Act.10 幕間[暗闇からの視線]
きらきらと光る破片を内包し輝く瞳。
全てを見透かす知的な色を宿した瞳。
少しだけ泣きそうに潤んだ瞳。
さまざまな色を映してはころころと色を変えるその瞳に、眼を奪われ離せない。
それに自分を映して欲しいと望み始めたのはいつからだったか、今はもう忘れるほどに前から……。
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パタンと部屋の扉が閉まり室内は誰もいなくなった。
いつの間にか部屋の主人である少女が持っていた詩編集は片付けられ、整理整頓された部屋は一時の静寂に包まれる。
「……どうする?」
そんな静かな空気を割くのは部屋の天井からもたらされた一つの問い掛けだった。
天井裏には一人の男。そしてその呟きは窓に隠れる人物へと向けられていた。
「どうするもこうするもありゃ後で怒られるぞ」
「だよなぁ」
ポリポリと頭を掻いたのは天井裏の人間。それは執事長ゼルダからの叱責を指しており、先程の動揺に物音を立ててしまった事を責められる未来が簡単に思い浮かんだ。
「でも、お前もお嬢様の近くで気緩めるなよなぁ」
「仕方ないだろ。昨日遅かったんだよ」
「だからってお嬢様に気付かれてたんじゃ元も子もねぇだろよぉ」
「悪かったな」
対して窓の方の人物はつい良い陽気に疲れを滲ませてしまった事を後悔していた。お陰で護衛対象の少女に気付かれてしまう始末。
彼らはアウスヴァン家の暗部を司る組織の人間だった。
主に暗殺や情報収集、こうして影での護衛など仕事は多岐に渡るがその存在は秘匿され、暗黙のルールとして第一に「気付かれてはいけない」とされている。
今やアウスヴァン公爵家の一粒種、ルイシエラ姫は国や周辺諸国にとっても注目の的である。
元々、その特殊な経歴から話題が絶えないアウスヴァン公爵家だが現在当主のガウディは英雄と謳われ、火よりも強力な焔の使い手として周辺諸国には恐れられており、その妻スーウェは魔術大国【タナシュト公国】の元魔術師団長をも務めた魔女。しかも今や失われた【精霊術師】としての知識を持つ人間。
そんな二人の子供として注目されるのは当然だが、生まれてみれば予想を遥かに超えた結果。
女神ルーナの祝福持ちで精霊を視れる魔眼の持ち主。しかも風の精霊王と契約も交わしてしまった。「反則だろ」と呟いたのは誰だったか。
しかも魔封病を発症していながらも死ぬ事無く、その影響はメリットの方が遥かに多い。
まだお披露目の儀式をせずに内輪だけでの情報管理を徹底しているがそれでも感付く有象無象はいる。
お陰で情報収集に潜り込んでくる間者やら殺しに来る暗殺者やら千客万来である。
今はまだ諜報の間者が多いが、昨夜は暗殺を二件片付け間者を5人お帰りいただいたのである。こう毎日何かしら来ると幾ら鍛えられているとはいえ疲れも溜まる一方である。
しかも最近は殺すより利用に切り替えた者も多く、誘拐や人質などの脅迫の方も気を配らなければならない。
まぁ気持ちも分からない訳ではない。と天井裏の人間は思った。
魔力の多さと質の高さを表す深紅の髪に薄い赤紫の瞳。
猫のようなつり目は第一印象が生意気そうできつめに見えてしまうが、笑った時の顔の可愛らしさは子猫の様に愛らしい。
風の精霊王もよく少女を「子猫」呼ばわりするのも頷ける。
ころころと変わる表情は見ていて飽きないし、何よりその瞳は全てを見通すかのように澄んで煌めく。
性格は真面目で丁寧。しかし頑固な一面もあり先ほどの様にお礼を口にしたりする時は仮令あのゼルダ執事長に幾ら言われても直すつもりは無いらしい。
小さいながらも公私は理解しているらしく、きちんと使い分けしているためにゼルダ執事長も最近は諦めモードに入っていた。
まだたった2歳にも関わらず、早熟で頭の良いお姫様。
大人顔負けの聡明さに口さがない連中は気味が悪いと言った。(もちろん全てゼルダ執事長による事情聴取の上に解雇済み)
だけど……殺すには惜しい。そう思い始めている奴等がいるのだ。
「なぁ」
「ん?」
「お前はお嬢様の事どう思う?」
「どうしたんだ突然」
「ちょっとなぁ」
窓辺に隠れる仲間に問いかければ訝しげな声。
その声はきちんと聞こえるが、その目は中庭に向けられている事が容易に想像つく。
天才、なんて言葉では片付かない何かを彼女は持っている。
大人顔負けに思考し意見を口にする彼女を見て化け物と揶揄する奴さえいるけれど、祝福があるからとかではなく、彼女を彼女たらしめるのは一体何なのだろうか……。そう思いながらも不意に思った疑問が口を突いて飛び出す。
すると。
「……別に、お姫さんはお姫さんだろ」
「そうかぁ?」
「そういうお前はどうなんだ?」
「オレ?」
まさかの質問返しに目を丸くする。
いつもは気の無い返事ではぐらかして会話が途切れるのが普通なのに、きちんと会話をしている事実に少しだけ驚きを露にしてしまった。
「うーん、オレは……内緒かなぁ」
「おい」
ふざけんな。と言われるが思ったことを素直に口にするのを憚られてそのままはぐらかす。
その目を中庭に向けて、太陽の光を浴びてキラキラと輝く一人の小さな少女を見つめる。勉強からの解放感からか年相応の無邪気な笑顔で中庭を駆ける少女。
窓枠から覗くその光景は人の心を穏やかにするものだった。
――嗚呼、どうしてだろう。
ただの護衛対象としてだけで見ていた筈が彼女の行動に一喜一憂してしまう自分が居る。
彼女が笑えばどこか穏やかな気持ちになるし、彼女が悲しめば胸を突く痛さに顔を顰める様になってしまったのは……。いつからだろう?
ずっとこの世界で生きてきた。
利用し利用されるそんな弱肉強食な世界で薄汚れて泥水を啜り、形振り構わず死に物狂いで生きていた。惨めな思いで歯を食いしばり、悔しさに呻いては涙を零す。そんな毎日だった。
不幸で幸運な機会にこの組織に拾われたが、それでも毎日変わる事のない日々。薄暗い日々。
でも……そんな白黒の世界に色が付き始めたのは一体いつからなのだろう。
彼女が笑うと、それがどんな場所でも陽だまりの様な明るさに世界は色づく。
たぶんずっと一緒に育ってきた仲間も同じ思いを抱いているだろう。彼女の話題には乗ってくる位には彼女に少なからず好意と興味を抱いていると判る。
暗闇のもっと深い闇で生きてきた自分たち。
だからこそ彼女の明るさは篝火に飛び込む虫のようにどうしようもなく惹き付けられるのだ。
その純粋で透き通った綺麗な瞳に映りたいと、闇に生きるべき自分が彼女の隣に立ちたいと願ってしまう……。
彼女を神童とか持て囃す奴がいるが、そんな奴等に彼女をもっとよく見ろと言ってやりたい。
彼女はただ精一杯自分が出来ることを頑張っているだけだ。必死に勉強し、必死に生きたいと抗っているだけ。
なまじ人の生き死にに関わっているからこそ判る感覚。
自分達も経験があるからこそ判るその気持ち。
どんな事があろうとも生きてみせるという覚悟。
何が何でも生きてやるという決意。
そんな感情が彼女をより美しく、光り輝かせる。
闇を裂く暁の如く光り輝き、朝焼けのような儚さを纏って、純粋で壮絶なまでの覚悟。
――嗚呼、だからこそ汚れたこんな自分を受け入れてほしいと、いつか捨てた筈の小さな心が叫ぶのだ。
僅かに滲ませてしまった気配。
思考の渦から引き上げたのは仲間の言葉だった。
「……まぁあのお姫さんなら良いんじゃね?」
「な、何がだ?」
心を読まれたと思い動揺してしまった。
隠密失格である。
しかし相棒とも呼べる仲間はそれすら無視し、続ける。
「あのお姫さんなら誓ってもいいぜ」
「……だよなぁ」
くすりと笑った相棒に驚きを隠せなかったが、その言葉に安心してつい頷く。
それは忠誠を、剣を捧げ共に生きる誓いを表す。
今でこそアウスヴァン家にお世話になっているが、あくまでそれは雇われているだけ。恩返しの意味もある。
でも彼女ならば損得を関係なしに降って良いと相棒は言った。
なんたってあの暴虐の限りを尽くした暴風の王でさえ膝を折り忠誠を誓われたお姫様。
契約者を悉く狂気の渦に落としては壊し、国を滅ぼしては世界に闇と争いを生んだ精霊の王。
そんな精霊王に膝を折らせ頭を垂らせ、契約も対等で無く精霊王が全てをお姫様に委ねる形の契約。
一方的な物だが、その契約の本質を知る者にとっては驚愕の一言に尽きる。
それは魂も、自らの存在も全てがお姫様の意のままに委ねられた契約。生殺与奪の権利をお姫様に預けた契約。
最初こそはそんな精霊王の契約に戸惑いを隠せなかったみたいだが、事情を知り過去を知ってもなお、お姫様は「ずっと一緒」と口にしたのだ。
その契約の重さを理解し、背負う覚悟を決めて彼女は受け入れた。
狂気の王と恐れられる存在を。
それを見てしまえば、より強く思ってしまう……。
膝を突き、頭を垂れて忠誠を。
傍に侍る権利を乞い願う。
俺も。仲間も。
「小さいのになぁ」
「人の器に小さいも大きいもねぇだろ」
つい零した言葉に間髪入れず返ってくる言葉。
そういうものか?つい相棒の言葉に首を傾げた。だけどどこか納得できる言葉。
「お嬢様。俺たちの事、受け入れてくれるかねェ」
不意に呟く言葉は願望。どうか、受け入れてくれと。
あの精霊の王のように……。
「……もうとっくに受け入れてるだろうが」
ふと中庭に目をやれば、なんと良いタイミングでこっちを見るお姫様。その笑みは確実にこちらを見ていて笑っていた。ついでに小さく手を振る姿。
嗚呼、本当に――…
「敵わないねぇ」
「敵う気もしねぇな」
感慨深く言いながら思いっきり踏み付けるとぐぇと呻く足元の物体。
「取り敢えずこいつ処理してくるわー」
「おう」
仲間に声を掛けて天井裏を移動する。ずるずると引き摺るのは重いモノ。
ばたばたと手足をバタつかせ抵抗を示すがこんなの痛くも痒くもない。赤子の手を捻るより簡単だ。と思いながら赤子の言葉に思い浮かんだそれは朝焼けと暁を連想させるお姫様。
確かまだ2歳。でももう2歳。ずっと見てきた。その成長を。
たった2年と言うか、まだ2年と考えるか。でももっと長い時を彼女と共に過ごせる日々に思いを馳せる。
それは暗闇に生きる人間たちの日常の一こまだった。