権謀術策
―――― 帝國歴 336年 10月 4日
古都ソティス
翌日。
まだ日も昇りきらぬ早朝五時。
カウリは警戒を告げるラッパで目を覚ました
――カリオンめ
――やる気十分だな
忍び笑いを浮かべて部屋を出たカウリは、フレミナ陣営の参謀が集まっている会議室へと顔を出した。フレミナの里からやって来た北方系各氏族の長らは騎兵隊の隊長を交え検討を行ったのだが、その会議は夜を徹して行われたらしく、皆が一様に眠そうな顔をしていた。
「お主等…… 全く寝ておらんのか」
「事態は急を告げる。寝てなどいられるか」
「……騎兵は寝るのも仕事だぞ」
呆れたと言わんばかりに手近な椅子へと腰を下ろしたカウリは、戦況卓に描かれた前日の戦闘詳細をジッと見ていた。
「昨日の囮戦闘は上出来だったな」
「……そうだな」
一瞬の間が空いて肯定したフレミナの騎兵は、怪訝な顔でカウリを見ていた。
囮の意味を上手く飲み込めてはいない風の騎兵を余所に、戦況卓を眺めていたカウリは皆へ改めて問うた。
「さて、今日から本格的にやり合う事に成るだろう。昨日の無様な負け方で向こうも油断を生じるはずだ。どう攻める? 今日は勝つ気で行くんだろう?」
嗾けるような一言がカウリの口から漏れ、騎兵達はいきり立つ。
昨日の負けが予定された負けだと、カウリは遠慮無くそう言い放った。
騎兵達にしてみれば定石展開で負けたのだから、次の一手もなにもあった物では無い。だが、ここで『もうダメです』とも言えないのだから、強気で何かを言わねばならぬ。
「カウリ殿はどう思われる? 国軍に勝つ妙案はあるかね?」
「さぁな。それが判れば儂も苦労せんで済んだわ」
皮肉とも冗談とも付かない調子で答えたカウリは、突撃衝力にこだわる騎兵達の固い頭を内心で嘆いた。ほんの二十年前までは間違い無くカウリもあっち側だったのだから。
「ただのぉ」
戦況卓へと歩み寄ったカウリは卓の周りをグルリと歩きながらジッと眺めた。
「誰ぞ、我々を責める側に立って見た者はおらぬか?」
何を言いたいのか掴みきれず互いに目を見合わせたフレミナの参謀達は、ややあって一斉にカウリを見て首を振った。
「ふーむ……」
厳しい表情になったカウリは室内の面々をぐるりと見回し、一人ずつ鋭い視線で打ち据えた。だが、内心では馬鹿揃いでしかないフレミナの参謀陣に深い同情と安堵を覚えていた。
少なくとも国軍の騎兵に大きな犠牲を生む事はないだろう。ここで徹底的にフレミナ騎兵を削っておいて、最終的には古都ソティスへ釘付けにし、少しずつ磨り潰して滅亡させる。その手順に些かの迷いも無い。
「儂が言うのもなんだがな」
ここで恐怖を煽り過ぎてはフレミナ騎兵が尻込みしてしまう。
上手く焚き付けて最前線へ全力投入をさせて、そして滅亡してもらうのが上策。
寝起きとはいえ歴戦の騎士だ。カウリの脳は一気に回転数を上げた。
「国軍騎兵はネコの騎兵との戦闘で新しい戦術を沢山見ている。そして、手痛い敗北を喫し、自己変革を迫られたのだ。今まで上手く行ったからと言ってこれからも上手くいく保証など無い。そう言う発想だな」
カウリは外連味無く真正面から言い切った。
先ずは恐怖を煽る。ここから行くのが常道だろうと思ったからだ。
「だからといって新しい戦術がすぐに完成するというものでも無い。膨大な試行錯誤を経て戦術は完成していく。諸君等が優秀なのは承知の上だが、それでも手痛い犠牲を払う必要があると言うことだ。時には忍びがたい屈辱を受けてなお乗り越える必要がある」
一度言葉を切ったカウリはあえて沈黙を演出した。
こういう部分での駆け引きは場数と経験でしか無い。
激戦が予想される現場を尻込みする騎兵を奮い立たせ、そして必要な結果を得るために送り出す。その為のノウハウは、その送り出した兵士の死を積み重ねることでしか身につかない。
「諸君等の中には今日以降の戦闘であえなく命を落とす者も出るだろう。だが、それは全体として必要な犠牲だ。何度も何度も同じ失敗を重ねるように見えて、実際には同じ事では無く螺旋を描きながら前進していく事になる」
誰かが生唾を飲み込んだ。
その音を確かめたカウリはやや俯き加減で沈痛な表情を浮かべる。
全ては計算され尽くしたものであり、要するに、ノウハウの一環だ。
「諸君等は騎兵である。兄弟の絆に結ばれた騎兵である。共に困難を乗り越え、死線を潜り、敵を撃ち倒す兄弟である。どこの戦場にいようと全ての騎兵は諸君らの兄弟だ。この中の何名かは二度と戻らないかも知れない。だが、一時も忘れること無く覚えておいて欲しい。騎兵は死ぬ。多くの民衆と剣を捧げた王のために死ぬ。そのためだけに我々騎兵は存在する。欲する目的が有り、それに突き進む騎兵がいる限り、我々は永遠である。つまり、諸君等らは永遠である!」
ある意味で支離滅裂な演説と言える。
だが、情に訴えかける文言を熱意と共に大声で叫ぶと、それは不思議と人を鼓舞する言葉に化けてしまう。事実、この場にいた多くのフレミナ騎兵は顔の相を一気に代えて盛り上がっている。
――よしよし……
内心でニヤリと笑ったカウリは厳しい表情のまま腕を振り上げた。
「結論の出ない論議など時間の無駄だ! 罠など噛み砕いて前進しろ!」
何処かから『そうだ!』の声が上がる。
「オオカミの誇りを示せ!」
室内の騎兵たちが今にも部屋を飛び出しかねないほど盛り上がり、その空気にカウリは内心で作戦の成功を感じた。これで彼らは死ぬまで駆け続けることだろう。フレミナの勝利だけを信じて走り続けるだろう。自らの死が着々とフレミナを弱らせていく罠だと気づかないままに。
だが、その喜びは一瞬にして消し飛んだ。突然部屋に入ってきた大柄な騎兵は盛り上がっている騎兵たちに混ざり『俺も行くぞ!』と声を上げた。その勇壮な風貌に室内の騎兵は更にテンションを上げ、一気に方をつけてやると意気込んだ。
――こりゃ…… まいったな……
一瞬だけ引きつった表情になったカウリは、すぐに顔を両手で叩いた。正気を取り戻すようにしたその仕草は、カウリの気まずい表情を顔から払い出した。
「オクルカか?」
「えぇ、そうですよ! 伯父上!」
「久しぶりだな! いやいや、話には聞いていたが…… 良い男になったな!」
カウリの目の前に現れたのは、妻ユーラの実家トマーシェ・フレミナ家の現当主でありユーラの甥に当る男だ。そして、フレミナ騎兵団の一団を率いるのだが、そのトマーシェ騎兵団は寒立馬と呼ばれる短足ながら持久力と闘争心に溢れる毛長の馬を使い、速度は遅くとも恐ろしほどしぶとく手強い騎兵団としてフレミナの周辺を護っていた。
「かれこれ五十年ぶりくらいでしょうか」
「そうさの。おぬしがビッグストンを出て…… しばらく城下に居った時以来だ」
このビッグストン上がりのフレミナは時期フレミナ王とも賞されてきた。
だが、そのフレミナ王にはフェリブルの息子フェルディナンドが着々と手を掛けつつある。
「私もフェリブルじぃの夢に乗ろうと思います」
「……そうか。そうか。そうか……」
カウリは満足げな笑みを浮かべて何度も頷いた。
――なるほど。一発逆転を狙いたいってところか?
なんとなくオクルカの焦りを感じたカウリは、内心の深いところで『これは使える』と気がつき、ほくそえんだ。そして、その決意を讃える様に何度も何度も首肯するカウリは、涙を浮かべてオクルカの肩を叩いた。猿芝居でも良いから、オクルカを煽っておかないと……
「フレミナの未来はお前に掛かっている!」
「はいっ!」
「はやいところフェリブル如きなど追い越してしまえ」
「じぃをですか?」
「そうだ! オオカミは実力が全てだ!」
カウリは力を込めてオクルカの胸を突いた。
まるで岩でも殴ったかのような感触にカウリの表情がほころぶ。
――お前がフレミナの王になれ!
――そして、これをカリオンが倒せばフレミナの牙は折れる……
内心でほくそ笑んだカウリは、頼もしそうな目で若きフレミナの騎士を見上げていた。ただ、この時カウリは自らが犯した致命的な失態に気付く由も無かった。
オクルカ・トマーシェー・フレミナ
この先百年にわたってカリオンと争い続けるフレミナの若き指導者は、ゆっくりと世界の舞台へ上がってきたのだった。