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暁の姫君と黄昏の守護者  作者: zzz
【序章】
16/79

Act.15 [約束]

長いです。

 




 眩しい光に恋焦がれて手を伸ばす。


 その穢れて醜い手を、取ってくれたのは……。





 *******************




 それは今やもう、知る者も少ない一人の精霊のお話――。





 その精霊は奇跡ともいえる誕生により、妖精にも精霊にも相容れない存在だった。



 生まれた場所は年中風の吹き荒れる暴風の中。



 ありとあらゆるものを取りこみ、刻み、無に帰す竜巻。その中の無風の揺り籠で彼は生を受けた。


 強大な風のエネルギーを糧とした為に精霊としての力を持ち、永い年月に妖精として意志を持った彼。

 そんな彼は妖精としても、精霊としても中途半端だったが強大な二つの力を持っていた為に皮肉にも王となる資格を得たのだった。



 しかし彼の強大な力は他を傷つける結果しか生まない。それ故に彼は長い、永い時を一人暴風の中で過ごした。

 それは孤独に次ぐ孤独な日々。


 問い掛けに答えの無い空虚な空間。

 やがて彼は精霊としての自分。妖精としての自分を見出した――。



 一つの器に一つの魂。

 しかし分たれてしまったのはその心。



 彼らに名は無い。

 しかしお互いが元は一つの存在として認識しており、彼は自分。自分は彼。とお互いを同一の存在だが別の存在として隔てていた。

 彼らは一人から二人となり。そして相談に相談を重ねやがて一つの覚悟を胸に暴風の揺り籠を飛び出した。



 気まぐれな風が囁いては過ぎ去る日常。彼らは想像していた世界を現実の目で見たいと思い安寧の時を自ら放棄する。彼らは知りたかった。


 自分たちが生きるこの世界の全てを。


 人の営みを、自然の雄大さを、自らの目で見て耳で聞いてそして自分がどう思うのか知りたかった。



 そんなある時、彼らは一人の少年に出会う。少年は珍しく、彼らを“視ること”が出来る稀有な能力を持っていた。

 彼らは喜び、気まぐれに少年と契約を交わす。


 少年は心優しく、妖精に好かれる体質だった。彼の周りにはいつも妖精たちが側に付きあれこれ囁いては楽しそうにしていた。

 だからこそ彼らもその中に加わりたいと願い契約を交わした。


 しかし、予期せぬ事態が起きる。



 心優しかった彼はいつしか手に入れた力により心を闇に囚われてしまったのだ……。


 彼らは知らなかった……少年は人の争いによって両親を奪われた戦争孤児だということを。

 日々の生活に心の奥底で眠っていた少年の負の感情が強大な力を前に目覚めてしまった。そして少年は力に狂い復讐の道を歩んでいく――。



 少年は復讐に一つの国を滅ぼした。

 契約の代償は「優しさ」


 理性無く、狂気のままに暴れた彼はいつしか犯罪者として断罪をその身に受けるしかなかった。



 彼らは少年の変わり果てた姿に涙し、再び孤独な旅路を歩む……。



 しかしそれは以前よりも遥かに悲しく寂しい旅だった。彼らは知ってしまったのだ……人を思いやる“優しい心”を。


 彼らは寂しさに気が狂いそうになった。


 少年から貰った優しい心が、思いやる心が、少年の最後の後悔と悲しさを叫び、罪悪感に心が軋む。“もしも”なんて言っても空しいだけなのに、もしもあの時、ああしていればと心がざわついた。




 ――そんな心を鎮めてくれたのは、一人の少女。


 彼女もまた、稀有な能力を持っていた。

 しかし彼女は悲運な事に眼を患い、真っ暗な光の閉ざされた世界で日々を過ごしていた。そんな眼が見えない代わりに彼女が持つのは特別な耳。



 声無き声を聞き、姿無き存在をその耳で聞き分ける。そんな彼女に彼らは色々な話を語った。

 伊達に長い間、世界中を巡ってきたわけじゃない。彼らは自分達の知っている事を、自分達が見たこの世界の事を彼女に教えた。そして彼女はぽつりと一言。



「世界を見てみたい」



 切実に呟かれた言葉は確かに彼らを動かした。


 純粋なその心に、祈るほど強い気持ちで呟かれたその言葉に彼らは契約を決めたのだった。

 そして彼らは全てを包み隠さず彼女に告げる。

 自分達の正体を、契約の代償を、何を得て何を失うのかを。そして少女は全てを受け入れ彼らと契約を交わし、彼らは少女に光を与えた。


 少女は泣いて喜び、彼らに感謝する。




 ――彼らは嬉しかった。役に立てた事が……。奪うことしか出来なかった自分達が与えることが出来たのが。



 少女の笑顔に彼らは安心する。彼らの力は下手に使えば人を狂わせてしまう。

 だけど少女はただ嬉しそうに笑い、力を望むことは無かった。だからこそ彼らは油断していた。何も狂うには強大な力だけでは無いということを。彼らはまだ知らなかった。


 彼らが少女を喜ばせるために行ったものに、やがて少女は欲を覚えてしまう。


 あれが欲しい。これが欲しい。と少女は彼らに強請(ねだ)り乞う。彼らは言われるがままに、喜ぶ少女を見たいが為に代償と引き換えに彼女に全てを与えてしまった。


 少女から一つ、笑みが無くなった。

 少女から二つ、痛みが無くなった。

 少女から三つ、心が無くなった。



 少女はもう、少女としての命を失ってしまったのである。



 少女の死と共に契約は切れ、皮肉にも彼らは自由となってしまった。


 そして彼らはまた世界を巡る――。




 その中で彼らは様々な人間との出会いと別れを繰り返した。


 ある時は怪我した青年と、またある時は決死の覚悟をした老騎士と、悲運な女を助けた事もあるし、追われて必死な男を手助けした事もある。


 でも、その全ての人間が彼らの力に酔い、狂い、殺戮と欲望をぶちまけた。



 少しずつ彼らの中で闇が溜まる。



 どうして?と問い掛けた言葉は誰の耳にも入らない。

 独りにしないでと泣いた声は誰の耳にも届かない。



 ――そしてとうとう妖精としての自分が闇に堕ちた。




 木々をなぎ倒し、血風を撒き散らせ、全てを吹き飛ばす嵐となって世界を蹂躙する。争いを引き起こし、煽り立て、幾つもの国や町が滅んだ。


 それを悲しいと思う心さえ闇に染まってしまった妖精の彼は愉快だと言わんばかりに嘲笑った。


 そんな片割れの自分を抑えるために精霊としての彼は闇の力を抑える封印として長い眠りにつくことを余儀無くされた。それは再び孤独な時間の始まり……。


 しかし皮肉にも眠りについた彼が闇に染まることは無かった。それは闇に包まれた希望の光。


 ――そうして風の王はやがて【狂気の王】と呼ばれ恐れられる存在へと成り果てる。


 長い長い暗黒の時間が続いていった。


 いつしか人々の中でも争いが始まり、狂気の王は嬉々として戦場を駆け巡る。

 憎悪の感情が戦場を染め上げ、怒りの感情が戦場を支配した。

 悲しみに世界は包まれ……世界は均衡を崩し、崩壊の途に天秤が傾いた――その時。



 出会ったのは一組の男女。



 女がもたらしたのは、いつしか忘れてしまった思いやる心。

 それは明星の如き輝きを纏い、彼らの心に光を射し入れ導いた。眠る彼を揺り起こす暁。砕けた心を、粉々に散った欠片を、大事に大切に拾い繋ぎ合わせ紡いだのは朝焼けの唄。


 男はそんな女を守り、彼らと誠実に向き合った。その悲しみも苦しさも、同情する訳でもなくただただ真摯に向き合ってくれた。それはまるで唯一無二の“友”のように……。




 それからどれくらいの時間が経ったのか、気付けば彼らはいつもの彼らに戻っていた。



 女は【暁の神子】と名乗り、男はヴァンの名を口にした。


 そうして彼らはもう、誰とも契約しない事を決め再び世界を回りだす。




 彼らは人間が好きだった。あんなに自分勝手で欲望に忠実で闇を生む元凶だけどその優しさを、その愛おしさを知ってしまえば憎む事など出来やしなかった。




 そして時代は一つの変動の時を迎えた。しかし彼らは変わらず世界を巡る――。




 そうして見つけたのは小さく光り輝く灯り。


 女神の気配を纏って現れた彼らにとっての太陽そのもの。



『初めまして。お姫様』



 それはいつもの気まぐれだった。その眼に宿る光があの暁の神子に似てたから、なんて言い訳をして声を掛けてしまった。

 いつか自分の存在を知ってしまえば彼女も他の人間と一緒だろうと高を括っていたけれど、彼女は予想外の塊だった。



≪感激!!ファンタジー万歳!≫


 まだ生まれて間もない赤子が心の中で叫ぶのを聞いた。

 感動に打ち震える心と期待の心がびしばし感じる。


≪ちょっ誰かカメラ!カメラ頂戴!妖精さんを激写したいっ≫



 バタバタと手足を動かし暴れる赤ん坊。しかしその眼は初めての好奇心で一杯だった。

 それがルイとの初めての出会い。


 そしてこの時から彼ら風の精霊王は【翡翠】となった。




 ◇




 ぱちり、そんな擬音が鳴るほどに私は目を覚ましました。



 あれ?私……。



 ゆっくりと消えていく祝福の光。それに合わせて私の意識もはっきりとしてきます。蠢く闇は全て浄化し、あるのは静かな暗闇だけです。

 本来暗闇はよき隣人であり、夜の支配者。畏怖と畏敬を抱くべき存在。それが狂ってしまったのはいつからなのでしょう。狂い歪んだ闇に人は過剰な恐怖を向け、闇は害を及ぼすものとなりました。




『ルイ』


「翡翠さ――」



 ふわり、身体に掛かる重さと暖かさに自分が抱き締められたのを理解します。

 けれど振り返って見た先。そこにはボロボロの翡翠さんの姿が!



「ひ、翡翠さん!」


『うん』


 声が裏返ってしまいましたが、それよりも翡翠さんは穏やかな表情で私を抱き締めたまま頷きます。


 ぱきんっと甲高い音を立てて翡翠さんの身体が崩れていきます。じくじくとその傷跡を覆うのは暗黒の闇。


 そんな!だって闇は全て浄化したはずじゃ……。


 なんで、どうしてと答えの無い問い掛けに愕然として翡翠さんを見上げます。



『ルイ――ありがとう。』


「!」



 私の心を知ってか翡翠さんは楽しそうに笑いながら感謝の言葉を口にしました。嗚呼――嫌、嫌です!なんで、なんで、そんな目で見てくるんですか!!



「翡翠さん!しっかり!」



 情けなく震えます。不安が膨らみ、警鐘が鳴り響きます。



 ――嫌だ。嫌だ。嫌だ!!なんでそんな何もかも受けれた眼をしているんですか!なんでそんな優しい表情をしてるんですか!?

 やめてください。これから疲れたと愚痴を言い合って家に帰るんですから!今日は誕生日なのにツいてないって嘆いて笑って、夜は二人だけで誕生日会をしようと言ってましたよね?破るんですか?許さないですよ!



『ルイ』


「は、はい」


 ぐっと近付いた距離。額を合わせて目を合わせます。

 ――嗚呼、嫌でも分かります。その瞳に宿る真っ黒な暗闇が。蠢く闇が。



『僕はキミが大好きだよ』


「私もです!」


『ありがとう……。だからこそ、もう僕はここにはいられない』


「な、なんで……」


『キミなら分かるだろう?』



 僕を蝕む闇が。



 ええ、分かります。分かってしまいます。女神からの祝福は闇に反応する力です。この眼はその為に(もたら)された物です。だから分かります。……翡翠さんがこのままでは闇に堕ちてしまうのを。



 翡翠さんに宿ってしまった闇は翡翠さんの身体を蝕み、乗っ取ろうと内から食い破かんばかりに侵食していきます。


 闇の攻撃は基本的に精神的な物が大半です。元々負の感情が影響している所為か、攻撃を受けてしまえば怒りや悲しみが増幅し気が狂うのが普通です。しかし精神ではなく、肉体が攻撃を受けてしまったら……身体が闇に染まってしまったら、それは闇の操り人形と化します。

 狂気のままに暴れ、殺戮と厄災を振り撒く人形へと。


 助かる(すべ)は……今のところ皆無です。喉から悲鳴のような声が上がります。頭では分かっているんです。でも分かりたくはないんです!



『もうすぐ水の精霊王が来るだろう。彼女にとどめを』


「――ダメです!そんなの許しません!」



 そんなの許せるはずがありません!翡翠さんは生きるんです!私と共に!



『――そうだね』


 にこり、嬉しそうな翡翠さんの笑顔。でもその眼からは一筋の滴がこぼれ落ちます。



 なんで、なんで、と理不尽な現状に駄々を捏ねます。嫌だ!と声高だかに叫びます。



『どうか、キミの幸せを祈ってるよ』


「翡翠さん!!」



 一歩、翡翠さんが私から離れていきます。伸ばした手は空を切り、先程まであった温もりが空気に融けて消えていきます。



「翡翠――」


『後はたのむよ』



 その言葉は私の後ろに向けて。

 そこにはいつの間にか父さまと水の精霊王さまがいました。



「父さま……?」


「ルシィ、下がってろ」


『貴女は見ない方が良いわ』



 父さまと水の精霊王さまの声が聞こえます。でもその言葉は私を安心させるものではなく、見なくて良いと。残酷なまでの通告でした。




「や、やだ!待って父さまっ!助けて!!まだ何か手が……」



 あるはずだ。と叫ぶ声も父さまは悲しそうな表情で私を見つめ首を横に振ります。一縷の希望に水の精霊王さまを見ても目を伏せて否定されました。


 そんな……。




『もう手遅れなの。諦めなさいルイシエラ……彼の魂が傷つき始めている』


『やぁ水の王……悪いけど……』


『分かってるわ』



 なんでそんな事言うんですか!?翡翠さんはまだ生きているんです!まだここに!

 翡翠さんは全部を受け止めているように水の精霊王に頼みます。

 そんなっ!なにか、なにかまだ方法がある筈です!翡翠さんが助かる方法が!




 そう喚いて父さまに訴えても誰もが首を横に振りました。翡翠さんの身体はどんどん闇に蝕まれ、端からぐずぐずと崩れていきます。ぱきんっと鳴る音と共に身体に刻まれる罅。皮膚の下から這い上がる黒い斑点。


 もう残された時間は僅か――






「や、やだ翡翠さん!やだ!」


「ルイシエラ」


「ずっと!ずっと一緒だって約束したのに!ずっと傍にって!誓ったのに!!」



 武器を片手に私を通り越していく父さまに縋り付きます。


 何を、何をするんですか!?翡翠さんはまだ生きているんです!まだ、まだ闇なんかに負けてないんです!!



 往生際悪く邪魔をします。しかし、大人と子供の力の差は歴然としていて、簡単にいなされ、いつの間にか私は地面に横たわっていました。



『ルイシエラ……そこで大人しくしていなさい』


「すまん」



 ギュルッと身体に巻き付いたのは水の糸。月明かりに歪んだ景色を映す半透明の細い紐は私の身体を地面に縫い付けます。

 父さまの武器である大剣が水の精霊王さまの力によって聖水を纏い煌めきました。


 そんな自分を殺す武器を見ても翡翠さんは笑うだけ。寧ろ有り難いと言わんばかりに笑みを深め腕を広げます。全てを受け入れるかのように。その理不尽な最後を。今までの生と死を享受するかのように。


 それを見て心の底から叫びました。




 ――誰か、誰か助けて!!翡翠さんを!




 慟哭の如く上げた声。溢れ落ちた涙が頬を濡らします。



 ……本当は分かっています。分かりたくなくても、分かっているんです!!

 翡翠さんが助からないことも。このまま悪戯に時間を掛けてしまえば翡翠さんの心は闇に喰らいつくされてしまうのを。闇に喰われてしまえば翡翠さんは“狂気の王”と呼ばれた時より遥かに最悪の結果しか無いことも。でも、でも!



 お願い……誰か…!



 ――その時、キラリと反射した光に眼を奪われました。


 目の端で煌めいたのは砕けた形のガラスの破片。それを見た瞬間――全ての景色が塗り潰され視界は真っ白に染まりました。





 ――そこは真っ白な景色。


 何もない空間で色という色がない世界。そんな場所に私はいました。

 ふと気付けば目の前にぽつんと鎮座するのは一冊の古ぼけた本。


 所々表紙が剥げてたり、色褪せていたりと時間の経過を感じる革表紙に見たことの無い言葉で書かれた題名。中央には三柱神の紋章。


 まるで辞書みたいに分厚いその本はゆっくりと表紙が開かれ、一枚一枚 (ページ)が捲られていきます。まるで見えない手が捲っているかのように明確な意思で開かれていく本。


 不思議な文字が文面を彩り、読めないはずのその文字は精霊や妖精について書かれているのが理解出来ました。

 文字自体が脳内に翻訳された形で文章として思い浮かぶ不思議。でも私は何の疑問も浮かべずに時間も忘れて見入ります。


 ふと目に止まった一つの単語。優美な曲線で画かれた文字は“誓約の契約”と読めました。


 ――契約……そうです。私は翡翠さんと契約を交わしました。翡翠さんの魂そのものを懸けて、翡翠さんが翡翠さんたる証を懸けて。

 でも、その証はどこに?


 あの時、翡翠さんが私と契約を交わした時。紋章が光ってどうなった?

 契約を交わしたのならばお互いにその印が身体のどこかに刻まれる筈です。今までは言われるままに契約の事を信じていましたが、私が持つ印は祝福の紋章のみしか見当たりません。

 しかし翡翠さんにはきちんと契約印は刻まれています。ならば私は?

 父さまと水の精霊王さまにだってお互い契約印があります。


 あの時、あの時――私は――?



「え?」



 見下ろした右手に絡む小さな白い手。


 温度も無い無機質な手は私の指と指を絡め繋ぎ合わせます。


 ハッと顔を上げればそこには小さな影が一つ。まるで鏡合わせのように私と瓜二つの白い影はどこか笑ったような気がしました。

 どくん、どくんと心臓が騒ぐのを耳裏で聞きます。そんな鼓動に合わせて感情が急速に静まっていく感覚。



 “―――…――”


 弧を描くその唇。真っ白な顔に表情が見えませんが、確かにその口は何かを呟き微笑みを浮かべました。



「あなたは……」


 “――大丈夫…”



 信じて。と紡がれる言葉に一際大きく鼓動が脈打ちました。





『――ルイ止めろ!!』



 翡翠さんの制止の声が聞こえます。

 ハッと気づけばいつの間にか目の前の景色は掻き消え、私のその手には鋭いガラスの破片が。私は考えるより早く右手へとその破片を突き刺しました。



「っ!」


「ルシィ!?」


 溢れ出る鮮血。溢れ落ちる赤い滴。



 余りの痛さについ顔が歪みます。

 でもこれが“正解”のはずです!



『ルイ!なんて馬鹿な事を!』



 翡翠さんが砕ける自分の体も省みずに私に駆け寄ってくるのが見えます。

 真っ白な肌を蒼白く染めて心配そうな表情を浮かべる翡翠さん。でも私としては翡翠さんこそバカだと思います!

 勝手に約束は破るし、自己完結して世界にさよならし始めちゃうし、こっちは納得なんてしてないのに!私の傍にずっといると言ったのは翡翠さんなのに!



『ルイ――』


「【契約に従い、我に従え風の精霊王――】」



 ならば私だって自分勝手にバカをしてやろうじゃありませんか!!翡翠さんの事なんて知るか!ですよ。勝手にお別れをしようなんて、そんな事させませんからね!


 そして紡いでみせようではないですか!未来への一筋を――



 父さまも水の精霊王さまも驚きに動きを止めているのが見えます。それを幸いに私は唇に乗せます。頭の中に思い浮かぶ言葉を。未来への祝福の宣誓を。



「【我が《(るい)》の名の(もと)に生と死を司る時を越え、深き眠りにより癒しを与え、再びその命。我に(もたら)せ!不滅なる存在よ!】」



 それは今の私では不思議な言葉。でも前世ではとても馴染み深い言葉です。

 世界でも珍しくひらがな片仮名漢字の三種類の文字を使い作られる言語。


 一言、一文字、一音、その全てに魔力が込められ、力が宿り、それは“言霊(コトダマ)”と成ります。


 それは古の魔術師のみが許された神の力の一端。ここで紡ぐのは言霊が宿りし呪文。世界を動かす(ことば)です!



「【汝の名は≪翡翠(ひすい)≫――その名の通り再生と浄化を今ここに示し――】」



 血溜まりに手をついて叫びます。


 ポゥ――光を宿す祝福の紋章。

 ゆらり、ゆらりと陽炎のごとく立ち上るのは私の魔力の残滓です。

 私の血液は魔封病の所為で超高純度の魔力を秘めており、この血自体が魔術を行使する触媒でもあります。その血液を大量に使って行うのは――



「【不変なる誓約と契約を(あらわ)せ!】」



 血溜まりが光を帯びていきます。初めて扱う魔術ですが、どうやら成功したようで優しい光は翡翠さんを、私を照らして輝きます。




『ルイ、君は……』


「――約束した!ずっと一緒だって!勝手に破るなんて許さないんだから!私は……私だって翡翠さんとずっと一緒にいたいんだ!」



 誰がなんと言おうと、私が望むんだ!!風の精霊王でもなく、狂気の王でもなく“翡翠”と共にいることを!!


 だからこそ死なせやしないんだから!無理矢理にでも生きてもらうんだから!それがこれからの別れを示そうが、共に在れる未来のためならばどんな手段でも使ってみせましょう!

 この出来事はもしかしたら未来に悪い影響を与えるかもしれません。でも、それでも私は翡翠さんと離れたくはないんです!!

 これから翡翠さんは長い眠りにつくでしょう……死なない代わりに私の力で無理矢理眠らせて闇を浄化するのですから。だから――。



「だから約束を……絶対に絶対に戻ってきて!ずっと待ってるから翡翠さんが目覚めるのを。それまでずっとずっと!」


『ルイっ!』



 ぱきんと砕けたのは翡翠さんの頬。でもその頬を濡らす雫が私に降りかかります。ぎゅうと片手の無い状態で強く抱き締められます。でも私だって負けずに翡翠さんに抱き付きます。



『ルイありがとうっ!こんな僕たちを――俺たちを――受け入れてくれて』


「う゛ん」


『絶対に戻ってくるから!ルイの傍に!そこが――僕の――俺の――居場所だ』



 約束だと額に落とされる口付け。軽い音を立てて離れる温もり。もう涙腺なんて決壊して涙は止まることをしりません。

 二重奏となり聴こえる声は精霊としての翡翠さんと妖精としての翡翠さんの声。

 ちなみに荒い口調が妖精の彼の声です。


 パキパキと罅が入っていく翡翠さんの身体。でも砕けた先から光の粒子に成って散っていくのを見て不安にもっと強く、強く抱き付きます。



『離れてても絶対に守るから、だから改めて誓わせてくれ――傍にいることを』


「はい゛」



 今の私の顔は結構な不細工顔でしょう。涙を堪えようと額には皺が寄り、鼻水を止めようとずびずび鼻を鳴らします。フッと笑う翡翠さんの気配に顔を上げれば柔らかい微笑みを浮かべる翡翠さん。

 その翡翠の如く鮮やかな翠の瞳に引き込まれます。元はと言えばこの瞳から私は彼を【翡翠】と呼び始めました。

 翠は豊かな色。芽吹きを表す色です。どうか彼にも新しい生命がありますように。



「約束です!」


『ああ、約束だ……俺の―僕の――お姫様』



 差し出した小さな小指に大きな小指を絡め、繋ぐのは未来への約束。

 お互いが交わす不変の誓い。



 ふわり、翡翠はルイを離し一歩退いた。

 礼拝堂を吹き抜けたのは優しい一陣の風。


 どうか、どうかこの別れが悲しみだけではない事を祈って翡翠が最後の力を振り絞り巻き起こした風だった。



『この別れは最後じゃない……だから』


「うん――また、ね?」


『あぁ!またな、ルイ――』


「うん!待ってるからずっとずっと!」


『――ありがとう』




 仄かな熱をその瞳に宿して穏やかに浮かべた笑顔。狂気の王とまで呼ばれ、闇に一度は染まったその王は本来の優しい笑みを浮かべてその身体を散らしていった。



 『《――我らが愛しき姫よ。再び会える日を楽しみに今はまだ深い眠りにつこう》』




 幾重にも重なり輪唱して礼拝堂に響く声。それが彼の……彼らの最後の言葉だった……。


 ザァ―― 一瞬の内に身体の全てを光る粒に換えて翡翠は眠りにつく。ルイは瞬きすらせずに見送った。彼の姿を、眼を瞑ることなく、眼を逸らすことなく、全てを受け入れて見届ける。


 そして目の前を舞い散る光る粒子。翡翠の身体を形作っていた彼の魔力は吸い込まれるかのようにルイが作った血溜まりへと降り積もった。



「【翡翠】」



 それを見てルイは一言。彼の名を呼ぶ。


 するとどうだろう、まるで呼応するかのように光を灯し始める血溜まり。どくんっと脈打ったのは血液自体かそれ以外のものか。

 意思を持つかのようにギュルッと一点に集まり塊として現れたのは一粒の(ぎょく)

 血溜まりは跡形もなくなり、代わりにルイの手のひらには黒曜石のような漆黒の大粒が乗っていた。



 余りの出来事に水の精霊王とガウディは言葉なく立ち尽くしていた。

 しかしこれで最悪の自体が回避されたのが解った。


『本当に馬鹿、ね』


 水の精霊王アクヴァは同じ精霊王を思い浮かべ呟く。愚かな王だった。人に裏切られ、利用され、見放せば良いものを背負い込んで、罪を重ねて、それでも小さな命を大事に思う愚かなほどにお人好しな王だった。

 彼女は知っていた。水の精霊王として産まれてから、一番始めに学んだ教訓だったから。“あの王のようになるな”と教え込まれた過去だったから。狂った理由も闇に染まった理由も彼女は知っていた。だからこそ彼女は呟いた。馬鹿だと。

 もっと方法を考えれば、こんな事にはならなかったのに。と尽きぬ後悔に自嘲するいったい“馬鹿”はどちらなのか。答えはもう返ってこない。







「ひくっうっ」


 ルイは手のひらに作り上げられた玉を胸に抱いて泣く。その玉に封じられてしまった一人の精霊王を想いその過去と抗えなかった未来にルイは悔しかった。

 この方法しか無かったがそれでも……まだ他に良い方法があったかもしれないのに、と。




 しかし――ぽとりとその手に触れた一欠片の花弁。


 ルイはそれに促されるように天井を見上げた。そこには。



「っ!うっうわあぁぁぁあああああん!!!!」



 そこには天井を埋めつかさんばかりの色とりどりの花、花、花。それは翡翠と共に登った丘に咲くエルバの華だった。

 見るたびに思い出す楽しい思い出の数々。


 それは一枚一枚、優しくルイへと降り積もった。

 翡翠がなけなしの力で巻き起こした風はこの華を運ぶためだけに作られたものだった。


 赤、青、黄色、橙色など見たことの無い色さえも舞い散る天井にルイは哭く。




「ああぁぁぁあああ!!!」



 ――翡翠に華の冠を作ったこともあった。護衛の二人を巻き込んで昼飯を食べたこともあった。お互いがお互いに似合う華を探して帰りが遅くなってゼルダに叱られたこともあった。初めて会ったとき……翡翠から贈られた友好の証がこの華だった。この華と共に翡翠がいた。ずっと、ずっと、産まれた時から翡翠がいてくれた。だから寂しくなかった。悲しくなかった。前世を思い出して悲しむ暇もないほど翡翠が色々な話を聴かせてくれた。


 でも、もういない――。



 翡翠はもういないのだ。闇を浄化するために深い眠りについた翡翠はいつ起きるかも分からない。それに加え傷付き過ぎた魂を治療するためにも長い時間を要するだろう……。ルイがそうだったように。



「あぁああ!!」



 出し尽くしたと思った涙がどんどん溢れてくる。叫んだ声は慟哭となり、礼拝堂に響いた。



 そうして翡翠は、狂気の王と呼ばれたたった一人の精霊王は深い、深い眠りについたのだった……。






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