Act.17 番外編[俺たちのお姫様]
時系列的にAct.12と13の間です。
彼女が笑うと花が綻ぶようにほっこりとする。
彼女が泣くと花が萎れる様にしゅんとする。
まるでこの世界を照らすような太陽のようなお姫様。
それが俺たちが愛する主人。
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俺たちの朝は、まだ陽も昇らない薄暗い時間帯から始まる。
朝靄に包まれる中、元気そうな花とすでに盛りを終えてしまった花に分け、萎れた花弁を摘む。
そんな蕾の花は陽が射すごとに顔を上げ、ゆっくりと綻んで咲き誇る様はいつ見ても嬉しくなる。
美しい花を整え、館の主人の一時の安らぎとなればそれが俺たちアウスヴァン公爵家お抱え庭師の喜びってもんだ!
今日も今日とて色とりどりの花々を前に剪定ばさみ片手に見ごろな花を切り花へと変えていく。
アウスヴァン公爵家はその成り立ちやその他の様々な事情により使用人の数は少なく、基本的に少数精鋭となっている。
その為、広大な敷地を有するこの屋敷の庭でも専門の庭師はたったの二人だけ。
「おーい!ヴェルデいつもの花はどうすんでぇ?」
「あ、フォグさん。今日は例のやつがやっと実を結んだんでそれを持っていこうかなと」
自分よりまだまだ若い相棒に声をかければ遠くに見える姿からは手を振る仕草と共に声が返ってきた。
ほぉ、もう出来あがったか。流石ヴェルデだ。
土属性を表すダークブラウンの髪に空色の瞳。植物関係に携わるにはうってつけの属性持ちに加え、薬師としての顔も持つヴェルデは世界中の珍しい草花を研究するためにアウスヴァン公爵家の門を叩いた変わり者だ。
アウスヴァン公爵夫人のスーウェ様は魔術、薬術共に最高峰の技術と知識をお持ちでその弟子になりたいと志願しアウスヴァン公爵家の門を叩く奴は少なくない。まぁ大半は門前払いを食らうがな。
その中で、敢えてスーウェ様の事ではなくアウスヴァン公爵家の特色と特殊な体質を取り上げ論文が如き志望動機を述べたヴェルデはなんとあのゼルダ執事長が気に入って採用した奴だった。
勿論、その際にスーウェ様に師事を願うのも忘れない抜け目のないやつでもあるが。
「お嬢様喜んでくれますかねぇ?」
「心配すんなってあれなら間違いねェよ」
朝の一仕事を終えて、屋敷へと戻る道すがら心配を零す相棒に呵々と笑う。
ふと頭に浮かんだのは数年前にこの屋敷に生まれた太陽のような赤ん坊。
スーウェ様はお世辞にも丈夫な身体とは言えず、妊娠が発覚してからはお抱えの医者から自分の命か赤子の命か選べと無情な選択を迫られていた。
しかしそんな逆境すら跳ね飛ばして生まれてきたのは元気な女の子。
勿論、出産中危ない場面はあったそうだが、母子ともに無事だという情報が屋敷中に伝わった時は使用人一同涙無しには喜べなかった。
そんな周囲の祝福を受けて生まれた赤子はなんと女神ルーナの祝福持ち。
現在確認されているジゼルヴァン王国では三人目の祝福持ちだった。神からの祝福を受けた者は身体のどこかにその証を刻まれて生を受ける。我らがお嬢様はその右手に堂々と三日月に涙の雫。女神ルーナの紋章を授かっていた。
これで思うのはお嬢様の将来の苦難。唯でさえアウスヴァン公爵家唯一の跡取りとしての立場と地位に命の危険は多いのに祝福持ちで魔眼の持ち主だなんて何というおまけをつけてくれやがった神様と罵りたくなる。
お嬢様の情報は直ちに伏せられ、関われるのはほんの数人。
屋敷の奥の奥に大事に仕舞われたお嬢様。
まぁ屋敷の人間やご当主達の危惧も分からなくはないが、財宝だってそんなに大事に仕舞ってないだろうに、厳重に厳重を重ねた場所で育てられている。
そんなある種の閉鎖空間に気休めになればと花を持ちこんだのは気まぐれだった。
「この前のお嬢様の色のエルバは喜んでたらしいですね」
「ああ、あのルーナが鼻息荒く語ってたなぁ」
ちょっとした見頃を迎えた一輪の花。
大ぶりで見ごたえがあるのと、今までの中でも自慢できるほど綺麗に咲いた花を生まれた祝いとして差しいれてみたのだ。
そしたらなんとお嬢様に好評だったと言われ、ずるずると花の差し入れをしている。
正直、赤子に好評ってどうやったらそんなのが分かるんだ?と疑問に思わないでもないが、先日初めて対面したお嬢様に熱烈なほどの素晴らしさと感謝を語られ……まぁ悪い気はしなかった。
現在は工夫を凝らして珍しい花などをわざわざ取り寄せたり品種改良などしている。
「でも分かるな~あのお嬢様がはにかんだ表情は兵器に匹敵すると思います」
「お前もか」
デレデレと相好を崩す相棒を呆れて見る。気持ちは分からなくもないが女ならともかく良い歳した男がすると犯罪くさいのは何故なのか。
やっと一人で出歩く事を許可されたお嬢様は様々な所に顔を出しては、順調に使用人たちの心をわし掴んでいるようだ。未だに身の回りの世話は限られた者だけでやっているみたいだが、好奇心旺盛なお嬢様は使用人を撒いては色んなところに出没しているのが目撃されている。
正直ヴェルデの気持ちはとても理解できる。
子供と言うか幼児だが、それでも分かる整った顔立ち。アウスヴァン公爵家特有の濃紅の髪は鮮やかで美しく、気の強そうな吊り目は父親似だろうが猫目ともいえるその眼は薄い赤紫。
生意気そうに見えるその眼も嬉しそうに緩み細められれば不思議な暖かさがある。薄く赤い唇は子供ながら聡明な言葉を奏で、喜怒哀楽にころころ変わる表情は見ていて飽きない。
将来確実に良い女になる事間違いなしである。父親譲りのカリスマ性もあり、母親譲りのその頭の良さ。話していて小気味いい程の楽しさを感じる程だ。
そんなお嬢様に気難しく、一癖も二癖もあるアウスヴァン公爵家の使用人がメロメロになるのも時間はかからなかった。
今や我らのアイドルだ。
「いやフォグさんだってお嬢様は可愛いと思うでしょう?」
「まぁオレにとっちゃ娘的な感じだがなぁ」
そういうオレも人の事は言えないほどにお嬢様を溺愛していると自覚はしている。だって可愛いのが悪い。
朝靄が晴れ、そろそろ屋敷の人間も本格的に動き出す時間帯。
朝食には少しばかり早い時間に物置小屋に向かえばそこには予期せぬ人物が入り口に堂々と立ちはだかっていた。
「あれ?ガウディ様どうかなさったんですか?」
これでもかと目を引く紅蓮の髪を朝日に照らし難しい顔をして物置小屋の前に陣取るのは我等が仕えるアウスヴァン公爵本人だった。
ヴェルデがまさかの人物の登場に目を丸くして問い掛ける。
しかしオレとしては面倒事がやって来たと溜め息しか出ねぇ
「朝っぱから何の用だよ」
「ちょっ!フォグさんいくらなんでもそれは……」
「良いんだよ、こいつとは長い付き合いだからなぁ今さら」
雇い主であり、やんごとなき高貴な人間相手に敬意もへったくれもない気安い言葉にヴェルデが慌てているが知ったことか。人がいる場ではちゃんとしているし、朝から人の仕事場に押し掛けてくる奴に払う礼儀は生憎と持ち合わせてねぇんでな。
ふんっと鼻を鳴らし目の前の男を見据える。
それに眼の前の男も同じ憮然とした顔に鼻息荒く返してきた。
「お前は相変わらずだなフォグ。それよりも頼みがある」
「断る」
間髪入れずに返せば予想外の事だったのかぽかんと呆けるガウディ。
おお、おお、公爵様ともあろうお方が間抜けな顔だ事。
「お、まえ……即答過ぎないか?」
「お前の頼みなんて良い事なんかねぇからなぁ、面倒くせぇ事に巻き込むんじゃねェよ」
にべもなく答えればがっくしと音が聞こえる程に肩を落とすガウディ。
かれこれ十数年単位での付き合いだ。ここに来た理由も何となく見当が付く。
お互い一時は冒険者としてペアを組んでいた事もあり遠慮は無い。
……なんでもアウスヴァン公爵家としての義務だとか。冒険者としての活動が義務ってどういうことだ?と首を傾げないでもないが、そのお陰で眼の前のアウスヴァン公爵(権力者様)と出会えたし、隠居生活の為の仕事にもありつけたので文句は無い。
だが、雇主と雇われ人という関係があってもガウディに遠慮はしねぇし面倒くさい敬語も基本使いたくねぇ。というか使った時に失礼な事に眼の前の男が爆笑しては「似合わねぇ」と言ってくれやがってねェそれ以来、敬語も最低限にしている。
呆れた表情に落胆の色を見せていたがどうやら復活したご様子。周囲の人間からは凛々しいや雄々しいなどと形容される金の瞳をオレに向けて口を一文字に閉じるガウディ。
まるで焔が燃えているような紅蓮の髪に威圧感さえある堂々とした立ち姿。流石はアウスヴァン公爵家現ご当主様ってか?
「紅蓮の獅子」と言われるのが分かる程の威厳ある王者の風格を纏った姿だが、ここにいる理由を考えると間抜け以外何者でもない。
「頼む!今日ルシィにあげる花を俺にく――」
「だが断る」
「早いなオイ!」
「花は俺たちが渡すんだ。てめぇなんかに奪われてたまるか」
「いいだろ少しくらい!俺だってルシィの笑顔が見たい!」
「知るかそんなん!それなら自分でどうにかして見せろこの馬鹿が!」
「仕方ないだろ!最近はオーヴァの影響で開口一番「仕事は?」って聞かれてため息吐かれるんだぞ!」
プレゼントを渡しても愛想笑いなんだ!と騒ぐガウディに僅かに同情する。
オーヴァと言えばガウディの側近で基本的に表の仕事の事務管理をしている奴だ。毎回仕事を抜け出すガウディに振り回されている奴だが……そうかお嬢様を味方につけたのかアイツ。
優男然として損な役割が多い奴だが今の所お嬢様に弱いガウディに彼女を味方につけるとは抜け目ない奴だな。
それにお嬢様もしっかりし過ぎているというか、ガウディが毎回仕事を抜け出して会いに来ている事に気が付いたのだろう。たまに見る光景としては周囲を部下に取り囲まれながらもお嬢様に会いに行くために脱走しているこいつ(ガウディ)を良く見る。しかも時々、部下とあのゼルダ執事長に囲まれながらもお嬢様を抱えたまま離さないこいつ。
まぁ、こいつの気持ちも分からなくねぇがお嬢様も色々と理解してるんだろう。こいつが渡すプレゼントは基本的に部下に用意させたものではなく、こいつ自身が買いに行ったものだというのを。
渡す物を自分で用意するのは良い心がけだが、結局は山ある仕事を放り出している事に変わりは無いからなぁ
「てめぇの自業自得だ」
「俺だってルシィから「父さま大好き!」とか満面の笑顔とか見たいんだよぉぉ!!」
「知るか」
ぶつぶつと何か言っていると思えばいきなり叫びだした馬鹿に拳を落とす。朝からうるせぇんだよ。
つーかさっきからヴェルデが空気すぎる。ふと先ほどまでいたところに眼を向ければいつの間にかガウディを避けて物置小屋へと仕事道具を片付けている姿が見えた。
「っと悪いなヴェルデ」
「いえ、もう終るんで大丈夫ですよ」
ちゃっかり仕事を終えて朝食を食べに行く気満々のヴェルデ。しかもその手にはきっちりと今日お嬢様に渡す花をブーケ状に纏めていた。
さりげなくそれを隠しつつ先に行けと手振りで言えば軽く一礼して去っていく後ろ姿。その姿が心なし浮かれていたのに苦笑を浮かべた。
それを見送りつつ、これがあのアウスヴァン公爵家当主かと呆れて肩を落とす。ついにめそめそといかに娘から仕事に関して説教されただの構ってもらえないだのと呟く男に情けないと息を吐く。
やれやれ、朝飯はこの後か。
*
うきうきと心なし弾んでしまう足。
林に囲まれた僅かな小道は使用人用の食堂への近道。
このまま真っすぐ行けば朝ごはんにありつけるが、その前にすべき重大な仕事が僕を待っていた。
ふとよく見ないと分からない程の別れ道を進めばそこには拓けた小さな庭。咲き誇るのは僕とフォグさんが丹精込めて育て上げたエルバの色とりどりの絨毯。
その庭に面した一室。ここはこの屋敷の大事なお姫様の為に作られた小さな箱庭。
一階から外に出られる場所が無いため、この庭には外から大回りして来るか、二階のテラスから降りて来ないと入れない。
ピリッと感じたのは庭を守る為に張り巡らされた僅かな境界を示す結界。これは暗殺などの危機を退ける為に設けられた。
元々周りの木々は背の低いモノやちょっと特殊の為に人が登ったりすることは出来ないが念には念を入れてだ。
本来ならばこんな非礼極まりない事をすれば簡単に首が飛ぶがこのアウスヴァン公爵家は特にその辺の事は気にしない大らかな気質だ。……大雑把とも言うが。
元々が冒険者だった初代アウスヴァン公爵。その血が濃いのかアウスヴァン公爵家の人々は自由を好み剛毅な人が多い。現当主であるガウディ様は特にその辺の礼儀やマナーは最低限あれば良いと思う人だから僕たち使用人も仕事がやりやすかった。
他の貴族の家だったらこうもいかないし、しかも一応王族の末端に名を連ねるのがこのアウスヴァン公爵家。必ず一人は末端とはいえ王位継承権が与えられる特殊な家でもある。
現在はアウスヴァン公爵家の一粒種。ルイシエラ様が王位継承権を所持している。ガウディ様は当主になる時、国王に忠誠を誓うと共に継承権を放棄したと聞いているから。
庭の真ん中まで進めば風に煽られたエルバの花が揺らいでは香りを放つ。うん。自画自賛みたいだけどよく育ってる。キラキラと朝日に照らされた姿に目に見えない“何か”も喜んでいるみたいだった。
――元々旅の薬師だった僕。
故郷が薬師を生業としている所だったから僕も薬師になる事に疑問を浮かべる事が無かったけれど、成人を迎えて外に出られる許可を受けた時ちょっとした好奇心に旅をすることを決めて故郷を飛び出した。
そこで一番驚いたのは薬師の少なさと知識の曖昧さだった。
故郷は閉鎖的であまり外の人間を歓迎する事は無かった。人目に付かない隠れ里だったのもあるだろう。だからなのか外のこんな状況を知る由もなかった。
まず世界では一般的な医者と言えば圧倒的に薬師では無く、薬術師が一般的だった。
この二つは似ているが非なるもので、根本的に薬師は漢方医学、人体に関し自然の薬草を基本的に使用し内科的な治療を主とする。
しかし薬術は魔法を使っての外科的治療が主なもの。人の身体に対してどちらが一番負担がかかるかと言えば圧倒的に薬術であった。
しかも高価な魔草と呼ばれる魔力を帯びた珍しい薬草を治療に使う。薬術の治療を受けるにはとっても高価で専門的技術が必要だった。
その為、基本的に医者と呼ばれる薬術師は貴族などの権力者に囲われており、市井の医者は聞きかじりの知識を持つ者などが多く病気に対して適切な処置を出来る者が少なかった。
しかも薬草などに対しても僕が故郷で学んだことより遥かに情報が少なく薬草を取り扱う店も殆どが高価な魔草を取り扱っているという始末。
あまりの事実に愕然となった僕は悪くない。だって僕らの故郷では子供でも知っている知識を新しい発見だ!と騒ぐ人間を見てて頭が痛くなったし。
それらを踏まえ僕は旅をしながら薬師としての知識と技術を広めようと奮闘した。
旅は辛かったけれど、色んな事を知れた。何故薬師ではなく薬術が広まったのか、薬師の数の少なさの原因。そして旅をして気付いたのは故郷では雑草みたいに豊富にあった薬草達が外の世界ではとても少なく稀少なものだったということ。
そして故郷がなぜあんなに外の世界を拒絶していたのか、そんな中で分かったのが故郷をずっと長い間守ってくれていた存在。
それがこのアウスヴァン公爵家だったということ。
アウスヴァン公爵家はこのジゼルヴァン王国を建国する際の立役者でもあり、初代国王とは兄弟と言う間柄。女神ルーナの宣託により建国されたこのジゼルヴァン王国。女神ルーナからの祝福なのか、王族と共にこのアウスヴァン公爵家は精霊や妖精に好かれる体質を持っていた。それは自然に好かれるという事。
俗にいう“緑の手”と呼ばれる大地に愛された子ほどではないがアウスヴァン公爵家が住まう場所などの大地は力が満ちて作物などの実りが良くなる。
それがきちんと記録として残り、確認されていた。それ故にアウスヴァン公爵家は王都だけではなく、巡回と称して定期的に国中を廻る事を義務化されている。
ちなみに仕事ばかりでは嫌だからと冒険者の資格を取って、お忍びで国中を廻るようになったという経緯もあるらしい。自由すぎるだろ。と思ったのは僕だけでは無い筈。
それは兎も角、僕はそれらの情報を知った時、衝動的にアウスヴァン公爵家の門を叩いていた。
――ここでならば稀少な薬草などを育てられる思ったから。元々薬師として薬草の研究をしたいのもあったのにそれどころじゃない現状にたぶん鬱憤も溜まってたんだと思う。
今更ながらよく雇われたよな。と少し昔を振り返りしみじみ思った。
だって旅装束もそのままに本当に文字通り屋敷の門を叩いたんだから。しかし幸運な事にゼルダ執事長が僕が徹夜のテンションで語った言葉を気に入ってくれたみたいで即採用。アウスヴァン公爵夫人のスーウェ様も同意してくれるわ、教えを乞いたらあっさりと頷いてくれるし。
本当に毎日あの時の幸運に感謝しながら今は朝、庭師としての仕事をこなしつつ、午後はスーウェ様と薬草の研究と薬の発明に勤しむ充実した日々を謳歌しています。
しかも毎日の疲れを癒してくれる人も居るし……ふと二階を見上げればお嬢様の部屋の窓が開いていた。いつもはお嬢様付きの専属メイドのルーナさんがお嬢様を起こす前に来ているが今日はご当主の邪魔もあり、少しばかり遅かったようだ。
今だともう食堂の方に向かっているかな?と僅かな落胆を押し殺しつつ手に持ったブーケを見下ろしてさてどうするか、と考えた。
もしお嬢様が食堂に向かっているならばルーナさんはいないのでこの花は渡せないし……もしまだ部屋に居たとしても支度途中なのは確実だろう。
うーん、どうしよう?
今日の花はお嬢様のアイディアを貰いやっと完成した物。リーリスと呼ばれる小さな四つ花弁の花たちの集合体であるこの花は本来太陽光を浴びる為に木々の葉のように太陽の光りに向かってその花弁を向け成長する特徴を持つ。それを型にはめて育てればどうなるのか。そんな事を言われいざ作ってみれば面白い形が出来た。
今回は人形のうさぎの頭の形の型を作り嵌めてみたがあら不思議。ウサギの形を保ったまま花は美しく咲き誇りちょっとした芸術品の様な花が出来あがった。
ここまで無事に育てられるまで多少の試行錯誤はあったものの無事完成したのでプレゼントしようと思ったが……リーリアの成長には燦々と輝く太陽の光と早朝独特の冷たい空気が必要不可欠であり、花の命はたった一日と言う短さ。今日渡せなければまた作るだけだが、今までで一番良い出来なのを渡しかったが……仕方ない、出直そうと踵を返したその時。
背後のテラスから聞こえる小さな足音を耳が拾った。
「あ!ヴェル!」
ぱっと喜色満面でテラスの手すりから身を乗り出す小さな身体。
今日の装いは瞳の色と同じ薄い赤紫色に染め上げられたワンピース。髪は下ろして昨日渡した筈のお嬢様の瞳の色のエルバの花が飾られていた。
「お、お嬢様」
「待ってヴェル!ルーナ!ちょっと降りてくるね!」
「お待ちくださいお嬢様!階段で走っては危のうございます!」
パタパタとテラスの階段を駆けてくるお嬢様を追いかけるのは専属メイドのルーナさん。ひいぃいと心の悲鳴が聞こえてきそうな程に彼女の顔は青く染まっていた。
過保護とは思うけれどその気持ちも分かる。最近はゼルダ執事長直々の勉強の毎日で幼いながらも疲労で倒れたのは記憶に新しい。しかも誰に似たのか元々好奇心旺盛で行動力もありお転婆なお姫様は何かしら転んで傷を作るのも頻繁だ。
はらはらと見守っていれば周りの心配など気にせぬ様子で無事に階段を駆け下り庭を突っ切ってくるお嬢様。その様子に驚きながらも流石に棒立ちで迎えるわけにはいかず膝をつき頭を垂れてお嬢様の到着を迎えた。
「ヴェル!」
「おはようございますお嬢様。」
「あ、えっとおはようございます」
軽く上がった息に何か良い事でもあったのか、嬉しそうにきらきらと輝く美しい瞳。知らず知らずその眼に見惚れながらも朝の挨拶を口にすれば慌てた様子で貴族らしくワンピースの裾を持ち礼をするお嬢様。まだまだ幼いがゼルダ執事長直々に教育を行われている所為か流れる動作で優雅にされる礼に人知れず感嘆の息を吐く。やっぱりうちのお嬢様は可愛らしい。
挨拶を忘れていた照れか、はにかむ様子に胸の奥に何かが突き刺さった気がした。
衝動的に頭に伸ばした手。しかし背筋を駆け抜けた悪寒にグッと身体の筋肉が硬直した。
――うん。僕が悪かったからその殺気は仕舞ってほしいな。
お嬢様の背後と部屋の中から向けられる殺気。流石にこの三人を敵に回すのは得策ではないと、愛でたい衝動をなんとか抑えお嬢様へと笑みを向けた。
「あ、あのね!ヴェルありがとう!このお花すっごい嬉しい!!」
興奮しているのか、鼻息荒く語るお嬢様。僅かに赤らめた頬に満面の笑顔。取り敢えずお嬢様の笑顔は凶器だと改めて理解したよ。いやマジでこれはどんな凶器だ、と内心悶える。
もうなんていうかあれだよね。可愛いとしか言えない。ルーナさんの言葉を借りるなら「萌えぇえ!!」だよね!
「喜んでいただけたようで良かったです。」
内心の動揺を抑えつつも、自分で育てた花が喜ばれて僕もついつい満面の笑顔になる。しかもそれがお嬢様の為だけに育てた物となればその努力も報われるってものだ。
故郷では笑顔など浮かべた記憶もないのに、ここに来てからというもの随分と表情筋がいい仕事をしているようだ。
でも今日はそんなものよりももっと胸を張って渡したいものがある。
「今日はお嬢様にお渡ししたい花がございまして」
「花?」
「ええ、これです」
咄嗟に背後に隠していたブーケを改めてお嬢様の眼前に差しだせば、唯でさえ大きく零れそうなほどの瞳がこれでもかと言うほどに見開かれ段々と潤みキラキラ度が増していく。
「こ、これ!」
いいの!?と身を乗り出すお嬢様に頷いてブーケを手渡した。
「る、ルーナ!ルーナこれ見てうさぎさん!」
「ええ、凄く可愛らしいですわ(お嬢様が)」
もはやルーナさんの顔は見られないくらいにデレっデレだった。そういう僕も同じ表情をしているだろうけど。
驚愕に感嘆、いいのかな?と僅かな不安すら滲ませても嬉しさに狂喜乱舞で何かが飛んでる気がする。
ああ、何というか……
うちのお嬢様マジ可愛い。
その場にいるお嬢様以外の人間の心が一つになった瞬間だった。
――これがあるからどんなに手間でもお嬢様の為に花を作るのを止められないんだよね。