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突撃衝力・手練手管


 ―――― 帝國歴 336年 10月 7日


                古都ソティス郊外









 およそ集団における戦闘というものは、往々にして気合いと根性でぶつかって行くと何とかなるものである。そして、軍隊と言う機関は『必要な結果』を得るためとあれば、手痛い犠牲を払いつつも愚直な努力をひたすら重ねる。

 実に残念な事ではあるが、犠牲が出るのはやむを得ない。そう割り切らなければならない現場というのは絶対に存在する。そしてそんな場所にこそ軍隊と言う組織は投入される事になる。

 ただ、根性論が幅を利かせている軍隊ではあるが、戦闘の主役である騎兵がどれほど愚直に努力を重ねても、世の中には根性だけではどうにもならない事態が存在するのだった……


「左翼! 機動防御! 直接ぶつかるな!」


 戦況卓を見つめていたゼルは予想外な戦闘情報に面食らっていた。

 苦戦するのはある意味で仕方がない部分もある。どれほど策を練ったところで些細なことから前線が崩れると、敵味方のバランスが崩れ部分的に突出してしまうからだ。

 しかし、現状のこの戦況図はなんなんだ?とゼルは頭を抱えた。百戦錬磨の筈の騎兵近衛連隊が五度ぶつかって五度とも見事に跳ね返されていた。決して突撃衝力が劣っているわけではない。その証拠に、行き掛けの駄賃でぶつかった傭兵の集団は本当に一撃でバラバラになってしまったからだ。


「さて、いったい何が起きているのか……」

「予想外に手こずりますなぁ」


 ぼそりと零したゼルの言葉にビーン子爵は楽しげな笑みを浮かべた。

 こんな時にこそ戦術と戦略の献策が生きる。

 戦術家という生き物は苦戦ほど楽しいというのだが……


「戦っている兵にしてみればたまったものじゃないですよ。さて、そろそろ正体を教えてくださいよ。犠牲は一人でも少ない方が良い」


 この時点でゼルはまだ余裕があった。

 心のどこかで偶然や幸運あるいは不運という解釈をしていたのだ。

 しかし、その淡い期待は冷静さを若干欠いた慌ただしい報告で吹き飛ばされた。

 参謀幕屋へと飛び込んできた伝令騎兵は、まだあどけなさの残る少年だった。


「左翼三軍フリート少佐より報告!」


 言葉を出さずに目だけ向けたゼルは、その態度で『報告しろ』と返した。


「現在衝突中の敵騎兵は寒立馬を使うフレミナ北方騎兵! 率いるのはオクルカ・トマーシェー・フレミナ公と見受けられます!」


 少年兵の甲高い報告の声に幕屋は一瞬だけ緊張が走った。

 そして直後には頭を抱えて考え込むようなうめき声が漏れた。


「ご苦労! フリート少佐に伝えろ。直接ぶつからずに相手を削れ。現場の判断で波状反復攻撃を行うようにと」

「承知!」


 自軍の勝利をなんら疑わぬ少年兵は、踵を返して戦線へと戻っていった。

 その後ろ姿を見送ったゼルは、すぐ近くにいたビーン子爵に尋ねた。


「端的に言って、そのフレミナ北方騎兵はどれ程強いですかな?」

「そうですな……」


 一瞬返答を保留したエリオットはわずかに考え込むそぶりを見せた。

 ただ、その僅かな、それこそ数秒に満たない時間でしかない間を置いて出てきた答えは、ゼルをして背筋に冷たいものを感じるレベルだった。


「私が覚えている限り、北方騎兵が力負けしたと言う話を聞いた事はないですな」

「……なるほど。で、オクルカ・トマーシェー・フレミナ公とは?」

「長らく次期フレミナ王と言われてきたビッグストン上がりの男です」

「……ほほぉ」


 一瞬だけ凶悪な笑みを浮かべたゼルの横顔をカリオンはジッと見ていた。

 決してうろたえる事無く、むしろ楽しそうだと思わせるような振る舞いだ。


「では、その最強伝説に幕を下ろしていただきましょう」

「勝てますか?」

「勝ちますよ。勝てるんじゃない。勝つんです」


 ニヤリと笑ったゼルは振り返り、カリオンとその後ろに立つイワオをチラリと見た。その顔には余裕を感じさせる笑みがあった。


「若き王の…… 覇道の為にね」


 ニンマリと笑みを浮かべたゼルは戦況卓の周りをグルグルと回り始めた。およそ人間という物は、歩行時の方が創造性や思考能力といった部分を活性化できる。

 一説に寄れば歩行中の血流量増加が脳に新鮮な酸素と栄養を過剰補給し、それを消費するために脳は嫌でもクロックアップするのだとか。

 話全体のディテールを掴んでいる訳では無いゼルだが、こんな時に思考を活性化させるには、歩いた方が良いと言うのを経験的に知っているのだった。


「そうか…… そうか…… そう……か」


 腕を組んで状況を確かめたゼルはしばしの沈思黙考を経て結論を出した。


「伝令!」

「はっ!」

「右翼アジャン少佐に通達。フレミナ北方騎兵の北東へ進出し矢を射掛けよ」

「はっ!」

「なお、直接の戦闘を禁ずる。距離を取って敵を押し出せ。南西側に砂地があるはずだ。足場の悪いところで踊ってもらおう。いけっ!」

「承知!」


 参謀幕屋を飛び出した伝令兵は馬に飛び乗って駆けていった。

 それを見送ったゼルは再び思案を重ねる。


「左翼フリート少佐に通達! 徐々に後退し砂地へと誘い込め。深追いは無用。無理な交戦は蛮勇なり。相手の消耗を誘え」

「了解しました!」

「あと、騎馬の調子を慎重に見極め、長距離行軍に備えよと付け加えよ。いけ!」

「委細承知!」


 見事に馬を乗りこなす伝令兵が去っていく中、イワオはゼルの戦術が妙に臆病だと写った。力負けを喫しかねない相手だが、それでも無様に負けることはないだろう。そんな時は思っている事をそのままぶつけるに限る。単刀直入な言葉でカリオンに質問をぶつけた。


「兄貴。ゼル様はなんで中央集団を押し出さないのですか?」


 少なくとも公の場だから砕けた口調は使えない。

 そんな心遣いを見せたイワオをゼルは暖かな眼差しで見た。


「ここへ来てみろ」

「はい」


 ゼルの隣にたったイワオとカリオンは、戦況卓を見た。

 予備知識の無いイワオだが、そこに描かれた大きな矢印の意味は解った。


「敵はその中央集団を削る作戦だろう。どこの軍隊だって中央集団が一番強い」

「はい」

「つまり、中央集団が負けた場合は士気にかかわる。従って」


 戦況卓の駒を指揮棒で動かしたゼルはイワオやカリオンだけでなく、全参謀幕僚に作戦の全体像を示した。


「中央集団はトドメを入れるのが仕事だ。先ずは充分削っておく。そう言う事だ」

「なるほど…… そうか」


 合点の行ったイワオは僅かに首肯した。だが、その隣に居たカリオンは些か納得のいかない様子で、辺りを確かめ小声で呟いた。


「……ですが」


 その表情に混じる怪訝さは王でなければ理解し得ないものだ。

 イワオとは違う角度でカリオンは焦燥を覚えた。


「近衛の士気も考慮するべきではないかと」

「それも重々承知しているつもりだ。ただ、残念ながらここで彼らを説得している時間は無い。それに、まだ先がある。この先で充分活躍するだろうからな」


 楽しそうに笑ったゼルは戦況卓の周りをグルグルと回り続けた。

 まだ見ぬ寒立馬の姿を想像しながら、ゼルはその打たれ強さを考えていた。






 ――幕屋から北西へ一リーグ





 ル・ガル国軍の前線本部と言うべき幕屋からほど近いこのエリアには、近衛騎兵団長であるジョージスペンサー直率の第一軍団が陣取っていた。ゼルからの伝令を今や遅しと待ち構えているのだが、待てど暮らせど指示は来ない。


 ――伝令が討たれたのでは?


 この異常事態を前に戦務幕僚達はそんな論議を重ねていた。

 もし突撃命令を持ったまま伝令が死んだのであれば、少なくとも戦線の後退を防ぐ為に飛び出ていって獅子奮迅の働きをせねばならない所だ。だが、仮に参謀総監ゼルの指示が待機だった場合。戦線へ飛び出してしまっては、大変な事に成る。


 参謀総監であるゼルの戦術指示は絶対命令であり、それに背いた動きなど決して赦される物では無い。少なくとも国主であるカリオンが任命した以上、統帥権を持ち出し『現場判断でした』と命令違反を躱しきることは不可能だ。風を切って走る騎兵にとって『待ち』という暗黙の指示は、思った以上に精神を蝕んでいるのだった。


「戦線へ出てはいかんのでしょうか……」


 ジョージの側近に付いている参謀達が切歯扼腕の言を繰り返している。本音を言えばジョージとて今すぐにも戦闘に参加したいところだ。だが、戦線を押し上げろと言う指示は届いていない。

 無線などの距離を飛び越えて意思疎通を図る道具はまだ無く、魔法を使った広域通信機器がやっと研究の途に就いたと言う所なのだった。


「みろ。両翼を閉じるのでは無く挟み込むようにして削っている。相手は相当手強いと言う事だろう。いたずらに犠牲を出す訳にもいかん」

「ですが、王の御前で我が近衛騎兵が戦闘を回避するなどあり得ませぬ。やはり伝令が何処かの伏兵に……」

「ならば伏兵を探索するのが先決だ」


 あくまで冷静な言を繰り返すジョージだが、その足下は気忙しげにカタカタと貧乏揺すりを繰り返していた。ジョージの手下に当たる者達は、その姿に主君の苛立ちを見て取った。


「伝令っ!」

「やっと来たか! ゼル殿はなんと!」

「ハッ!」


 伝令に走ってきた若い兵士は地図を広げジョージにゼルの作戦を伝えた。


「左右より矢を射掛け敵兵力の漸減を計り、後に騎兵にて一気に片を付ける所存とのこと。敵主力は寒立馬を主力とする北方騎兵団と思われ――


 フレミナ北方騎兵と言う言葉にジョージの側近集がオォ!と声を上げた。

 相手にとって不足の無い敵が現れたのだ。強敵を求める事こそ騎兵の本懐。

 武者震いに参謀たちの表情がほころぶ。


 ――とにかく手強いので肉弾戦に及ぶなかれ。ソティス北部へ回り込み、フレミナ側の輜重隊列を全滅させ、兵糧攻めにせよとの事です」

「……いまなんと申した?」


 伝令の一気呵成な言葉は参謀達に少なからぬ波紋を投げかけた。騎兵に『待て』だけでなく『戦うな』という指示が出たのだ。それはもはや騎兵にとって存在の否定に等しいことだ。


「ゼル殿が待てと申したのか?」

「……到底承伏しかねます!」

「ありえん! そんなモノは!」


 少々興奮している参謀や側近が声を荒げた。

 もちろんジョージも表情を曇らせている。

 だが……


「ゼル殿はなにを狙っておられる……」


 腕を組んで考えるジョージは参謀達に意見を求めるべく視線を走らせた。

 参謀達はやや沸騰している頭脳を冷ますべく、冷静に思案を巡らせた……


「総監殿はソティスの街からフレミナを追い出したいのでは?」


 ふと思い至ったように口を開いたのは、最古参の参謀だった。

 かつて名うての騎兵であったソティス出身の老参謀は、ふと遠い目をした。


「人口が減少しているとは言えソティスは大都市には変わり有りません。市民ごと兵糧攻めにし、フレミナ騎兵に市民の分の食料を食わせて反感を買わせる……」

「もしそれが真実だとしたら、ゼル殿は悪鬼羅刹の如しですな」

「全くだ。市民を護るのが騎兵の本懐ぞ!」


 沸騰する面々を余所に、ジョージはどこか涼しい顔をしていた。

 少なくともソティスの街にはカウリ卿がいる。卿がいる限り酷い事にはならないだろう。つまり、フレミナに無様な振る舞いをさせるのが目的……


「例えその目的がなんであれ、指示を受けた以上はそれが王の勅命だ」


 顔を上げたジョージは席を立って参謀の面々をグルリと見回した。


「我々はソティスへと入るフレミナの補給線を断つ。その上で連中がどう動くかを見極めるとする。補給路が断たれれば向こうも短期決戦に及ばざるを得まい。それならば多少の無理をするだろう。そこにつけ込むのかも知れんな」


 ジョージは少々不本意ながらもゼルの狙いをこの辺りと踏んだ。

 つまり、面倒な裏働きを寄りにも寄って第一軍団に押し付けた事になる。


「さて、異論はあるか?」


 グッと迫力を増したジョージの言に全員が首を振って無しの意思表示をした。


「では、早速動こう。兵は拙速を尊ぶ」


 皆の動き出しを確かめたジョージは心中で呟く。

 甚だ不本意な自分の感情を押し殺して塗りつぶすように。


 ――ゼル殿。首尾上々を期待しますぞ


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