様な銀色の髪を靡かせ、月明かりの様な不思議な光を灯した瞳を自分の手の平に浮かぶ光の玉に向けて。彼女は自らの世界では“女神”と呼ばれる存在だった。
彼女が支配するのは宵闇に染まる天空と過去、現在、未来を司る時間。そして唯一、他世界――所謂【異世界】と呼ばれる世界に干渉する力を持っていた。だからこそ女神は手の平に浮かぶ“彼女”に助けを求めた。自分の世界を救う為に。自分の世界を救って貰う為に。
女神は1人の少女の魂を手の平に浮かべその光の強さに見惚れていた。
仄かに耀く光はまるで蛍火の様に儚い。でもその中に秘められた強さは“彼女”の強さそのものだった。
女神は愛おしそうにその魂を見つめる。
やっと、やっと見つけたかけがえの無い光。
何にも染まらず、それでいて強弱に光るその輝きは闇を切り裂き、迷いしモノを導く灯台の輝きのようで。
ふと、女神の耳に甲高い悲鳴の様な音が聞こえた……。
——それは崩壊の音。壊れ行く世界の慟哭。
『ごめんなさい……』
口を衝いた謝罪は誰に向けてか…?
誰に聞き咎められる事無く沈黙の空気に溶けていく。
その時、ゆらりと時空が揺れた。
女神が目を向けたその先。歪んだ時空の壁をくぐり抜けて来る一つの影。女神はその相手を知っていた。
霞にも見える影は目の部分だけが炎を灯したようにゆらりゆらりと明るくそれ以外は真っ黒な姿をしていた。
影は女神を見つめ、そしてその手の平に浮かぶ魂を見て目を細める。
影の正体は女神と同じく神と呼ばれる存在だった。
しかも女神より遥かに上位の世界の神。
そして女神が救いを求めた“彼女”が生前住んでいた世界の神でもある。
女神は神を見つめ言葉なく頭を下げた。
それは感謝を込めて、それは謝罪を込めて。
彼の世界に住まう尊い一つの魂を連れていく事を謝罪し、そして救いを求める手を伸ばす事を赦してくれた事を感謝して。
女神と神は言葉を交わさない。否“交わせなかった”
彼の神の本当の姿を見る事も言葉を交わす事も出来ない。それほどまでに女神と神の間には埋める事の出来ない隔絶とした差が存在していた。
女神は知っている。彼の神の世界がどれほど柔軟で、それでいて世界としての器が広いかを。そしてそれがどれほど凄いのかを。
《神》として世界を創造し管理する頂に立つ立場だからこそ、その凄まじさを理解する。
——彼の世界は様々な魂が辿り着く世界だった……。
それだけ聞けば簡単なように聞こえるが、それ故に彼の世界には様々な思想、文化、進化があった。
普通はそんな世界は【世界】としての許容量を超え崩壊してしまうのが常だった。
その崩壊とは大きな争いやはたまた何らかの力の干渉を受けて世界が滅亡する事を指す。
人に拘わらず生きとし生けるものの魂は肉体が死を迎えると、数多の世界を巡りその魂に応じて辿り着いた【世界】で転生を果たす。
しかし【世界】には魂を抱えられる許容量があり、そして魂自体にも重さや大きさも様々。また強さも同じく、それに応じて様々な種族や思想、文化などが出来上がる。
やがてはそれらは対立し合い、争いは必至——そしてやがては【世界】の崩壊を招く。
だからこそ【世界】の管理者たる神々は一定量の魂を、己の世界で循環させる事にしていた。
しかし、イレギュラーはどこにでもある様にその循環の輪から外れてしまう魂があるのも事実。
そんな魂達が辿り着くのが彼の神の【世界】だった。
しかし、そうして過去、多種多様の魂が辿り着いた【世界】が数多く崩壊して来たにも関わらず、彼の【世界】は栄枯盛衰を繰り返しながらも、ある時は空想の物として、ある物は過去の遺物として思想や文化は世界に根付き、調和して世界を支える柱となった。
本来ならば【世界】自体が拒絶するようなものでさえ彼の世界では調和し支える一柱でしかない。
そして彼の世界は星の数ほどある【世界】の中でも上位に位置し、そこに住まう魂はとても強く、柔軟で他世界でもその強さを発揮する。だからこそ救済を望む他世界の神に重宝されていた。
彼の世界では「異世界トリップ」や「異世界転生」などの空想の物として、その現象が根付いているらしいが。
そして女神もまた彼の神と世界に救いを求めた。
―――自分の世界を救うために。
力がどんどん削られていくのを感じ女神は表情を曇らせる。
こうして時空の狭間であり、精霊達の産まれ所である空間にいるのもただ“彼女”を迎えに来ただけでは無い。女神自身の力の消耗を抑える為でもあり、女神自身の存在を守る為でもあった。
そんな暗い表情の女神を見てか、彼の神は“彼女”の魂を指差した。
……言葉は聞こえない。
でも、何かを女神に、“彼女”に、伝えようとする意志は伝わった。
ゆらり、彼の神の姿が空間に溶けていく――。
女神は再び、去り行く彼の神に向けて一礼し、その頭を上げればそこにはもう彼の神の姿はなかった。
女神は耳に痛い程の静かな空間に浮かぶ色とりどりの光の玉を眺める。それは世界の自然の種。精霊と呼ばれるモノたちの生まれた姿。
手の平の魂を囲むように跳ね、浮かぶ光の玉達はまるで笑っている様にも感じられた。それは“彼女”の魂を歓迎している様に。
『……願わくば…――』
ふわり、女神は力を使い浮かぶ。
そうして向かうのは自分を生み、そして自分が愛するたった一つの世界。
宵闇を切り裂き、赤き光が最も綺麗な暁の世界。
ふと女神は自分の世界と同じ様に愛しい一つの魂に眼を向ける。
愛してくれるかしら?愛しいと思ってくれるかしら?
自分が世界を愛している様に、大切にしている様に、この子も同じに思ってくれるかしら……?
不意に浮かぶ不安。でも、彼女は愛してくれた。
それが虚構に作られた一つの未来だとしても、その世界を、世界に住まい。そして世界の崩壊に纏わる人々を。
だからこそ“彼女”に決めたのだ。
夜の終わりを告げ、朝の訪れを知らせる暁のような魂の光を宿し、何より『生』に誰よりも強く執着してくれた彼女を。
“彼女”は気付くかしら…?
それは彼女が大好きだと豪語していた世界そのもの。
そして悲劇を喜劇に変えるために彼女が精一杯、選択し続け行動していた世界に。
彼の世界では仮想の世界として存在した。——ゲームそのものの世界を。
否、その仮想世界は女神が彼の神に頼み、己の世界を元に作り上げたのだ。
女神は時空を司る。
過去、現在、未来、数多ある膨大な時間を操り、手繰り寄せて女神は《一つ目》の過去とその現実に干渉する。
ゲームが始まる前、シナリオとしては過去と描かれていた時間軸の世界に彼女を迎え入れる。
女性向けに作られた恋愛ゲームの一つ
≪払暁のファンタジア≫と名付けられた仮想の舞台へ。
世界はまるで彼女を歓迎するかのように、空を鮮やかな赤に染めた―――。