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暁の姫君と黄昏の守護者  作者: zzz
【序章】
1/79

Prolog [始まりと終わりの時]

 


 暗闇を切り裂き辺りを照らす。


 闇に染まった世界に終わりの時を刻む紅き灯火。


 それは朝を知らせる暁の光。



 ――さぁ、夜明けを照らし闇の終わりを告げよう——。





 *********************









 ピッ ピッ ピッ



 規則正しいアラーム音。


 私の残りの命を刻む音はリズムとなり、命の証を奏でていた。



 ピッ ピッ ピッ



 しんっとした室内に拍動の電子音とずびっだのずずっとした汚い音が混ざる。



 (もう、汚いなぁ)



 鼻水くらいキチンとかんでこい。と一言言いたいがまぁ仕方無いかとひとりごちた。

 呆れも滲む思いに薄く開いた目を動かし周囲を見回す。



 真っ白な壁に大きな窓が一つ。染み一つ無い真っ白なシーツに消毒液の匂いが漂う室内。部屋の隅には備え付けの小さなテレビが鎮座している。枕元のベッドテーブルにはお気に入りのぬいぐるみ。そのすぐ側には私が大好きなゲームのソフトがあった。



 ――そーいえば、随分と駄々をこねて買ってもらったやつだったなぁ。



 ふふっとついその時の事を思い出して声無く口端を上げて笑った。初めてと言っていいほど最初で最後、母との親子喧嘩をしたのは良い思い出である。




「ぅう……な、んで!ずずっ」




 ベッドのすぐ側から泣き声混じりに嘆く声。


 お母さんの悲痛な声にもう痛みすら感じないはずなのに左胸の奥からずきりとした痛みを覚えた気がした。けれど段々と霧掛かる思考にそれさえすぐさま頭から消えてしまう。



 身体から伸びる無数の透明な管と口元には呼吸を助けるマスク。自分が横になるベッドを囲む幾つかの機械がまだ私が生きているのを周りの人に教えていた。

 力の入らない身体は薬のお陰で今もこの身を苛んでいるであろう痛みを感じること無く、ぼんやりと思考が霞がかる。



 徐々に力が抜けていく……。


 ピッピッと機械の音が鳴る度に自分が死に一歩一歩近付いていくのが判る。





 (いやー。陳腐な言葉だけど良い人生だったなぁ)




 外の社会というものを余り経験した事は無いけれど、この今いる病院という名の小さな世界でも様々な経験は出来たと我ながら思う。この病院という場所は特に人の生死が、人生が、一番知れる場所だと思うから。


 まぁ子供ながら人生経験豊富なご年配の方々のお陰で耳年増で達観した考え方になったりして両親にとっては扱いづらい子供だったろう。それはさておき、取り敢えずまだ私の命も多少の余裕はあるらしい。お別れに集まってくれた家族と友達を眺めながら(喋れないので)少しの間私の独白に付き合ってもらおう。




 ……今、面倒臭い。とかさっさと進めろよ。とかさっさと死ねば。とか思った奴。ちょっと病院の裏庭に来い。マジで人生の最期位語らせろ。頼むから。






 ――「私」は元々、生まれて直ぐに余命の宣告を受けるほどの未熟児でこの世に生を受けた。10歳まで生ければ良い方だと医者に言われる程に私の命は弱かった。

 それでも両親は「私」を受け入れてくれた。そしていざ産まれればそれはとてもとても身体が小さく。大人の手のひらに乗るサイズの――いや、話盛ってないからね!!マジ話ですから!

 まぁ、そんな小さな子供は生きてるのすら奇跡だと医者に言われた。もちろんその為に余命すら宣告され、私は産まれてからずっと病院で育った。


 幸いというか幸運だったのは私の両親はそれなりの良家、というかぶっちゃけどちらも高給取りでお金の心配が無かった事である。

 やはり病院で一室。しかも個室といえばそれなりに金が掛かるしね。治療費だってばかにならない。


 両親は私が病弱で、しかも命すら期限があるのに十分過ぎる程愛してくれた。それが判るくらいには幸せだったし、私自身両親を愛している。

 そして私には弟が1人いる。もう可愛くて可愛くて仕方がない私の大事な弟。


 ちなみに今、私の右手を掴んで涙や鼻水といった液体で手を汚してくれちゃっている青年がそうである。


 正直、本当に汚いんで止めて欲しいんだけどなー。




「っ、ねぇ……ちゃんっ」



 今時珍しい真っ黒な髪に漆黒の瞳を潤ませるイケメンな青年。女子からはモテモテな弟は私の自慢だ。

 しかしここ何日か泊まり込みで私の側にいた所為で隈が濃く、最近生え始めた無精髭がちらほらと目立ち折角のイケメンが残念な感じになっている。


 むぅ…折角、両親の良い所取りした顔は整っており、キリッと賢そうな双眸に男のくせして睫毛も長くばっさばさで背も父譲りの180センチ以上の長身で、かといって細すぎず太すぎないキチンと均整の取れた筋肉がつくまぁ所謂モデル体型って奴だ。

 しかも一時期は本当にモデルもしていて中高生の女子には人気絶頂のモデルだったが……私のせいで辞めてしまった……。

 

 それだけが、私の最後の心残りでもある。



 別に仕事だし、見舞いなんてそう頻繁にあっても嬉しくない。と言ったのにも関わらず、辞めた理由が私の見舞いに行けないから。って子供か!?と突っ込んだ私に非はない。無いったら無いんだ!


 毎日だった見舞いが2日に一回になり、4日に一回、1週間にとなった時に私ではなく弟がギブアップした形で仕事を辞めやがったのである。ちなみに私は1ヶ月に一度くらいの頻度が好ましいと再三言ったにも関わらず、だ。


 別に弟に好かれている事はとても嬉しい。私だって弟は大好きで胸を張ってブラコンだと言える。まぁ弟もシスコンと自分で言っているが。


 まぁ自分で言ってなんだか、私は医者の予想を裏切りなんとか余命だった10歳という年齢を越すことが出来た。その際は随分と生死の境を行ったり来たりしてギリギリだったのは仕方無いと言える。それから快復の兆しが……見えることもなく。今度はいつ死んでもおかしくない。と宣告されてしまった。


 おいヤブ医者ふざけんなよ。と心の中で罵った私に罪はない。絶対に。




 しかしその所為で弟は幼いながらも毎日私の様子を見に来るようになってしまい。両親にも随分と心労を掛けてしまった。

 弟が小さな身体で一生懸命家から病院に1人で来て、私の顔を見る度にほっと安堵に表情を綻ばせるのはとても印象に残ってる。それを見る度に私の胸の中に言い様のない複雑な思いと罪悪感が浮かぶのだ……。

 ただ居るだけで、私は家族や友人を心配させてしまう。


 いつ死ぬか判らないのだから放って置いても構わないのに。


 十分愛してもらえたから、解っているから……だからさっさと私なんか忘れて心穏やかな日々を送ってほしいのに、家族も友人もそう言えば凄く怒るのだ。『そんな酷いことを言うな!』と。それはもう烈火の如く。



 それに驚き(おのの)き、ちょっと嬉しくなる……周りの人間にとっては良い迷惑かもしれないが。凄く嬉しいんだ。私はまだここにいて良いんだと判るから。

 卑屈かもしれないけれど、私は自分が必要な人間だと胸を張っては言えない。寧ろいらない人間なんじゃないかといつも胸の奥で自問自答しているから。


 いつ死ぬか判らない。なんて命あるもの全てに言える事だ。事故や事件、転んだりぶつけたり、辺り所が悪ければ人の命なんてすぐ消えてしまう。私はそれが極端に多々あるだけ。そう考えて生きてきた。そう教えてくれたお爺様やお婆様がいっぱいここには居たから。


 だから生きていることに胸を張ってと言われた。私が生きていれば周りのみんなが笑顔になるのだからと。そして自分も笑いなさいと。いつも後ろ向きな考えに俯く私に掛けられた言葉。





 ああ、今思えばこの時のために言われてたのかな…?







 すでに思考は端からジワジワと白に、黒に、何かに、塗り潰されていく…。


 身体には力が入らないけれど、弟が掴む右手には力が込められてる感触がまだ感じられる。左手には母親の温もりが、頭には父親が撫でてくれる感覚が、視界にはこちらを見守る親友姉弟の姿が映る。



 元々は弟の親友だった男の子。それから弟繋がりで友達になり、その子の姉はクラスメイトという事もあり同じく姉同士、弟同士でどんどん仲良くなっていった。今や家族ぐるみで交流があるほどだ。私の唯一無二の親友達。


 意地っ張りで頑固者で、でもとっても優しくて……2人といると自分のハンデのある身体の事など忘れるほどに楽しかった。


 姉の方には私が外に出られない分、今時の流行などを教えてもらった。ちなみにベッドテーブルに置いてあるゲームもこの子に教えてもらった物だ。お陰で“萌え”というものも分かったし、根っからのインドアな分、オタクとして出来上がるのも早かった。

 ちなみにゲームは俗にいう“乙女ゲーム”と呼ばれる女の子向けの恋愛シミュレーションである。これをもって私は擬似的ではあるが恋愛といったものを知れたと思う……。




  ――だってヤバイもん!何がヤバイって、私がハマったこのゲーム『払暁のファンタジア』は乙女ゲームにしては珍しいRPG風となっていて、練りに練ったストーリーと剣と魔法を取り入れたファンタジーアクションと基本攻略対象が6人に対してハッピーエンド、友情エンド、バッドエンドの三種類プ・ラ・ス!隠しエンドがある多彩なエンドと濃いキャラ設定に加え隠しキャラが3人もいて!しかもしかも!世界観がとってもいいの!美麗なイラストと攻略度によっては隠しイベントなどがあってやりこみ度は半端無いし!それにアクションRPGなので普通の乙女ゲームとはまた異なる達成感があるという神ゲームなのよぅ~!!!お陰で今や第2弾、3弾と続編も出ているし、他のより傾向年齢が高めだから次は夜ver.(エロシーンあり)も出るとかー!

 マジで!それが一番悔しいかも!なんで私が死ぬ前に出さなかった!絶対に買ってプレイしたのにっ!!何がなんでもやったのにぃぃ!


 ――――はッ!



 いけないいけない。折角の感動場面げふんげふんなのに我を忘れて語ってしまったわ。申し訳無い。



 まぁ、私がいかにそのゲームが好きかは分かっていただけただろう。そんな神ゲームを教えてくれたのがそこにいる友人(姉)である。(ゲーム)使徒(布教者)として崇め讃えようとも。




 ——しかし、まったく……元々いつ死んでもおかしくないと言われていた分みんな覚悟はしていると思ったのに……どいつもこいつも辛気くさい顔してさ。




 私としては最期は笑顔で見送ってほしいのに……なにさ、みんな泣いてばっかりで。私は別に泣いてほしいんじゃないんだ。惜しんでほしいわけでもない。勿論喜んで見送られてもちょっと心にダメージを受けるので止めてほしいけど。うん。我が儘でごめん。



 ただ。 ただね。





 最期くらいはみんなの笑顔を心に、魂に焼き付けて逝きたいんだ……。


 だから――――。














「っ!」

「うぅっ!」

「ねぇちゃんっ!」

「!」

「えぇ、っそうね……貴女はそういう子だったわ」




 なら、みんな笑ってちょうだい。





 ――ああ、やっとみんなの笑顔が見れた!! そう!私はそれが見たかったの!




 なけなしの力で上げた頬筋に上手く笑えてるか心配になるが、眼を見張って皆が歪ながらも笑ってくれたのに嬉しくなる。





 ああ、よかった……


 ほっとした安堵感に息を吐く。だが気付く、視界がどんどんボヤけていく感覚。ゆっくりと、でも確実に小さくなる拍動。




 もう、ちょっと……みんなの……


 や…ゃだ……まって…もぅ…ち……っと……





 目に焼き付けたい。そう思い霞んでいく思考と視界に必死に抗うけれど無情にも世界は徐々に消えていく――。



 それにゾクリとして、感覚が無い筈の身体が震えた気がして、今まで見て見ぬふりしてきた恐怖が、後悔が、胸を締め付けて、心の奥底から飛び出してくる。





 ―――っやだ。やだ。死にたくない!まだ死にたくない!!!



 まるで慟哭のように叫ぶ心の、私のほんとうの気持ち。

 叫びだした後悔は止まらず誰に訴えるでもなく、ただ全てが、深く深く、奥の奥に厳重に仕舞い込んでいた筈の願いが、最期の、死への恐怖に駆られて飛び出していく――。





 まだしたい事がいっぱいあるの!みんなの幸せが見たかったの!友達だってもっといっぱい作りたかった!家族団欒ってやつをもっとしてみたかった!外の世界をっ病院以外のどこかを見てみたいしっ経験してみたい!それに…っ!それに恋愛だってしてみたいの!ゲーム(仮想)の中ではなくてっ!現実で!愛し愛されるということを!両親の様に互いを支え合って慈しみ合って、恋して恋されてっ私だって女の子だもん!!恋に恋するだけじゃ嫌だ!本当の恋がしたい!みんなと笑顔になりたいっ!



 ―――愛した人と共に生きたいんだ!!!









 《……ならそれを叶えてあげようか?》




 ――――えっ……






 突然聞こえた女性の声。


 聞いたことの無い声。





 それが耳ではなく、頭で、心で、感じて理解する。





 



 《貴女、面白いから叶えてあげても良いわよ?》



 まるで笑っているように聞こえる声色にちょっとムッとする。



 面白いってなんだ面白いって……。




 《――みっともなく生にしがみついて、聞き分けが良いふりしても形振り構わず強烈な程の想いで生きたいって叫ぶ人間。私はそんな人間が大好きなの……》




 だって愚かな子ほど可愛いって言うでしょ?と続ける声に何様だ!と言いたい。しかもそれは「馬鹿な子ほど可愛い」だ!わざとか?わざとなのか!?貶されている感じしかしないんだが。




 《あら、私は事実しか言ってないし、それに何様と言われても私は神様としか言えないわ》




 事実って確かに良い子ぶりっ子で自分の死を受け入れた態度で最期にみっともなく心残りを叫んじゃっ―――って神様!!?マジで!?



 《マジよ》



 つーか神様なのにこんなフレンドリーでいいの!?

 もっとこう……威厳とか。




 《ふふ、今はオフだからね。そう偉ぶっても肩が凝るだけだわ……まぁ他の神は偉そうな奴の方が多いけどね》



 オフって……神様にもオンオフとかあるんだ。ってことは今はプライベートってこと…ですか?



 取って付けた敬語も神様だという女性の声はただ笑っただけだった。




 《――それよりどうする?時間はもう無いみたいだから早く決めてほしいのだけど》



 決める?




 《ええ、貴女“恋”をしたいんでしょう?生きたいのでしょう?もう、その身体は“もたない”けれど新しい身体と人生を私から祝福として与えましょう》



 ……それはつまり、生まれ変わらせてくれるってこと、ですか?


 ってことは今の家族や友人と一緒に生きていく……人生は無くて、また新しい家族と友人との人生ってこと?




 《まぁ、平たく言えばね。それと私は“この世界”の神ではないから“私の世界”って制約はあるわ》




 私の世界?




 《えぇ、貴女も知っている世界よ。――ねぇどうする?新しい人生を歩んでみる?それとも、このまま死んで輪廻の輪に入って何十年っていう時を廻る?》



 輪廻……。



 それはつまり仏教でいうところの“輪廻”だろうか。




 《――まぁ、貴女がどう思うかは正直知ったことでは無いのよ》



 ぶっちゃけたなオイ。



 《――でも時間が無いのも事実。()も貴女も。だから決めて。ただ……これだけは言っておくわ。》




 先程までの軽い感じを一変、神様は真剣な声で続ける。




 《――私は、貴女を必要としているの。》




 (!)



 どくりと弱くなった鼓動しか刻まない心臓が一際大きな音を立てた気がした。




 《理由は今は時間が無いから言えないわ。だから決めて。》




 貴女の魂で。と言われた瞬間、脳内に浮かぶ画面。





 → 死ぬ?

 生きる?




 どんな2択だ。

 つい突っ込んでしまった。いや、確かに言われたのはその2択だけど。ここまできっぱりあからさまな2択でくるといっそ清々しい程だと思う。しかも何故ゲーム画面?




 ――時間が無いっていうのも解る。今もまだ“もっている”身体は段々と死に近づいている。



 既に鼓動も微かで、その間隔も長くなっている。薬のお陰で痛みは無いけど、あと数分の命であることは解る。自分の身体だしね。

 最初に告げられた余命を裏切り約9年。よくもってくれたと思う。



 ……たぶん。肉体はもう限界などとうに超えてたんだろう。それでも私の“意思”が、“生きたい”と思う強い想いがこれまでの命を繋いでいた。今ならそれがよく分かった。分かってしまった。



 私は“今の生”を諦めてしまったのだ。辛く長い闘病生活に弱気になった心に諦めが浮かび、受け入れてしまった。それに家族への負い目もあり、弟や友人達への醜い生への嫉妬もある。語られる身近な青春と輝かしい程の生命力の力を目の当たりにして私はいつも嫉妬していた。凄く惨めで醜い思いだよ本当に。

 それから徐々に諦めを受け入れるごとに身体は弱り果て、ご覧の有り様。




 嗚呼、本当に私は愚かだ……――。




 馬鹿だ阿呆だと自分自身を罵る。死ぬ寸前でそれが分かり今さら後悔なんてする。そしてそれでも生きたいと叫び乞う。


 ああ、そうだ私は生きたいんだ。他の誰でもない今ここにいるまだ生きている「私」がだ。



 なら、答えは決まっているじゃないか。





 私は……――生きたい!




 来世などではなく、生まれ変わりだろうが何だろうが関係ない。今生きたいと叫ぶ「私自身」じゃないと意味がないんだ!




 そう強く願った瞬間――――白い光が目の前に瞬いた。













 《貴女の願いを叶えましょう……》




 そんな神様の声を最期に私の意識は闇に沈む――…。














 ╋…╋…╋…╋…╋…╋…╋…╋…







 ――――某日某病院で1人の女性が息を引き取った。




 綺麗に整えられた黒髪が白いベッドを彩り、日に当たる事が無かった青白い肌は段々と血の気を失っていく。触れた手を握る青年はただ嗚咽を溢し、まだ温もりが残るその手を必死に掴んでいた……まるで死に逝くその女性を引き留めるかのように。



 泣き声と嗚咽が混じり合う病室で壮年の男性は1人、女性の頭を撫でている。まるで小さな子供を誉めるかのごとく、労りに慈愛を注ぎ優しく撫でていた。



「頑張ったな……」



 優しくぽつりと溢された言葉に一層病室内は悲しみを増す。




 ピーっと耳障りな機械音。



 それは女性が静かに息を引き取った事を報せていた。バタバタと騒がしくなる外にそろそろ医者が来るだろうと男性は妻である女性を引き寄せ抱き締める。泣き崩れる妻を腕の中で支えつつも目はベッドの女性から離れることはなかった……。



 たとえ覚悟していてもその身を襲う喪失感と悲しみは計り知れない。




 カタンッ




 不意にどこかで物音が立つ。意外に近くで聞こえた音に男性は眼を向けたが、見たところ何も可笑(おか)しな点は無いように見える。気の所為かと眼を逸らすが皮肉にも口端は上がってしまった。



 まだ女性がこの世に居るのでは、と有り得ない想像にだ。オカルトな事は信じない質だがどうしても考えてしまう。

 まだ、最愛の娘が側にいるのではないかと……。


 幾ら覚悟していても娘を喪った事実を受け止めきれていない自分に笑ってしまう。それは自嘲を込めて、歪んだ笑みを口端に刻んだ。


 少しだけ何かに歪む景色。


 目に映る娘の姿。




「(嗚呼、でも――そんなのはお前は嫌がるのだろうな…――)」




 彼女の安らかな微笑みの顔を見つめ男は呟く。それはこちらが少しだけ恨みがましく思える程の晴れやかな良い笑顔だった。


 辛く苦しい闘病生活だった。

 薬で痛む身体。すぐ体調は異変を訴え、外の世界に出たのは片手で数えられる程に少ない。


 でも、それでも、彼女は生きた。


 どんなに苦しくても、辛くても彼女は人よりハンデの大きい身体で精一杯生きたのだ。


 だからこそ彼女は笑っているのだろう。




 ならば、悲しむのは今日までだ――。










「う、うぅ…」



 鼻をすする音と共に聞こえる悲痛な泣き声。


 今にも倒れそうなほどに弱く震える姉に手を貸し、青年は動くことができなかった。

 ざわざわと周囲が騒がしくなっていく。たった今、天に召されてしまった1人の女性を取り囲むのはずっとお世話になっていた医者の先生方。彼らもまた逝ってしまった女性に泣きそうに顔を歪める。

 覚悟はしていた。でもそんな覚悟さえ吹き飛んでしまうほどの喪失感が胸を突き刺す。


 長く生きられないことは知っていた。


 耳にタコが出来るほど無理はするなと口うるさい先生方に言われ続けて、でも多少の無理をしてすぐ体調を崩してしまう彼女。でもそれでも今まで大丈夫だった。だから無意識に彼女は大丈夫なのだと、思っていた。思い込んでしまっていた。今まで通りに少しの療養をして、先生や看護婦さんからの説教を聞きつつ笑って、また自分の名前を呼んでくれるのだと…思っていた。


 彼女の周りに設置されていた機械類が外されていく。


 それはもう用済みだから、彼女には必要のないものだから。



「っ!」



 呼んだ名前は喉の奥で潰れて口から出ることはなかった。


 でも、でも、今にもふと起きそうなくらい穏やかな彼女の顔に泣き叫びたくなる衝動が青年を苛む。しかし彼女は目覚めない。目覚めることはもう二度と無いのだ。彼女はいない。もう、ここには……。





 心が悲鳴を上げる。


 呪詛のように神を罵り、責める声が後を絶たない。なぜ彼女なのか?彼女がなにをしたっていうのか?彼女は自分の人生がまっとうに生きれないことを知っていた。だからこそ彼女は1日1日を大切に生きてきた。そんな彼女が―――…





 カタンっ





 不意に聞こえた物音にハッとする。病室内は沈痛な空気に支配され、親友である青年はいまだに泣き叫び姉である彼女の名を呼んでいた。全員が泣いていた。大切な人が逝ってしまった事に。しかし青年だけはその瞳から涙を零すことが出来無かった……。


















 彼らは気付かない。



 永遠の眠りについた娘の枕元で確かに無くなった物があるのを。

 大切な彼女が眠りについた瞬間に消えてしまった物があるのを。





 枕元には淋しげなぬいぐるみが1つ。


 常に共に置いてあったものが無くなり、ただ静かに佇み亡くなった彼女を悼む彼等を見つめていた――…。






 

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